第20話 ゴミ集積
朝は、片付けから始まる日がある。
昨日の朝市の袋が、壁際でちゃんと口を外に向けている。えらい。えらいのに、そこにまだ「あとで」が残っている。
あとでは便利で、危ない。
「……今日、集積、初日だ」
ユリネが言った。
“集積”と言った時点で、空気が少しだけ引きつる。
誰も嫌な顔はしない。嫌な顔をすると、嫌なものが増える。増えるのは、だめだ。
庭を抜けて、町の端の方へ歩く。
まだ冷たい石畳の上に、朝の影が長い。
影が長い日は、置き場が目立つ。
角を曲がったところに、それはあった。
石壁のくぼみ。
低い囲い。
そして、板が一枚だけ下がっている。
『分けて置く』
それだけ。
説明がない。説明がないのが、ここの強さでもあり、怖さでもある。
板の前に、山があった。
山、というと立派すぎる。
でも、立派だった。
布袋。木箱。割れた器の欠片。紐の束。紙くずみたいなもの。何かの外側だったもの。
全部が「たぶんこれ、捨てるやつ」として集められて、ちゃんと山になっている。
山の空気は、臭いというより「昨日の外」だ。
湿っていて、乾いていて、どっちでもない。
どっちでもないから、みんなが“置ける”と思ってしまう。
「……山、できてるね」
コトが感想を言った。感想が軽いのが救いだ。
レンカはもう、両手をわきわきさせている。
「私、崩す! ほら、ここ、通れないよ!」
「崩すな」
ユリネが即座に言う。
崩す、は正しい。通れないのも正しい。
でも、崩すともっと通れなくなる日がある。
今日はその顔をしている。
タケルが山の端を覗き込んだ。
「これ、いつ回収されるんだろ」
「知らない」
ユリネは言い切る。知らないものは知らないと言う。そういう強さがある家だ。
ハルは囲いの内側と外側を見比べて、ぽつり。
「置き場は……あるのに」
「置く人が増えると、山になる」
ユリネが淡々と返す。
悪意ゼロの山だ。だから手ごわい。
そこへ、横道からおじさんが籠を抱えて来た。
顔は困っていない。むしろ誇らしげだ。
「お、結び家か。ここで合ってるよな? 今日からだろ」
「合ってる」
ユリネが頷く。
おじさんは籠を山の上に、えい、と置こうとした。
置こうとした瞬間、山の上の紙くずがふわっと舞って、布袋がずる、とずれた。
ずれる、が見えた時点で、レンカの体が前に出る。
前に出るのは優しさだ。優しさが前に出ると、事故が近い。
「待て」
ユリネの声だけが先に刺さる。
レンカが止まる。止まれるのが、えらい。
コトが笑って、おじさんの籠の底を指さした。
「それ、山の上に置くと、落ちるやつ」
「え、でも、置き場だろ?」
「置き場は、置ける数と置きたい数が同じじゃないと、負ける」
コトの言い方が妙に真面目で、おじさんが笑った。
「なるほどな。じゃあ、どこに置けばいい?」
「……順番」
ユリネが言った。
順番、の一語で場の空気が少しだけ整う。
ユリネは囲いの角を指さした。
角の石に、小さな欠けがある。欠けは、今日も役に立つ顔をしている。
「欠けまで。そこより奥に押し込むな」
「押し込むな?」
「押し込むと、山が動く」
おじさんは「おっけ」と言って、籠を欠けの手前にそっと下ろした。
そっと、ができる人は強い。
……しかし。
強い一人がいても、朝は増える。
次の人が来た。
次の人も籠を持っている。
さらに次も。
みんな「置き場ができた」をちゃんと覚えている。覚えているのに、置き方がまだ揃っていない。
「ここに置けばいいんだよね」
「分けて置くって書いてあるし」
「分けた! 置いた! 勝ち!」
勝ち、は危ない言葉だ。
勝った気がすると、人は追加で持ってくる。
レンカが山を見上げて、息を吸った。
「……私、分ける! もっと分けたら山にならない!」
「増やすな」
ユリネが即座に言う。
「分け方を増やすと、戻し方が増える」
戻し方。
今日はそれが主役だ。
そのころ、遠くから小走りの足音が近づいてきた。
ミナギだ。息が白いまま、手に細い縄を持っている。
