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第26話 落とし物が増える

 朝市は、足音が多い。

 足音が多い日は、落とし物も多い。

 多いのは悪じゃない。多いのは……回し方が要る。


「今日は、落ちる日だ」

 タケルが真顔で言った。

「断定するな」

 ユリネが即座に刺す。

「……推測で、落ちる日っぽい」

「推測の使い方が雑だ」

 コトが笑って、レンカが笑って、笑ったぶんだけ人の流れが増えた。


 増えた流れは、朝市の角で曲がる。

 曲がるところに、だいたい落ちる。

 曲がると肩が当たる。肩が当たると手が離れる。手が離れると、落ちる。


 最初に落ちたのは、銅貨だった。


 かちん。

 音が軽い。軽い音ほど、焦る。


「あっ!」

 声が上がる。

 声が上がると、足が止まる。

 足が止まると、後ろが詰まる。

 詰まると、また肩が当たる。

 当たると、また落ちる。


「拾う!」

 レンカが言いかけた。

「拾うな」

 ユリネが即座に言った。

「えええ」

「今、手が増えると、足が増える」

「でも落ちた!」

「落とした本人が拾え」


 落とした本人は、前の人だ。

 前の人は気づいていない。

 気づいていない人に声をかけると、また止まる。止まると詰まる。詰まると落ちる。無限。


 コトが一歩だけ前へ出た。

 一歩だけ。大事。


「すみません、落ちました」

 声は小さい。小さい声は、朝市で強い。

 前の人が振り向き、足元を見て、顔が青くなった。


「うわ、ごめん! 今の私だ!」

「拾える?」

「拾える拾える!」


 本人がしゃがむ。

 本人が拾う。

 拾ったら終わり。

 終わりがあると、また流れが動く。


 動いた途端、次が落ちた。


 布の包み。

 結び目がほどけて、端がひらっと舞った。

 舞う布は、拾いたくなる。拾いたいのが善意だ。善意は今日、危ない。


「拾う!」

「拾うな」

 ユリネの反射が早い。早さが生活向き。


 布の包みは、舞って、舞って、誰かの足元に引っかかった。

 引っかかると、止まる。止まると詰まる。詰まると、また落ちる。


「……道」

 ハルがぽつりと言った。

 道が消えそうな顔だ。

 ハルの「道」は、大体当たる。


「道を作れ」

 ユリネが短く言った。

「俺、道」

 タケルが腕を広げて、人の流れを一本にした。

 走らない。押さない。声を増やさない。腕だけで線を引く。


 線が引かれると、布が拾える。

 拾うのは誰か。

 持ち主が分からないと、拾うな。


 ここで、シノが小さく息を吸った。

「……あれ」

 視線の先。布の包みの端に、目印みたいな縫い取りがある。

 シノは「自分のじゃない」を見分けるのが早い。


「うちじゃない」

 シノが小さく言った。

「うん、うちじゃないね」

 コトが頷く。頷きで終わらせる。説明しない。増えない。


 布の包みの持ち主は、少し先で立ち尽くしていた。

 手が空っぽになって、顔だけ焦っている。

 焦っていると、また落とす顔をする。


「……あの人」

 コトが指差さず、顎だけで示した。

 顎だけは、朝市の礼儀だ。


 ユリネが言った。

「持ち主、呼べ。声は一回」

 短い指示は、増えない。


「すみません! 包み!」

 タケルが一回だけ声を出した。

 持ち主が振り向いて、顔が救われる。

 救われた顔は、周りを見ない。周りを見ないと詰まらない。偉い。


 包みが戻る。

 戻った瞬間、朝市が「回る」顔になる。

 回る顔になったところで、レンカが小さく呟いた。


「……落とし物、今日、多い」

「多い日は、置き場が先に死ぬ」

 ユリネが淡々と言った。

「置き場……」

 レンカの目がきらっとした。置き場を“作る”目だ。危ない。


 朝市は、買い物だけじゃない。

