第43話 ゴミ集積が朝市の裏に寄る
朝市の裏は、だいたい「裏」だ。
裏は目立たない。目立たないから油断する。油断すると、置く。置くと増える。増えると混ざる。
混ざると、朝の匂いがややこしくなる。
結び家が朝市へ向かう途中、レンカが鼻をしかめた。
「……野菜の匂いの後に、別の匂い」
「言うな」
ユリネが即座に刺す。
「でも、くん……ってする」
「くんって言うな。増える」
「増やさない……胸の中で、くん」
タケルが真顔で空を見た。
「風向きが悪い」
「悪いって言うな」
「……推測で、悪そう」
「推測の使い方が雑だ」
コトが笑って、ミナギが笑いそうになって飲み込んだ。飲み込めるなら勝ち。
角を曲がると、朝市の声が来る。
いつも通りだ。小銭が細く鳴る。袋が擦れる。遠くでカチン。
なのに今日は、その声の裏に、もう一つ音が重なる。
がさっ。
紙が擦れる音じゃない。葉っぱが擦れる音。
朝市の裏の裏で、誰かが籠をひっくり返した音だ。
「……あっち」
ハルが小さく言った。方向だけで十分。
裏へ回ると、そこに「山」があった。
ゴミ集積の山。いつもの山が、いつもの場所じゃなく、朝市の裏手に“寄って”いる。
寄る、は危ない。寄ると、通る人が見る。見ると、触る。触ると、宝探しが始まる。
「ここ、ゴミのとこじゃん!」
レンカが言いかけて、口を押さえた。えらい。
「……ここ、ゴミのとこ」
「言い直しても増える」
ユリネが刺す。
「えええ」
「でも止まれた。よし」
山の横に、小さな板が立っていた。
板の字は大きくない。飾りもない。必要なことだけ。
分けて置く。
「好き」
コトが言いかけて、
「好きとか言うな」
ユリネが刺す。
「……助かる」
コトが言い直す。言い直しは増えない。
板の前で、露店のおじさんが腕を組んでいた。
背中が「困ってる」だ。困ってる背中は、すぐ優しさを呼ぶ。優しさは増える入口。
「裏の場所、変えられちゃってさ」
「変えられちゃってって言うな」
「……変わった」
おじさんが言い直して、苦笑いした。言い直せるなら勝ち。
どうやら、朝市の出店が増えたせいで、いつもの集積場所の通路が塞がりかけたらしい。
だから“とりあえず裏”へ。
とりあえず、が出た瞬間に、最悪が来る。
とりあえず裏は、朝市の人の「ついで」に飲まれる。
「これ、ここでいいよね?」
葉っぱの屑を持った人が、山へ近づく。
「いいよね?」
その言葉が、次の人を呼ぶ。
「私も」
「うちも」
「ついでに、これも」
ついでが増える。増えると、分けて置くが分からなくなる。分からなくなると、全部が山になる。
山になると、道が消える。道が消えると、足が迷う。迷うと、踏む。踏むと割れる。割れると泣く。今日は泣かせない係が忙しい。
ミナギが元気に言った。
「じゃあ俺、ここに“箱”置けばよくない? ゴミの箱!」
「置くな」
ユリネが即答した。
「えっ、でも箱は便利だろ」
「便利って言うな」
「……助かる」
ミナギが言い直して、なお置こうとした。危ない。
「箱は落とし物だ。ゴミは山だ」
ユリネが短く言う。
「山は増える」
「増やすな」
「……胸の中で増える」
レンカが山の端の“きらっ”を見つけた。
瓶の欠片。光る。光ると宝に見える。宝は増える。
「これ、拾って安全に……」
「拾うな」
「えええ、でも危ない!」
「危ないのは分かる。だから順番だ」
ユリネは欠けた石を、とん、と叩いた。
朝市の裏にも、欠けはある。欠けはどこにでもある。見つける人が強い。
「欠けまで」
ユリネが言う。
「欠けまで!」
レンカが復唱して、口を押さえた。復唱して止まれるのは偉い。
ユリネは欠けを線にして、足元の道を一本だけ作った。
棒でさらさら、と。説明じゃない。線だけ。
線があると、人は勝手に避ける。避けると、踏まない。踏まないと割れない。割れないと泣かない。
「山は、三つまで」
ユリネが言った。
「三つ?」
「濡れ、乾き、軽い。終わり」
終わりがあると、増えない。増えないと、裏が裏のままで済む。
おじさんが目を丸くする。
