表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/52

第50話 回収

 噂は、昨日より今日のほうがやっかいだ。

 昨日は鳴った。今日は残る。残ると、勝手に形が固まる。固まると「確定っぽい」が「確定」に化ける。化けると、口が増える。


 だから朝の角は、いつもより静かで、いつもより目が多かった。


 鐘楼の影の下。板と釘と木片と箱と欠けの石。

 木片が一枚だけ、かたん、とぶら下がっている。


 確認は板。声は一回。確定っぽいで止める。


 字が太くない。けど短い。短いから、読める。読めるから、叫ばなくていい。


 ——板を見る人が増えて、口の噂が一段減った。


 それが、朝いちばんの「結果」だった。


 レンカが板を見て、口をむずむずさせて、手で自分の口を押さえた。止まれるのがえらい。

「……確認、板」

「言うな」

 ユリネが即座に刺す。

「……胸の中で確認、板」

「胸の中なら勝手にしろ」


 板の前で、荷ほどき通りの人が立ち止まった。昨日の話を聞いて、顔が固い。

「今日、締め出し……?」

 と言いかけて、言い直す場所を探すみたいに板を見る。

 板の字を読んで、口を閉じた。閉じられるなら勝ちだ。

 代わりに、隣の人の袖を引いて、指で木片をとん、と示す。指先の合図は増えない。


「確定って言うな、って書いてあるね」

 袖を引かれた人が小声で言って、すぐ自分で口を押さえた。

「……声、一回」

 小声のまま、言い直す。言い直しがあると、噂が痩せる。


 ミナギが元気に鼻息を出した。

「でもさ、これ、誰が書いたの?」

「増やすな」

「増やしてない、疑問!」

「疑問は増える」

「……胸の中で疑問!」

「胸の中でも言うな」


 タケルは真顔だった。真顔のまま、板の字を二回読んで、ほんの一瞬だけ視線を落とした。

 反省の顔だ。反省は暗くしない。暗くしない反省は、一回で終わるのがいい。


「昨日、走り過ぎた」

 タケルが言った。

 それだけ。

 それ以上は言わない。言うと重くなる。重くなると、また噂が増える。


 コトがにこっとして、短く返した。

「一回でいい」

 タケルが頷いた。頷きは増えない。


 そこへ、角に“別の真顔”が来た。


 背中が堅い。靴が堅い。息が堅い。

 役所側の人だ。名乗らない。名乗ると増える。

 胸元に、革の札入れ。腰に、木の板。板には印の跡。お堅い匂いがする。


「……確認に来ました」

 声も堅い。

 堅いけど、怒ってない。怒ってない堅さは、まだ助かる。


 レンカの肩が上がりかけた。上がると泣かせない係が走る。走ると、昨日に戻る。

 ユリネが短く言った。

「見る」

「えっ」

 確認係の人が瞬きをした。


 タケルが真顔で続ける。

「聞く前に、見る」

 昨日の順番を、今日はそのまま渡す。

 渡せるなら勝ちだ。


 確認係の人は、板を見た。

 次に箱を見た。次に欠けの石を見た。次に、朝市の方向を見た。

 そして、口元がほんの少しだけ緩んだ。緩むと、声が増えない。


「……これ、最近の決まりですか」

 言い方が確認だ。断定じゃない。助かる。


「決まりにするな」

 ユリネが言った。短い。刺さらない短さ。


 確認係の人は、言い返さなかった。言い返さないで、もう一度板を見る。

 板を見ている間に、角の通り過ぎ方が変わっていく。


 昨日は、誰かが「検査だ!」って叫ぶたびに、足が止まって、口が重なって、背中が詰まった。

 今日は、止まる代わりに、目が寄って、読んで、すっと散る。

 散り方が静かだと、鐘楼の影が影のままで済む。


「……助かる」

 コトが言いかけて、

「助かるって言うな」

 自分で刺して笑った。刺さらない笑いが一番いい。


 確認係の人が、懐から紙を一枚出しかけた。

 ぴん、とした紙。ぴんは危ない。貼りたがる顔になる。

 レンカが息を吸って止めた。止まれるのがえらい。


 ユリネが先に言った。

「貼るな」

「……貼りません。掲げるだけです」

 確認係の人は、紙を広げかけて、やめた。広げると、人の目が集まる。目が集まると、口が増える。

