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第49話 点火

 噂は、足音で育つ。

 育つけど、誰も育ててるつもりはない。

 たぶん、いちばん育ててしまうのは善意だ。


 朝。角の箱は軽い顔をしていた。板も、釘も、欠けの石も、いつも通り。

 いつも通り、のはずなのに、通りの奥から来た一言が、角の空白をいきなり埋めた。


「直し屋、預けできるって!」


 言った人は悪くない。悪意はない。むしろ助けたい顔だ。

 助けたい顔が、いちばん速い。


 レンカが息を吸って、口を押さえた。えらい。

 ミナギは吸う前に言いかけた。危ない。


「それ、便利じゃん!」

「便利って言うな」

 ユリネが即座に刺す。

「えっ、でも預けできたら……」

「できない」

「できないの?」

「できない」


 タケルが真顔で言った。

「止める」

「止めるのはいい」

 コトが頷く。

「止め方が問題」

 ユリネが淡々と続ける。


 タケルは、いちばん早い止め方を選んだ。

 選んだつもりだった。


「俺、走る」

「走るな」

 ユリネが刺す。

「走らないと広がる」

「走ると広がる」

「……どっち」

「どっちもだ」


 タケルは真顔のまま、角の板を一度見た。釘は少し。木片は一枚だけ。

 拾いました。鍵。

 今日はこれ以上増やしたくない顔をしている。


 なのにタケルは、角の外へ一歩出た。

 一歩だけで、空気が「動く」になる。

 動くと、周りも動く。周りが動くと、噂が走る準備を始める。


 タケルは通りの端へ視線を投げた。

 走り手の子がいる。足が早いのに止まれる子。昨日も誰かの三言を回した子。

 目が合った瞬間に、子が来る。


「……何?」

 小声。小声が朝市向き。


 タケルは三言を作った。

 短く、刺さらず、でも止まるやつ。


「預け、できない」

「持ち主が持つ」

「声は一回」


 走り手の子が頷いた。

「回す」

 言って、走る。走り方が綺麗すぎて怖い。綺麗な速さは、よく届く。届くと増える。


 ミナギが感動した顔で言った。

「かっこいい!」

「かっこよくするな」

 ユリネが刺す。

「でも今の網、かっこよかった!」

「網って言うな」

「……助かる?」

「助かるのは止まった時だ」


 レンカが小さく言った。

「止まるかな……」

「止まる前に増える」

 ユリネの声が乾いた。乾いてるのに、怒ってない。怒ると火がつく。


 火は、もうついていた。


 走り手の子の声は、一回のつもりで、三回に聞こえた。

 声は一回、って言ったのに、道が三本に分かれるからだ。


「直し屋、預けダメだって!」

「持ち主が持つって!」

「声は一回だって!」


 一回ずつ、三回。

 その三回が、別の耳で別の形になる。


「預けダメ」→「直し屋、怒ってる」

「持ち主が持つ」→「持ち主しか触れない」

「声は一回」→「話すな」


 話すな、が生まれると、最悪だ。

 黙ると、見えないところで勝手に確定する。

 確定っぽい噂が、いちばん刺さる。


 朝市の入口で、誰かが言った。

「今日、締め出しらしいよ」

 誰かが言い直した。

「城の決まりが入ったって」

 さらに誰かが、もっと雑に盛った。

「鐘楼が鳴ったら、役所の検査だって!」

 そして最後に、最悪の彩りが乗る。

「……上が怒ってるって」


 上。

 誰の上かは言わない。言い切らない。けど“上”は勝手に怖い。

 怖いと人が動く。動くと列が崩れる。


 秤屋の列が、一度だけ崩れた。

 カチン、が鳴る前に、背中がざわっと流れたのだ。


「検査って何!?」

「預けダメなら、今のうちに直してもらわないと!」

「鐘、鳴るの!?」


 列が列じゃなくなる。

 列じゃなくなると、秤屋の台に寄る。寄ると肩が当たる。肩が当たると袋が揺れる。

 揺れた袋の口がほどけて、粉がふわっと舞いかけた。


「触るな」

 秤屋の人が小さく言った。

 小さいのに届く声だ。届く小ささは強い。

 粉は落ちなかった。落ちなかったのに、列は落ちかけた。


 タケルが走った。

 善意の最短距離。格好いい。格好いいのに困るやつ。


 角から朝市へ。朝市から鐘楼へ。鐘楼の板へ。板から箱へ。

 最短で繋ごうとして、逆に“合図”が増えた。


 板の前で、タケルが短く言う。

「鳴らすな」

 言った瞬間、誰かが言い返した。

「鳴らさないと分からないじゃん!」


 分からない、が増える。

 増えると、合図が欲しくなる。

 欲しいが出ると、縄を見る。


 ミナギが縄を見た。

 見ただけで顔が鳴らす顔だ。危ない。


「俺、鳴らしてないよ? 鳴らしてないけど……」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「胸の中で鳴らしたい!」

