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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

遺跡の姫を巡る騎士のお話

作者: ディー

 ウルタ国内に存在しているアルデ遺跡――王都より西方に数キロ離れた場所に位置するそれは、生い茂った森の中に入り口が存在している。地下に続く鉄門が地表下に埋もれていたため、発見が最近となった遺跡だ。

 入り口から円柱状にくり抜かれた縦穴を一〇メートルほど梯子で降りると、一本に伸びた通路がその先にある。そこから一五メートルも進めば下層に繋がる階段に辿り着く。通路の両側面には二・三メートルの間隔で扉があり、その奥には古の技術で作られた道具が保管してあった。だがウルタの派遣した調査隊がそのほとんどを持ち去り空の棚が今は残るだけだ。

 地表から数えて一階から九階までは、同じような通路と保管庫だけの階層だ。しかし遺跡は、一〇階へと降りるとその様相を急に変える。それまでより三~四倍も長くなった階段を降りると、直径三〇メートルにも及ぶドーム状の空間が広がっているのだ。加えて階段の出入り口とは真逆の方角の壁面には、縦横一メートル程度の小さな鉄扉が設置してある。

 その扉の奥にあるもの・・を目にした者は未だにいない。そしてそれは、錆による摩擦や鍵などによって物理的に扉が閉ざされていることが原因ではない。それより奥に誰も進めていないのは――(いにしえ)の技術によって作られた番人が鉄扉の前を守っているからだ。


 ――ギャリィイイイインッ

 広いドーム空間に、火花を散らしながら、金属を擦り合う音が響き渡る。

 遺跡の番人とよばれているそれと相対しているのは一人の人間だ。名前は、ディン=ディールと言う。緩やかなウェーブのかかった黒髪を肩近くまで下ろしたその男は、刃渡り一メートルにも及ぶ長剣を振り切った姿勢で、傷一つ付いていない金属製の体をジッと睨み上げる。

 対して、ディンの背丈の倍以上もの体躯を誇る番人……その胴体は、雪だるまを逆さまにしたような球体関節から成る。肩から垂らせば床に着くほど長い腕には八つの”節”があり、五〇センチにも及ぶ刃の爪が腕先に三本並ぶ。胴体の下部を務める小球体の方からは安定の為か短く太い脚が伸びている。

 リーチが長い一方で移動性に欠ける造りではあるが、番人の側にとってそれは問題にならない。なぜなら――かの機械の役目は扉前の防衛に尽きるからである。

 ディンに向けて番人が左腕を振るった。鞭のようにしなり加速した三本爪が、ディンを切り裂こうと迫る。

 ディンは三本爪を屈んで躱す。

 番人の攻撃はそれだけでは終わらない。勢いのままに胴体を――人間の肉体では土台むりな挙動ではあるが――まるっと一回転させ、先程の左腕よりも加速した右腕を、ディンのいた場所へと叩き下ろす。

 ゴッという鈍い音と共に金属で出来た床が凹むがそこには既にディンはいない。番人の脇をすり抜けて背後に回ったディンが、番人の右腕と肩の接合部を振り向き様に長剣で斬り上げる。

 しかし、斬れない。

 剣を振り抜いた直後のディン、後ろ回った彼に番人が右腕を振り抜く。多節の柔軟な腕がディンへと迫った。金属同士を擦れ合わせる耳障りな音が響き、赤い血の滴は音もなく床に落ちる。この戦いに観客がいれば、ディンは死んだと思っただろう。しかし、斬り上げた筈の長剣を振り下ろしているディンの姿が結果としてそこにはあった。首を左に傾けているディンの右頬には裂傷が付いておりそこから血が流れている。攻撃が掠る程の最小限に回避を留めて斬撃を連続で放っていたようだ。

「さっさと……どけぇ!」

 右腕の付け根を狙ってディンは長剣を更に振り上げる。

 しかし右肩の上に番人が被せた三本爪によって斬撃が妨げられる。右肩の間接をしつこく狙われたというのもあるのだろう。しかしそれ以前に、弱所を守る程度の思考は人造物と言ってもあるようだった。

