交換条件
何も考えられず、ぼうっとしているうちに、イリガードの訃報から丸一日経過していたようだ。心配そうな表情を浮かべた侍女から、国王陛下から食事の誘いがあると告げられた。
国王夫妻と私だけの食事会だが、重要な話があるからと、久し振りにドレスに腕を通した。以前は苦しかった筈のコルセットが、今日は楽に付けられた。
顔色を隠すための化粧もしてもらい食堂へ向かうと、私以上に顔色が悪そうな国王夫妻が待っていた。
沈黙が重苦しく、全く味のしない食事をただ咀嚼する。暫くして、沈黙に耐えかねたのか、覚悟が決まったのか。国王陛下が顔を上げた。
「聖女殿。どうか、どうか。カヴラグル王国へと、嫁いで、もらえないだろうか」
「カヴラグル?」
聞き覚えのない単語だった。聖女に必要ないからか、ミュリア自体が他国と関わりが薄いのか、私は他国について聞いたことがなかった。
「トルイス帝国と反対隣に位置している国だ」
「何故、私が?」
トルイス帝国に攻められている今、隣国との関係が重要とはいえ、ミュリアの王族でも貴族でもない私が行く意味は薄い気がする。
「あちらの国王が出した、ミュリアを守る条件だ」
カヴラグルにとって、同盟国でもないミュリアを守る利益は殆どないらしい。守ったところで、ミュリアの特産は農作物であり、貿易大国のカヴラグルは食料に困っていないのだと。
「だが、聖女を差し出すならば、援軍を派遣し、トルイスを退けると」
「そう、ですか……」
必要とされているのは、ミュリアとの繋がりでなく、聖女の能力ということだ。
「すまない。だが、そなたにとっても、ミュリアに留まるより良いだろう」
例え、聖女として、こき使われることになったとしても。これから戦場になるであろう、ミュリアに残るよりは良いだろうと。国王陛下はそう言った。
それに、王宮には、ミュリアには、イリガードを思い出させるものばかりだ。心の整理のためにも、離れた方がいいと、素直に思った。
「………わかりました。カヴラグルに、行きます」
既に、カヴラグルとの交渉は水面下で進んでいたらしい。私が頷くと、すぐに出立できるよう、準備は整えてあると伝えられ、苦笑した。
「聖女殿、こちらへ」
「…………はい」
最初から、聖女を嫁がせることで話は纏まっていたのだろう。食事会は、私を説得するための場だったのだ。
別に、もう、何でもいいのだ。最も私を必要としてくれて、私が必要とした人は、いないのだから。
「…………必ず、仇は取るから」
トルイス帝国の思い通りにさせないためにも、私は、カヴラグルに行くのだ。小さく頷き、馬車に乗った。
◇
カヴラグル王国に到着し、最低限の身支度だけ整えると、すぐに国王の前へと通された。
玉座の間は造りが豪奢で、ミュリアよりも経済的にも、技術的にも優れている国であることが一目で分かった。
そして、財と技術を詰め込んだ玉座に座る男も、目が痛くなるほど派手な服を着こなしていた。
「其方が、ミュリアで召喚された聖女か」
「……はい」
声を掛けられ、慌てて礼の姿勢をとる。付け焼き刃のマナーだが、しないよりマシだろう。
頭を下げ、名乗る機会を伺っていると、カヴラグルの王は面倒くさそうに片手を振って言い放つ。
「名乗らずとも良い。後宮へ入ることを条件にはしたが、其方自身に興味があるわけではない。外に出ることは許可できんが、ある程度の生活は保証しよう」
もう下がってよいぞ、と雑に告げたカヴラグル王は、私の背後に立つ護衛に指示を出そうとする。
私は、聖女として力を使うために、カヴラグルに来たはずだ。それなのに、外にも出ず、王の妻としての役割もなく、ただ日々を過ごせ、なんて。
他国の聖女は信用できないから、というわけでもなく。自国に聖女の血を取り込みたいわけでもなく。生活だけさせる意味がわからない。
「どういうこと、ですか……?」
「説明するつもりは無い。無駄な手間は掛けたくないのでな」
