表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/52

第32話 直し屋

 箱は、置いた翌々日に別の顔を持ってくる。

 昨日は紙が増えた。今日は壊れ物が増える。

 増えるのは悪じゃない。回し方が要る。


 朝、結び家の戸を開けた瞬間に、ユリネは息を吐いた。

 欠けの石の横に、見慣れない籠が一つ。

 籠の中に、割れた皿が一枚。

 割れ方が、きれいじゃない。きれいじゃない割れ方は、持ち主が困っている。


「……直してほしい、って顔」

 コトが小さく言った。

「顔で直すな」

 ユリネが即座に刺す。

「えっ、でも顔が」

「顔は分かる。だから順番だ」


 レンカが一歩出かけた。

 出かけ方が、泣かせない係のそれだ。危ない。


「直す!」

「直すな」

 ユリネが刺す。

「えええ、でも壊れてる!」

「壊れてるのは分かる。うちは直し屋じゃない」


 直し屋。

 その単語が出た瞬間、シノが小さく鼻を動かした。

 匂いを探す顔。匂いは嘘をつかないから、シノは匂いに寄っていく。


「……油」

 ぼそり。

 風の向こうから、木と油の匂いが、薄く混ざってくる。

 乾いた木の匂い。

 布の糸の匂い。

 そして、ほんの少し、金属を拭いた油の匂い。


 タケルが真顔で言った。

「直し屋、近いのか」

「近い」

 ユリネが短く返した。

「知ってたのか」

「知ってる。言ってない」

「言ってないのは優しさ?」

「言うと増える」


 増えるのは、すでに増えていた。


「おはようございます。ここ、直してくれるって聞いて」

 戸の前に、別の人。

 手に、欠けた桶の取っ手。

 欠けてる桶じゃない。別の桶だ。欠けがないから迷うやつ。


「直してくれるって」

 レンカが繰り返した。

 繰り返すと噂になる。噂になると人が来る。人が来ると置き場が死ぬ。


「声、一回」

 ユリネが言った。

 レンカが口を押さえた。止まれるのはえらい。


 コトがにこっとして、欠けの石を顎で示す。

「直すのはここじゃなくて、そっち。匂いがする方」

「匂い?」

「木と油」

 コトが言って、シノが小さく頷いた。


 匂いがする方。

 それが今日の道になる。

 道ができると、人は勝手に動く。勝手に動くと増える。だから線を引く。


「欠けまで置いて、直し屋へ行け」

 ユリネが短く言った。

「直し屋ってどこですか」

「匂いの先」

 答えが雑なのに、今日はそれで通る。匂いは案内板より強い。


 ところが、雑は雑で刺さる時がある。


「じゃあ、持ってってもらえる?」

 桶の取っ手を持った人が、期待の顔をした。

 期待は危ない。期待は「預ける」に変わる。預けるは増える。


「持っていかない」

 ユリネが即答した。

「えっ」

「自分で行け」

「でも道が」

「道はある。欠けから匂いへ」


 タケルが真顔で、言い方を柔らかくした。

「一緒に行くなら行ける。持ち主が持つ。俺らは道だけ」

 道だけ。

 その言葉が今日の救いになる。


 結び家は、戸の前に残った籠と桶の取っ手を、欠けの石の横に並べた。

 並べると、もう置き場が狭い。狭いと詰まる。詰まると、次が倒れる。

 倒れる前に移動。


「行く」

 ユリネが言った。

「行く!」

 レンカが復唱しかけて、口を押さえた。増やさない努力が、今日も仕事をする。


 道を歩くと、匂いが濃くなる。

 濃くなる匂いは、安心する匂いでもある。

 木が削られた匂い。

 糸が擦れた匂い。

 油が伸びた匂い。


 音も混ざってきた。


 こり、こり。

 木を削る小さな音。

 きゅっ。

 糸を引く音。

 とん。

 何かを軽く叩く音。

 すっ。

 布で拭く音。


 直される音は、派手じゃない。

 派手じゃないのに、胸が落ち着く。

 落ち着くと、人は欲張る。欲張ると、壊れ物が増える。今日はそこが罠。


 路地の奥に、小さな作業台が見えた。

 看板はない。名前もない。

 けれど、匂いと音で「そこ」だと分かる。

 そこに、人がもう集まりかけていた。


「直してもらえるって」

「昨日、桶の話聞いて」

