突然の連続
全4話。7時、19時更新予定です。
まさか、異世界で二度も、婚礼衣装に袖を通すなんて。人生、何が起こるか、わからないものである。
「聖女殿、こちらへ」
「…………はい」
2年前までただの高校生だったはずなのに、聖女なんてね。そう思いながら、私、穂風進は、暗澹たる心境を移したかのような曇天を見上げ、小さく首を横に振った。
もう、名前を呼んでくれる人は。助けてくれる人は、いないのだから。俯きそうな顔を無理やり上げて、聖女らしい笑みを浮かべる。
「必ず、仇は取るから」
重い衣装を引き摺りながら、誰にも聞こえないよう呟いた。
◇
一度目の結婚は、私を召喚した国の王子とだった。あの時は、憧れていた純白のドレスに心が躍った。
何より、結婚相手が、好きな人だったことが、大きかったのだろう。
「イリガード……」
名前を呟く。イリガード・ミュリア。ミュリア王国の王太子であり、私の最初の夫であり、私をこの世界に呼んだ人物だった。
この世界には、多くの神が存在し、人々の生活と密接に関わっている。ミュリア王国は農耕国家で、国を守護するのは豊穣神。
神力の強いものが聖女や神官となり、主な仕事は神に祈りを捧げること。ミュリア王国の場合は、その祈りが作物の出来や天候に関わる。
近年、ミュリア王国は不作が続き、更には聖女や神官の数が激減したため、異世界から特別神力の強い聖女を召喚することとなったらしい。それが私だ。
別に実家が神社や寺でなくとも、世界を超えた時点で神力は高くなるらしい。
「まさか、事前に確認して貰えるとは思ってなかったけど」
豊穣神様は、とても穏和な人柄だった。異世界に召喚される代わりに、願いを叶える。そう条件を提示した上で、私に選ばせてくれたのだ。
『あなたの願いは、このままでは残念ながら、叶うことはないでしょう。ですが、異界とはいえ神の私なら叶えられます。代わりに、私達の世界へ来てもらいます。どうなさいますか?』
そう言われた時。私は、四歳下の妹の顔を思い浮かべた。可愛い妹。私と同じで、神話と星座が大好きで、私と違って自由に歩けない、妹。
あまりに可愛いものだから、神様が嫉妬して、自由に歩く術を無くしたのだと、誰もが言っていた、あの子。
あの子の足を、治したかった。
例え、二人で並んで歩くことはできずとも。本人が望んでないと言おうとも。あの子が歩けるようになるなら、それでもいいと思ったのだ。
「死ぬわけじゃ、ないんですよね」
『ええ。貴女は、必要とされています』
異世界に行っても、丁重に扱われるだろうと、豊穣神様の言葉を信じた私は頷いた。
「…………残された人は、私のことを、忘れますか?」
『……貴女は、存在ごと別の世界のものとなり、元の世界で存在していなかったことに、なってしまいます』
その言葉に、良かった、と笑う。足が治っても、あの子が気に病んで笑えないなら意味がない。忘れるのならば、少し、寂しいけれど。安心できる。
そう答えると、豊穣神様は、目を細めて微笑んだ。
『世界を超える貴女に、祝福を』
頼る者のいない世界で、誰を信じていいか、わかるように。人の嘘を見抜く力を、豊穣神様は与えてくれた。私が、私だけの幸せを掴めるように。
そして、召喚された世界で。私に向かって手を伸ばす、輝く星の目をした人に出逢った。
「…………あんたが、聖女で、あってるか?」
「たぶん、そう……、かな?」
砕けた口調。日本のものとは全く違うが、一目見て動きやすそうな服。
「あんたのことを、待ってたんだ」
目を合わせ、ニカリと快活に笑う姿に、警戒心が吹き飛んだのを、今でも覚えている。
正直、爽やか系のイケメンに優しく微笑まれて、心が揺れないはずがなく。豊穣神様の加護により、言葉に嘘がないこともわかり。
「俺はイリガード。あんたの名前は?」