 体を半回転させて振り向きながら番人が左腕を叩きつける。後方にディンは跳び、彼が居た地面には番人の爪が深く突き刺さった。これを隙と見たディンは前へと出る。

 番人が右腕を(ふる)うのとディンが前へ踏み出すのは同時だった。

 五〇センチの幅はあろうかという三本爪が、地面近くを沿う軌道でディンを襲う。だから最初のように屈んで躱す空間は無い。自身の肌に三本爪が触れそうになった所でディンは跳ぶ。身の丈にも及ぶ跳躍を見せたディンは、番人の右腕の中ほどへと足を乗せた。そして長剣を下段に構えて一歩前に踏み出し番人の右肩へ剣を振るう。

 金属音が再度なるが、まだ斬れない。

 右腕を振り上げることで番人はディンを振り落とそうとする。身体が上へと投げ出されそうになる感覚に、番人の腕を蹴ったディンは自ら横へ跳んだ。しかし滞空するという致命的な隙を晒している事には変わりはなく、ディンが地に足を着ける前に番人の左腕がディンを捉える。

「くっ、ふぅううううう……!」

 番人の左腕の爪を剣の腹でディンは受ける。しかし衝撃までは吸収できず、そこから吹っ飛ばされた後、空中で態勢を整える余裕もなくディンは床に転がった。

 直ぐに立ち上がるものの、自身の長剣が半ばから折れていることにディンは気が付く。加えて、刃の部分も所々に欠けてしまっている。

 だがディンは止まらない。損傷が軽い方の刃を外側にして剣を握り直すと、番人に向かって直ぐに駆け出す。

 向かってくるディンに番人が右腕を振るう。やや低めに振るわれたそれを軽めに跳んで躱したディンを今度は、左腕の三本爪で番人が斬り落とそうとする。番人の右腕を蹴って横に跳ぶことでディンは床に転がり、その上を三本爪が過ぎた。そこへ、番人の右腕が裏拳ぎみに返ってくる。前へと進むことで、番人の右肩の下へと入りディンは裏拳を掻い潜った。左腕の三本爪がディンの背中を貫こうと近づく。しかし視界外からの攻撃に対して、後ろに軽く跳躍して左の手首に飛び乗り、その左腕を道として番人の左肩までディンは駆け上がる。先程のように腕を振り上げようとする番人だが、それよりも早く左側へ跳んだディンが番人の右肩を下から斬り上げた。

『……』

 番人の右腕の動きが、斬りつける音と共に止まった。そして一瞬の後に自らの重みで胴から右腕が落ちていく。

 床に着地したディンの動きは止まらない。手にした剣を逆手に持ち直して跳び上がると、番人の右肩の切断面へとそれを突き込む。

「はぁあああああ――っ」

 ディンが、肺を空にする勢いで息を吐きだし全身に力を込めた。番人の胴体を右手で押さえ、胴体の中へ左手で剣を押し込む。番人の左腕の三本爪がディンの直ぐ背後まで迫っていたがそれにはいっさい気を止めない。折れた剣が番人の胴体へと食い込んでいく。

 そして番人の三本爪がディンの背中へと一センチほど食い込み――そして止まる。力を失った番人の左腕が地面へと垂れていった。

「終わったか……」

 番人の動きが完全に停止したのを見てディンが口を開く。番人の肩口から剣を引き抜くことなく降りて尻を床につける。さしたる傷は受けていない。だが精神的な疲弊が多かったのか、ようやくといった感情がその声色にはあった。

 戦いの興奮が抜けていき、周囲に対する認識が段々と鮮明になっていく。

「……?」

 しばらくはこのまま床に腰を落ち着けていたい所ではあったが、そうも言っていられないらしい。戦闘前とは明らかに変化のあるそれにディンは立ち上がる。番人を倒したことが契機だったのか、それまで閉じていた扉が開いていたのだ。

 扉の奥は極端に温度が低いのか白い冷気がなだれ出ている。最初は、白い冷気のために内側の様子を見る事が出来なかった。だが扉から冷気が外へ流れていくにつれ、扉の奥に詰まっていた靄も晴れていく。扉の奥にあるのは小さな空間だ。

