第12話 外圧① 封書直撃
結び家の朝は、だいたい「札」から始まるようになった。
柱に掛かった束を見て、誰かが一枚引く。
引いた札に合わせて、みんなの足が同じ方向へ向く。
たったそれだけで、家の中の“走り出し”が丸くなる。
「1、飯!」
レンカが声を上げる。声を上げるのはいい。今日はちゃんと札を見ている。えらい。
「……2、湯はあと」
コトが続けて、手を洗いに行く。
タケルは「3、洗」を見て頷き、昨日の残りをさっと片づける。
シノは札を戻す手つきが丁寧で、ハルは指を折って数えるのをやめて、札を見るだけで落ち着けるようになっていた。
順番が回ると、家は静かに強い。
強い家に、封書が来る。
玄関の外で、控えめな足音がした。
控えめだけど、迷いがない足音。
結び家に用がある人の足音だ。
「……誰か」
ハルが言って、欠け桶が置かれている方を見る。目印。
目印の近くに人が来ると、体が勝手に構える。
コトが扉に近づきかけて、途中で柱を見る。
「……今、飯。だから、対応は……」
札の束から、レンカがすっと一枚引いた。
レンカの“走り”が、札で止まるようになっている。
「対応の札、ない!」
「ないなら作るな」
ユリネが椀を置いて言った。
声は平らで、落ち着いている。
「飯が終わってから開ける。扉は開けるが、話は聞かない。順番だ」
「……扉は開ける」
シノが復唱して、少しだけ安心した顔をした。
閉め切るのは怖い。開けるのは怖い。
でも「扉は開ける。話は後」があると、怖さが小さくなる。
コトが扉を開ける。
外に立っていたのは、見慣れない大人の人だった。
背筋がまっすぐで、服の布地が固そうで、視線が“仕事”の形をしている。
そして、その手には封書があった。
「結び家、宛てで間違いないか」
大人の人の声は冷たくはない。
ただ、温度が一定だ。
一定の温度は、結び家の善意にとって少しだけ怖い。
「……はい。結び家です」
コトが答える。
答えながらも、柱の札が頭の中で光っている。
光っているうちは走らない。
「預かり物だ。受け取ってくれ」
封書が差し出される。
紙は厚い。端が揃っている。角がきっちりしている。
「きっちり」が手の中に入ってくると、レンカが思わず身を乗り出した。
「それ、何!?」
「……レンカ、順番」
ユリネが言う。
レンカの足が止まる。止まった瞬間、封書の“重さ”だけが残る。
コトが両手で封書を受け取った。
封の部分には、固い印。お堅い印。
見ただけで「ちゃんとしろ」と言われた気がする。
「中身は、確認しておけ。……今日はこれだけだ」
大人の人は、それだけ言って、踵を返した。
立ち去る足音もまた、迷いがない。
扉が閉まる。
扉が閉まった瞬間、結び家の空気が一斉に膨らんだ。
「開ける!?」
「開けたい!」
「今すぐ!」
「……あける?」
四つの声。
声が揃うと危ない。
揃った声は、洪水の前兆だ。
ユリネが、鍋の蓋を叩くかわりに、柱の札を指で弾いた。
「札」
コン、と小さな音。
「1、飯だ」
言い切ると、家の中の熱が少しだけ下がる。
下がるけど、封書は机の上で存在感を出し続ける。
存在感があると、目が吸われる。目が吸われると、心が走る。
レンカが封書を見つめたまま、椀を持った。
「……食べながら見ちゃだめ?」
「だめ」
ユリネは即答した。即答が早いほど、家は助かる。
「こぼす。汚す。読めない。勝手に想像する。全部だめだ」
勝手に想像する。
その言葉に、シノがぴくりと肩を揺らした。
想像は怖い方向へ行きやすい。
怖さが先に立つと、生活が回らなくなる。
コトが封書を裏返した。裏返すだけで、文字が見えなくなる。
見えないと、少しだけ息ができる。
「……まず、飯」
「まず、飯」
