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第34話 鐘楼の影

 鐘楼の影は、朝市の端まで届く。

 届くけど、踏まれない。踏むと縁起が増える。縁起が増えると人が増える。人が増えると、また混ざる。

 だからみんな、影を避けるみたいに、今日も生活を避けない。


 避けない生活の真ん中で、音がした。


 からん。


 小さい。

 けれど、朝の声より先に耳に入る種類の音。


「……鳴った」

 ハルが小さく言った。


 鐘楼の上ではない。

 鐘楼の“下”だ。


 結び家が朝市へ向かう途中、いつもの欠けの線の近くで、誰かが小さな鈴を鳴らしていた。

 鳴らすのは一回。

 一回なのに、視線が集まる。視線が集まると、口が動く。口が動くと、合図が増える。


「合図、いいね!」

 ミナギが元気に言った。

「いいって言うな」

 ユリネが即座に刺す。

「でも助かるじゃん! 声出さなくていい!」

「声を減らすと、別が増える」

「別?」

「合図」


 レンカが鈴の音に吸い寄せられて、目をきらっとさせた。

 泣かせない係の目だ。危ない。


「合図、いっぱいあったら、もっと助かる!」

「増やすな」

 ユリネが短く切る。

「えええ」

「助け方が増えると、迷い方が増える」


 鈴を鳴らしていた人が、困った顔で手を上げた。

「すみません、声が枯れてて……これ、落とし物なんですけど」

 手のひらの上に、小さな木札みたいなもの。札と言っても紙じゃない。硬い木片。紐がついてる。

 持ち主はたぶん、すぐ近く。すぐ近くなのに、呼べない。呼べないと、今日の朝市は飲み込む。


 ここで、「合図があると助かる」が生まれる。

 生まれる瞬間がいちばん危ない。

 生まれると、育てたくなる。育てると、増える。


「鐘楼なら、届くよね」

 誰かが言った。

 言い方が軽い。軽い提案は増えやすい。


「鳴らす?」

 別の誰かが言った。

 鳴らすは、もっと軽い。軽いは危ない。


 ミナギが顔を輝かせた。

「鳴らそう! 朝市の合図だ! 落とし物だ!」

「鳴らすな」

 ユリネが刺す。

「えっ、でも鐘は合図じゃん!」

「合図は一個でいい」

「じゃあ鐘が一個!」

「一個でも増える」


 タケルが真顔で、鐘楼の方へ視線をやった。

 鐘楼の根元に、古い板が一枚立っている。

 板は何も書いてない。

 書いてないのに、釘がいくつか打ってある。

 釘があると、人は掛けたくなる。掛けたくなると、合図板が生える。


「……あれ、使うか」

 タケルが言った。

「板?」

 レンカが首を傾げる。

「掛けるだけ。鳴らさない」


 鳴らさない。

 その一言で、朝市の空気が一段だけ落ち着く。

 鳴らすと全員が向く。

 向くと全員が来る。

 来ると全員が混ざる。

 混ざると、生活が詰まる。


 声が枯れている人が、木片を握り直した。

「掛けるって、どうやって……」

「一回だけ」

 ユリネが言う。

「一回だけ?」

「合図も順番だ」


 順番。

 それを言えば、生活になる。


 コトがすっと前へ出た。

 にこっとして、でも声は増やさない。

「この紐、ここに掛けましょう。木の音、鳴らせる?」

 声が枯れている人が、こくりと頷いた。


 板の釘に木片が掛かる。

 かたん、と小さい音。

 小さい音でも、目立つ場所にあると、助かる。


「これ、落とし物だって合図になる」

 レンカが嬉しそうに言いかけて、口を押さえた。えらい。

 えらいが、目が「もっと掛けよう」になっている。危ない。


 助かるのは、すぐ起きた。

 通りの向こうで、同じ木片の紐を探していた人が、板を見つけて駆け寄ってくる。


「あっ、それ、うちの!」

 声が弾む。弾む声は増える。

 増える前に、コトが欠けの石を顎で示した。


「受け取るのは欠けまで。持ち主が持つ」

 持ち主は木片を取り、胸を撫で下ろした。

 礼は小さい。小さい礼は増えない。助かる。


 助かった。

 助かったから、次が来る。

 それが生活の罠だ。


「じゃあ、うちのも掛けていい?」

 小さな袋を持った人が言った。

「これも」

「これも」

 言葉が重なる。重なると混ざる。混ざると、板が紙になる前に板が詰まる。


 ミナギが元気に言う。

「掛ければいいじゃん! 全部掛けよう!」

「全部って言うな」

 ユリネが刺す。

「でも板、空いてるし!」

「空いてるのは今だけだ」


 今だけ。

 今だけを守るのが、結び家の仕事。


 板の前に人が溜まりはじめた。

 溜まると、合図が早くなる。

 早くなると、内容が混ざる。


「落とし物です」

「直してほしいです」

「量ってほしいです」

「探してます」

「返したいです」


 全部、板に掛けたくなる顔をしている。

 掛けたら助かる気がする。

 助かる気がすると、勝手に増やす。


「混ざる」

 シノがぼそりと言った。

 ぼそりが刺さる。

 刺さると、手が止まる。止まると、板が息をする。


 けれど、ここで増えるのが子どもだ。

 増えるというより、真似る。


「みて! ぼくも合図!」

 小さい子が、なぜか自分の木の実を紐に通して、板に掛けようとする。

 善意だ。善意はかわいい。かわいいは増える。増えたら混線。


