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第30話 落とし物箱

 箱は、置いた瞬間に箱になる。

 置く前はただの木箱で、置いた後は「とりあえず」の受け皿になる。

 受け皿になると、人の手が集まる。手が集まると声が集まる。声が集まると詰まる。

 詰まるのは悪じゃない。回し方が要る。


 朝、結び家の戸の前がやけに明るかった。

 明るいと言っても日差しの話じゃない。人が三人も立っている明るさだ。


「……来た」

 ハルが小さく言った。

 言い方が静かなのに、なんとなく増える予感を含む。


 先頭にいるのは、昨日から「箱、置くらしい」を撒き散らしていた近所の人だ。

 その横に、木箱を抱えた運び手がいる。ミナギではない。背中が真面目な人だ。

 そして最後に、ミナギがいる。いるだけで分かる。顔が元気すぎる。


「おーい! 来たぞ!」とミナギが言いかけて、

「声、増やすな」

 ユリネが戸の内側から先に刺した。


 戸が開く。

 ユリネは箱を見る前に、まず足元を見る。

 欠けた石。いつもの線。

 そこに、今日の主役がどん、と置かれた。


 木箱。

 ふた付き。

 木目が素直。

 そして角が一つだけ、ほんの少し欠けている。


「欠けてる」

 レンカが目を輝かせた。

「かっこよくするな」

 ユリネが即座に言う。

「でも目印!」

「目印は一つでいい」


 近所の人が胸を張った。

「ほら! 箱! これで落とし物が迷子にならない!」

「迷子は箱で増える」

 ユリネが淡々と言った。

「えっ」

「置いた瞬間から、とりあえずが増える」


 とりあえず。

 その言葉を聞いた瞬間、レンカの顔が「とりあえず助ける」になる。危ない。


「でも困ってる人が!」

「困ってる人は分かる。順番だ」

 ユリネは指を二本立てた。

「一、置く。二、戻す」

「置く、戻す」

 レンカが復唱して、口を押さえた。増やさない努力はえらい。


 木箱の上には、紙が一枚だけ置かれていた。

 紙は厚め。角が丸い。穴はない。札じゃない。札にすると増えるからだ。


 大きな字で、短く。


 拾ったら、入れる前に持ち主を呼ぶ。


 それだけ。

 それだけなのに、余計なことが百個ぶら下がって見える。

 見えるから怖い。怖いから手が伸びる。伸びるから詰まる。


「読んだ?」

 コトが近所の人ににこっと訊いた。

「読んだ読んだ! だから箱を持ってきた!」

「……箱、持ってきたのは誰」

 タケルが真顔で言った。

 真顔が刺さる。

 運び手が、木箱を指で軽く叩いた。

「頼まれたから運んだだけ」

「頼んだの誰」

「……みんな」


 みんな。

 みんなは便利で危ない。

 みんなが出たら、責任が増える。責任が増えると、善意が硬くなる。硬い善意は折れる。


 ユリネは叱らない。

 叱る代わりに、箱のふたを開けた。


 からん。

 空っぽの音がする。

 空っぽは、今だけの平和だ。


「置く場所は?」

 コトが訊く。

 ユリネは欠けた石を、とん、と叩いた。

「欠けまで」

「欠けまで!」

 レンカが復唱する。復唱は手順になる。


 箱は、欠けの石のすぐ横に置かれた。

 置かれた瞬間、近所の人が一歩前へ出た。

 そして、掌の上の小さな飾りを箱へ近づける。


「これ、預けるね」

「預けるな」

 ユリネが即座に刺す。

「えっ、でも箱だし」

「箱は預かり所じゃない。置き所だ」

 説明じゃない。言い換えだ。言い換えは増えない。


 近所の人が困る顔をした。困る顔は刺さる。

 レンカの手が動きそうになる。動くな。


 コトがすっと間に入った。

「欠けまで置いて、持ち主が来たら持ち主が持つ。昨日と同じ」

「……じゃあ、入れるのは?」

「入れるのは、持ち主がいない時だけ」

 コトは短く言った。短いと助かる。


 近所の人は飾りを箱の縁に一度置きかけて、やめた。

 やめられるなら勝ち。

 代わりに欠けの石の横へそっと置いた。


「じゃあ箱、要らないじゃん!」

 ミナギが元気に言った。

「声、増やすな」

「えっ」

「声を増やすと箱が喜ぶ」

「箱、喜ぶの?」

「喜ぶ。とりあえずが増える」