説明を求めると、カヴラグル王は不愉快そうに眉を顰めた。不味い、と目を閉じ身を硬くするも、盛大な溜息の後、仕方がない、と呟きが聞こえた。
「問題を起こされても面倒だ。其方には三つ程、質問を許す。我に聞きたいことがあるなら、疾くするがよい」
あまり待たせるようなら質問権を取り消すぞ、と言われ、慌てて口を開く。
「ミュリア王国は、どうなるんですか?」
離れると決めたのに、最初に口から出るのは、ミュリアのことだった。
カヴラグルは、おそらく、聖女の力を心底欲しているわけではない。聖女を引き渡したところで、予定通りの庇護を受けられるのか、という疑問があった。
「我が国に併合する」
「何故……?」
私が聞いた時は、援軍を派遣してトルイス帝国を退ける、という内容だったはず。それが、なぜ併合するという話に変わっているのだろうか。
「何故、か。次の質問はそれで良いのか?」
「……待ってください」
考えます、と宣言すれば、よかろう、お器用に片眉をあげながら返された。
必死に、今迄真面目に聞いていなかった地理公民の知識と、ミュリアで聞いた情報と、カヴラグル王の発言を整理しながら、考える。
「貿易が盛んなカヴラグルに、農耕地帯のミュリアを併合する利益は薄い。寧ろ、トルイス帝国との戦いで疲弊した民を養う必要がある分、損失が出る。ということは、ミュリアで問題が起こった、はず」
だから、聖女の引き渡しが終わってから併合するつもりだった、という騙し討ちの可能性は低い。
「ふむ。間違えてはおらぬな」
何も考えられぬ訳では無いようだな、とカヴラグル王は口の端を上げた。今の考えは正しいらしい。
つまり、次に聞くべき内容は。
「ミュリアで起こった問題とは、何ですか?」
カヴラグルがミュリアを併合しなくてはいけなくなった理由だ。
守る利益もなく、聖女も必要ないのに、ミュリアに援軍を出す予定だったのは、トルイス帝国に支配されると困るから。
ミュリアが奪われたら、次の標的は隣接するカヴラグルになる。
だから、今、ミュリアで起こっているのは、国が維持できず、トルイス帝国に滅ぼされるほどの問題、なのだろう。
「現国王を退位させ、戦死した王太子の子を擁立する動きが出ておる」
「イリガードの、子供……?」
そんな、はず、ない。イリガードは、王子だけど、私以外に妻はいなかった。だから、子供なんて、いるはずがないのに。
じ、とカヴラグル王の視線を感じて初めて、自分の手が震えていることに気付く。手を強く握り込み、カヴラグル王に視線やると、にやりと笑みが返された。
「真偽の程はわからぬが、面倒事になるだろう。その前に併合する。これで二つだな」
真偽の程はわからない。そうだ。擁立される子供が、本当にイリガードの子供とは限らないのだ。
死人に口なし。現国王を退位させたい人が、イリガードに似た子供を用意しているだけかもしれないのだから。
気丈に、振る舞わなくては。自分で自分を励まし、背筋を伸ばす。
「さあ、最後の質問はどうする?」
考える。次の質問を。カヴラグル王に、聞くべきことを。考えて、考えて、そして。
「…………私に、ミュリアの問題を、解決させたいんですか?」
そう、口に出すと、カヴラグル王は、にんまりと大人しそうなほど、口角を上げた笑みを浮かべた。
「何故、そう思った?」
説明してみせよ、と促されたため、自分の頭を整理しながら、口に出していく。
「……無駄な手間を掛けたくない、と言いながらも、私に質問をさせました。それは、親切心では無くて、私の能力を測りたかったのだろうと思いました」
自分に必要な情報を選別できる力があるのか。全てを聞かずとも、今ある情報から推理できる力があるのか。その辺りを評価したかったのだろう。
「それで?」
「今、解決したい問題は、ミュリアのこと。カヴラグルに利益がないなら、なるべく労力を割かずに解決したいはず」
私に、敢えて情報を提示したのも、ミュリアの情勢をどの程度知っているのか、関心が残っているのかを見たかったのだと思う。