「それ、合図じゃない」

 誰かが言いかけた。

 言い方が強くなると、子が泣く。泣かせない係が動く。動くと、別の混線が生まれる。


 レンカが息を吸って、

「……」

 吸って、止めた。えらい。

 代わりに、コトが柔らかく言った。


「合図はね、今日は“困ってる物”だけ」

「困ってるもの!」

 子が復唱して、木の実を引っ込めた。復唱できるなら勝ち。


 ところが、引っ込めた子の隣で、別の子が別の真似をする。

 板の釘を指で弾いて、

「カチン!」

 って言う。

 昨日の秤の音を、勝手に持ってくる。持ってくると、意味が混ざる。


「カチンは量りだろ」

 タケルが真顔で言う。

「量りの合図!」

 子が元気に言う。

 元気が増える。元気が増えると、子どもが増える。

 増えた子どもが、板を囲んで遊び始める。

 遊びは楽しい。楽しいは増える。増えたら混線。


 板の前が、少しだけ、わちゃっとした。

 わちゃは明るい。

 明るいけど、明るいまま混ざると、あとで誰かが困る。


「……合図が増えるほど、分からなくなる」

 ハルが小さく言った。

 小さいのに正しい。

 正しいのに刺さらない。助かる。


 ユリネは板を見た。

 釘は五つ。

 もう三つ埋まっている。

 埋まるのが早い。早いと、次に「増やそう」が来る。


 増やそう、が来る前に、ユリネが短く言った。


「合図の順番」


 順番。

 また順番。

 けれど今日は、順番の種類が違う。

 声の順番じゃない。

 合図の順番だ。


 ミナギが即座に反応する。

「当番作る?」

「当番って言うな」

「じゃあ誰が鳴らすの?」

「鳴らさない」

「えええ」

「掛けるだけ」


 ユリネは指を三本立てた。


「一、掛けるのは一つずつ」

「一つずつ」

 タケルが真顔で復唱する。復唱は作法になる。

「二、掛けたら声は一回」

「声は一回!」

 レンカが復唱して口を押さえる。えらい。

「三、真似るのは遊びだけ。困りは増やすな」


 子どもたちが「はーい」と返事をして、なぜか釘を弾くのをやめた。

 やめられるなら勝ち。

 勝ちが続くと、板はただの板に戻る。

 ただの板に戻ると、道具化しない。これが大事。


 板の前にいる人が、一人だけ前へ出た。

 壊れた金具。小さなやつ。

「これ、直し屋へ持ってく人、探してて」

 言い方が“預けたい”に近い。危ない。


「探すのは自分」

 ユリネが即座に刺す。

「えっ」

「合図は道じゃない。道は自分で歩け」

 刺さるけど、短いから痛くない。


 コトが柔らかく補助する。

「でも“今ここに居ます”は助かるよね。掛けて、声一回」

 掛ける。声一回。

 それだけなら増えない。


 金具が板に掛かった。

 かたん。

 それを見て、直し屋へ向かう途中の人が足を止めた。

「それ、私、行くから一緒に」

 助かる。

 助かるが、ここで「じゃあ私も」が増える前に、ユリネが言う。


「次」


 次。

 次があると、押さない。

 押さないと、混ざらない。


 板に掛けるものは、結局、三つで止まった。

 三つで止まると、釘が残る。

 残ると、増やしたくなる。

 増やしたくなるけど、今日は増やさない。

 増やさないで回る形だけ残す。


 ミナギが不満そうに言った。

「でも鐘、鳴らしたら早いのに」

「早いは混ざる」

 ユリネが言う。

「混ざるって言いすぎじゃない?」

「言いすぎるくらいで止まる」

「……たしかに」

 ミナギが引く。引けるなら勝ち。


 レンカが板を見上げた。

 鐘楼の影が、板の足元に落ちている。

 影は大きいのに、板は小さい。

 小さい板で足りるなら、鐘はいらない。

 いらないなら、鳴らさない。

 鳴らさないなら、朝市は今日も生活の音で起きる。


 帰り道、子どもがレンカの横で言った。

「合図、たのしい!」

 楽しいは増える。増えるとまた混線。

 レンカが息を吸い、止めて、言い直した。


「……遊びは楽しい。困りは増やさない」

 言い直せるなら勝ち。

 子どもが復唱する。

「こまりは、ふやさない!」

 復唱できるなら勝ちが伝染する。いい伝染は、丸い。


 家に戻ると、鍋が待っていた。

 湯気が上がる。

 湯気は増えていい。増える湯気は、生活の勝ちだ。


 レンカが椀を持ち上げかけて、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 タケルが真顔で言った。

「板、効いたな」

「板を道具にするな」

 ユリネが返す。

「道具じゃなくて、影」

 コトが笑う。

「影、いいね」

「いいって言うな」

「……助かる」

 コトが言い直した。言い直せるなら勝ち。


 ハルが小さく頷く。

「……混ざる前に止まった」

 シノがぼそり。

「……音、増えなかった」


 ミナギが箸を持ちかけて、

「順番」

 ユリネが刺す。

「……はい」


 今日の合図は、鐘じゃなくて板。

 板は小さい。

 小さいから、増やさないで済む。

 増やさないで済むから、泣かない。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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