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第46話 直し屋に“預け”が来る

 直す音は、静かに増える。

 こり、こり。

 すっ。

 きゅっ。

 とん。

 音が増えると、人が来る。人が来ると、言葉が増える。言葉が増えると、一番危ない言葉が混ざる。


 預け。


 その単語が、路地の奥に染み始めた朝だった。


「……来てる」

 ハルが小さく言った。

 言い方が静かなのに、今日の空気はもう少し重い。

 重いといっても暗い重さじゃない。密度が上がる重さだ。人が近い。息が近い。手が近い。


 直し屋の作業台の前に、列ができていた。

 数字札はある。1、2、3、4。

 札があるから、列は一応一本だ。

 でも一本の横に、もう一本、薄い列が生えている。


 生えた列の正体は、持っているものじゃない。

 顔だ。

 「置きたい」顔。

 「預けたい」顔。


 レンカが列を見て、口をむずむずさせた。むずむずは危ない。善意が走る。

 でも最近は止まれる。


「……増えてる」

 レンカが言いかけて、口を押さえた。

「言うな」

 ユリネが即座に刺す。

「……胸の中で増えてる」

「胸の中なら勝手にしろ」


 タケルが真顔で、薄い列の方を顎で示した。

「あれ、預けの列だ」

「列にするな」

 ユリネが刺す。

「……推測で、列っぽい」

「推測の使い方が雑だ」

 コトが笑った。笑いは増えない笑いだ。今は助かる。


 直し屋の人は手を止めていない。

 止めないのに、眉がほんの少しだけ困る。困る眉は、次を呼ぶ。次を呼ぶと、預けが増える。


 案の定、列の横から声が出た。


「これ、置いていっていいですか?」


 置いていく。

 言い方が柔らかいのに、意味は預けだ。

 預けは危ない。預けは責任が生える。責任が生えると、列が硬くなる。硬い列は折れる。


 直し屋の人が小さく言った。

「……持ち主が持つ」

 声が小さい。小さいから届かない。届かないと、相手は「はい」と言いながら置く。最悪。


 置きかけたのは、割れた皿を包んだ布袋だった。

 布袋は大きい。大きいものほど、置きたくなる。置きたくなるのは「手を空けたい」からだ。手が空くと別のことができる。別のことができると、次を持ってくる。

 増える。


「置くな」

 ユリネが短く言った。

 短いから刺さらない。刺さらないのに止まる。

 布袋を持った人の手が止まった。止まれるなら勝ち。


「えっ、でも並んでる間、重くて……」

 重いは本当だ。本当は刺さる。刺さると善意が動く。

 レンカが一歩出かけて止まった。止まれるのが偉い。


 コトがすっと前へ出た。

 声を増やさない笑顔で、短く言う。


「持ち主が持つ。代わりに“置く場所”は作る」


 置く場所。

 預けじゃない置く場所。

 そこが今日の勝ち筋だ。


 タケルが真顔で、路地の壁際を指した。

 直し屋の作業台の邪魔にならない位置。通り道を塞がない位置。

「壁際。足元。置いたら手は離さない。取るのも本人」

「置いたら離さない?」

「離すと預けになる」

 真顔の短文が、刺さらずに届く。助かる。


 布袋の人は壁際にしゃがんで、布袋を足元に置いた。

 置いた。

 でも手は離さない。紐を握ったまま。

 それだけで、空気が少しだけ軽くなる。責任が生えない。生えないなら増えない。


 ところが、軽くなった空気に、次の人が滑り込む。


「じゃあ私も、ここに置いて……」

「置くな」

 ユリネが刺す。

「えっ、でも壁際なら」

「壁際も順番だ」


 壁際が列になる。

 列になると、また預けの顔が生える。

 顔が生える前に、線を引け。


 ユリネが指を二本立てた。

「一、足元は一人一袋」

「一袋」

 レンカが復唱して口を押さえた。復唱が止めになる。

「二、置くなら番号札を取ってから」

「取ってから」

 タケルが真顔で復唱する。復唱は作法になる。


 番号札を取らずに置こうとした人が、手を止めた。

「札、先なの?」

「札が順」

 ユリネが言い切る。

「でも札って、4までしかない」

「だから4までだ」


 4まで。

 終わりがあると、増えない。増えないと、直す音が途切れない。

 直す音が途切れないと、人は焦らない。焦らないと、置きたくならない。

 それでも置きたい人はいる。いるけど、今日は止める。


 そこで、最悪の言葉が出た。


「じゃあ、置いていって、あとで取りに来ます」


 預け。

 預けが、口に出た。

 口に出た瞬間、周りが「それ便利」の顔をする。危ない。便利は増える。


「預けるな」

 ユリネが短く言った。

 短いから、場の空気が冷えない。

 冷やさないまま止めるのが、結び家の勝ち方だ。


 言った人がむっとした顔をする。

 むっとは刺さる。刺さると喧嘩になる。喧嘩になると直し屋が止まる。止めない。


 コトが柔らかく言い換えた。

「預けると、直し屋が困る。困ると遅くなる。遅くなると、あなたも困る」

 損得じゃない。生活の循環で言う。循環で言うと、刺さらない。

 むっとした人が、息を吐いた。

「……じゃあ、持って待つ」

 言い直せた。言い直せるなら勝ち。


 直し屋の人が、そこで初めて、顔を上げた。

 目だけで、ユリネを見た。

 ありがとう、の目。

 言葉じゃないありがとうは増えない。助かる。


 そして、直し屋の人は小さく動いた。

 作業台の横に、小さな木皿を一枚だけ置いた。

 木皿の横に、数字札を一枚だけ。


 1。


 説明はしない。

 でも全員が分かる。

 “いま触っていい場所”が一つ増えた。

 増えたけど、増やしてない。混線を減らすための一つだ。


 シノがぼそりと言った。

「……線」

 線があると、手が落ち着く。

 落ち着くと、預けが減る。減ると、音が戻る。


 こり、こり。

 すっ。

 とん。

 きゅっ。


 音が戻る。

 戻った音に、列の肩が落ちる。

 肩が落ちたところで、ミナギが余計なことを言う。


「でもさ、預けたら楽だよね」

「楽って言うな」

 ユリネが刺す。

「……助かる?」

「助かるのは音だ」


 レンカが小さく宣言した。

「今日、預けを止めた!」

「止めたのは口だ」

 タケルが真顔で言う。

「口が止まった」

 ハルが小さく付け足す。

 シノがぼそり。

「……手も、止まった」


 直し屋の列は、昼前に四人で止まった。

 五人目は来たけど、「明日」と言って帰った。

 明日があると言えると、今が軽い。

 軽いと、預けない。


 結び家は、路地を出て家へ戻る。

 帰り道、箱と板の角を通る。

 箱は今日も軽い顔をしている。

 軽い箱は助かる。

 褒めると増えるから、誰も褒めない。


 家に戻ると、鍋が鳴っていた。

 湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。


 ミナギが椀を取ろうとして、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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