第11話 海洋生物研究室
ウィルとぼくは、しばらくだまってコーラを飲んでいた。
「だれか通った!」
ウィルが見ているのは、窓の外にある庭だ。
ぼくも外を見たが人影はなく、ソテツの葉とハイビスカスがゆれているだけだった。
「だれだろう」
「タッツ、いってみよう」
ウィルが席を立った。駆けだしたので、ぼくもあとを追う。
となりの棟に入り、人影を探しながら廊下を歩く。
「待った」
さきを歩くウィルが足を止めた。廊下のさき、ひとりの男性がいる。
うしろ姿だけど、背はそれほど高くなく、日本人のぼくとおなじぐらいか。でも体重はずっと重そうだ。丸みのある体型で、のんびりと歩いている。
雰囲気からすれば若い。ぼくらとおなじ学生だ。講師や教授といった年齢ではない。
大きなダンボールをかかえているのも見えた。
廊下を曲がったので、ぼくらも足音をさせないように追いかける。
尾行をつづけると、さきを歩く大学生は奥へ奥へと歩いていく。
やっとどこかの研究室に入った。
ウィルとぼくは、しばらく止まってようすをうかがった。けれど、でてくる気配はない。ふたりで研究室の入口に近づいた。
入口の上に英語のプレートがある。
「Marine Biology」
ここは生物学部。海洋生物の研究室か。
扉はひらいていた。
「入ってみよう」
小さな声でウィルが言う。ぼくがためらうより早く、ウィルはなかに入った。
ぼくもあとにつづく。入ってみると、なかはごちゃごちゃと物があふれていた。
大きなスチール製のラックが右にも左にもあり、大小いろいろな水槽、または砂の入った透明なトレーなどがならんでいる。
通路のようにならぶスチールラックには、ほかにも研究機材や資料などが置かれ、とにかく物が多かった。
「さあエミリー、ごはんの時間だ」
部屋の奥から声が聞こえる。
ウィルとぼくは、水槽のならぶスチールラックのあいだを通った。
近づくと、水槽のあいだから見えた。さきほどの学生だ。
こちらから見ると、うしろ姿だった。机があり、その上にも水槽がある。
さきほども見たダンボールからなにかを取りだし、水槽に入れている。
水槽のなかは小魚のようだった。だとすれば、あれはエサか。
またダンボールから、もうひとつエサを取りだす。
「これは、ステフの好物だ」
そう言って、となりの机にあった水槽に入れる。その水槽に入っているのは、クラゲだろうか。
「クラゲにまで名前を付けるのかい?」
まえにいたウィルが、急に声をだした。
ひっ! とおどろきの顔で相手がふり返る。
「だ、だれだ!」
「おなじ学生だよ」
ウィルが、スチールラックの通路からでて相手に近づいていく。ぼくもそのあとを追った。
「おどかすなよ。だれもいないと思ってたのに」
おどろく相手に、ウィルは笑いながら手を差しだした。
「悪い。演劇科のウィルだ。こっちは天文学部のタッツ」
「海洋生物科のスタッビー。きみたち、なんで学校に?」
「まあいろいろとね。スタッビーは?」
「ぼくは、この子らにエサをあげないと」
なるほど。研究で飼っている生物には、戦争にかかわりなくエサが必要だ。
しかし、いろんな生物がいる。ぼくは感心して水槽のむれを見わたした。
「タッツ、これはいい出会いかもしれない」
ウィルがぼくに言ってきた。
「というと?」
「このスタッビー、おれたちより生物においては、絶対にくわしい」
それは、まちがいない。
「しゃべってもいいか?」
ウィルが聞いているのは、さきほどのぼくの話だ。
大学内には三人しかいない。ひとりに話すもふたりに話すも、変わらないように思えた。
ぼくがうなずくと、ウィルは生物学部の学生に顔をむけた。
「スタッビー、いまおれらって、ちょっと困ってんだ。助けてくれないか?」
「いいけど、なに?」
三人でそのへんからイスを持ちだして座った。
ウィルにうながされて、もういちど、ここまでの経緯を説明する。
スタッビーが口からコーラを噴きだしたのは、ウィルが話をするまえにペプシを一本わたしたからだ。
放物線をえがいたコーラは、クラゲの水槽にかかった。