 試食がある。匂いがある。声がある。おまけがある。

 そして、おまけがある日は、袋が増える。袋が増えると、手が足りない。手が足りないと落ちる。


 次に落ちたのは、小さな木の匙だった。

 試食の匙。口に入れる前に落ちた。落ちた匙は、拾いたくない。拾いたくないのに、踏まれたら嫌だ。


「踏む!」

 レンカが叫びかけた。

「叫ぶな」

 ユリネが刺す。

「踏まれそう!」

「踏まれない場所へ、置け」


 置け。

 置け、が出ると、空気が変わる。

 置く場所が要る。置く場所がないから、今まで拾うが増えた。


 コトが、朝市の角の“欠けた石”を見た。

 欠けは今日も目印だ。目印があると、そこが「ここ」になる。


「欠けまで」

 コトが小さく言った。

「欠けまで?」

 レンカが復唱する。復唱は札になる。札になると、動ける。


 ちょうど角の屋台の人が、木の小皿を出していた。

 釣り銭用の皿だ。

 皿は、置くためにある。


「すみません、落とし物、ここに“置いて”いい?」

 コトが訊いた。訊き方が軽い。軽いと、相手が断りやすい。断りやすいのが、朝市の優しさ。


 屋台の人が、状況を一瞬で見て笑った。

「いいよ。欠けの横ね」

 欠けが共有された。共有されると、線が一本増える。線が増えるのは、今日は正しい。


 木の匙が、皿に置かれた。

 置いたら終わり。

 終わりがあると、拾うが増えない。


 ……はずだった。


 皿に置いた瞬間、また落ちた。

 今度は紐。

 紐は、どこからでも落ちる。紐は絡む。絡むと、拾う人が増える。増えると、また落ちる。


「拾う!」

「拾うな」

 ユリネが今日だけで何回言うんだ、という顔をした。

 顔だけ。声は増やさない。偉い。


 落としたのは、ミナギだった。

 いつの間にか居る。元気。手が多い。手が多いのに落とす。才能が逆。


「やべ、俺の!」

「本人が拾え」

「はい!」


 ミナギがしゃがむ。

 しゃがんだ瞬間、背中の袋がずるっとずれる。

 ずれると落ちる。落ちると増える。今日の無限。


 袋から、乾いた果実が一粒、ころん。

 ころん、は拾いたくなる音だ。

 音が鳴ると、レンカの指が動く。動くな。


「……見る」

 コトがレンカの手首を軽く押さえた。

 押さえ方が優しい。優しい押さえは、止まれる。


「落ちたら、皿」

 コトが言う。

「皿」

 レンカが復唱する。

 復唱が増えると、手順になる。手順になると、朝市が回る。


 ころんと転げた果実は、ミナギが拾った。

 拾ったら、皿へ置いた。

 置いたら、後で戻る。

 戻るが約束されると、人は今を慌てない。慌てないと落ちない。たぶん。


 たぶん、は危ないが、今日はそれでいく。


 皿の上に、物が増えていく。

 銅貨。木の匙。紐。小さな飾り。たぶん髪留め。

 そして、なぜか片方だけの手袋。


「片方だけ、って悲しいね」

 タケルが真顔で言った。

「悲しくするな」

 ユリネが刺す。

「でも片方だけって、片方がどこかで泣いてる」

「泣かせない係はここだ」

 レンカが胸を張って言い、また落としそうな動きになる。落とすな。


 その時、皿の前で立ち止まったおじさんが、手袋を見て首を傾げた。

「……あれ、これ、俺のじゃない?」

 言い方が半分疑いだ。

 疑いは、やさしく扱わないと刺さる。刺さると、朝市が荒れる。荒れないでほしい。


 コトがにこっとして言った。

「落とし物、ここ。欠けまで。見て、違ったら置いて終わり」

 終わり、が入ってる。強い。


 おじさんが手袋を手に取って、反対の手を見た。

 反対の手に、ちゃんと片方があった。

「……俺じゃなかった」

 言って、そっと戻した。

 そっと戻せると、場が柔らかい。朝市が、いい朝市の顔をする。


「箱があればなぁ」

 おじさんが、ぽろっと言った。