 代わりに紙を折った。折って、札入れに戻した。戻すのが早い。


 タケルが真顔で言う。

「声、一回で言え」

「……一回」

 確認係の人が復唱した。復唱できるなら勝ち。


 確認係の人は、木の板から小さな木片を一枚外して、短く書いた。

 紙じゃない。増えない。


 確認中。確定って言うな。


 それだけ足す。

 角の空気が、もう一段だけ軽くなる。軽くなると、朝市が朝市のまま回る。


 朝市の入口で、誰かが言いかけた。

「昨日の鐘って——」

 その人は続けずに、角を指した。

 指された先で、別の人が言う。

「板、見た?」

「……見た。確定っぽい」

「確定っぽいで止めろ」

 言い直しが、当たり前みたいに返ってくる。


 言い直しが増えると、噂が痩せる。痩せると、走らない。走らないと、列が崩れない。

 秤屋の方から、カチンが戻ってきた。一定の音は安心だ。安心は、今日は増えない安心だった。


 秤屋の列の端で、粉袋を抱えた人が固まっていた。昨日のざわつきが残っている顔。

 前の人が肩越しに囁く。

「ひとつずつ」

 その一語で、袋の口が結ばれる。結ばれると、粉が舞わない。舞わないと、誰も咳をしない。咳をしないと、また口が増えない。


 確認係の人は、角から朝市へ一歩だけ出て、様子を見た。

 見るだけ。言わない。叱らない。印を押さない。

 印を押すと「確定」になる。確定になると、また増える。


 ミナギがぼそっと言う。

「役所の人、怖くないね」

「怖くないって言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で怖くない」

「胸の中なら勝手にしろ」


 昼前、結び家の台所は、鍋の匂いが勝っていた。

 ごっちゃ煮スープ。湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。


 確認係の人は、まだ角にいた。立ち続けている。立ち続けると、肩が固まる。

 固まった肩は、良くない。良くないと、堅い声が出る。堅い声が出ると、また噂が固まる。


 コトが、確認係の人に近づいた。声は増やさない笑顔で。

「……飯、どうぞ」

「仕事中です」

「仕事、沈めます」

 コトの言い方が雑で、でも優しい。雑な優しさは、役所側にも効く時がある。


 確認係の人は断ろうとして、腹が鳴った。

 きゅる。

 小さい音なのに、角より目立つ。目立つと恥ずかしい。恥ずかしいと、声が小さくなる。小さい声は助かる。


「……一杯だけ」

「一杯だけ」

 タケルが真顔で復唱した。復唱は作法になる。作法になると、増えない。


 結び家の卓に、確認係の人が座った。

 座り方が堅い。背筋が直角。箸の持ち方が慎重。

 ユリネが短く言った。

「食え」

「……はい」


 一口。

 二口。

 三口。


 湯気が、堅い背中に染みていく。染みると、肩が落ちる。肩が落ちると、堅い声が出ない。

 出ない堅い声は、今日いちばんありがたい。


「……沈みますね」

 確認係の人が、ぽつりと言った。

「沈むな」

 ユリネが刺す。

「……沈みそう、です」

「推測の使い方が雑だ」

 タケルが真顔で言って、コトが笑った。刺さらない笑いが湯気に混ざる。


 確認係の人は、二杯目を断ろうとして、断れなかった。

「おかわり、どうぞ」

「……一杯だけのはずが」

「確定って言うな」

 ミナギが反射で言って、自分で口を押さえた。

「……確定っぽい」

 確認係の人が言い直して、なぜか自分で笑った。笑えるなら勝ち。


 沈む、はここからだった。


 背筋が少し丸くなる。

 目尻が少し下がる。

 堅い靴が、椅子の脚をきゅっと鳴らして、位置がずれる。

 ずれた位置のまま、確認係の人はもう一口すくう。

 すくうたびに、肩から堅さが落ちていく。落ちる堅さは、噂を落とす堅さだ。


 沈んだ確認係の人は、角の石段に腰を下ろした。

 腰を下ろすと、役所の人が“通りの人”になる。

 札入れの口が少し開いて、硬い紙の端が見える。見ると「報告書だ」と分かる。分かると、口が動きそうになる。