「やべ、ここ、もう山だな! 縄、張っとく?」
「張るな」
ユリネが即答する。
「張ると、道が増える。道が増えると、迷う」
ミナギが「うっ」と詰まって、次に肩をすくめた。
「じゃあ、縄は持って帰る。……あ、欠け、あるな」
「欠けで十分だ」
欠けがあれば、線が引ける。
線が引ければ、人は止まれる。
そのとき、子どもの声がした。
「わー!」
声の方向を見ると、近所の小さい子が二人、囲いの前で跳ねている。
目がきらきらしている。きらきらは危ない。
「山だ!」
「宝だ!」
宝、はもっと危ない。
宝と言われた瞬間、レンカの顔が“守りたい”に変わった。守りたいの方向が違う。
「宝じゃないよ! これは……これは……えっと……」
レンカが言葉に詰まった。詰まると、善意が出る。
タケルがすぐに乗る。
「宝探しってことにすると、片付けが早いかもしれない」
「正論で殴るな」
ユリネが言った。
正論は刺さる。刺さると泣く。今日は泣かせない係だ。
コトが小さい子の前にしゃがんで、指を一本立てた。
「宝探ししていい。だけど、順番がある」
「順番!」
小さい子が復唱する。復唱は札になる。札がなくても札になる。
ハルがぽつりと言う。
「……動かすと、山が動く」
「山が動くと、道が消える」
ユリネが続けた。
道が消える、は分かりやすい。
分かりやすい言葉は、子どもにも効く。
……効くはずだった。
小さい子の片方が、山の端から覗くように手を入れた。
指先が何かをつまむ。
その瞬間、上の布袋が、ずる、とまた動いた。
「あっ」
誰かの声が重なった。
布袋が滑る。
滑った布袋が、下の木箱に当たる。
当たった木箱が、囲いの縁に乗り上げる。
乗り上げた縁が、道側へちょっとだけ出る。
ちょっとだけ、が一番危ない。
ちょっとだけ出ると、人が避ける。避けた人が別の人にぶつかる。
ぶつかりそうになって、誰かが咄嗟に手を伸ばす。
伸ばした手が、山に触れる。
触れると、また動く。
善意が、山を揺らす。
「わっ、落ちる!」
レンカが言って、両手で布袋を支えた。
支えた瞬間、別のところが崩れそうになる。
支えは正しい。支えは、次の崩れを呼ぶことがある。
コトが小さい子の肩をそっと引く。
「はい、宝は一回やすみ。今は“戻す”が先」
「戻す!」
小さい子がまた復唱する。復唱が増える。増えるのはいい復唱だけにしたい。
タケルが腕を広げて、人の流れを一本にする。
「こっち通って! こっちは“見る”! こっちは“置く”!」
偉そうに聞こえる。偉そうなのに助かる。
ちょっと偉そうは、子どもに必要だ。
しかし、山はまだ動いている。
動いている山は、こちらの都合で止まらない。
止まらないから、手順で止めるしかない。
ユリネが一歩だけ前へ出た。
前へ出るだけで、レンカの肩が少し落ちる。
ユリネがいると、怒らないで済む気がする。たぶん、怒らないで済む。
「……触る順、運ぶ順、戻す順。以上」
短い。
短いのに、頭の中に線が引かれる。
「触るのは、二人まで」
ユリネが言った。
レンカが即座に手を挙げる。挙げるな。挙げると増える。
「……レンカと、ハル」
ユリネは挙げた手を無視して決めた。
無視は冷たい。でも、ここでは優しい。
レンカが「はい!」と返事をして、布袋の支え方を“軽く”に変えた。
力を抜くのは難しい。難しいのにできるのが、結び家の強さだ。
ハルは山の端の木箱をそっと押さえる。
押さえ方が「動かないように」じゃない。
「動くなら、こっちへ」と誘導する押さえ方だ。
慎重な子は、山にも優しい。
「運ぶのは、道一本。走るな」
ユリネが言う。
タケルが頷く。頷いて、腕を広げる位置を少し変える。
道が一本になる。
「戻すのは、欠けまで。欠けから先は“置かない”」
ユリネが欠けを指でとん、と叩く。
欠けは今日も札だ。
コトが声を張る。
「欠けまで! 欠けから先は置かない!」
復唱が広がると、誰も悪くないのが見える。
見えると、手が揃う。
