第51話 朝市の分け方が上手くなる
朝市の「分ける」は、買うより難しい。
買うのは一回で終わる。分けるのは、終わらせないと増える。増えると混ざる。混ざると、だいたい誰かの顔が固くなる。
顔が固くなると、噂の火種が戻ってくる。だから今日は、小さく勝つ。
結び家が朝市へ向かう道すがら、角はいつも通りの顔をしていた。
板は板。釘は少し。木片は一枚。箱は閉じてる。欠けの石は欠けたまま。
読む人はいるけど、叫ぶ人はいない。
叫ばない角は軽い。軽い角は朝を助ける。
朝市の入口は、匂いが先に来る。
粉の匂い。豆の匂い。焼いた皮の匂い。ちょっとだけ酸っぱい匂い。
声はその後。
「いらっしゃい」と「これ、いいよ」と「今日は風がいいね」が、混ざらずに並んでいる。
「……今日は、分ける日」
レンカが言いかけて、口を押さえた。えらい。
「言うな」
ユリネが即座に刺す。
「……胸の中で、分ける日」
「胸の中なら勝手にしろ」
分ける日、になったのは、粉屋の前だった。
粉屋と言っても、店名はない。大きな袋と、木の升と、布の口を結ぶ手だけがある。
その前に、見知った顔が集まっていた。
「今日はまとめて買った方が安いってさ」
「じゃあ一袋いこう」
「うち、半分でいい」
「うちも半分」
「半分が二つで一袋だね」
「じゃあ四分の一が四つ?」
四分の一、が出ると危ない。
分け方が増える。
増えると「自分が損した気がする」が増える。損した気がすると、口が増える。
増えた口は、粉より舞う。
ミナギが顔を輝かせた。
「じゃあ俺、計算する!」
「するな」
ユリネが刺す。
「えっ、でも得意だよ?」
「得意を出すと、正しさで割り始める」
「割るのが目的じゃん」
「割り方が増える」
粉屋のおじさんが笑って言った。
「分けるの? なら袋はひとつ、升はひとつ。手はひとつな」
雑なのに、やたら正しい。
雑な正しさは、朝市で一番効く。
「手はひとつ?」
誰かが首を傾げる。
「ひとつ。触る手が増えると、粉が増える」
おじさんが笑う。
「粉が増えるのは嫌だろ」
「嫌!」
周りが笑う。刺さらない笑いが起きると、顔が固くならない。
ところが、分けるのは袋だけじゃなかった。
隣の豆屋が「まとめならおまけ」と言い出したのだ。
言い出すと、善意が走る。善意が走ると、分けたくなる。
「豆も一緒にしよっか」
「うちは豆いらない」
「うちは豆いる」
「じゃあ豆だけ別?」
「別が増える」
レンカの目がきらっとした。
泣かせない係の目だ。危ない。
「じゃあ私、分ける!」
「分けるな」
ユリネが刺す。
「えええ、でも困ってる顔!」
「困ってるのは粉じゃない。分け方だ」
タケルが真顔で言った。
「分け方が増えると、手が増える」
「手が増えると、粉が増える」
ハルが小さく付け足した。
シノがぼそり。
「……粉、くしゃみ増える」
「増やすな」
ユリネが反射で刺す。
「……胸の中で、くしゃみ」
シノが言い直した。言い直せるなら勝ち。
粉屋のおじさんは、升をとん、と叩いた。
音が小さい。小さい音は呼び笛にならない。
「分けたいなら、これ。升一杯で一つ。数えるのは一人」
数えるのは一人。
それが今日の線になる。
線があると、誰も負けない顔になる。負けない顔だと、朝市は朝市のままだ。
「数える係、誰?」
誰かが言う。
言うと、手が上がる。手が上がると、主張が増える。
増やしたくない。ここは、決め方も短く。
ユリネが短く言った。
「買った人」
「買った人?」
「金を出した人が数える。終わり」
終わり。
終わりがあると、揉めない。
揉めないと、粉が舞わない。
金を出したのは、近所のおばさんだった。
おばさんが笑って言う。
「はいはい、私ね。手はひとつ!」
言い方が明るい。明るいのに増やさない言い方。朝市向きだ。
おじさんが袋の口を結ぶ。結んだら、ほどく。ほどいたら、升に粉を入れる。
升一杯。
おばさんが升を受け取って、別の袋へ移す。
移したら、升は戻す。
戻すたび、手が増えない。増えないと、粉が増えない。
ところが、途中で「親切」が割り込む。
若い人が覗き込んで言った。
「それ、山盛りじゃない? すり切りにした方が公平じゃない?」
公平。
公平は危ない。
公平を言うと、正しさが増える。正しさが増えると、割り方が増える。割り方が増えると、朝市の空気が固くなる。
ミナギが「公平!」って言いかけて、
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で公平」
「胸の中でも言うな」
粉屋のおじさんが笑って、升の縁を指でちょん、と叩いた。
「山盛りは山盛りでいい。すり切りはすり切りでいい。大事なのは、同じ升、同じ手、同じ回数」