「それ、書くんですか」

 ミナギが言いかけて、口を押さえた。

「言うな」

 ユリネが刺す。


 確認係の人は、頷きだけで返した。

 それから、紙に何かを書きかけて、やめた。

 書くと“確定”の匂いが出るのを、飯で学んだ顔。


「……記録は、胸の中で」

 確認係の人が言って、自分で首を横に振った。

「……違う。胸の中じゃ、忘れる」


 コトが笑った。

「じゃあ、短く」


 確認係の人は、紙の端に小さく一行だけ書いた。


 見た。聞いた。まだ、鳴らしてない。


 それだけ。

 “まだ”が入っているのが、優しい。

 優しいと、噂が居座れない。


「……角、静かですね」

 確認係の人が言った。言い方が、もう“役所の人”じゃない。生活の人の言い方だ。

「静かって言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で静か」

 確認係の人が言い直した。言い直せるなら、もうこの人は味方だ。


 タケルが真顔で、短く頭を下げた。

「昨日、俺が増やした」

「増やしたって言うな」

 ユリネが刺す。

「……困らせた」

 タケルが言い直す。暗くしない反省は、ここで終わるのがちょうどいい。

 次の瞬間、タケルの目がもう善意に戻る。

「今日は、見る係する」

「言うな」

「……胸の中で、見る係」

「胸の中なら勝手にしろ」


 午後、角へ戻ると、板を見る人の足が途切れない。途切れないのに詰まらない。

 みんな、読むだけで行く。読むだけで行くと、声が減る。


 ——板を見る足が増えて、口の確定が減った。


 結果が、もう一段沈んだ。


 午後の角で、もう一つだけ、小さな山場が来た。

 縄だ。

 鐘楼の縄を、見上げる人が一人いる。

 顔が「鳴らせば安心」になっている。安心の取り方が雑だと、また効きすぎる。


「鳴らしたら、分かるよね?」

 その人が言いかけて、角の木片を見る。

 “鳴らすのは最後”の字は無い。けれど「確認は板」が刺さっている。


 タケルが真顔で、声を増やさずに言った。

「見る」

 それだけ。


 縄に伸びかけた手が止まる。止まれるなら勝ち。

 止まった手の隣で、確認係の人が、まだ湯気の匂いをまとったまま、ぼそっと言った。

「……鳴らさないでください」

 堅いはずの声が、柔らかい。

 柔らかい命令は、刺さらない。


「……はい」

 縄の人が言い直す。

「……鳴らしません」

 言い直しが二段になって、周りが少し笑った。刺さらない笑いは、角を守る。


 帰り際、確認係の人は角に向かって小さく頭を下げた。

「……板、助かりました」

「助かるって言うな」

 ユリネが刺して、確認係の人が言い直す。

「……沈みました」

 言い直しが雑で、みんなが笑った。


 走り手の子が角を通りかかって、昨日みたいに叫ばずに、板を指でとん、と叩いた。

 叩いて、去る。去るのが早いと、角が軽い。

 軽い角は、噂が居座れない。


 夕方、湯屋の入口で、昨日の残り火が出た。

「さっき鐘が鳴ったって……」

 誰かが言いかけて、

「確定って言うな」

 知らない人が返した。

「……確定っぽい、だね」

 言い直しが返ってくる。

 それだけで、譲り合い無限が起きなかった。起きないなら勝ちだ。


 夜。鍋の蓋が軽く鳴った。

 湯屋へ行く前の、飯の時間。飯のあとは湯。順番はいつも通り。


 レンカが椀を持ち上げかけて、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 タケルが真顔で言った。

「今日は、走らなかった」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、えらい」

「褒めるな。増える」

「……胸の中で褒める」

 タケルが言い直して、すぐ善意の顔に戻った。戻るのがタケルだ。暗くならない。


 確認係の人が昼の飯で沈んだ顔は、まだ今日の角みたいに柔らかかった。

 生活が強い。強いとか言うな。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