 低めの入り口をくぐって通り、番人が守っていたと思われる部屋の中へとディンは足を踏み入る。身長ギリギリの天井、3mにも満たない奥行き……そんな窮屈な空間には沢山の機械が詰め込まれていた。静かな振動音を立てて今なお稼働している機械たちが部屋の側面に並べられている。そして、それらから伸びたコードや(くだ)が、部屋の中央にある一つの機械へと伸びていた。

「これは……棺桶か?」

 ディンの知っている木製のそれとは違うが、丸く細長い卵の様な造形の金属の容れ物には、確かに人が収まっていた。

「……」

 棺の中に居るのは一人の少女だ。白銀の髪を持った彼女が目を瞑って横たわっている様子がガラス越しに映っている。絹地の貫頭衣に馴染むような肌は、血が通っていないのでは思う程に白い。

 棺の方へとディンが近づく。そして五〇センチほど離れた位置から棺の中の女性の顔を見つめる。頬には皺も染みもない。多分、一〇代後半から二〇歳あたりの年齢だろう。

「……」

 ディンは少女の姿に見入った。上で待機させている調査隊を呼ばなければと思うのだが目が離せない。それは多分、綺麗という感想が自然と心に浮かんでくるほど、彼女が端正な顔立ちをしていたからだろう。

 しかし、ディンの心を満たす感情は幸福などではなかった。むしろその逆で、何かやましいことでも自分にあるかのようなざわざわとした気持ちだ。少女の姿を見れば見るほど、訳の分からない罪悪感が湧き上がって来る。

「……っ」

 これ以上は駄目だ。そう思い、少女の姿から視線を逸らす。そして、溜まった感情を排するように息を深く吐き出した。

「……上の奴を呼んでこないと」

 少女へと背を向け、上層に繋がる鉄の梯子へとディンは歩き出した。



―――



 起きる、食べる、勉強する、食べる、勉強する、食べる、体を洗う、勉強する、寝る、そしてそれを繰り返す。それだけの言葉で言い表せるほどに、少女の一度目の人生は希薄だった。もう少しだけ詳しく話すならば、とある施設に少女は軟禁されている。そこで、同じような生活をずっと続けて……続けさせられていた。

 少女の生まれた時代は、取り返しがつかないほどに環境が汚染されている。疎らにしか草木が生えぬ荒野が大陸の八割を占めており、人間の繁栄の終着が直ぐそこまで迫っていた。そこで、とある決定を当時の政府は下す。記憶力に優れた子供に科学の知識を詰め込んで先の時代へと送るというものだ。二~四歳の子供が集められ、スキャナーを用いて脳を調べられた。そこで先天的な記憶能力を見出された少女は、強制的に政府の施設に預けられ、そこからは同じ生活をずっと続けることになる。

 地下に移り住んで生を繋いだ人類の中でも一層とじた世界の中に少女はあった。だから、彼女は外の世界に憧れを抱く。何千年も先の未来にある自分の自由を待ち続けた。そしてそれは、ようやく叶おうとしている。


『人類の未来を、お前に託した』

 冬眠カプセルの中に横たわる少女を、白衣を着た研究者たちが見つめている。こちらを覗き込んでくる彼らの顔・表情は、天井から照らされる白色の光――その陰となってよくは見えない。同じように、彼等にも少女は見えていないのだろう。少女を通して『未来』だけを見ている。

(下らない……)

 研究者達を少女は冷たい目で見る。

 二歳の頃にこの施設に押し込められてから一六年間、外に出たことなんて無かった。だから研究者たちのいう、人がこれまで積み上げてきた文明の尊さなんて分からない。記録としてしか知らないものに対して、何としても残さなければならないという気概など持てなかった。興味すら無い。故に希望を胸に語り掛けてくる研究者達の姿が少女の瞳には酷く滑稽に映った。

 しかし、この時を待ち望んでいたのは少女も同じだ。

(これでようやく、外の世界を知ることが出来る)

 研究者たちに向けて適当に愛想笑いを浮かべて目を瞑る。カプセルが閉まる駆動音が聞こえた。瞼ごしに入って来る光が遮断され、生命維持のための液体の注入が始まる。ひんやりとした感触が少女の足から満たされていく。そして、少女の体温が徐々に低下していき――