「穂風、進」
「ミチ。取り敢えず、街を案内するな!!」
イリガードに流されるまま、あっという間に街に連れ出され。乳兄弟であり、お目付け役のパトリックが来るまで、彼が王子だと知らなかった。
「まあ、あんまり気にしないでくれ」
「そうは言われても……」
王子という身分に驕る事なく、平民と分け隔てなく接する姿は、王族として不適切でも、私にとっては親しみやすく。
「イリガード殿下!!」
「パトリックに見つかったか。走るぞ!!」
「うっわわ、速い速い!!」
イリガードに連れ出されたことによって、国の実情を知り、交流した人々への感謝も生まれた。人々は純粋に、私を案じ気にかけてくれており、私はすぐに、ミュリア王国を好きになった。
その結果、私がミュリア王国に召喚されて半年。聖女としての力は遺憾無く発揮され、その年の秋には食糧事情は解消された。
「聖女様〜!!」
「収穫した小麦で焼いたパンです。殿下とどうぞ」
「ありがとう」
いつの間にか、イリガードの隣にいることは自然なことになっていて。毎日自分に向けられる、輝く瞳の意味に、気付かないほど鈍感でもなく。
聖女は結婚して子供を産んでも、力を失う訳ではないとパトリックに説明されてからは、断る理由もなく。
「……ミチ。嫌じゃなければ、俺と結婚してくれ」
「…………はい」
異世界に呼ばれ、一年の節目の日。イリガードからプロポーズされ、国王陛下の承認と国民の祝福を受け、正式な婚約者となった。その日から彼の口癖は。
「1秒でも早く結婚したい」
となったが、王族が簡単に結婚できるはずもなく。半年の婚約期間の後に、私たちは結婚することになった。因みに、歴代最短記録らしい。
そして、待ちに待った、結婚式。
「…………綺麗だな」
いつもの快活さが抑えられ、王族に相応しい厳格さと清廉さを纏った、イリガードの姿に見惚れているうちに式は終わっており。
侍女達になされるがまま、全身を磨かれ、着ている意味を疑うような夜着を纏って。気付けば純白のシーツの上に横たえられ、覆い被さるようにイリガードが迫っていた。
「ひ、ひぇぇえ……」
そうだよね。異世界とはいえ、このくらいの時代って結婚したら初夜ありますよね。覚悟はしてたけど実物を前にすると、怖気付く気持ちもあって。
「ミチ……」
そっと髪に口付けを落とされた、次の瞬間。
物凄く申し訳なさそうな、控えめなノックが部屋に響いた。
「…………はぁ?」
「すみません。が、緊急事態です」
パトリックの声だ。だが、聞いたことがないような、硬い声。これは只事ではないと、慌てて体を起こし、イリガードに扉を開けるよう胸板を押す。
「……これを羽織ってくれ」
「あ、うん」
夜着の上からシーツをぐるぐる巻きにされてから、イリガードがほんの少しだけ扉を開けてパトリックと声を顰めて話し始めた。
しばらく、二人の話し合いを眺めていると、途端、イリガードの眉間に皺がよる。
「どういうことだ!!」
「事実確認は現在行なっているところです。ただ、開戦は避けられないかと」
かいせん。開戦。戦いが、始まる。どくん、と心臓が大きく跳ねた。
「……なにか、あったの?」
声を張れば、イリガードは大股で私の近くに戻ってきて、強く抱きしめてきた。
「…………大丈夫。心配するな。俺とパトリックが行けば、すぐに解決することだ」
本当に、と、問い詰めたかった。でも、尋ねたところで、答えが返ってこないのは、明らかで。
「イリガード殿下。一週間程度なら、私一人で……」
「駄目だ。俺とお前が別行動だと、疑われるだろう。合流を阻まれるのは間違いない」
「だが、このままでは……」
パトリックは、ちらりと私の方を見た。心配そうな目。それは、イリガードへではなく、私に向けられたものだ。
「だ、大丈夫です。イリガードが行かないと、困るんですよね?」