 とりあえずが増えるのは、すぐ起きた。


 通りを歩いていた人が、箱を見て足を止めた。

 止め方が「助けたい」だ。

 助けたいは優しい。でも今日は危ない。


「これ、落とし物?」

 その人は、布の切れ端を持っている。布の切れ端の端に、糸のほつれがある。

 ほつれは、持ち主が泣くやつだ。泣かせない係が反応する。


「入れていい?」

「呼べ」

 ユリネが言う。短い。

「えっ」

「持ち主を呼べ。声は一回」


 レンカが一歩出そうになったが、タケルが腕で道を作った。

 道ができると、手が勝手に増えない。


「すみません、布、落ちてました!」

 タケルが一回だけ声を出した。

 通りの先で、振り向く人がいた。顔が青くなる。

「あっ、うちの!」


 その人が走りかけて、止まる。止まれるのが偉い。

 布が戻る。戻ると、場が少し軽くなる。


 その“軽くなる”を見てしまった人が、二人いた。

 一人は、返したい顔。

 もう一人は、預けたい顔。


 返したい人は、掌に小さな鈴を乗せている。

 鳴らしたらすぐ分かりそうなのに、鳴らすと目立つ。目立つと詰まる。詰まると、また落ちる。

 預けたい人は、布袋を抱えている。布袋は大きい。大きい袋は、とりあえずが入りやすい。


「ここに入れたら、あとで誰かが返してくれるんだよね?」

 預けたい人が言った。

「返さない」

 ユリネが即答した。

「えっ」

「返すのは持ち主だ。うちは、止めるだけ」

 止めるだけ。言い方が硬いのに、刺さらない硬さ。


 だが、硬さは聞かない人にはただの壁だ。

 預けたい人は「じゃあ……」と呟き、布袋を箱へ近づけた。


「とりあえず入れとく」

 とりあえず、が出た。

 出たら増える。


「入れるな」

 ユリネが言った。

「でも、ここ箱だし」

「箱は、口を整えるためだ」

 説明じゃない。短い言い換え。


 それでも手が止まらない時がある。

 止まらない手は、善意の手だ。


 レンカが息を吸いかけて、

「声は一回」

 コトが先に言った。

 レンカは口を押さえた。えらい。えらいが、目が泣きそうだ。


 返したい人が、小さく鈴を鳴らした。

 りん。

 音は一回。音が一回なら、まだ増えない。


「この鈴、落ちてたんです」

 その声に、少し先の露店の人が振り向いた。

「うちの! さっき鳴らないって探してた!」


 鈴が戻る。

 戻ったら、預けたい人の布袋がさらに箱へ近づく。


「だから、これも誰かのものかもって」

 言い方が、善意の正論。

 正論は刺さる。刺さると人は折れる。折れさせない。


 ユリネは箱のふたを、半分だけ開けた。

 開け方が中途半端なのがポイントだ。中途半端は増やさない。

 そして、箱の横に紙を二枚、そっと置いた。


 大きな字で、短く。


 返す / 置く


 札じゃない。札にすると増えるからだ。

 ただの紙。紙は弱い。でも弱いから、強くならない。


「返すは、先」

 ユリネが言った。

「置くは、欠け」

 コトが続けた。

「箱に入れるのは?」

 誰かが聞いた。

「持ち主が来ない時だけ」

 タケルが真顔で答えた。真顔の短文は強い。


 箱の前の人が、二つに割れた。

 返す側は前へ。

 置く側は欠けへ。

 それだけで、詰まりが一回ほどける。


 ほどけた瞬間、また来る。

 来るのが朝市の口だ。


 軽くなったところに、次が来る。

 次は、返したい人だ。


「昨日の髪留め、ここにあるって聞いて」

 若い人が箱の前で言った。

 言い方が半分期待だ。期待は刺さる。


 欠けの石の横を指すと、髪留めはまだそこにあった。

「これ?」

「これ! これです!」


 返す。

 返せると、人は箱を信じる。

 信じると、預けたくなる。

 預けたくなると、とりあえずが増える。


 まるで合図みたいに、別の人が現れて小さな匙を差し出した。

「これも入れていい? 拾ったの。家で困ってて」

 困ってるのは分かる。家で困ってるは、たぶん優しい嘘じゃない。

 でも箱は、困りの置き場じゃない。


「入れるな」

 ユリネが言った。

「えっ」

「持ち主を呼べ」

「でも持ち主、分からない」

「なら、欠けに置け」


 欠けに置く。