「うち、糸が切れて」

「この金具、ゆるくて」


 声が増える。

 声が増えると、台の上が詰まる。

 詰まる前に、ユリネが足を止めた。


「置くな」

 ユリネが言った。

 みんなが一瞬止まる。止まると、後ろが詰まる。詰まると、また落ちる。

 落ちる前に、言い換える。


「置くなら、置く順だ」


 置く順。

 判断じゃない。順番だ。

 順番は刺さらない。順番は生活だ。


 作業台の向こう側に、直す人がいた。

 顔が見えにくい。湯気じゃないのに、見えにくい。

 手元に集中しているからだ。

 手は、奪わない手だった。

 差し出された壊れ物を、引っ張らない。

 持ち主の指の間から、そっと受け取る。

 受け取ったら、すぐ返す方向へ置く。

 置く場所が小さい。小さいから詰まる。詰まると、また声が増える。


「……狭い」

 ハルが小さく言った。

 狭い、は見出しだ。今日のパニックの合図。


 レンカの目が、きらっとした。

 狭いなら広げたい。広げたいは増やしたいの兄弟だ。


「台、増やす?」

「増やすな」

 ユリネが刺す。

「でも置けない!」

「置けないなら、置かない」

「えええ」

「置く前に、直す順を作る」


 ユリネは、地面に小さく線を引いた。

 棒で、さらさら、と。

 説明しない。線だけ。

 線は三本。


 置く線。

 待つ線。

 戻る線。


「これだけ」

 ユリネが言った。

「これだけ?」

「これだけ。壊れ具合は見ない。困り具合も見ない。置いた順」

 判断しない。

 それが今日の勝ち筋だ。


 人は、線があると並べる。

 並べると置き場が少し戻る。

 戻ると、直す人の手が落ち着く。

 落ち着くと、音がまた聞こえる。


 きゅっ。

 糸が引かれる音。

 きゅっ、が続くと、つい見たくなる。

 見たくなると、覗く。覗くと、また詰まる。ここも罠。


「覗くな」

 ユリネが短く言った。

「覗かない!」

 レンカが言いかけて、口を押さえた。今日のレンカは止まれている。えらい。


 その時、直す人が、ふっと顔を上げた。

 目が合った瞬間、少しだけ照れた顔をする。

 照れたのに、手は止まらない。

 止まらないまま、軽く会釈した。

 会釈が小さい。小さい会釈は、増えない。助かる。


 そして、直す人の隣で、シノが固まっていた。

 固まっているというより、吸い寄せられてしまっている。

 匂いと音が、シノの指を呼ぶ。

 指が呼ばれると、勝手に動きたくなる。動くと仕事が増える。増えると照れる。シノは照れる。


「……シノ」

 コトが小さく呼んだ。

 シノが小さく首を振る。

 行かない、じゃない。

 行ったら戻れない、の首振りだ。


 作業台の上で、糸がふるっと揺れた。

 揺れた糸は、暴れる。暴れると結び目が逃げる。逃げると、直す人の眉がほんの少しだけ困る。

 困る眉は、レンカが助けたくなる眉だ。危ない。


 シノが、そっと手を伸ばした。

 奪わない伸ばし方。

 直す人の手の邪魔にならない角度。

 糸の端を、二本の指でつまむ。


 きゅっ。

 糸が落ち着いた。


「……助かる」

 直す人が、小さく言った。

 小さい褒めは、シノに刺さる。

 刺さると、シノの耳が少し赤くなる。赤くなるのに、顔は無表情のまま。照れているのが分かりにくくて可愛い。言うな、可愛いは増える。


 レンカが言いかけた。

「シノ、すご」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「えええ」

「褒めると、直す順が増える」


 褒めると順が増える。

 意味が分からないのに、今日は真理だ。

 褒めると「じゃあこれも」になる。

 じゃあこれも、が増えると、置き場が死ぬ。


 案の定、人が一歩前へ出た。

「じゃあ、これも……」

 割れた皿。

 折れた櫛。

 外れた金具。

 ゆるい紐。

 小さい壊れが、全部「とりあえず」になる顔。


「とりあえず、置くな」

 ユリネが言った。

「でも順番が」

「順番はある。置く線に置け」


 線。

 線があるから、みんな置く。

 置くと、置き場がまた小さくなる。