 ぽろっと言ったのに、みんなの背中が同時に頷く。


「箱……」

 レンカが小さく言った。

 言い方が「作る」だ。危ない。


「作るな」

 ユリネが即座に言った。

「えっ」

「欲しい、で止めろ」

 ユリネの声は短い。短いのに、レンカの手が止まる。止まれるのが偉い。


「……箱、欲しい」

 レンカが言い直した。

 言い直せるなら勝ち。

 欲しいで止められるのは、未来の事故を減らす。


 皿は便利だ。

 便利だから、皿がいっぱいになる。

 いっぱいになると、皿が揺れる。

 揺れると、また落ちる。

 落ちると、拾うが増える。無限が戻ってくる。


「皿、二枚」

 ハルがぽつりと言った。

 提案が少ないのに、刺さる。

 ハルの提案は、だいたい現実に勝つ。


「二枚は一枚」

 タケルが真顔で言って、コトが吹き出した。

「違う」

 ユリネが即座に刺す。

「でも心は一枚」

「心で皿は増えない」

 ユリネの正論で、みんなが笑った。笑いがあると、二枚が許される。


 屋台の人が、もう一枚小皿を出してくれた。

「こっちは銅貨だけね。こっちは布だけ」

 分ける。

 分けると、戻すが早い。戻すが早いと、詰まらない。詰まらないと、落ちない。たぶん。


 分けた結果、ほんとに戻り始めた。

 銅貨を探してた人が来て、皿から取って、礼を言って終わる。

 匙の持ち主が来て、皿から取って、礼を言って終わる。

 終わる、が連続すると、朝市が軽い。


 ところが、最後に残ったのが、髪留めだった。

 小さい。目立たない。きれい。

 きれいなものは、落ちると見つからない。

 見つからないと泣く。今日は泣かせない係だ。


 レンカがじっと髪留めを見て、唇を噛んだ。

「これ、落とした人、困るやつだ」

「困るのは分かる」

 ユリネが言う。

「分かる、で終わるな」

 コトが笑って言った。

「終わらせるなら、順番」

「順番」

 レンカが復唱する。復唱は札になる。


 ユリネが屋台の人にだけ、短く言った。

「閉める時、これ、預ける」

「いいよ。明日も出るから」

「明日」

 その一語で、レンカの肩が落ちた。

 今日解決しなくてもいいことが、世の中にはある。

 今日解決しようとすると、だいたい増える。増えると落ちる。


 結び家は、朝市の買い物をして帰った。

 今日は買いすぎない。今日は落とさない。

 両方は無理だが、片方は守る。片方守れたら勝ちだ。


 帰り道、ミナギがぽつりと言った。

「でもさ、箱、欲しいよな」

「欲しいで止めろ」

 ユリネが言う。

「……欲しい」

 ミナギが言い直して、苦笑いした。

 言い直せるなら勝ち。雑でも勝ち。


 結び家の戸を開けると、台所の匂いが待っていた。

 匂いがあると、朝市の喧騒が体から抜ける。

 抜けると、手が落ち着く。落ち着くと、落とし物が減る。たぶん。


 コトが籠を置いて言った。

「今日は、皿で回した。箱は、欲しいで止めた」

「止めたのが偉い」

 タケルが真顔で言った。

「褒めるな」

 ユリネが刺す。

「でも褒めないと、次、止まれない」

 タケルが引かない。

「……褒めるのは一回」

 ユリネが言った。

「一回!」

 レンカが元気に復唱して、自分で口を押さえた。増やさない努力。えらい。


 ハルが小さく息を吐く。

「……今日は、落ちても戻った」

 シノがぼそり。

「……きれいだった」

 髪留めのことだろう。

 誰も追いかけない。追いかけるとまた落ちる。今日は終わりにする。


 鍋が鳴り始めた。

 朝市は終わって、生活が始まる。

 生活が始まるなら、勝ちだ。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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