第13話 外圧② 役人来訪(昼)
封書は箱の中で、角ばったまま黙っていた。
黙っているのに、そこにあるだけで台所の空気が少しだけ“よそ行き”になる。
だから結び家は、毎朝いちどだけ箱の前で深呼吸をすることにした。
決めたのはユリネで、最初にやってみせたのはハルだった。
「……すー」
欠け桶の隣。
目印の隣に置かれた小箱の前で、ハルが静かに息を吸う。
その真似をコトがして、タケルが照れながらして、レンカが大げさにやって、シノがちいさく笑った。
「よし。息できるなら飯」
ユリネが言う。
そして札を引く。
「1、飯」
札があると、助かる。
封書がいても、生活が先に回る。
その日の昼は、いつもより湯が早かった。
理由は簡単で、みんなが“汚れてると来客が怖い”と思ったからだ。
怖さを掃除で薄めるのは、結び家の得意技になりつつある。
「玄関の内側、拭いた!」
「床も!」
「柱の札も、揃えた!」
「……桶、戻した」
報告が飛び交う。
報告が飛び交うと、危ない。走り始める前兆。
ユリネが、鍋の蓋に手を置いたまま言った。
「報告は一回でいい。順番」
「順番!」
レンカが反射で返して、口を押さえた。
返事が反射になってるのは、ちょっと面白い。
面白いのに、ちゃんと役に立つ。
そして、来た。
玄関の外で、昨日と同じ“迷いのない足音”。
ただ、今日は一人じゃない。
足音が二つ。重さが違う。片方は紙束の音がする。
コトが扉に近づきかけて、途中で柱を見る。
札を引いてないのに、見た。良い癖だ。
「……今は?」
レンカが小声で訊く。
ユリネが札を一枚引く。
まるで、来客に見せるみたいに。
「2、湯」
「……湯の途中だと、どうするの」
タケルが訊く。
ユリネは即答した。
「扉は開ける。話は玄関で聞く。奥に入れない。湯は逃げない」
「湯は逃げない」
ハルが復唱した。
復唱があると、扉が少し軽くなる。
コトが扉を開ける。
外に立っていたのは、背筋のまっすぐな大人の人が二人。
一人は封書を渡した人。もう一人は少し年上で、目が“帳面”の形をしている。
「結び家の者か」
年上の方が言った。声は冷たくない。一定の温度。
一定の温度は、やっぱり怖い。
「はい。結び家です」
コトが答える。答える声が、昨日より落ち着いている。札のおかげだ。
「訪問の告知に来た。昼の時間で少し、確認をさせてもらう」
「確認……」
シノが小さく呟く。
その声が、玄関の内側に吸い込まれて消える。
年上の人は紙束を取り出した。
紙束の角が、きっちり揃っている。
角ばったものは、結び家の善意を“ちゃんとしなきゃ”に寄せる。
寄せると、暴走する。
「ちゃんとする!」
レンカが言いかけて、ユリネが袖をつまんだ。
つままれると止まる。止まると守れる。
「外で聞く。ここまで」
ユリネが前に出た。
前に出る時のユリネは、鍋の蓋じゃなくて“生活”そのものの顔をしている。
「中は湯が立ってる。玄関でいいなら聞く。奥には入れない」
「問題ない。玄関で十分だ」
年上の人は頷いた。
頷き方が、仕事の頷きだ。
質問は短かった。
でも短い質問ほど、心は勝手に深読みしたがる。
深読みすると、怖さが増える。
怖さが増えると、生活が折れそうになる。
「ここに住む者の人数」
「五人」
ユリネが答える。
「日中、外に出る者はいるか」
「いる。必要なら」
“必要なら”がつくと、守りがある。
ユリネの言葉にはいつも守りがある。
「生業は」
「生活を回す。必要な仕事は分け合う」
帳面の形の人が少し眉を上げた。
たぶん、答えが固い。固い答えは嘘じゃない。
「……登録の必要性は理解しているか」
この質問で、レンカが一瞬だけ眉を寄せた。
“必要性”という言葉が、レンカの善意を刺激する。
刺激すると「じゃあもっと頑張る!」に繋がる。
頑張りは大事だが、今は頑張り方が違う。
