第42話 洗濯が朝市に合流
晴れた朝は、人を急がせる。
急がせるのは日差しじゃない。風だ。乾く風。
乾く風が吹くと、洗濯が前に出る。前に出ると、朝市とぶつかる。
結び家の掛け板で、札が揺れていた。
洗/干/たた。
数字がでかい。でかいから言わなくて済む。言わなくて済むと、やりすぎる。
「今日は、洗いの日!」
レンカが言いかけて、口を押さえた。えらい。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で、洗いの日」
「胸の中なら勝手にしろ」
タケルが真顔で外を見た。
「この風、干しが勝つ」
「勝つとか言うな」
「……推測で、勝ちそう」
「推測の使い方が雑だ」
コトが笑って、ミナギが笑いそうになって飲み込んだ。飲み込めるなら勝ち。
問題は、同じ風が朝市も呼ぶことだ。
風が良い日は匂いが立つ。匂いが立つと人が出る。人が出ると、早出しが常設になる。
「今日、朝市も早い」
ハルが小さく言った。
言い方が静かなのに、嫌な予感だけ正確。
案の定、井戸の方から声がする。
声が多い。桶の音が多い。袋の擦れる音も多い。
洗い籠と買い物籠が、同じ道を通ってきた。
水場に着くと、すでに混ざっていた。
桶が並ぶ。欠け桶が目印に置かれている。そこまではいつも通り。
でも、桶の隣に、葉物の籠。根菜の袋。粉の包み。
洗う人の手と、買う人の手が、同じ「水」を見ている。
「……野菜、ここで洗う?」
レンカが目を丸くした。丸い目は危ない。善意が動く。
「洗うな」
ユリネが即答した。
「えっ、でも土ついてるし」
「土は土だ。洗は洗だ」
「でも水は水!」
「水でも順番が違う」
そこへ、近所のおばさんが笑いながら言った。
「朝市行く前にさ、葉っぱだけさっと…って思うじゃない?」
「思うな」
ユリネが刺す。
「思っちゃうよ」
「思うなら、別桶だ」
別桶。
言った瞬間、ミナギの目がきらっとした。きらっとは危ない。
「別桶作る! 俺、持ってくる!」
「作るな」
「えええ」
「作ると置き場が死ぬ。道が死ぬ」
「死ぬって言うな」
コトが笑って刺す。
「……止まる」
ユリネが言い直した。言い直せるなら勝ち。
コトが欠け桶を、指でとん、と叩いた。
「欠けまで。ここは洗い。買い物の籠は欠けの外」
「欠けの外!」
レンカが復唱して、買い物籠を一歩引いた。引けるなら勝ち。
タケルが真顔で、道を一本作る。
桶に寄る足と、通り過ぎる足を分ける。分けると混ざらない。
「通る人は外。洗う人は中。しゃがむのは本人だけ」
真顔の短文は強い。強いけど刺さらない。今日の朝はそれが必要。
そこで、シノが小さく鼻を動かした。
「……石けん」
匂いが立った。洗い粉の匂い。
匂いが立つと、食べ物が気になる。食べ物が気になると、余計な親切が出る。
ミナギが言いかける。
「じゃあ野菜、石けんで…」
「やるな」
ユリネが即座に刺す。
「言ってない! 言ってないけど顔が言ってた!」
「顔で増やすな」
「増やしてない! 胸の中!」
「胸の中なら勝手にしろ」
笑いが起きて、空気が少し丸くなる。
丸くなったところで、次の混線が来た。
洗い籠を抱えた人が、朝市の袋をぶら下げたまま桶へしゃがむ。
袋が桶の縁に当たる。
当たると濡れる。濡れると袋が重くなる。重くなると手が滑る。
滑った袋の口から、豆がころん、と転げた。
「拾う!」
レンカが言いかけた。
「拾うな」
ユリネが即座に言った。
「でも豆!」
「本人が拾え。周りは動くな」
タケルが足で豆の逃げ道だけ止めた。
手を出さない。足で止める。足は偉い。
本人がしゃがんで拾って、袋の口を結び直す。結び直したら終わり。
終わりがあると、朝が進む。
進む、はずだった。
だが今日は「洗濯が朝市に合流」する日だ。合流は、水場で終わらない。
干し場へ向かう途中、結び家の一行は朝市の通りと交差した。
交差点で、人がまた混ざる。
片手に濡れ布。片手に野菜。肩に粉。背に洗い籠。
みんなが「急いでない顔」で急いでいる。これが一番危ない。
「干す場所、足りないよね」
誰かが言った。
「足りないって言うな」
ユリネが刺す。
「でも今日は風が!」
「風で増やすな」
そこで、誰かが“工夫”を始めた。
朝市の露店の柱に、干し紐をひょい、と掛けたのだ。
掛けた瞬間、紐が通り道を横切る。
「うわ、紐!」
通りの人が身をかがめる。
