安楽椅子聖女
期限までに答えが出ればいい、とは言われたものの、1秒たりとも時間は無駄に出来ない。
私は、カヴラグル王により招集された文官が来るなり、地図を広げ説明を求めた。
記憶に薄らとある、ミュリアでみた地図より範囲が広く、詳細な地図。この時代、国家機密と言ってもいい他国の地図を持っているのは、それだけ、カヴラグルが情報を集める力があることの証拠だ。
「トルイス帝国って、本当に大きいんですね」
ミュリアに隣接していることは知っていたが、トルイス帝国の広さは予想以上だった。星の大きさがわからないが、今見ている世界地図の三分の一はトルイス帝国だ。
思わず、感嘆の声を漏らすと説明役の文官は、白い髭を軽く梳きながら頷いた。
「元々は今の半分以下の領土でしたが、この百五十年で周辺国を次々支配下に置き、今や大陸の大半を占めております」
でも、面積の割に、海には面してない。島国育ちの日本人としては、陸地ばかりなのは少々寂しい気持ちになる。大陸に住んでる人からすると、普通なのかもしれないが。
教えてもらった地形を考えると、北側は殆ど崖のようになっているので、青い海に白い砂浜、と言った光景は見られないらしい。
いざ海を見られないとなると残念だな、と改めて思うと同時に、今迄はそんなことを考えなかったことに気付く。
「…………ミュリアには、海がある」
「そうですな。ミュリアは山から海へと流れる、2本の河川に囲まれた国。豊かな土壌が特徴の農耕国家ですから」
ミュリアは大きな国ではない。王都と海も近く、川は運河としても使われており、物流は発達している方だろう。
だから、海のものも気軽に手に入った。が、トルイスは違う。海産物が全く取れないわけではないだろうが、海の恩恵を享受できているわけではない。
もしかすると、港が欲しいのかもしれない。それが原因で戦いが起こることは、地球の歴史が証明している。
でも。再び地図に目線を落とす。
「西側なら港を作れるはず。なんで首都からも遠いミュリアに?」
大陸の北と、西の一部を領土としているトルイス帝国。その西側は、国土の割に狭いとはいえ、港にできそうな地域もある。
西側の方が元々の領土、つまり王都からも近いし、わざわざ遠いミュリアを攻める理由が薄い気がする。
恐らくだが、戦争に掛かるお金より、港を作るお金の方が少ないだろう。そう思ったのだが、文官はゆるゆると首を横に振った。
「西の海には出られないのですよ」
どういうことだろうか。じっと地図を見るが、物理的に塞がっていて、海に出られない訳ではない。
「潮の流れが速いとか、ですか?」
「それもありますが……。技術では解決できない、問題があるのですよ」
「問題?」
首を傾げると、聖女様はご存知ないのですね、と文官は困ったように眉を下げた。
「トルイスから西には、島が一つあるでしょう」
「この、えっと、イオルシア、ですか?」
小さな島だ。国というよりも、県というか、市か街といった程度の大きさしかない。
そんな小さな国によって、トルイス帝国は海上進出を阻まれているらしい。
「物凄く、軍事力が高いとかですか……?」
島国なので、船の開発に力を入れているのかもしれない。そう尋ねるが、その国は特別発展しているわけではなく、寧ろ古き良き、自然と共存する暮らしをしているそうだ。
その国には二年前、ミュリア同様、トルイス帝国の魔の手が伸びた。皇女を嫁がせ傀儡政権とし、海上進出の拠点とする予定が、逆に進出を諦めることになった。
「その国は海神に守られておりまして。聖女の祈りにより、帝国の船は近付くことすら出来なくなったのです」
帝国の野望を阻んだのは、島の聖女。王太子の元婚約者だった彼女は、皇女の策略に気付き、そして命を賭けて島を守る奇跡を起こしたのだという。
海神は聖女の祈りに応え、島に危険な存在を寄り付かせないよう、海を操っているのだ。
「そんなことが……」
本当に、可能なのか。ミュリアにいた頃は、聖女は存在するだけで豊穣をもたらすと言われていた。
だが、作物の成長は、その年の気候や土壌の状態にもよる。私は正直、国民の意識が変わるだけだと思っていた節もあった。
「聖女の祈りは、神をも動かしますからね」