 小さくなると、今度は台じゃなく、線の上が詰まる。


「……線が死ぬ」

 ハルが小さく言った。

 死ぬって言うな。けれど分かる。線は生き物みたいに、すぐ詰まる。


 ここでレンカが、善意の暴走を別方向へ出した。

 悪い方向じゃない。けれど増える方向。


「じゃあ、線を伸ばす!」

「伸ばすな」

 ユリネが刺す。

「えええ、でも詰まってる!」

「詰まるなら、減らす」

「減らす?」

「置く前に、持ち主が持つ」


 持ち主が持つ。

 それを言うだけで、半分の壊れ物が一歩引っ込む。

 引っ込むのは、持ち主が「まだ困ってない」からだ。

 困ってないなら、今は持って帰れる。

 持って帰れるなら、増えない。今日はそれが勝ち。


 直す人が、照れたまま、また小さく言った。

「……今、直せるの、少し」

 少し。

 少しの宣言は、場を救う。

 少しなら、待てる。少しなら、帰れる。少しなら、泣かない。


 タケルが真顔で頷いた。

「少しでいい。少しが回る」

「回るとか言うな」

 ユリネが刺す。

「でも回ってるだろ」

「回るのは生活だ。言うな」


 シノが、糸の端をもう一度つまんだ。

 きゅっ。

 今度は、結び目が決まる音。

 決まる音は、見えないのに気持ちいい。

 気持ちいいと、人は拍手したくなる。拍手は増える。増やすな。


 レンカが両手を握って耐えた。

 耐えるのが偉い。

 耐えると、泣かせない係がちゃんと大人になる。


 直す人が、直したものを持ち主へ返した。

 返し方が、奪わない。

 返した瞬間、持ち主の顔がぱっと明るくなる。

 明るい顔は、危ない。明るい顔は次を呼ぶ。だから、ユリネが短く切る。


「礼は小さく」

 ユリネが言う。

 持ち主は「ありがとう」と小さく言って、すぐ引いた。

 小さい礼は増えない。増えないから助かる。


 置く線は、少しだけ空いた。

 空いたら、次が来る。

 次が来る前に、ユリネが言った。


「直す順は、置いた順。終わり」


 終わり。

 終わりがあると、線が息をする。

 息をすると、匂いと音がまた戻る。


 こり、こり。

 木が削られる音。

 すっ。

 油が伸びる音。

 きゅっ。

 糸が締まる音。


 その音の真ん中で、シノが、ほんの少しだけ笑った。

 笑ったのに、すぐ顔を戻す。照れている。照れているのに耐える。

 耐えるのが、今日の直しだ。直すのは物だけじゃない。場も直す。順番で。


 結び家は、壊れ物を直し屋に置き去りにしない。

 持ち主が持つ。

 持ち主が待つ。

 持ち主が戻る。

 それだけを置いて、家へ帰る。


 帰り道、レンカがぽつりと言った。

「直し屋、名前、ないんだね」

「言うと増える」

 ユリネが即答する。

「でも匂いがある」

「匂いは増えない」

 コトが笑った。

 シノは、指先をそっと嗅いで、ぼそり。


「……油、好き」

「好きとか言うな」

 ユリネが刺す。

「でも、落ち着く」

 シノが小さく言い直す。言い直せるなら勝ち。


 家に戻ると、鍋が鳴っていた。

 湯気は増えていい。増える湯気は、生活の勝ちだ。


 レンカが椀を持ち上げかけて、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 レンカが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 タケルが真顔で言った。

「今日、壊れ物、増えたな」

「増えたのは噂だ」

 ユリネが返す。

「噂も直せる?」

「直せない」

「じゃあどうする」

「順番で減らす」


 ハルが小さく頷いた。

「……線、助かる」

 シノがぼそり。

「……音も、助かる」

 コトがにこっとして言う。

「じゃあ明日も、増やさないで聞こうね」

「増やさない!」

 レンカが元気に言いかけて、口を押さえた。えらい。


 今日の指先には、油の匂いが少し残っている。

 残る匂いは、働いた証拠だ。

 証拠は誇らしくても、盛らない。盛ると増える。増えると詰まる。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