『さようなら』

 薄れゆく意識の中で、この時代に対する別れの挨拶を少女は告げた。




 次に目が覚めた時、そこは少女の知らない部屋であった。

 木の柱に石の壁・暖炉に灯る炎……少女がコールドスリープにつく前では目にすることのなかったものだ。

 ぼうっと天井を少女は見つめる。LEDの代わりにランプがぶら下がっていた。


 キュ、キュ、キュ、キュ――


 物を擦る音が左側から聞こえてきたためそちらへ視線を少女は向ける。

「お、目が覚めたか」

 声をかけてきたのは一人の男だ。年齢は、二〇歳前後あたりであろうか。一メートルにも届きそうな長剣の柄を左手に持ち、くすんだ布でその刀身を丁寧に拭いている。

 少女が視線を向けてきたことに気が付いていた男は、手入れしていた剣を、椅子に立てかけていた鞘に納め、そのまま膝の上に置いた。

「さてと……言葉は通じるか?」

 男の話す言葉は、少女が生まれた時代のとある国で使用されていたものだった。少女の母国語ではなかったが、他言語に関してもきっちりと教え込まれていたので意思疎通に問題はない。

 男の問いかけに対して少女はこくりと頷いた。「そうか。よかった」と男は言う。

「……あなたは、誰ですか?」

「ウルタの騎士……って言っても分からないか。俺の名前はディン=ディールだ。名前だけ一先ず憶えてくれればいい」

 剣の鞘を片手に持ってディンは席から立った。そのまま部屋の扉へとディンは向かう。

「あ……待って下さい」

 部屋を出ていこうとするディンに少女は声をかけた。ディンの足が扉の前で止まり、少女の方へと振り返る。

「どうかしたか?」

「あっ、えっと……」

 ディンの視線を受けて少女は言葉につまる。彼女は、施設の研究者たちとしか会話したことがない。しかもそれは事務的なものに限っている。こういった時にどのように話すべきかが分からなかった。

「お、お腹が空いています……ので、何か食べるものが欲しいです」

 結局、自分でもちょっと変だと思うような喋り方になってしまう。

 因みに、長い眠りが影響しているのか、空腹というよりも虚脱感に近いものを少女は体に感じていた。

「……分かった。なるべく早く持ってくる」

 そう言ってディンは部屋を出ていった。


 少女のいる部屋に次に人が訪れてきたのは、おおよそ一〇分が経って頃だった。


「おおっ、そちらに居るのが遺跡で見つかったお嬢さんだねっ‼」

 茶髪を肩まで伸ばした男が両手を広げて感激の意を伝えてくる。その後ろでは、ディンが鬱陶しそうな目で茶髪の男を見ていた。

「おい、どけ。食事が運べねぇ」

 さっきとは違って荒い口調でディンが苦言を呈すると、「ああ。ごめんごめん」と笑いながら茶髪の男は扉の前から体をどける。

 ディンは、先ほどまで磨いていた剣とその鞘を皮の道具で腰から吊っていた。

「トーリヒ、机」

「はいはい」

 トーリヒと呼ばれた茶髪の男は、部屋の隅に置いてあった低めの円形テーブルを運んでくると少女のベッドの側に置く。そしてディンはその上に持ってきた盆を乗せた。盆の上には、スープの入ったマグカップとサラダの盛りつけられた皿、それに掌にちょうど収まる大きさのパンが乗っかっている。