「オー・マイ・ガー」
スタッビーは口をぬぐいながら言った。ウィルが笑いをこらえている。
そのいじわるなウィルが、スタッビーに聞いた。
「生物学にくわしいなら、あいつらの弱点もわかるんじゃないか?」
スタッビーはまたコーラを噴きだしそうになった。
「無茶、言うなよ。ただの大学生だぜ」
「生物にくわしいだろ。なにかほら、やつらの弱点は探せるんじゃないか?」
スタッビーがちょっと考えこむ顔をする。それからぼくにむけて顔をあげた。
「ちょっと聞いていい?」
「ぼくがわかることなら」
「かれらは宇宙服は着てなかったんだよね?」
その質問なら、すぐに答えられる。
「兵士は頭のさきから黒ずくめだったけど、司令官は普通の服を着てた」
「やっぱり、そうなんだなぁ」
なんだろう。スタッビーがひとり納得している。
「なにが、やっぱりなの?」
「いや、地球外に知的生物がいたとして、それは人間に近いのか。考えたことあるだろう」
ぼくはうなずいたが、ウィルは首をかしげた。スタッビーが言葉をつづける。
「思ってたんだ。それほど変わらないんじゃないかって」
「まったく、まったく、まったくわからない」
ウィルが大げさに言った。それを見たスタッビーは、気を悪くすることもなく、どう説明しようか考えてるようだ。しばらくして口をひらいた。
「そうだな、考えてみてよ。生物が生きるってのは、結局エネルギーが必要だ。エネルギーの、もっとも原始的な発生方法は?」
エネルギーか。
「重力エネルギー?」
「そうか、タッツは天文学部だ。そっちじゃないエントロピーのほう」
「じゃあ、燃焼?」
ぼくの答えに、スタッビーはうなずいた。
「そうだよ。物を燃やすのが一番手っ取り早い。すると、生物がそれをするなら」
「有機化合物と酸素。そうか。そう言われればそうだ!」
納得して思わず大きな声がでた。
ウィルはピンとこないらしく、ぼくとスタッビーを交互に見た。
「あー、おれはマコーレー・カルキンなのか?」
「ええ?」
聞き返したが、ああなるほど「ホーム・アローン」つまり「取り残された」か。
ちょっと笑えた。ウィルには、ぼくから説明しよう。
「けっきょく酸素を吸って、カロリーを食べる。これは燃焼とおなじで一番簡単なんだ。そうなると、ほかの星の生物もおなじだろうってこと」
「じゃあ、たとえば鉄を食う怪物はいないってこと?」
ウィルの問いには、スタッビーが答えた。
「いない、とは言い切れないが、ひどく複雑な体内構造になる。それより燃える物を食ったほうが効率的だ。そして効率的な生物のほうが、生き残りやすい」
スタッビーの考えに、ぼくも賛成だ。理論的には可能でも、実物となるとスタッビーの言うとおりだろう。たとえば発熱させる効率だけでいけば核融合だ。でも体内で核融合させようとすれば数億度の高温に耐える細胞が必要になる。
温かくなろうとすれば、なにかに火をつけて燃やすのが一番手っ取り早い。まあ太陽光発電みたいな生物がいたら、それはとても効率がいいと思うけど。
そこまで考えて、その生物はすでにいた。この地球には植物という緑があふれている。
すこし考えにふけっていると、ウィルとスタッビーの会話はつづいていた。
「つまり、地球と変わんないよってこと」
「そういうこと」
「なら、スーパーマンも、ソーもいないのか」
「それもいない。おなじ宇宙だ。おなじ物理法則が働く。鳥の羽を持った人間はいたとしても、スーパーマンはいない。あれは物理法則を超えている」
スタッビーはそう断言した。ぼくはそこに付け足したい言葉がある。
「でも科学力は、わからない」
ぼくの言葉に、スタッビーがうなずく。
「それはもうわかんないよ。だから、ファルコン、いやアントマンだっている可能性はある」
スタッビーがウィルにむかって言った。ふたりがハイタッチしている。
「ウィル、なんの話だい?」
「マーベルのキャラクターだよ。映画見てないの?」
知らない。SF映画のほかは、あまりくわしくない。今度はぼくがホーム・アローンだ。