説明が長くなりそうで、最後に短く落とす。
「数は数だ」
数は数。
雑なのに強い。
若い人が口を開けかけて、閉じた。閉じられるなら勝ち。
おばさんが宣言する。
「じゃあ山盛りで統一! 文句は増やさない!」
「増やさない!」
周りが笑って復唱した。
復唱が刺さらないと、場が丸い。
粉の分け方は、回り始めた。
回ると、次は豆だ。
豆は転がる。転がると拾う。拾うと声が増える。
増やしたくないから、豆も同じルールでいく。
「豆も升でいける?」
おばさんが言う。
「いける」
豆屋が言う。
「ただし、落とすなよ」
「落とすな!」
誰かが笑って言い、また笑いが起きる。
笑いが起きると、落とさない。落とさないのが不思議と起きる。
豆屋の升は、粉屋の升より小さい。
小さい升は、安心だ。小さく分けると「足りない」が出にくい。
足りないって言うな、を言わなくて済む。言わなくて済む日は強い。
豆を分けている最中、子どもが通りかかって、足を止めた。
目がきらきらしている。危ない。きらきらは拾いたがる。
「それ、豆の雨?」
子どもが言った。
「雨にするな」
ユリネが刺す。
「……豆の順番!」
子どもが勝手に言い直して、なぜか胸を張った。
言い直せるなら勝ち、なのか。子どもの勝ちは早い。
子どもが手を伸ばしそうになって、シノがそっと指で子どもの手の甲を押さえた。
押さえ方が奪わない。声も増やさない。
「……触ると転がる」
小さい声だけで、子どもは止まった。止まれるなら勝ち。
「転がると、拾う?」
子どもが首を傾げる。
「拾うと、増える」
ハルが小さく言った。
子どもが目を丸くして、なぜか真顔になった。
「増えるの、だめ!」
「だめって言うな」
ユリネが刺す。
「……増やさない!」
子どもが言い直して、今度は自分で自分の手を背中に回した。えらい。早い。学習が速い。
分け終わった袋が、四つ並ぶ。
並ぶと安心する。
安心すると、最後に一番危ないものが出る。
「じゃあ余りはどうする?」
余り。
余りは揉める。
揉める前に、終わりを置く。
粉屋のおじさんが、升をとん、と置いて言った。
「余りは、今日の飯に混ぜろ」
雑。
雑なのに、全員が笑った。
笑うと、余りが余りじゃなくなる。生活になる。
生活になるなら、勝ちだ。
「今日、平焼きにしよ」
おばさんが言って、周りが頷く。
「豆も煮よう」
「煮るのは勝手」
ユリネが短く言って、でも止めない。
煮るのは増えていい生活だ。
結び家も、分けてもらった袋を受け取った。
受け取り方が軽い。軽い受け取りは礼を増やさない。
礼は小さく、で済む。
「……助かった」
レンカが言いかけて、口を押さえた。
「助かるって言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で助かった」
「胸の中なら勝手にしろ」
帰り道、秤屋の方からカチンが聞こえた。
一定の音。今日は、列が崩れていない音。
崩れていない音は、分け方にも効く。
見て、数えて、渡す。触らない。増やさない。
朝の作法が、勝手に繋がっていく。
家に戻ると、台所に袋が並ぶ。粉。豆。
並んだ袋が、なんとなく「今日は平和」を言っている。
平和って言うな。胸の中で言う。
レンカが粉袋を抱えて、目を輝かせかけて止めた。えらい。
「……焼ける」
「焼けるなら焼け」
ユリネが短く言う。短い許可は増えない。
粉を水で溶いて、ちょっと塩。
鉄板に落とす。じゅっ。
いい音は増えていい。増える音は飯の音だ。
豆は鍋に入れる。
ぐつ、ぐつ。
湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。
ミナギが皿を取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「今日の分け方、上手かったな」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で上手い」
「胸の中なら勝手にしろ」
コトが笑って、ハルが小さく頷いた。
「……手が増えなかった」
シノがぼそり。
「……粉、舞わなかった」
レンカが小さく宣言した。
「今日、分けたのに混ざらなかった!」
「混ざりかけた」
タケルが真顔で言う。
「未遂って言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で未遂」
「胸の中でも言うな」
笑いが起きる。
刺さらない笑いが起きると、朝の分け方は勝ちになる。
勝ちとか言うな。
でも今日は、生活が勝った日だ。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」