「ほら。取り敢えずスープからゆっくり」

 マグカップをディンが少女へ差し出す。少女はそれを両手で受け取った。

「あ、ありがとうございます……」

 施設にいた頃にはまず言わなかったお礼の言葉……自分の口からそれが出てきたことに違和感を少女は覚える。


 ディンが少女にスープを手渡している間にトーリヒが椅子を両手にやって来た。そして、盆が乗っている机と並べるようにその椅子を置く。

「よし。それじゃあ、そろそろお話と行こうか……ああ、飲みながらでいいよ。そちらのペースでゆっくりと答えてくれればいい」

 椅子に座ったトーリヒは、膝の上に肘をついて両手を組むと、その甲の上に顎を乗せて少女を見つめる。

 トーリヒの申し出に対してこくりと少女は頷いた。

「まず最初に……お嬢さん、君の名前は?」

「クルミア・アイゼンリヒです……」

「クルミア……いい名前だね。それにどこの国のものでもない珍しさがある……その白い髪もね」

 そこまで話してトーリヒは、しまったという風に、かき上げるように髪の生え際を手で抑えた。

「っと、こちらの自己紹介がまだだった。私はトーリヒ・スクラージャだ。ウルタ……この国の王宮学士ってやつをやっているよ。そこで突っ立っている彼とは腐れ縁さ」

ディンのことをトーリヒは親指で指した。一方で、これといった反応をディンは示さない。

「さて……こちらから聞きたい事は色々とあるんだが、いきなりこんな状況に放り込まれて混乱もあるだろう。まずはそちらから好きに質問くれたまえ」

「質問……」

 手元のマグカップにクルミアは視線を落とした。そしてこの状況を適切に理解するためには何を聞けばいいのか頭を巡らせる。

「……どうやって私は発見されたんですか?」

「君は、ウルタの領域に属する遺跡の最深部で眠っているところを回収された。繭のような形状の装置の中で横になっていたそうだ。単刀直入に聞くけど、君は過去の時代からやって来た人間だね」

 その質問を聞いたクルミアは安堵する。この部屋の中世的な装いから察していた事ではあるが、コールドスリープは成功したらしい。コールドスリープは実は失敗で、眠りにつく前と時代は変わらないとかだったらどうしようかと思っていたところだ。

 それに、彼らが自分に対してどのような認識を持っているのかということも分かった。

「はい、その通りです」

「それじゃあこれは読めるかい?」

 そう言ってトーリヒが一枚の紙を差し出す。クルミアは手にとってそれを見る。

「“西暦二七八四年を持って、世界総督府の指導する文明保管計画が開始された。電子端末・金属板・人を媒体として、各シェルターでの記録の保存が進められる。並行して、訓練を受けた集団を二五人単位で地上での生活へ移行させ”――――」

「ああ、止めていいよ。……うん、ここまで流暢に喋られるのなら疑う余地もない。試す様な真似をしてすまないね。だが、これも必要な手続きなんだ」

 気乗りしていなかったのかトーリヒはため息を吐きだす。それに対して、気にしていないということを頭を横に振ってクルミアは伝える。


「……あの、お二人は王宮勤めの方なんですよね」

「ああ」

「つまり、この国に私は保護されている状態ということですか?」

 その質問に対し、トーリヒは腕を組んで頭を傾ける。

「うーん。そこら辺についてはまだ分からない。というのも、君に扱いについて意見が割れている。国の発見した遺物として扱うべき、国民として受け入れるべきという二つだ。正直に言って、前者の意見はどうかとは思うけど」

 嫌そうな顔でトーリヒはそう告げる。

「君が過去の時代の人間であることも先の質問で確認できてしまったし、知識を目当てに君を縛り付けたいという輩はわんさと出て来るだろうね」

「――なら黙っていればいい。寝心地のよさそうな場所が、遺跡に入り込んだらあったからつい寝てしまったということにすればいい」

 そう言ったのは、これまで壁で静観に徹していたディンだった。突拍子もないこと言い出した彼ではあるが、トーリヒにとっては馴れたものだ。

「お前、そんな嘘が通じるわけ無いだろ」

「ああ。冗談だ」

「……」

「…………まあ、陛下の人となりについて少しは知っているつもりだ。俺が何かしなくてもそう悪い結果にはならないだろう」



―――



 学士として王宮に務める事を条件に国民としての籍をクルミアに与える――それが、彼女が目覚めた翌々日に下された決定だった。クルミアはこれを受諾する。

 三日後、衰弱状態から回復したクルミアは、王宮の東にある研究棟へと居を移し、王宮務めの学士として働き始めた。同じ学士であるトーリヒと言葉を交わす機会は多かったが、いちおう知り合いと言えなくもないディンもクルミアが上手くやれているかどうかたびたび確認に来る。そんな生活だ。