「胸の中でもやめろ」


 そこへ、別の人が勝手に縄へ手を伸ばした。

 手を伸ばすと、上が動く。

 動くと、全員が動く。

 全員が動くと、また詰まる。


 ゴン。


 鐘が鳴った。

 一発だけ。

 一発だけなのに、朝市の声が薄くなる。薄くなったところへ、噂が刺さる。


「ほら! 検査だ!」

「やっぱり確定だ!」

「今日、締め出し!」


 確定っぽい噂が、生まれた。

 誰も断定してないのに、断定みたいに回る。

 回ると、人が走る。走ると、噂が育つ。最悪の循環。


 タケルが、そこで初めて困った顔をした。

 困った顔は、格好いいの次に困る。

 困った顔は「助けたい」を呼ぶからだ。


「タケル、止めて」

 レンカが言いかけて、口を押さえた。

 止めて、は責めに聞こえる。責めは増える。えらい。


 ユリネは叱らなかった。

 叱ると火が強くなる。強くなると、鐘が二回目を呼ぶ。二回目は致命だ。


 ユリネは、短く言った。


「確認」


 二文字。

 それだけで、タケルの足が止まった。

 止まれるなら勝ち。


「確認の順番」

 ユリネが続けた。

 順番、が入ると生活になる。生活になると、噂が少しだけ丸くなる。


 ユリネは指を三本立てた。

「見る」

 一本目。板。箱。欠け。今ある情報。

「聞く」

 二本目。当事者に一回だけ。

「走る」

 三本目。走るのは最後。


 そして、言い切る。

「走る前に、聞く。聞く前に、見る」


 短いのに、重い。

 重いけど暗くない。生活の重さだ。


 コトがすぐ拾う。

「鐘は、見るより後。見るとこが無い時だけ」

「鳴らす順」

 タケルが真顔で復唱した。復唱があると、次が生まれない。助かる。


 タケルは走り手の子を呼び戻した。

 呼び戻すのは、走りより難しい。

 でも呼び戻せた。


「今から、三言じゃない」

 タケルが言う。

「えっ」

「確認してから、一言」


 走り手の子が目を丸くした。丸い目は増える入口。

 でも子は止まれる子だ。頷いた。


「確認してから、一言」

 子が復唱する。復唱が作法になる。


 ユリネが最後に、もう一つだけ線を引いた。

「確定って言うな」

「えっ」

「確定っぽい、で止めろ」

「……確定っぽい」

 誰かが言い直して、周りが少し笑った。

 笑いが刺さらない笑いだと、噂の棘が抜ける。


 朝市の秤屋の列は、タケルが戻る前に、秤屋の小さい声で一度だけ戻っていた。

「ひとつずつ」

 その一言で、背中がまた一本になる。

 カチン、が戻る。

 戻る音があると、人は戻れる。


 鐘楼の角も、戻した。

 板に木片を一枚だけ。短く。


 鳴らさない。確認してから。


 箱のふたは閉める。覗かない。欠けまで。

 確認の順番が、角の空白に落ちた。


 夕方、湯屋の入口で、今日の名残が出た。

「さっき鐘が鳴ったって……」

 誰かが言いかけて、

「確定って言うな」

 知らない人が言った。

「……確定っぽい、だね」

 言い直しが返ってくる。

 それだけで、湯屋の譲り合い無限が起きなかった。

 起きないなら勝ちだ。


 家に戻ると、鍋が鳴っていた。

 湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。


 ミナギが椀を取ろうとして、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 タケルが真顔で言った。

「俺、走った」

「走った」

 コトが頷く。

「格好よかった?」

 ミナギが聞きかけて、

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……困った」

 タケルが言い直した。

「困ったのが良い」

 コトが笑う。

「困ったら、確認」

 レンカが小さく復唱して、口を押さえた。えらい。


 ハルが小さく頷く。

「……見る、聞く、走る」

 シノがぼそり。

「……音、増やさない」


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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