だが、この世界では、聖女とは、そんな力を持った存在なのだ。ならば、異世界から来た、特別力の強い聖女である私が、本気で祈れば。
脳裏に、戦いに出る前の、イリガードの背中がチラついた。知っていれば、何か、違ったのだろうか。
そう思っても、過去は変わらない。私は首を横に振った。
◇
トルイスが、ミュリアを支配下に置きたい理由が、港だとして。現在ミュリア王国内で起こっている問題と、開戦理由については何もわかっていない。
「現時点で、カヴラグルが調べた情報を教えていただけますか」
翌朝、伝令役に調べてほしいことを伝え、情報の取りまとめをする文官に、既にわかっていることを確認する。
往復だけで六日掛かるのだ。二ヶ月という期間は長いようで全く時間が足りない。
既存の情報は今日中に頭に叩き込み、明日以降、更に詳細な指示を出さなくてはならない。
「は。王太子の子息は、カンス侯爵家が後見としてついております。母親はカンス侯爵令嬢との考えられておりますが……」
カンス侯爵家。王都から見て、トルイス帝国より位置に領地がある。とはいえ、王都とは一つ二つ別の領地を挟む程度であり、国境には程遠い。
特別目立った点はなく、良くも悪くも、地味な家といった印象だった。が、思い当たる点が、一つだけ。
「カンス侯爵令嬢が、社交界に一切顔を出していないのですか?」
「はい」
私はミュリアの聖女として何度か夜会に参加したこともある。その時には、各家がこぞって歳の近い令息令嬢を紹介してきたからこそ、よく覚えている。
私や、イリガードと歳の近いはずのカンス侯爵令嬢だけは、一度も夜会に参加したことがなかったのだ。勿論、お茶会にも。
あまりに会えないものだから、気になって、一度だけ、私主催のお茶会に招待状を書いたこともあったが、体調不良で欠席だった。
「イリガードも、幼少期に一度、顔を合わせただけど言っていたはず……」
高位貴族たる侯爵家の令嬢として、面識はあるが彼女は幼少期から婚約も決まっていたため、それ以降会ったこともないと言っていたはずだ。
不自然なほど、公に会うことがなかったからこそ、イリガードの子を産んだのではと噂が立っているようだ。
「体が弱く、婚約者もいて社交の必要がないからと聞いていたけど」
別の思惑があり、姿を見せていないのだとしたら。厄介な相手である事は間違いないが、情報の少ない中、決めつけは視野を狭める。
頭を軽く横に振り、別の視点から考える。
「カンス侯爵家は、兵は持っていないはず。他家との関係も……」
噂に上ることも少ない家だったので、現時点では何もわからない。令嬢のことは知っているが、侯爵のことも、家族構成も殆ど知らないのだ。
「ひとまず、カンス侯爵令嬢と、侯爵家自体の調査は必要。開戦理由については……、軍のことは調べられますか?」
軍の情報は、機密事項だ。幾ら、事情があるとはいえ簡単には調べられないだろう。そう、思ったのだが。
返ってきた言葉は、あっさりとしたものだった。
「暫くお待ちいただければ、可能かと」
「…………そう」
それは、カヴラグルがミュリアを併合したら、ということである。
援兵を派遣するまで、二ヶ月あるというだけで。ミュリアの実権は既にカヴラグルにあるようなものだ。
「他に、気になる事はございますか?」
「……シノン・ジュダスという武官を呼び出す事はできますか。彼なら、何か知っているかもしれないから」
戦いの最中に起こったことを知れば、手掛かりになるかもしれない。そのためには、唯一の生還者である彼の話を聞く必要がある。
「畏まりました」
そう思い、優先的に呼び出すように、頼んでいたのだが。
「シノン・ジュダスが召集に応じない?」
六日経っても、十日経っても。そして、とうとう一ヶ月が過ぎても、一向にカヴラグルに来る気配がないのであった。
このままでは、情報が足りず、推理もできない。焦りのまま文官に確認するも、返事が変わるはずもなく。
「はい。どうやら、ミュリア国内で重要なポストに就いているようで……」
思ってもみなかった、ある意味、あり得ない状況に、間の抜けた声が出た。どうしたんですか、という文官に、苦笑いしながら説明をする。