タケルが復唱する。
ハルも小さく頷いた。
飯が回った。
スープが温かくて、パンがちょうどいい量で、昨日より静かな朝。
静かな朝のまま、次に進む。
ユリネが立ち上がって、札を引いた。
「2、湯は後だ。3、洗は後。今日は――」
ユリネは一枚、札を増やしていないのに、増やしたみたいな顔で言った。
「“確認”を挟む」
「確認の札ないのに?」
レンカが言いかけて、すぐ口を閉じた。自分で気づいた顔だ。えらい。
「札がないなら、口で挟む。だが順番は崩さない」
ユリネは封書を机の真ん中に置いた。
置き方が、鍋を置く時と同じだった。
“生活のもの”として扱うと、怖さが減る。
「開けるのは、全員揃ってから。読むのは、声に出す。止めたくなったら止める。分からなかったら分からないで置く」
「置く……」
ハルが呟く。
置ける、という選択肢は強い。
結び家の順番は、そういう強さで回る。
封が切られる。
紙が開く音は小さいのに、家の中では大きく響いた。
中には、きっちりした紙が一枚。
文字が整っていて、余白が少なくて、言葉が“仕事”の形をしている。
ユリネが読み上げる。
「――結び家、関係者各位。登録に関する確認のため、追って訪問する。日時は後日告知。必要書類の準備を……」
レンカが口を尖らせた。
「登録って、何」
「……お堅いやつ」
タケルが言う。タケルの“お堅い”はだいたい当たる。
シノは紙の端を見つめて、小さく息を吸った。
「準備……」
その一言に、コトがすぐ反応した。
「準備なら、できる! 札作ったし!」
「札は準備じゃない」
ユリネが釘を刺す。
刺しながらも、声は落ち着いている。
「準備は、まず確認だ。何が必要で、何がないか。……そして、今日の生活を回す」
生活。
封書に引っ張られすぎると、生活が折れる。
折れると、結び家の強さが消える。
消えた強さのところに、外圧は刺さる。
「確認の順番、決める」
コトが言った。
言い方が、すごく結び家らしい。
「いきなり全部やらない。今日できる分だけ」
「……できる分だけ」
ハルが復唱する。
その復唱が、家を守る柵になる。
ユリネは紙を畳んで、封書に戻した。
戻す動作が、乱暴じゃない。
乱暴じゃないと、怖さは暴走しない。
「よし。今日は“保留箱”だ。封書はここに入れる」
「箱、ある?」
レンカが訊く。
「ある。……欠け桶の隣」
ユリネが言うと、タケルが「目印の隣か」と頷いた。
欠け桶の隣は、結び家の“忘れない場所”だ。
封書は、小さな箱に入れられた。
箱の蓋が閉まる。
閉まっただけで、呼吸が戻る。
その日の午後、結び家は“生活の準備”をした。
洗濯を少し丁寧にして、床を拭いて、柱の札を揃え直して、来客が来ても慌てないように玄関の周りを整えた。
整える作業は、怖さを薄める。
「ねえ、来るのはいつ?」
レンカが訊いた。訊き方が、少しだけ小さい。
「書いてない」
ユリネが答える。
「じゃあ、分からない?」
「分からない。だから“今日”を回す。明日の札は明日引く」
コトが、うん、と頷いて、干し終えた布を取り込んだ。
タケルがそれを畳む。
シノが端を揃える。
ハルが静かに積み重ねる。
夕方、湯が沸いた。
湯気が上がると、封書の角ばった印が、少しだけ遠くなる。
風呂場の端に、欠け桶。
その隣の箱に、封書。
「……目印、ふえた」
ハルが言った。
「増えたな」
ユリネが笑う。
「だが、増えすぎない。目印が多いと迷う。だから札を回す」
「札、回す!」
レンカが元気を取り戻す。
元気が戻ったなら、今日は勝ちだ。
「よし。生きた。寝ろ」
ユリネの締めで、結び家の夜がちゃんと丸くなる。
外から来た角ばった紙も、生活の箱にしまわれたまま、今夜は静かに眠っていた。