ユリネが、ゆっくり言った。
「理解した。だから封書は預かった。だから準備してる」
“だから”が三回。
だから、生活が続いてる。だから、崩れてない。
帳面の人は小さく頷いた。
「当日は、代表者が一名。必要書類は――」
「待て」
ユリネが手を上げた。
止めるのは勇気だ。勇気があると、順番が守れる。
「“書類”が何か、ここでは分からない。分からないまま走ると、崩れる」
「分からない……」
ハルが復唱して、息を吸う。
深呼吸の癖が、もう守りになっている。
帳面の人が、紙を一枚差し出した。
紙は封書ほど重くない。だが角はやっぱりきっちりしている。
「必要項目の一覧だ。難しければ、当日こちらが読み上げる。準備できる範囲でよい」
“できる範囲でよい”。
その言葉が、玄関の空気を少しだけ柔らかくした。
柔らかくなると、結び家の善意は「よし、生活に戻ろう」と思える。
ユリネが紙を受け取った。
受け取り方が、鍋敷きを受け取るみたいに丁寧だった。
丁寧だと、怖さは暴走しない。
「日時は」
「三日後の昼。日が高い頃だ」
三日後。
具体的な日付は言われていないのに、“三日後”という形があるだけで、怖さが小さくなる。
形があると、人は準備できる。
帳面の人は最後に言った。
「無理はしなくていい。だが、逃げるな」
逃げるな。
言い方は強い。けれど、怒鳴っていない。
仕事の言葉だ。
「逃げない」
ユリネは短く返した。
扉が閉まる。
足音が遠ざかる。
遠ざかった瞬間、結び家の中の空気が一斉に“ふう”になる。
「ふう……!」
レンカが大げさに息を吐いて、コトが笑ってしまう。
笑うと空気が軽くなる。軽くなると、次の暴走が来る。
来る前に、ユリネが札を見た。
「2、湯」
「湯、逃げない!」
レンカが叫んで、今度は叫ぶのが正しい方向だった。
タケルが笑って、シノが肩の力を抜き、ハルが欠け桶の方を見る。
欠け桶の隣の箱は、今日は開けない。
今日は、紙一枚だけを“生活の紙”として扱う。
「紙、ここに置く」
ユリネが台所の柱の横に、小さな板を置いた。
板の上に、さっきの一覧を置く。
箱じゃない。閉じない。
見えるところに置く。見えると、怖さは想像に走らない。
「これが今日の“確認”だ。全部やらない。読むだけ。読んで、分からないところは丸をつける。丸はコト」
「丸、得意!」
コトが元気に返す。元気が良いが、今は走ってない。札が効いている。
「タケルは紙を押さえる。レンカは鉛筆を折るな。シノは静かな目で見る。ハルは……」
ユリネが一瞬止まって、ハルを見る。
「……深呼吸の合図」
「……すー」
ハルが小さく吸う。
その合図で、全員の肩が下がる。
湯のあと、みんなで紙を眺めた。
声に出して読んだのはユリネ。
丸をつけたのはコト。
紙を押さえたのはタケル。
鉛筆を折らずに持っていたのはレンカ。
静かな目で見ていたのはシノ。
そして、要所で「すー」を入れたのはハル。
分からないところは、ちゃんと残った。
残るのは悪いことじゃない。
分からないを分からないままにしておけるのは、生活の強さだ。
「三日後までに全部、ってわけじゃないんだね」
レンカが言う。
「わけじゃない。だが、今日の分だけ進める」
ユリネが言う。
今日の分だけ。
それが結び家の守り方。
夕方、庭には干した布が揺れていた。
昨日の洪水の名残はもう薄い。
薄い名残があるくらいが、ちょうどいい。思い出せるから。
夜、飯。
飯のあと、湯。
湯気の向こうで、ユリネが言った。
「よし。生きた。寝ろ。三日後は三日後の札で回す」
「札、回す!」
レンカが元気に返して、タケルが「飯は逃げない」と笑う。
コトは柱の札を揃え直し、シノは紙の角を揃え、ハルは欠け桶の隣を見てから、静かに頷いた。
外圧は、角ばっている。
でも結び家は、丸い角を作れる。
札の角みたいに、生活で少しずつ。