「三つで足りる?」
「足りる分だけ置け」
「足りない分は?」
「朝市の終わりに戻す」
ユリネが言い切った。戻すがあると、人は置きっぱなしにしにくい。
……三つまで、を言った直後に、三つ目が増えそうになるのが朝市の裏だ。
「じゃあここ、“野菜の皮専用”って山も作った方が良くない?」
誰かが言った。言い方が真面目で危ない。真面目な提案ほど増える。
「四つにするな」
ユリネが即答する。
「えっ、でも皮は皮で……」
「軽いに入る」
「でも軽いって、紙とかも……」
「紙も皮も軽い。軽いは軽いだ」
言い切りで押し切る。押し切ると喧嘩が減る。喧嘩が減ると、裏が裏のまま保つ。
そこへ、最悪の勘違いが来た。
箱だ。
箱は角にある。角にあると「入れていい」に見える。
「これ、ここに入れたらいいのね?」
葉っぱの屑を抱えたおばさんが、落とし物箱のふたに手を掛けた。
ふたに手が掛かった瞬間、レンカの全身が「だめ!」になる。動くな。
「入れるな」
ユリネが短く言った。
「えっ、箱でしょ?」
「箱は落とし物だ」
「落とし物……? 葉っぱも落とし物じゃない?」
「落とし物にするな。捨て物だ」
捨て物、って言い方が強い。強い言葉は刺さる。刺さると暗くなる。
だからコトがすぐ柔らかく言い換えた。
「箱は“返ってくる”ための箱。葉っぱは“戻らない”から、山」
「戻らない……」
おばさんが首を傾げる。
「戻らないなら、軽いへ」
タケルが真顔で指を差した。説明を増やさず、場所だけ。
おばさんは「なるほど」と笑って、葉っぱを軽い山へ置いた。
置いたら終わり。終わりがあると増えない。
でも、箱の前に一度でも手が伸びると、次が続く。
「じゃあこれも箱?」
今度は子どもが、紙くずを丸めて持ってきた。
紙くずは軽い。軽いのに、子どもは箱が好きだ。箱は宝箱に見えるからだ。
「宝って言うな」
ユリネが反射で刺す。
「言ってない! 言ってないけど顔が言ってた!」
ミナギが先に笑いそうになって、口を押さえた。えらい。
子どもが箱に入れようとした紙くずを、シノがそっと指で止めた。
止め方が奪わない。声も増やさない。
「……山」
シノが小さく言って、軽い山を顎で示した。
「山!」
子どもが復唱して、紙くずを山へ置いた。
復唱できるなら勝ち。子どもはすぐ勝てる。
勝てた子どもは、次の遊びを始める。
山の端っこに、小石を三つ並べて言った。
「これで、三つ!」
三つ、って言えるのは偉い。
でも小石を並べると、番号札ごっこが始まる。番号は増える。増やすな。
「並べるな」
ユリネが刺す。
「えー、でも分けて置く!」
「分けて置くは、石を増やす遊びじゃない」
「じゃあ、どうするの」
「足元を増やすな。道を残せ」
タケルが真顔で、さっきの線を指でなぞった。
線は一本。一本なら躓かない。一本なら迷わない。
「線を見ろ。線の内側は通るな。外側は置くな」
短い。短いから子どもも頷ける。
「わかった! 線!」
子どもが復唱して、石を拾ってポケットに戻した。
戻せるなら勝ち。戻せる子は、泣かせない係の未来だ。
そのとき、軽い山の中から、きらっとしたものがもう一度光った。
今度は瓶の欠片じゃない。小さな金具。輪っか。昨日の秤屋の余韻みたいな形。
「これ、捨てるの?」
誰かが言った。言い方が困りだ。困りは助けたくなる。
「捨てない。返す」
ユリネが短く言う。
「返す?」
「落とし物なら箱。ゴミなら山。分からないなら欠け」
欠け。
万能にするなって言いたくなるが、欠けは今日も万能だ。
コトが欠けの石の上に、小さな布を一枚だけ広げた。
広げすぎない。場所を取らない。欠けまで。
「分からないもの、ここ。あとで持ち主が見つける」
「見つけるの?」
「見つける。見つけないものは、見つけないまま終わる」
終わりが言えると、拾い癖が止まる。
結局、その輪っかは、朝市の終わり際に持ち主が来て持っていった。
礼は小さい。「ありがとう」だけ。増えない礼は助かる。
その時、事件が起きた。
事件と言っても、朝市の事件はだいたい小さい。