ミナギが運び列の後ろに回って、手のひらをぱん、と鳴らした。
「はい、渡すのはここ! 受け取ったら、壁際! 壁際は“置く”!」
声が明るい。明るい声は、怒りの代わりになる。
レンカが布袋を持ち上げる。
持ち上げ方が丁寧だ。
丁寧な持ち上げは、山を怒らせない。
「これ、運ぶ!」
「運ぶのは一個ずつ!」
コトが即座に言う。
「一個ずつ!」
レンカが復唱する。
言えたのがえらい。
ハルが木箱を少しだけ引く。
引いて、囲いの内側へ戻す。
戻す、は地味だ。地味だからこそ、えらい。
タケルは運び役の列を作る。
列と言っても棒はない。腕と目と、足元の線だけだ。
それで十分。
小さい子たちは、宝探しの顔のまま、でも手を引っ込めている。
引っ込められるのが強い。
「宝は……?」
小さい子が聞く。
聞く声がかわいい。かわいいのは許される。
でも、ここで許すと山が勝つ。
ユリネが短く言った。
「宝は、あとで。今は道」
道、と言われると、子どもは納得する。
子どもは道が好きだ。道は走りたくなるから好きだ。今日は走らない。
少しずつ、山が小さくなる。
小さくなると、空気が軽くなる。
軽くなると、誰かが言いたくなる。
「これ、まだ使えそう」
レンカが言いかけた。
言いかけた瞬間、ユリネが目だけで止めた。
止められたレンカは、唇を噛んで、頷いた。
頷けるのが強い。今日は“使える話”を広げない日だ。
山の端が見えてきた。
囲いの底の石が、ようやく見える。
石は冷たい顔をしている。冷たい顔なのに、助けてくれる。
そして、囲いの外の道が戻る。
戻ると、通れる。
通れると、みんなが息を吐く。
息を吐いたところで、また一人、籠を抱えた人が来た。
来た人は山の名残を見て、目を丸くする。
「あれ……もう、いっぱい?」
「いっぱいじゃない。欠けまで」
コトが即答する。
「欠けまで?」
「欠けまで。置くなら、欠けの手前。押し込まない」
来た人は笑って、籠をそっと下ろした。
「分かった。押し込むと、山が動くんだな」
「そう」
ユリネが頷く。
頷かれると、人はちゃんと守る。
最後に残ったのは、細い紐の束だった。
紐は絡む。絡むものは、最後に残る。
最後に残るものは、だいたい次の事故の芽だ。
レンカが紐を持ち上げて、目をきらきらさせた。
「これ、縄にできる! 干し紐、増やせる!」
「増やすな」
ユリネが即座に言う。
レンカが「うっ」と詰まって、次に笑った。
「……はい」
笑えるなら、勝ちだ。
ユリネは囲いの前の板を見た。
『分けて置く』
それだけの板に、今日はもう一行足したくなる。
足したくなるのが、いちばん危ない。
「……足すな」
ユリネが自分に言うみたいに呟いた。
ミナギが「うん、足すと欄になる」と訳の分からないことを言って、コトが笑った。
分からないまま笑えるのは、平和だ。
「分けるのは簡単。戻すのが難しい、だね」
コトが言う。
「そうだ」
ユリネが頷く。
「だから、順番が要る」
手が汚れている。
汚れた手は、生活の合図だ。洗えばいい。洗えば、飯が食える。
結び家は手を洗いに戻る。
帰り道、タケルが小さい子に言った。
「宝探し、あとでやるなら、道を守れる?」
「守れる!」
「じゃあ、宝は“順番”だな」
「順番が宝!」
小さい子が大声で言って、周りの大人が笑った。
笑いがあるうちは、回る。
結び家の戸を開けると、台所の匂いが迎えた。
鍋が、ようやく鳴れる顔をしている。
レンカが真っ先に桶へ向かって手を洗う。
泡が立つ。泡は軽い。軽いのに、今日はちゃんと重たい仕事をした気がする。
コトがその泡を見て、ぽつりと言った。
「山、減ったね」
「減ったのは山。増えなかったのは怒り」
ユリネが返す。
タケルが腕をぶんぶん振って笑う。
「怒りが増えると、欄が増えるってことか」
「分からないまま使うな」
ユリネが言って、みんなが笑った。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」




