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第29話 噂止め前哨

 噂は、足音より先に走る。

 走るのが得意なものほど、止めるのが難しい。

 難しいのに、止めないと増える。増えると、生活が詰まる。


 朝、結び家の戸を開けた瞬間に、もう一つ走っていた。


「……ここ、落とし物、預かってくれるって」


 玄関先。近所の人が、手のひらに小さな飾りを乗せて立っている。

 飾りは綺麗だ。綺麗だから、落ちる。落ちたら困る。困るから、噂が走る。


 レンカの目が、きらっとした。

 泣かせない係が、勝手に立ち上がる目だ。危ない。


「預かる!」

「預かるな」

 ユリネが即座に刺した。

「でも困ってる顔!」

「困ってる顔は分かる。だから順番だ」


 ユリネは指を二本立てる。

「一、置く場所を作る。二、声は一回」

「声は一回!」

 レンカが復唱して、自分の口を押さえた。増やさない努力は偉い。


 コトが玄関の脇、石の欠けを軽く叩いた。

 欠けは今日も線になる。


「欠けまで。落とし物は、いったん欠けに置く。持ち主が来たら戻す」

「え、ここに置いていいの?」

「いい。今日は“いったん”」

 コトの“いったん”は強い。終わらせない優しさだ。


 近所の人がほっとして、飾りを欠けの石の横にそっと置いた。

 そっと置けると、場が柔らかい。柔らかいと噂も丸くなる。なってほしい。


 タケルが真顔で言った。

「……噂、早くない?」

「早いのが噂だ」

 ユリネが淡々と返す。

「止める?」

「止める前に、朝市へ行く」

「止めないの?」

「止めるのは、朝市の口だ」


 口。

 紙じゃない。板でもない。箱でもない。

 今はまだ、口が一番増える。


 朝市へ向かう道すがら、すでに“口”が何度も行き交っていた。


「結び家が、落とし物を集めてるって」

「返してくれるって」

「箱があるって」


 箱。

 まだ無い。

 無いのに、あることになっている。

 あることになっていると、持って来られる。持って来られると混ざる。混ざると泣く。今日は泣かせない係が疲れる。


 レンカがぶつぶつ言う。

「箱、ないのに」

「ないものは、ない」

 ユリネが短く言った。

「でも噂がある」

「噂はある。だから順番」


 朝市の角を曲がった瞬間、噂の形が見えた。

 見えたと言っても、噂に顔はない。

 顔の代わりに、手がある。


 手が三つ。

 それぞれ、小さなものを持っている。


「すみません、ここ……」

「落とし物、預けたくて」

「結び家さんって、返すの上手いって」


 上手い。

 上手いは褒め言葉の顔をしている。

 顔をしているが、今日の上手いは事故の入口だ。


 レンカの足が一歩出かける。

 出るな。出ると受け取る。受け取ると混ざる。


「受け取らない」

 ユリネが先に言った。

 言い方は固いが、刺さらない固さにしてある。湯気みたいな固さ。


「えっ」

 持ってきた人が困る顔をする。困る顔は刺さる。刺さるとレンカが動く。止めろ。


 コトがすっと前へ出た。

 声を大きくしない。笑顔を増やさない。増やさないのに、優しい。


「預けるじゃなくて、“置く”にしましょう。欠けまで」

「欠けまで?」

「欠けまで。落ちたものは欠けに置く。持ち主が来たら、持ち主が持っていく」

「じゃあ……ここ、結び家さんが見ててくれるの?」

「見てる、じゃなくて、順番で回す」

 コトが言って、ユリネが小さく頷いた。頷きで十分。


 だが、口は止まらない。

 止まらないから口なのだ。


「返してくれるって聞いた」

「箱があるって聞いた」

「昨日、皿に置いてたって」


 皿。

 皿はあった。

 でも皿は箱じゃない。皿は仮だ。仮は増えると死ぬ。


 ユリネが短く言った。

「声は一回。欠けまで。終わり」


 終わり。

 終わりが言えると、人は少しだけ止まる。

 止まった瞬間に、タケルが動いた。


 タケルは、朝市の端の方へ目をやった。

