C級昇格依頼 03
巨大な蜘蛛の影が、私を覆っていた。
先ほどまでのダークスパイダーと比べて、軽く五倍はある。全身を覆う黒光りする甲殻は岩のように硬そうで、八本の脚が一本動くだけで土煙が舞い上がった。脚先が地面に突き刺さるたびに、周囲がぐらりと揺れる。
「……大きすぎる……!」
私は息をのんだ。
伊緒と未紀は、すでに銀色の糸に絡め取られていた。岩肌に叩きつけられるように固定され、必死に身をよじっているが抜け出せない。
二人を助けたいのに、私の体は鉛のように重く、思うように動かない。
蜘蛛はぎちぎちと顎を鳴らし、紫色の粘液を滴らせながら近づいてくる。吐き出される息は生臭く、鼻の奥を刺した。獲物を前にしている捕食者の目。私を真っ直ぐに見据えている。
八本の脚が同時に地を踏み鳴らすと、洞窟全体が震えた。
「動け、動いてよ!」
頭の中で叫んでも、体が思うように動かない。
――動けない。
その感覚は、痛いほど知っていた。
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私の体は、病気によって少しずつ自由を奪われていった。
初めは走るときに転びやすくなった。
次は階段を上るのに時間がかかるようになった。
それでも「気のせいだ」と思い込もうとしたけれど、現実は容赦なく迫ってきた。
やがて診断の言葉を告げられた――筋ジストロフィー。
治す方法はなく、ゆっくりと体は弱っていった。
日々の暮らしは少しずつ削られていった。
ボタンを留めるのに苦労し、コップを持つ手が震え、思うように字も書けなくなった。
誰かに助けを頼むことが増えていくたびに、「またできなくなった」という実感が心を刺した。
最初はそれでも笑おうとした。でも、できないことが積み重なり、やがて布団から起き上がることすら困難になった。
寝返りひとつ打てず、視界に広がるのは天井ばかり。声もかすれて、思うように話せない日もあった。
――どうして自分だけ。
そんな思いが、胸の奥で黒い泥のように溜まっていった。
でも、あの二人と出会って、世界は少し変わった。
伊緒と未紀。病院で、いつの間にか寄り添ってくれた友達。
私がゆっくり話すのを根気強く聞いてくれて、たわいない冗談で笑わせてくれて。
できなくなったことを数える毎日から、「まだできること」を探す毎日に変えてくれた。
――二人がいたから、私はまた生きていると感じられた。
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だから。
だからこそ、今。
目の前でその二人が蜘蛛の糸に絡め取られ、苦しそうにもがいているのを、ただ見ているなんて――絶対にできない。
「いやだ……」
唇が震える。
体が動かなくなる恐怖は、もう知っている。
二人を失う恐怖の方が、何倍も怖い。
「伊緒……未紀……!」
胸の奥から熱が突き上がる。
硬く錆びついていた体が、音を立てて外れていくように、力が全身に巡っていく。
視界が光に包まれた。
指先に、脚に、羽のような軽さと力強さが同時に宿る。
これは――。
私は確かに聞いた。心の奥で、鮮やかに響いた声を。
――ユニークスキルが覚醒しました。《飛躍遊演》