 そうして、一か月の時が過ぎる。



―――



「奇遇だな。こんな所で会うなんて」

「ディンさん、ですか」

 城下の大通りを歩いていたディンは、見覚えのある顔に軽く手を挙げて挨拶した。そんな彼の様子を、対面にいる少女――クルミアは訝しそうに見つめる。

「……貴方はここで何を? 休日平日を問わずに鍛錬場にいると聞いていたのですが」

「俺はあれだ。剣を整備に出している」

 そう言いながら、空になっている帯剣用の吊り革をポンポンとディンは叩いた。

「剣の研ぎ直しは数日かかるからな。その間の代わりを探している」

「数日だけの代替品を……ですか?」

 ふと思い浮かんだ疑問をクルミアが口にした。

「まあ、仕事道具だしな。有事に備えて準備を万全にしておく必要がある。なにより、手元に剣がないと落ち着かない」

「はあ……そうですか。ところで、わざわざ声をかけたということは私に何か用事でも?」

「いや。特に用事はないが……まあ知らない仲じゃないし、声くらいはかけてもいいだろ。それに、うまくやれているか気になっていたのもある」

「へえ……意外ですね。剣以外には興味のない訓練バカ……とトーリヒさんが言っていましたが」

「……俺にも人間らしい感情はあるぞ?」

 わざとらしく不服そうにディンは振舞ってみせる。

「しかし、だいぶ遠慮が無くなって来たな。いいことだ」

「いいこと、ですか?」

「ああ。最初の頃の君は心が塞ぎがちのように見えたからな……そうやって自由に振舞えるっていうのはいいことだよ。これで、俺もようやく――」

 そこまで言いかけて言葉をディンは止める。

「ようやく?」

「ん、なんでもない」

「いや、気になるんですけど」

 クルミアはディンに視線をジッと合わせる。いい意味で今の環境に図太く馴染んだ彼女は、ディンが話してくれるまで視線を外す気はなかった。

「いいだろ、別に」

「……」

「あんまり喋りたいことじゃない」

「…………」

「……分かった。話す」

 だいたい二十秒でディンは根負けする。彼女の瞳に見つめられると、何と言うか、好きにさせてやるかという気持ちになることをディンはいま知った。


 さて、どう話せばいいものか……そう思考を巡らせながら顔を上げてディンが前を見る。

「……?」

 始めに感じたのは違和感だった。大通りに広がる市場には、側面に並ぶ屋台で立ち止まる者や通りの中心を過ぎる者達の何時もの光景がある。その中に、何か異質なモノが混じっていた。繋ぎ目のない無縫の黒衣……その上から、砂を被った白地のボロ布をマントの様に羽織った者がいる。フードを目深に被っているせいか、その内は黒くて見ることが出来ない。

 珍妙な格好ではあるが、何時もディンなら気にも留めないことだ。なのに、このときに限って、それを無視してはいけないという意思がディンの中にあった。

「……ディンさん?」

「……ここは人が多い。少し離れるか」

 自然を装ってこの場から離れよう歩き出し、城とは反対方向にある城壁の門へと続く道を二人は進む。

 途中、さりげなく後ろの様子をディンは伺う。

(まさかとは思ったが……本当について来ているのか?)

 十メートルほどの距離を保ちながらついて来る黒衣の何者かを目にして、ディンの危機感が確信に近いものへと変わっていく。

「どこまで行くのですか?」

 ディンの行動に不信感を覚えたクルミアがそう尋ねてくる。こうなってしまえば、安全の為にもクルミアに事情を説明しておこうとディンは決めた。

「聞け、クルミア。今、俺達は狙われている」

「え、はい……?」

「振り返って確認しないで欲しいのだが、後ろに浮浪者みたいな身なりの怪しい奴がいる。先の市場からこちらの後をずっとつけられている」

「……えっと、どうしてでしょうか?」

 自分達が狙われている理由……危機感の度合いがクルミアより高いディンにしてみれば呑気にも思える質問だ。現状を乗り切る事とは関係ないために、クルミアに指摘されるまでは思考に浮かばなかった疑問であり、それを後回しにしようとするディンだったが、ある可能性に彼は思い至る。

(いやまて……狙われているのは本当に俺達なのか?)