身をかがめると荷が揺れる。荷が揺れると袋が当たる。袋が当たると、また豆が転げる。
さっき終わったはずのころんが、戻ってくる。
「紐、張るな」
ユリネが短く言った。
短いから刺さらない。刺さらないのに止まる。
紐を張った人が「あ、ごめん」と慌てて外そうとして、逆に紐が揺れる。揺れると余計に危ない。
「触るな」
ユリネが言った。
「えっ」
「触ると揺れる。揺れると増える」
「増えるって言いすぎじゃ…」
「言いすぎるくらいで止まる」
コトがすっと間に入った。
怒らない声で、でも線を引く声。
「干すのは壁際。道は一本。欠けまで」
「欠けまで!」
レンカが復唱して、露店の柱の根元の欠けた石を指差した。
欠けはどこにでもある。見つけられる人が強い。
タケルが真顔で道を作る。
紐を外す人が動ける幅だけ確保して、通りの人は止めない。止めないのが勝ち。
紐が外れる。
外れた瞬間、露店のおじさんが笑った。
「干したいなら、うちの裏の壁使いな。道は塞ぐなよ」
言い方が尖ってない。尖ってないと、場が刺さらない。
「……助かった」
紐を張った人が小さく言った。
小さい礼は増えない。助かる。
だが、ここで終わらないのが合流だ。
干し場の壁際へ移動する人が増えると、今度は“干し場の列”が生まれる。
列が生まれると、列の作法が揺れる。揺れると、朝市の作法も揺れる。
「先にどうぞ」
「いえいえ」
「いやいや」
干し場で譲り合い無限が発生しかけた。
発生しかけた瞬間、レンカが息を吸った。
深呼吸。最近の救命具。
「……出るときだけ」
レンカが小さく言った。
言い方が震えてない。強い。
干し場の人が笑った。
「そうそう、出るときだけね」
無限が消える。
消えると、濡れ布が壁に沿って並ぶ。
並ぶと乾く。乾くと、今日は勝ちだ。
朝市へ向かう人波も、壁際が空くとまた流れる。
流れると、秤屋の方からカチンが聞こえる。
一定の音は、混線を少しだけほどく。ほどけるなら助かる。
結び家は干し場を片づけてから、遅れて朝市へ入った。
入った瞬間、レンカが目を輝かせた。
今日の輝きは「干し紐売ってる!」だ。危ない。
「見て! 干し紐、売ってる!」
「買うな」
ユリネが即座に刺す。
「えええ、でも今日、足りなかった!」
「足りなかったを増やすな」
「増やさない! でも…欲しい」
「欲しいで止めろ」
「……干し紐、欲しい」
レンカが言い直した。言い直せるなら勝ち。
ミナギが便乗する。
「俺、洗濯ばさみも欲しい!」
「欲しいで止めろ」
「……洗濯ばさみ、欲しい」
「よし」
ユリネが短く頷いた。止まれたなら、今日はそれでいい。
買い物は、必要な分だけ。
粉と野菜と、あと豆。
豆は転がるから、今日は袋の口を二回結ぶ。二回結ぶのは増やすじゃない。事故を減らすだけ。
帰り道、箱と板の角を通る。
板は板のまま。釘は少し。木片は一枚。
今日は何も増えていない。
増えていないのに、効いている。
効いている角は、肩を軽くする。
家に戻ると、まず床を拭く。
濡れ布が通った道には、ほんの少し水が落ちている。
ほんの少しでも、拭くと勝つ。拭くと滑らない。滑らないと泣かない。
鍋が鳴る。湯気が上がる。
湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。
レンカが椀を持ち上げかけて、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。
タケルが真顔で言った。
「今日、洗いと朝市が混ざったな」
「混ざった」
コトが頷く。
「でも戻した」
ハルが小さく言う。
「……匂いも戻った」
シノがぼそり。石けんと野菜の匂いが、ちゃんと別々になった顔だ。
ミナギが口を尖らせた。
「でも干し紐、欲しい」
「欲しいで止めろ」
「……干し紐、欲しい」
「明日、考えろ」
ユリネが言った。明日があると言えると、今日が軽い。
レンカが小さく宣言した。
「今日、紐で道を塞がなかった!」
「塞いだ」
タケルが真顔で言う。
「未遂」
タケルが言いかけて、ユリネが刺す。
「未遂って言うな」
「……推測で未遂」
「推測の使い方が雑だ」
笑いが起きる。
笑いが起きると、合流した一日がほどける。
ほどけたら、湯が待っている。湯は逃げない。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」




