第41話 箱が軽い日
角は、静かなほうが強い。
静かだと、人が勝手に揃う。揃うと、説明が要らない。説明が要らないと、紙が増えない。紙が増えないと、箱が軽い。
朝。
結び家の戸の前の角は、いつも通りの顔をしていた。
板は板のまま。釘は少しだけ。木片は一枚だけ。箱は閉じている。欠けの石は欠けたまま。
木片には短い字。
拾いました。鍵。
鍵。
鍵は困るやつだ。困るやつなのに、今日は角が詰まっていない。
詰まっていないのが、すでに勝ちだ。
レンカが木片を見て、口をむずむずさせる。
言いたい。走りたい。泣かせない係が勝手に動くやつ。
でも最近のレンカは止まれる。
「……声、一回」
レンカが自分で言って、口を押さえた。えらい。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で言う」
「胸の中なら勝手にしろ」
木片の前で、若い人が立ち止まった。
目は木片を読んでいる。手はポケットを探っている。探り方が早い。早いのに慌ててない。
慌ててない探り方は、見ていて助かる。
「あ」
若い人が小さく言って、箱のふたをそっと開けた。
開け方が静かだ。静かだと周りが覗き込まない。覗き込まないと詰まらない。
箱の中から鍵が一つ。
若い人が鍵を取って、木片を外す。外した木片は折って、懐へ。
剥がしたら終わり。終わりがあると増えない。
「……助かった」
若い人は声を増やさずに言って、すぐ去った。
去るのが早いと、角が息をする。息をすると、次が入る余白ができる。
余白があると、人は勝手に整う。
そこへ、ミナギが来た。
元気。顔が明るすぎる。明るすぎると余白が埋まる。危ない。
「見た!? 鍵、戻った! 箱、最高!」
「最高って言うな」
ユリネが即答した。
「えー」
「褒めると、次が来る」
「来たら助ければいいじゃん!」
「助け方が増えると、迷い方が増える」
「迷い方って何!」
「詰まり方」
ミナギが口を尖らせる。尖らせたまま、ちゃんと黙った。黙れるなら勝ち。
黙れた余白に、朝市の音が入る。袋が擦れる。小銭が細く鳴る。遠くでカチン。
余白は、音を入れる。音が入ると人が落ち着く。落ち着くと、余計なことをしない。
結び家は朝市へ向かった。
今日は買い足しじゃない。補充の日。補充は増やす入口だが、補充は生活でもある。扱いが難しい。
秤屋の列は、今日は短い。
短いから危ない。短いと「先にどうぞ」が出やすい。
出やすいが、最近は「一人だけ」が染みている。
「うちは少しだけだから」
前の人が言いかけて、言い直した。
「……一人だけ」
言い直しがあると、列が崩れない。崩れないとカチンがきれいに響く。
タケルが真顔で頷く。
「短い列ほど、油断する」
「油断するな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で油断しない」
タケルが言い直して、コトが笑った。笑いは増えない笑いだ。
買い物が終わる。
終わると、次は洗濯だ。
洗濯は、布が多いほど危ない。危ないが、札があると回る。
掛け板の札は揺れていた。
洗、干、たた。
数字がでかい。でかいから、言わなくて済む。
レンカが1洗を取る。
隣で知らない人が2洗を取る。
視線が一瞬交わって、頷きで終わる。
言葉が増えないと、手が止まらない。手が止まらないと、布が濡れすぎない。濡れすぎないと、床が滑らない。滑らないと、泣かない。
「……回ってる」
ハルが小さく言った。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で回ってる」
ハルが言い直す。言い直しは増えない。良い。
午後、直し屋の路地を通ると、列が小さくなっていた。
数字札がぶら下がっている。
1、2、3、4。
それだけ。
それだけが、今日の余白を守っている。
直し屋の人が、手を止めずに言った。
「……今日は、軽い」
軽いのはいい。軽いと言うと増える。だから誰も返事をしない。
返事をしない余白が、直し屋の手を助ける。
夕方、湯屋へ行く。
湯屋は、混むときは混む。混まない日は、だいたい危ない。混まないと人が油断する。油断すると、譲り合い無限が出る。
「どうぞ」
「いえいえ」
「いやいや」
無限の入口が見えた瞬間、コトが笑って言う。
「出るときだけ」
「出るときだけ」
誰かが復唱して、無限が消える。
消えると湯気が逃げない。逃げない湯気は、勝ちだ。
家に戻ると、鍋が鳴っていた。
湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利。
ミナギが椀を取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
レンカが小さく言った。
「箱、今日は軽かった」
「軽いは良い」
ユリネが言って、すぐ釘を刺す。
「でも褒めるな」
「……胸の中で褒める」
レンカが言い直して笑った。笑いは増えない笑いだ。
ハルが小さく頷く。
「……空白、効く」
シノがぼそり。
「……音、入る」
余白に音が入る。
それが今日の勝ちの形だった。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」