「……ありがとう、ミチ」
そうと決まれば、出立だ。力強く言ったイリガードは、使用人を呼び、武具を用意し、共に出陣する人員を選ぶ。
私は、それを、見ていることしか、できなくて。1時間もしない間に、鎧を纏ったイリガードは眉を下げて私の前、ベッドの傍に膝を付いた。
「…………必ず、帰ってくるから」
待っていてくれ。それだけ言って、出ていく彼の背を見た私は。
未だ、戦争という言葉に馴染みがなくて。どこか違う世界を見ているようで。それでも、胸が締め付けられていて。
何も言えずに、扉が閉まり、足音が聞こえなくなっても。ただ、ずっと、見つめていただけだった。
次の日、一人で朝食を食べて初めて。自分がミュリアに来てから、ずっとイリガードといたことを知り。そして、一人、安全な場所に残されたことを知り。
そこで初めて、涙が溢れたのだった。
初めて、ホームシックになった。今迄、私の心を支えていたのは、ミュリアの民の人柄が大きいと思っていたが、思い違いだったことが、はっきり理解できた。
イリガード。
彼がいたから、家族と離れた寂しさにも、慣れない生活も、聖女の仕事も、耐えられていたのに。
「……聖女殿に、ご報告申し上げます。イリガード殿下、並びに副官パトリック殿が、敵の伏兵により負傷、崖から転落し、戦死なさいました」
二人と一緒に、出撃した一人。シノン・ジュダスはボロボロの戦装束のまま、私に対して、そう言った。
「突然の攻撃に対処できず……。少人数での作戦行動中でしたので、深手を負い、首級を取られるくらいならと、そのまま崖に……」
シノンの言葉に嘘はない。見つからないために少人数で移動していたところを挟み撃ちにされたのだという。
「…………貴方は、無事、だったんだね」
良かった。そう、言うことが精一杯だった。それ以上、何か言えば、何かが壊れてしまいそうだった。
「はい……。後方におりまして……」
状況を説明してくれるシノンの言葉が、とても、遠く感じる。指の先から血の気が失せて、真っ直ぐ立つ、その感覚すらわからず地面が揺れる。
「崖下に降りる術はありませんでしたが、落ちたお二人は全く動かず……。あの高さで、傷も負っていたため、生存の可能性はないかと……」
意識が遠くなる、とは、こういうことか。思わず、しゃがみ込みそうになった、その時。
「帝国軍が兵を伏せていることに、もう少し早く気づけば……」
ちり、と頭の中で音がした。何か、変だ。言葉の中に、嘘が混じっている。
だが、何が違うのかわからない。豊穣神様の加護は嘘がわかるが、相手が騙す気で嘘を言う時は、頭にもっと、わかりやすい警告音が鳴る。
これは多分、嘘ではないが、事実でないものが混ざっているのだ。でも、それが勘違いによるものなのか、判別できない。
少しでも疑問を潰そうと、立ち去りかけたシノンに声を掛ける。
「帝国軍……? 敵は、帝国だったの?」
「は、はい。攻め込んで来たのは、トルイス帝国。大陸の大半を占める、武力国家です」
トルイス帝国。それが、イリガードの仇となる、国の名前なのだという。
ミュリア王国で豊穣神が祀られているように、トルイス帝国では戦神が祀られており、人々も武芸に長けているらしい。
「おそらく、帝国はイリガード殿下の遺体を回収すべく戦場に留まっております。我が国は、その間に対応を講じることとなりましょう」
ミュリア王国に、イリガードを探す余裕は、ない。この時間を使って、帝国を追い返す術を考えなくては、滅ぶだけ。
私が、イリガードと過ごした、イリガードの国が。失われるかもしれない、なんて。
ただでさえ、イリガードの死を受け入れられない頭に、次々言葉が投げかけられる。全てが、遠くなっていく。
「…………私、どうなるんだろ」
ふらり、頭が揺れた。