“魔法を推する”は雨上がりの臭いに似ている
明日の朝には16年間生まれ育ったこの街を離れることになった。辻馬車に乗り街道を半日走れば、この辺りで最も大きな街であり、乗車駅がある“カラ”へたどり着くという。 ……シシュウが幼少期の時に母親に連れられて何度か行ったことがあるはずだが、ハッキリ覚えているのは年配の女性から飴玉を貰った記憶だけで、あとはもう分からなかった。
何はともあれ、旅の支度が必要だった。でもテディベアのシシュウに出来ることなんてたかが知れており、せいぜい『やっぱり怖いからやめた!』だなんて溢さないよう、自身の気を紛らわせ続けることくらいだ。ゆえにシシュウは古書を3冊積み上げた塔の上に座り込み、ハルシネが黙々おこなう作業を興味と惰性の半分ずつにひたすら見ていたのだった。
「…………」
ささくれ立った骨董店のカウンターの上。普段はシシュウがココアマグを置くあたりには、両手で持ち上げられる程度の大きさの骨董品たちが所狭しと並べられていた。ハルシネはそれらの内の1つを手袋越しに持ち上げると、先ずはさまざまな角度から品を観察する。
次に、観察した品へ露出した親指の腹を押し当てていく。執拗に、やはりさまざまな角度からだ。もしかしたら押し当てる力の具合も品によって異なるかもしれないが、シシュウにはさっぱりだ。
最後にその品を、シシュウ近くに置かれた2つの木箱へと仕舞っていった。その行為は、片しているというより振り分けているようで、品のほとんどが左手側のソレに詰められてゆくのに対し、右手側にはほんの2~3しか詰められていなかった。シシュウは後者の品々を一瞥した後に、困惑の調子で「あのさ」と切り出す。
「さっきから……何してるの?」
「ん。調べてるんだよ、魔法の有無を」
「ま、魔法?」
「正確には魔法が込められている道具がないか調べてる」
「な、なんだよそれ……そんなこと出来るのか」
「私は魔法捜査官だから」
ぱちくりと瞬きを繰り返すシシュウ。確かに魔法管理協会(?)に属する魔法捜査官(?)のハルシネならば、魔法に精通していることは当然かもしれない。しかしその事実を差し引いたとて、引きこもりのシシュウにとって眉唾物であることには変わりないのだ。 ……自分がこんな姿になった時点で疑うも何もない話だが。
「…………」
そのようなシシュウの心情を見透かしたのだろうか? それとも言葉を詰まらせたことが見え見えだったのか? ハルシネはレンズ越しの赤い視線をこちらへ寄越すと、先ほど一瞥した箱の中身をシシュウの目の前へ取り出した。
シシュウは立ち上がり、慌てて片手を振る。
「あぁいや。魔法を調べて? いたのだろう? ……いや店番中にすべきじゃないけどさ。ええっとだから……説明的なのは後でも大丈夫だからさ」
「外。こんな雨が降っているときに誰も来ないよ。それに、当事者は魔法の事細かを知っておくべき。情報の共有も魔法捜査官の仕事。 ……コレが分かりやすいか」
そう言うと同時にシシュウの前に取り出された3点の品々。それら内からハルシネが持ち上げたのは、一見すると何の変哲もない指輪だった。宝石等の装飾が一切無いソレを見たシシュウが何かを言うより先に、ハルシネはこのように始める。
「この指輪は魔法が保存された道具……魔道具。主には魔法が使えない二足種向けに一昔前まで大量生産されていた代物。魔法の力の源は”願いを叶えたい心”だから、魔道具に魔法を使いたいと願うだけで、事前に保存された魔法が放たれる」
「え、なにそれすごい。 ……父親が言っていたことは本当だったのかよ」
「なに?」
「あぁ、いや何でもない。続けてくれ」
「そう。 ――でも、所詮は愉快魔を介さずに造られた代物。当然、想定通りの魔法が想定通りに放たれるとは限らない。それに魔法の保存期間は有限で、現存する魔道具……えっと、随分前から魔道具の作製と流通には厳正な許可制度が敷かれているのだけれど……現存する魔道具のほとんどは“ガス欠”している」
「ガス、欠?」
「保存された魔法が魔道具から漏れきった状態のこと。魔法を保存する器部分が時の流れに耐えられず欠けるの。だからガス欠した魔道具は魔道具として2度と機能しない」
「……じゃあ、こいつらも」
シシュウはゆっくりと骨董店の店内を見渡した。あの民族衣装を着た不細工な犬の置物も、あの流通しているレコードの大きさに対応していない蓄音機も、あの宝の眠る場所に×印が示された架空の大陸の地図にも……基はどこかの誰かがかけた魔法が籠っていたのだろうか?
………………。
「この指輪は違うよ」
その声にハッとし、シシュウはハルシネへと向き直る。いつの間にかハルシネはその指輪へ親指の腹を当てていた。わずかに擦っている。
「魔法が生きている」
ハルシネが指に力を入れていることは端から見てもすぐに分かった。するとどうだろう。何の変哲もない指輪なのに……指輪だったのに、先ほどまでとは何かが違うのだ。色も、形も、大きさも……視覚には何も変化はないはずなのに。なぜだか指輪には魔法が込められていると分かる。
「ぁ……」
――ふと雨上がりの臭いがふわり香った。
「あなたに1つ教えとく。花を嗅ぐとか、お肉を味わうとか。人間には五感があるよね。でもそれだけ。魔法を使える二足種は、第六感で魔法を推するんだ。強いて似ている感覚を挙げると……”雨上がりの臭い”」
間もなくして、寂れた骨董店の中、指輪に込められた魔法が放たれたのだ。
……………………!
ポテ
…………
…………。
「…………あん?」
空から何かが降ってきた。それは分かる。なにせシシュウの目の前にポテっと落ちたのだから。一瞬だけ視界を掠めたソレをただの見間違いだと思い込み、シシュウはその正体を見下ろす。
円状の代物だ。真ん中にぽっかり穴が空いている。全体的に色は茶色だが、円の半分はもう少しだけ黒みがかっていて、甘い匂いが強い。特に子供が好みそうな……紛れもなくソレは。
「……どー、なつ」
ハルシネは広げた掌に丸めた拳をぺちり振り下ろした。
「なるほど。この指輪に魔法を込めればチョコドーナツが降ってくるんだ。指輪と形も同じ」
「俺の期待を返せ」
【魔道具の作製】
あらゆる理屈を超越した魔法という力には、人間の生活を豊かにし、より発展と繁栄を極める上での可能性が見いだされた時代があった。特に、魔法の使用人を選ばない魔道具には大きな注目が集められた。
しかし魔法の効果が不安定なこと、生産効率が極めて悪いこと、そして心由来ゆえに経年劣化しやすいこと等の問題が挙げられ、魔道具作成事業は徐々に収縮。さらにとある国では、魔法が使える種族を違法に囲い、劣悪な環境で労働させていた事実が明るみとなり、これは世界的に問題視された。
これを受け、営利を目的とした魔道具の作製・流通には厳正な許可制度が敷かれるようになり、今や魔道具の存在そのものがベールに包まれつつあるのだ。