 箱を置いたのに、欠けが働く。欠けは強い。


 匙が欠けに置かれた。

 置かれた瞬間、通りの別の手が動いた。


「じゃあこれも、とりあえず」

 とりあえず、が出た。

 出たら増える。


 その手が箱に入れようとしたのは、革ひもだった。

 革ひもは、誰のでもありそうで、誰のでもない顔をしている。いちばん混ざる。


「とりあえず、入れるな」

 コトが笑顔で言った。笑顔なのに止まる声。

「え、でも箱だし」

「箱だからこそ、口の順番」


 口の順番。

 札の順番じゃない。口の順番が滲む。


「入れたい人は、まず言う」

 コトが続ける。

「返したい人は、先に言う」

 レンカが思わず言った。

「言ったら?」

「言ったら、誰が持ち主か分かる時がある」


 説明じゃない。やって見せる。

 ユリネが箱の前に立った。

 立ち方が「線」だ。線が立つと、人は並ぶ。


「返す人、先」

 ユリネが言った。

 たった五文字で、足が二つほど引っ込んだ。引っ込むのが偉い。


 返す人が前に出る。

 小さな布袋を持っている。

「これ、落ちてた。中に銅貨」

「呼べ」

「すみません! 銅貨、落ちてました!」


 すぐに持ち主が見つかった。持ち主は礼を言う。

 礼が増えると箱が喜ぶが、礼は生活だ。ここは許す。


 次に、置く人が前に出る。

 革ひもを持っている。

「これ、誰のか分からない」

「欠け」

 ユリネが言った。

 革ひもは箱に入らず、欠けに置かれる。


「箱、空っぽのまま?」

 ミナギが不満そうに言った。

「空っぽでいい」

 ユリネが即答する。

「えー」

「空っぽは、混ざってないってことだ」


 混ざってない。

 その一言で、箱前の空気が少しだけ落ち着いた。

 落ち着くと、とりあえずが減る。減ると道が戻る。


 ところが、善意は減ると別の形で増える。


「じゃあ、欠けのところがいっぱいになったら?」

 誰かが言った。

 言った瞬間、レンカの顔が「いっぱいになったら整理する」になる。危ない。


「いっぱいになる前に、戻る」

 ユリネが短く言った。

「戻る?」

「持ち主が来るまで、増やさない」

「でも来ない時もある」

「来ないものは、来ないまま終わる」


 終わる。

 終わりが言えると、箱が生活の形になる。

 生活の形になると、噂は勝手に丸くなる。


 箱のふたが、ぱたん、と閉まった。

 閉まる音は、終わりの合図だ。

 終わりの合図があると、人は散れる。


 散る前に、レンカが小さく言った。

「……箱、置いたのに、箱に入れないんだね」

「箱は、入れるためじゃなく、止めるためだ」

 コトが笑った。

「止める?」

「とりあえずを止める」


 タケルが真顔で頷いた。

「噂も止まるかな」

「止まらない」

 ユリネが即答する。

「えっ」

「でも棘は抜ける」


 棘が抜ければ、泣かない。

 泣かなければ、生活は回る。


 夕方、結び家が戸を閉めるころ、欠けの石の横に置かれた革ひもが消えた。

 持ち主が来て、持って行ったのだ。

 誰も見ていないのに、ちゃんと戻る。


 レンカがそれを見て、胸を張った。

「今日、泣かせなかった!」

「泣かせないのはいい。増やすな」

「増やさない!」


 家の中へ戻ると、鍋が待っていた。

 湯気が上がる。湯気は増えてもいい。

 ミナギが勝手に椀を手に取ろうとして、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 コトが椀を並べる。

 ハルが匙を配る。

 シノが湯気を小さく吸って、ぼそり。


「……あったかい」


 タケルが真顔で言った。

「箱、今日働いたな」

「働いたのは欠けだ」

 ユリネが返す。

「欠け、万能」

「万能にするな」

「……推測で、万能っぽい」

「推測の使い方が雑だ」


 笑いが起きる。

 笑いが起きると、今日の詰まりがほどける。

 ほどけたら、湯が待っている。

 湯は逃げない。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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