『――知識を目当てに君を縛り付けたいという輩はわんさと出て来るだろうね』

 一月前、永い眠りから目を覚ましたクルミアにディンとトーリヒが会ったその日、トーリヒがそう言ったのをディンは思い出す。その発言を踏まえれば、人的資源として圧倒的に価値が高いのは――


「きゃあっ⁉」

 悲鳴が響く。ディンが後ろを振り返ると、あのボロ布を纏った黒衣の者が人々を押しのけながらこちらへと迫ってきている。

「野郎っ!」

 ディンは腰に手を伸ばす。しかし、いつも帯びている剣は今はない。

(くそ……っ)

 凄まじいスピードで目の前まできた黒衣の者に対してディンは無手で構えた。ディンを無視して通り過ぎようする黒衣の者に対して、ディンは体を低めて肩で当たりに行く。

「ぐぅっ!」

 鉄のような硬い感触が勢いよく当たったことで、骨が砕けたかと思う様な痛みが肩を襲う。実際、ディンが常人以上に鍛えていなければ、最低でも脱臼は免れなかっただろう。

 同時に、動きを止められた衝撃によって、黒衣の者が羽織っていたボロ布がハラリと落ちる。そして、黒衣の者の全身像が露わとなった。

 手足の先まですっぽり覆う黒装束を身に纏ったそれは、ディンと同じくらいの背丈であり、膝に届く程に腕が長い。露出している唯一の部位が顔であり……黒光りする金属の皮膚と、二か所に埋め込まれたレンズの瞳がディンの目に映る。

(この姿は――)

 胴の太さが人間並みに収まっている事を除けば、アルデ遺跡でディンが戦った番人の姿に黒衣の者の姿は似ていた。

「っ⁉ ディンさん!」

「逃げろっ! こいつの狙いは多分お前だ!」

 ディンを無視して進もうとする黒衣の者……いや、人でなしの機械兵の胴に手を回して拘束し、後ろで叫ぶクルミアにディンは言う。通りにいた者は、ディンとクルミアの二人を除いで既に放射状に逃げ始めている。

 一瞬の逡巡の後、クルミアもディンに返事を返した。

「……分かりましたっ。助けも呼んできます!」

「ああ……そうし、ろっ!」

 長い腕を回し込むようにして機械兵が後頭部へ放った貫手をディンは屈んで避ける。そして、脇まで引いた両手から機械兵の腹へ向けて掌底を突き出す。それでどうにか、機械兵を後ろによろけさせることが出来た。

(重いな……っ! 流石に素手じゃどうにもならんか)

 後ろに下がりながら、剣はないかと視線を巡らす。しかし、帯剣している人間はおろか鍛冶屋すら見つけられない。

(仕方ない。程よく時間を稼いでから一旦ひくしか――)

 ディンがそう決断しかけた時、後ろから悲鳴があがる。

「な……っ」

 周辺にいた人は既に逃げ出してほとんどいない。いるとしたら、それは当事者であるディンともう一人の少女――

 まさかと思いながらディンが振り返る。そこには、機械兵の脇に抱えられているクルミアの姿があった。

(もう一体いたのかっ⁉)

 クルミアを攫って走り出す機械兵に追随しようとしたが、後ろから伸びる貫手に裏拳を横から叩きつけてディンは軌道を逸らす。

「チッ……」

 攻撃を弾いた手の甲が痛む。機械兵と対峙できたとしてもあと数合が限界だろう。剣でも斧でもなんでもいい。目の前の機械兵を何とかしてクルミアを追うには武器が必要だ。

 後ろに大きく跳んで、周囲を見る。武器になりそうなものは見つからない。追って来た機械兵の腕の横凪ぎを両手で受け止める。そしてまた後ろに跳んで、周りを見渡す。そうやって戦いの場を移しながらディンは武器を探す。

(――あった)

 店頭に並べられた武器が視界の端に映る。

 視線を前に戻すと、機械兵が長い腕をしならせてこちらへ振ってくる。

「丁度、いいっ!」

 機械兵の腕の振り抜きを両腕の上腕で受けながらディンは横に跳んだ。ブワリと風が髪を荒らすのを感じると同時に五メートルほど一気に吹っ飛ぶ。そして、武器の展示された店頭の台へと着地した。

