254 ハミルトン公爵の孫がドラゴン様の弟子になる
ドラちゃんとドラニちゃんは機嫌良くハミルトン公爵邸に向かった。
ハミルトン公爵は、庭で孫に剣の稽古をつけていた。
キュ、キュと鳴きながらドラゴンが降下してきてハミルトン公爵の前に浮かぶ。足を出す。何かと思わず手を伸ばすと手紙がポトリと落ちて来た。
これはあれか、有名な『ドラゴンが壁から入って宰相に手紙を届ける』というやつだな。外にいてよかったと思うのであった。次はお茶とお茶菓子だな。ここで宰相は安物を出して失敗したと王都中の笑い話になっている。
「上等なお茶とお茶菓子を東屋に持ってこい」
すぐ侍女が屋敷に戻って行く。
ドラゴン様はどこからか棒を持ち出して、孫と剣の稽古を始めた。
「なになに、犯人がわかって殲滅した。流石にシン様だ。仕事が早い。ありがたいことだ」
礼状を認めた。
孫は楽しそうに剣の稽古をつけてもらっている。公爵は東屋でそれを眺めて待っている。
小さい方のドラゴン様が棒を振る。ドラゴン様は寸止めではない。打つ。肉を打つ音がする。思わず腰を上げかけるが、大きい方のドラゴンに静止される。青あざだろう。
骨が折れたと思う音がした時には大きい方のドラゴンが手をかざす。すると歪んでいた孫の顔に気力が戻って来て稽古を続ける。
確かに骨が折れた音がした。だが孫は立ち上がり折れた筈の腕で剣を振るう。どうなっているかわからない。
頭も遠慮せずに棒が打つ。すぐ大きいドラゴンが手をかざす。気力が戻る。その繰り返しだ。
公爵は心配で腰を上げたり下げたり、もはや足がプルプル震えている。
30分ほど稽古をつけてもらって、ドラゴン様が孫に手を翳してから東屋にやって来た。
孫は見えるところのどこにも青あざがない。打たれた筈だが。
とりあえず公爵は手紙のお礼を言い、シン様への礼状を預けた。
侍女がお茶を淹れ、どうぞとドラゴン様にお茶とお茶菓子を出す。
孫が目をキラキラして公爵に向かって言った。
「お祖父様。ドラゴン様の剣は、手加減していただいていたのですが、早くてとても見えませんでした。いままで父上が頼んでくれた剣の師範に稽古をつけていただいていたのですが、まるで違います」
俺が見てもまるで違う。忖度と手加減とゴマスリの師範とは比べ物にならない。なにしろ本当に叩いて骨折させるのだからな。
「ドラゴン様こそ真の師匠です。ドラゴン様、いや師匠様、弟子入りさせてください。剣を教えてください」
ドラゴン様が照れている。ドラゴン様は知性があり表情が豊かだとハミルトン公爵は初めて知った。思わず背筋が伸びた。そうか。宰相は最初気が付かなかったのだろう、それだから壁が入り口になったのだろうと理解した公爵であった。
「ドラゴン様、もしよろしかったら暇な時にでも孫の剣を見ていただけませんか」
お茶菓子を食べ、お茶を飲んでドラゴンが飛んでいった。
いいよー。勉強もするんだよーと聞こえた気がする孫と公爵であった。
「お前大丈夫だったか」
「はい、真剣なら何回も切られ死んだと思います。今までの稽古は子供の遊びと気が付きました」
真剣でなくともドラゴン様の手当てがなければ今の稽古で何回も死んでいたと思う公爵である。
侍女が小さい動物に何かやっている。この頃よく見かけるようになった可愛い小動物である。
それから孫の手が空いた時にドラゴン様が現れて稽古をつけてくれるようになった。どうやって手が空いた時を知るのかわからない。
しばらくして、倅がつけた剣の師範が青あざとたんこぶだらけになって、もはや教えることはございませんと言って逃げた。とても敵わなくなったらしい。倅殿は何も知らないから呑気に師範に、よく教え導いてくれたと感謝していた。
孫はドラゴン様にすでに何百回となく切られて死んでいる。切られたこともない型を教えるだけの貴族御用達ゴマスリ師範が勝てるわけはないと思う公爵である。それにしても孫は勉強も今まで以上に熱心に取り組んでいる。最初にドラゴン様から言われたことを守っているらしい。