「元々、ミュリア内では武官自体の評価が低いんです」
絵に描いたような、平和な農耕国家であったミュリアは、武力を殆ど必要としていない。
文官の方が評価が高いし、武官と言っても基本は訓練と見回りしかなく実践はない。たまに農家の作業の手伝いをするくらい、暇な職業と言われていた。
トルイスの攻撃により、武官が必要になったとはいえ、一応、将軍も存在はする。
「王太子を守りきれなかった咎めはなくとも、シノン・ジュダスが出世する可能性は低いかと思っていたので……」
出世する要素が微塵も思い当たらないのである。それを聞いた文官の表情が、少し暗くなった。
「それが……、現在、軍部の長となっているらしく」
「まさか……」
近年、カヴラグルをはじめとした近隣諸国の影響で、実力を評価するようになったとはいえ、ミュリアは階級社会だ。
男爵家出身である一介の武官が軍の中で重要なポストを任されるはずがない。
誰か、高官からの後押しがなければ。
「…………推薦したのは、誰?」
「それが……。カンス侯爵家のようです」
思わず、頭に手を当てた。あちゃあ、と声に出したい気分である。わかりやすくはあるが、最も面倒くさいパターンとも言える。
「血縁関係はあるの?」
「母親が、カンス侯爵家の婚外子です」
文官は、資料を差し出しながら言った。
「こちら、家系図になります」
「これは……」
男爵は恋多き人のようだが、貴族としての倫理観はあるらしく。第一夫人、つまりは正妻の子供が跡を継ぐので、シノンには継承権はないらしい。
それを憐れんだ母親が、カンス侯爵に働きかけたというところだろうか。カンス侯爵家は武官に伝手がない。都合が良かったのかもしれない。
それにしても、だ。
「……今、カンス侯爵家の縁者を高官にすれば、王家の子だと認めるようなものなのに」
国王陛下は、何を考えているのだろうか。カンス侯爵令嬢の子が、本当にイリガードの血を引いていると判断したのだろうか。
「ミュリア国王は、最近姿を見せていないようです」
精神的に参って外に出られないのか。いや、違う。そんな人ではない。イリガードに不幸があったからこそ、国内の安定の為に動くような人だ。
では、考えられる原因は。
「…………容態が良くないの?」
「確信はありませんが、軟禁か、毒を盛られている可能性はあるかと」
犯人は決まっている。カンス侯爵家の者だろう。王太子がおらず、国王も亡くなれば、真偽は兎も角、王家の血を引くと言われるカンス侯爵令嬢の子供も継承争いに参加できる。
そして、今の状況なら、本当に血を引いていなくとも、ゴリ押しで王位に付けることだって可能だろう。
「…………そう考えると、王太子、イリガードが死んだことも、初めから計画のうちだったのかも」
ボロボロの戦装束のまま、報告に来たシノン・ジュダスを思い出す。あの時、感じた違和感。混じっていた嘘が、今、やっとわかった。
状況報告に嘘はない。いや、言葉に嘘はなかった。聖女である私が、嘘を見抜くことを知っていたのだろう。だから、嘘を吐かなかった。
『帝国軍が兵を伏せていることに、もう少し早く気付けば……』
あの言葉だけ、引っ掛かったのは。伏せられた兵に気付かなかったのは、イリガード達だけだったからだろう。
ちりちりと、目の奥が熱くなる。
「……聖女殿」
文官が気遣うように私を見て言った。多分、酷い顔をしているのだろう。自覚はある。
すみません、と謝りながら頭を横に振り、意識を切り替える。今は、真相解明に集中するべきだ。
それが、一番の復讐になるはずだから。
「シノン・ジュダスとカンス侯爵家が関係しているなら、動機は納得がいきます。そうなると、後はトルイス帝国の関与を調べれば、答えは出るはず」
今迄、水面下で権力を握るための行動をしていたのなら。痕跡が残っているだろう。そうでなくとも、派手に動き出す前には、何か変化があるはずだ。
トルイス帝国に近い領地の貴族、または商会との関わり。後は、イリガードと同じ髪と目の色をした男が出入りしていないか。カンス侯爵令嬢の異性関係を洗えば、何かヒントがあるかもしれない。
そう、指示を出し、カヴラグル国王に提示された期限の、三日前。
全ての情報が、集まった。