やる気がない、ミュリアに行ったことがない者より、意欲と知識がある者が考えた方が早く正しい答えが出やすいから。そして。
「カヴラグルにとって必要ない、私が解決するならば、一番損失が少ないから……」
カヴラグルの文官には、当然、日常業務がある。その人員を、ミュリアでの問題解決に割けば別の仕事が滞る。
後宮に閉じ込めるだけの予定だった私が解決するなら、人手を割かずに問題が減る。
そう、考えれば。辻褄が合う、はずだ。
「うむ。思ったよりも立場を弁えていたようだな」
役に立たぬうえ、思い上がっている女ほど面倒なものはない。カヴラグル王は、あっけらかんと言った。
ぞわり、と背筋が冷える。この人は。役に立つ可能性があるから、今は、私に笑いかけているが。そうでない相手の話など、聞くつもりのない人だ。
「とはいえ、我は寛大な王である。役に立たずとも生活を保証する相手に、無理に働けとは言わぬ」
弓形に細められた目が、私に向けられるものの。瞳の奥の冷たさを知っていては、安心できるはずもなく。
「お主が見事、問題を解決してみせるならば、褒美を与えよう」
「褒美……」
「なんでもよいぞ? それこそ、後宮から出る権利でもよい。勿論、問題解決の為の人員も付けてやるし、報告に意図的な嘘はないと断言しよう」
甘い言葉の裏に、だから役立ってみせよという圧を感じる。飴と鞭で、人を動かすことに慣れている。
雰囲気に、飲まれないように。自分が不利にならないように。相手の機嫌を損ねないよう、立ち回らなくては、ならない。
「……解決の、定義はなんですか」
足りない、とも、余計なことを、とも言われる訳にはいかない。何をさせたいのか、しっかりと確認しておかなくては。
「そうだな。後宮から出ずに全てを解決はできぬだろう。お主に求めるのは、真相解明のみとする」
つまり、情報を整理した上で推理を披露せよ、と言いたいらしい。安楽椅子探偵、という言葉が頭をよぎる。
推理なんて、新聞のおまけについた論理ゲームくらいしか経験はないが。やってみるしかないだろう。
「トルイスの思惑、ミュリアの内情。まあ、王太子の子について、担ぎ出した黒幕の名前と意図で構わん」
トルイス帝国が、ミュリア王国を支配下に置きたい理由。ミュリア王国で起こっている、イリガードの子供について、犯人と理由。
そして、原因となった、開戦のきっかけ。
初めて知ったが、一応、この世界にも平和協定のようなものはあるらしく、一方的に戦いを仕掛けるのは忌避される行為らしい。
トルイス帝国の宣戦布告では、先にミュリア王国側が帝国領に侵入し、国境付近の村から食糧を略奪したということになっている。
この内容について、実際はどうだったのか、調べ、推理せよとのことだった。
「わかり、ました」
開戦理由を調べれば、イリガードの死についても、何かわかるかもしれない。
ならば、やってやる。私は、小さく頷いた。
「期限は……」
「そうだな。二ヶ月としよう。ミュリアに援兵を派遣する前に決めねば、意味がないからな」
派兵は三ヶ月後の予定らしい。カヴラグルとミュリアは、早馬を飛ばせば三日という距離だ。本来、現地調査に向かわせる予定だった者に、私の依頼も伝え、調べさせる予定らしい。
往復六日、情報共有に時間が掛かることを頭に入れて、指示を出す必要がある。
また、知りたいことがあれば、可能な限り対応はすると言うことだった。勿論、通常業務を優先させるが、この国の文官から話を聞くこともできる。
「後程、人員を向かわせる。何か必要なものがあれば、先に言うがいい」
「では、地図と、それに詳しい方を」
「よかろう」
紙や筆記用具は、後宮の部屋に準備してくれるらしい。書き出すことで整理できることもあるので、純粋にありがたい。
「ああ、最後に。必要のない条件をつけて、聖女をカヴラグルに招いた理由について。考えずともよいが、何かの助けになるかもしれんぞ?」
期待しておるぞ、と、カヴラグル王は薄く笑って、私に退室を命じたのだった。