ころん。
小銭が、石畳を転がった。
転がった先が、最悪だった。欠けの線の外側、山の端っこへ――。
「拾う!」
レンカが言いかけて、
「拾うな」
ユリネが刺す。
「でもお金!」
「本人が拾え。周りは動くな」
落としたのは、朝市の客じゃない。露店の子だ。
釣り銭の皿を持ったまま、青い顔で固まっている。
「……あれ、俺の……」
子が言う。言い方が震えてる。震えてると、周りが手を出したくなる。手が出ると山が崩れる。
タケルが真顔で道を作った。
腕で一本。足で止めない。声を増やさない。
「動くのは一人。落とした本人だけ」
真顔の短文は強い。強いのに刺さらない。助かる。
コトが欠けの線の上から、山の端を指で示す。指差さない。顎でもない。指先だけ。小さい合図。
子がそれを見て、一歩だけ進む。一歩だけなら詰まらない。
ところが、山の端は“軽い”山だった。
紙屑や葉っぱが風で動く。動くとコインが見えなくなる。見えなくなると焦る。焦るとしゃがむ。しゃがむと後ろが詰まる。
「……風、止めたい」
レンカがぼそりと言いかけて、
「止めるな。増える」
ユリネが刺す。風は止められない。だから手順で勝つ。
「見る」
ハルが小さく言った。
見る、は強い。しゃがまないで見る。手を出さずに見る。
シノが鼻をひくひくさせて、ぼそり。
「……金属の匂い」
匂いで追う。追うと早い。早いけど騒がない。シノの早さは増えない早さだ。
シノが小さな棒で葉っぱを一枚だけ避けた。
避けるだけ。拾わない。増やさない。
葉っぱの下で、銅貨が光った。
「……そこ」
シノが言う。声は小さい。小さいから群れない。
落とした子がしゃがんで、銅貨を拾った。
拾った瞬間に、全員の肩が下がる。肩が下がると、山が崩れない。
「助かった……」
子が言いかけて、周りを見る。
礼が増えそうな空気。礼は増える入口。入口は閉める。
「礼は小さく」
ユリネが言う。
「……ありがとう」
子が小さく言って終わった。終わると、裏が息をする。
事件の回収ができると、次が来る前に片づけられる。
ユリネは板を指でとん、と叩いた。分けて置く。
「終わりに戻す」
短い。短いと増えない。
おじさんが頷いた。
「朝市が終わったら、山も戻す」
「戻す」
タケルが真顔で復唱する。復唱は作法になる。
ミナギが不満そうに唇を尖らせた。
「でもさ、裏にあると捨てやすいじゃん」
「捨てやすいは増える」
「……助かる?」
「助かるのは道だけだ」
レンカが欠けの線を踏まないように、片足でぴょん、と避けた。
ぴょんは可愛い。可愛いは増えるが、今日はギャグにしない。生活で締める。
朝市の買い物を終えて帰るころ、裏の山は三つのままだった。
濡れ、乾き、軽い。
それ以上は増えていない。増えていないのに、匂いはちゃんと減っている。
「……裏が、裏のままだ」
ハルが小さく言った。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で、裏」
「胸の中なら勝手にしろ」
結び家が家へ戻る途中、ミナギがぽつりと言った。
「直し屋も、こういう“裏”欲しいよな」
「欲しいで止めろ」
「……裏、欲しい」
「増やすな」
「増やさない! でも欲しい!」
台所に入ると、鍋が鳴っていた。
湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。
レンカが椀を持ち上げかけて、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「今日、裏で詰まったけど、戻したな」
「戻した」
コトが頷く。
「……分けて置く、効く」
シノがぼそり。
「……音も、戻る」
ハルが小さく付け足した。朝市の声が、裏の匂いに負けなくなった。
ミナギが箸を持ちかけて、
「順番」
ユリネが刺す。
「……はい」
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」