 走り手の子がいる。

 荷を運んだり、釣り銭を走らせたり、声を届けたりする子たち。

 朝市の足。朝市の耳。朝市の口。


 タケルは手を振らない。

 指も立てない。

 目だけで合図を出して、顎を一度だけ動かした。


 走り手の子が、気づいた。

 気づき方が速い。速いのに、暴走していない。

 暴走しない速さは、育てる価値がある。


 子が小走りで近づいてきて、タケルの横で止まった。

 止まり方が偉い。走り手は止まれないと事故る。


「……何?」

 子が小声で訊く。小声が朝市向き。


 タケルは真顔で言った。

「口で止めたい」

「噂?」

「噂」

「三言までなら回せる」


 三言まで。

 その制限が、いちばん助かる。

 制限があると、暴走しない。


 タケルは、三言を作った。

 作り方が短い。短いのに、必要なものが全部入っている。


「落とし物は、欠けまで」

「声は一回」

「持ち主が持つ」


 走り手の子が頷いた。

「回す」

 言って、すぐ走り出さない。

 一拍置いて、まず周りを見る。偉い。

 それから、足音を増やさない走りで、朝市の端へ散っていった。


「……今、動いた?」

 レンカが目を丸くした。

「動いた」

 ユリネが言う。

「暴走しないの?」

「まだしない」

 ユリネの「まだ」が、今日の題名みたいだった。


 しかし噂は、口で止める前に、口で増える。

 増え方が最悪だった。


「結び家が、落とし物を集めて“選ぶ”って」


 選ぶ。

 その一語で、空気が少しだけ刺さる。

 刺さると、善意が硬くなる。硬くなると、戻せない。


 レンカが息を飲んだ。

 泣かせない係は、泣かせる噂に弱い。


「選ばない!」

 レンカが叫びかけた。

「叫ぶな」

 ユリネが即座に刺す。

「でも!」

「声は一回だ」

「……っ」

 レンカが口を押さえた。止まれるなら勝ち。


 コトが、欠けの石の前へ、布を一枚だけ広げた。

 布は箱じゃない。

 箱じゃないが、置く場所は要る。

 置く場所があると、手が混ざらない。


「置く場所、ここ」

 コトが言った。

「ここに置けばいいの?」

「置けばいい。取るのは持ち主」


 持ち主。

 その言葉を、同じ調子で繰り返す。

 繰り返すと、口が整う。

 整うと、噂が丸くなる。なってほしい(二回目)。


 だが、持ち主は、だいたい自分が持ち主だと信じている。

 信じていると、手が伸びる。

 伸びると、取り違える。


 欠けの布の上に置かれた髪留めに、別の手が伸びた。

 伸び方が速い。速い手は危ない。


「それ、あなたの?」

 タケルが真顔で言った。

 声は小さい。小さいのに止まる声だ。


「え、違うの?」

 伸ばした人が手を止める。止まれるなら助かる。


 そこへ、走り手の子が戻ってきた。

 戻ってきたが、息が切れてない。切れてないのが怖い。元気すぎると暴走する。


 子が小声で言う。

「回した。もう一個、噂がある」

「何」

 タケルが訊く。

「箱、今日置くらしいって」


 置くらしい。

 誰が言った。

 言ったやつ、盛りすぎだ。


「置かない」

 ユリネが即答した。

「でも、置くらしいって」

「らしいで増える。増やすな」


 増やすな、が口に出ると、周りが少し笑う。

 笑いがあると、刺さりが減る。

 刺さりが減ると、噂が弱くなる。よし。


 タケルが真顔で、走り手の子に言った。

「三言、もう一回」

「三言」

 子が頷く。


 タケルは、三言を作り直した。

 今度は噂の棘を抜く三言。


「箱は、まだない」

「欠けまで、置く」

「持ち主が、持つ」


 走り手の子が頷いて、今度こそ走った。

 走り方が、さっきより少し丁寧になっている。

 暴走しない。まだ。


 その“まだ”の間に、朝市の現場は一度、詰まった。

 詰まるのは、人が優しいからだ。

 優しいから、みんな手を出す。

 手を出すから、混ざる。

 混ざるから、詰まる。

 生活はいつも、善意で詰まる。