またしばらくして、ドラゴン様が孫を外に連れ出すようになった。倅殿は知らない。
最初は目の前で消えたのでびっくりした。帰ってくる時も俺しかいない時に帰ってくる。そのタイミングをどうはかっているのかわからない。だから屋敷の人間は誰も知らない。
帰ってくると孫が報告してくれる。一緒に誘拐された18人のところを回っているらしい。いろいろな階層の子がいたな。巡るうちに外の世界の現実に気付いたようだ。貧民街も知ったらしい。孤児院も行った、スパエチゼンヤの銭湯にも行ったと言っていた。
俺たちの世代は三馬鹿もいたし、街にこっそり出かけることも多かったが、今の上流階級は上品になってしまって、貴族社会以外を知る貴族の子弟はほとんどいないだろう。それでは民を導くことはできまい。今の宰相は三馬鹿の一人だから、貧民街も知っているが、次の世代はどうなのだろう。貴族だけの考えで政治を行えば今の体制は崩壊する。孫に色々な経験を積ませていただくのはありがたいことだ。
それにしても俺たちはアジトがあって着替えをして街に繰り出したものだが、孫はどうしているのだろう。わからない。ドラゴン様がなんとかしてくれているのだろう。ますます頭が上がらなくなる。
そうだな。街に18人が気楽に集まれる場所を作ってやろう。中流からやや下の階層が住む場所がいいな。
執事長を呼んだ。
「おい、中流からやや下の階層が住む場所に20人くらいが集まれる家を一軒見つけてくれ。空き地があれば建ててもいい」
「ちょうど良い場所にあつらえたような新しい家があります。手に入れてあります」
こいつはタヌキだった。昔遊び歩いた仲間だ。ニヤニヤ笑っている。こうなることを見越して場所を確保して建てて置いたに違いない。
「すまないな」
「いいえ。昔のアジトを思い出します。あの時は三馬鹿と共同アジトでしたな。アジトの取り合いでしたな。楽しい時代でした。坊っちゃんはそういう遊びをしませんので将来が心配でした。この頃はあちこちに出かけているようで安心しました。これもシン様、ドラゴン様のお陰ですな」
「知っていたのか」
「もちろん。坊ちゃんがいろいろ聞いてくるものですから」
「何を聞いた?」
「古着は何処で手に入れるのか。その値段はどのくらいか。貨幣というものはどういうものがあるのか。その価値はどのくらいか。出かけた場合、食事は何処で食べるのか。どんなものを食べているのか。どこでどうやって食事を頼むのか。支払いはどうするのか。衛兵から逃れるのはどうするのか。そうそう、トイレはどうするのかという楽しい質問もありました」
「今も昔も初心者は同じか」
「久々に街に出て物の値段などを調べてきました。楽しゅうございました」
「俺を誘ってくれればよかったのに」
「誰も気づいていないだろうと思っていらっしゃるのが面白くて。アジトには大旦那様の部屋も私の部屋もあり、古着と変装道具は用意してありますから、代わりばんこにドラゴン様に連れ出してもらったらどうでしょうか」
「そうしよう。それで誰が気づいているのか」
「それは大旦那様付きの侍女長と私でございます。旦那様の方の方々は気づいておりません。我々が抜け出すとなると侍女長への口止め料が高うございます」
「あのうるさい婆さんも仲間に入れて口封じだ」
「さようですね。そうしましょう。幸いまだアジトに部屋の余裕があります」
最初から作ってあったのだろう。タヌキめと思う公爵であった。
「しかし、倅殿とその補佐の連中はまだまだだな」
「皆さん優秀なのですが、真面目すぎて屋敷を抜け出すなど思いもつかないのではないでしょうか」
「真面目も良し悪しか」
翌日から不良老人が三人、ドラゴン様に連れられて交代で屋敷を抜け出すのであった。