「じゃあ俺、これ預かってもらう!」

 と、誰かが言いかけた。

 預かる、が出たら危ない。箱が生える。


「預かるな」

 ユリネが短く言った。

「えっ」

「預かると選ぶことになる。選ばない」


 選ばない。

 言い切りが、今日は必要だ。

 言い切りは刺さるが、刺さりは後で生活で溶かす。


 レンカが欠けの布を見て、目を伏せた。

 泣かせない係が、今日は泣きそうだ。

 泣きそうは、止めるのが遅い時に出る顔だ。


 ユリネはレンカを見ずに言った。

「レンカ」

「なに」

「やることは二つ」

 ユリネが指を二本立てる。

「道。声」

「道、声」

 レンカが復唱した。復唱があると、泣きが引っ込む。


 レンカは布の端を整えた。

 整えるのは増やさない整え。

 布を広げすぎない。場所を取りすぎない。

 欠けまで、の線を越えない。偉い。


 コトは、声を一回だけ増やした。

 大きくない声で、通る言葉。


「落とし物は欠けまで。持ち主が持つ。声は一回」


 言って終わり。

 終わりがあると、口が勝手に増えない。


 少しずつ、詰まりがほどけた。

 欠けの布の上に置かれたものが、持ち主の手に戻っていく。

 戻り方が軽い。軽いと、噂も軽くなる。


 走り手の子が戻ってきた。

「もう言ってない。箱の噂、弱くなった」

「よし」

 タケルが真顔で言う。

 よし、が短いと、現場が締まる。


 だが、締まったところで、別の噂が芽を出すのが朝市だ。


「結び家、目印の欠けがあるから戻るって」

「欠けって、縁起いいんじゃない?」


 縁起。

 縁起は、盛ると増える。増えると人が来る。来ると詰まる。

 今日の噂止めは、前哨だ。まだ戦うな。


「縁起とか言うな」

 ユリネが淡々と言った。

「でも言われてる」

 タケルが真顔で言う。

「言わせとけ。困ったら止める」

「止めるの、今日だけで足りる?」

「足りない日は、飯で止める」


 飯。

 それが結び家の最終兵器だ。

 飯は逃げない。噂は逃げる。


 朝市の買い物を終えて、結び家は帰路についた。

 帰り道、レンカがぽつりと言った。


「箱、欲しい……」

 言い方が小さい。小さい欲しいは、許される。


「欲しいで止めろ」

 ユリネが言った。

「……箱、欲しい」

 レンカが言い直した。言い直せるなら勝ち。


 タケルが真顔で言った。

「でも、今日の口止め、ちょっと楽しかった」

「楽しくするな」

 ユリネが刺す。

「楽しくしないと、口が刺さるだろ」

 タケルが引かない。

 コトが笑った。

「タケルの網、今日、動いたね」

「まだ暴走してない」

 タケルが真顔で言う。

「暴走って言うな」

「……推測で、暴走しそう」

「推測の使い方が雑だ」


 笑いが起きる。

 笑いが起きると、噂の棘が少し丸くなる。

 丸くなるなら、今日の前哨は勝ちだ。


 家に戻ると、欠けの石の横には、朝の飾りがまだ置かれていた。

 持ち主は、帰り道で会った。

 欠けの場所を伝えたら、すぐ取りに来ると言っていた。

 “置く”で回る。

 “預かる”で回さない。

 それだけで、今日は大事故にならない。


 ユリネが鍋を火にかける。

 湯気が上がる。

 湯気は増えてもいい。増える湯気は、生活の勝ちだ。


 レンカが、小さく宣言した。

「今日、噂、止まった?」

「止まってない」

 ユリネが即答する。

「えっ」

「弱くした。止めるのは、明日でもいい」

 明日。

 明日があると言えると、今日が軽い。


 タケルが真顔で頷いた。

「前哨、だな」

「前哨」

 コトが復唱して、シノがぼそり。


「……口、増える」


 増える。

 増えるなら、順番で減らす。

 減らせる範囲で回す。

 回せるなら、泣かない。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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