 ディンの足元の武器が音を立たて乱れる。その中にあった一振りの剣をディンは手に取った。そして、感触を確かめるよう軽く柄を握る。

「……悪くない」

 少しだけ口端を上げたディンは、両手で握った長剣を肩の近くで縦にして構えた。

「それじゃあ、こちらから行くぞ」

 ディンが剣を縦に振り下ろす。半身になって機械兵士はそれを回避する。同時に、機械兵は躱しざまに右拳を繰り出してきた。自身の顔に迫るそれに対して首を傾けてディンは躱す。そこへ畳みかけるように、しならせた左腕を機械兵が横振りする。アルデ遺跡の番人のように刃の爪が腕先に付いている訳ではないが、当たったらただでは済まないだろう。機械兵の左フックをディンは刀身で受け止めた。腕にかかる重たい衝撃……それを殺すように腕と脚の関節を曲げ、体を屈める。

「……はぁっ!」

 そして、一気に跳び上がって機械兵の腕を弾く。しかし、機械兵の長い腕が弛んだだけで、その体勢を崩すまでには至らない。ディンが前へと踏み込むが追撃を避けるように機械兵は後退した。

 一人と一機が睨み合う。

(アルデの遺跡の番人と比べて力はない……だがその代わりに速い、か)

 ディンは考える。

(後ろには店があるから、必要以上に下がると身動きがとれなくなる。なら――)

「おおっ‼」

 スイング気味にディンは長剣を横振った。後ろに跳んで機械兵が躱す。

 大振りに剣を振った事で空いた隙はディンにとって致命的……そのように機械兵は判断したのか、掬い上げるようにして腕を振り上げた。腕が長く設計されているので多少離れた距離からでも十分届くだろう。だが、振った剣と入れ替わるようにしてディンは前へと踏み込んだ。そして、機械兵へと右肩をぶつける。体当たりだ。

「……ッ」

 無理矢理に隙を埋めた代償がディンを襲う。機械兵の重さと硬さ……そして自らの勢いによってその肩に痛みが走る。だが、そのまま力を込めた。

 鉄の身体が数センチほど浮いて、後方へ吹き飛ばされる。機械兵は危うげなく着地するが、その時にはディンが二撃目を放つ準備をしていた。

「おぁっ!」

 最初の横振りの遠心力を残したまま機械兵をディンは袈裟斬りにした。金属がぶつかる音と共に機械兵が後ろへよろける。裂けた黒装束の合間から、鈍色の光を反射する金属の肌が見えた。

(刃が通らない……硬さもあるのかっ)

 細身の人型なのであるいは……とも思ったが、遺跡で戦った番人に劣らぬ装甲を纏っているらしい。黒装束を纏っていたために分からなかった。

(なら、あのときと同じように――)

 袈裟斬りからの返しで、間髪入れずに敵の腹部に突きを繰り出す。それも、一回ではなく複数回だ。最初の二回の突きは、装甲の表面を滑るだけであった。だが三回目にして、薄い金属部分に剣がめり込んだ感触がディンの腕から伝わってくる。

(入った……関節部なら一撃で壊せる)

 相手の腹を足で抑えながら刺さった剣を引き抜くと、機械兵はそのまま後ろへと倒れた。

「はぁ……」

 ディンは一度いきを吐く。そして目の前に斃れる機械兵から視線を逸らすと、クルミアが連れ去れた城壁へ続く通りを見る。

「間に合うはずだ……」

 城壁は十メートル以上もある。あれらが人でないとしても、クルミアを抱えたまま超えることは難しいはずだ。

 しかし、並みの兵では機械兵を止める事は出来ない。あの機械兵が城壁で足を止めている内にディンがどうにかする必要がある。抜き身の剣を携えてディンは駆け出した。




 ウルタという国は城郭都市だ。今なお稼働している遺跡によって人工的に形成されたオアシスを取り囲むように城壁が築かれており、その直径はおおよそ三キロメートルだ。都市の中央たる王城より離れた場所で襲われたため、ディンから城壁までの距離は一キロメートルあるかないか。日頃から鍛えているディンにしてみれば三分もかからない距離だ。しかしその僅かな時間の間に事態は、ディンの予想を超える悪化をしていた。


「なに、が……あった」

 城壁に辿り着いたディンが目にしたのは、壁門を守る衛兵の死体と破壊された門扉の光景だった。酷な話ではあるが、衛兵が負傷ないし死亡するという事態はディンの予想の範疇だ。しかし、いくら機械の兵士と言っても堅牢な門扉を短時間で破壊できるとは思わなかった。

(いや、無理なはずだ)

 破壊された門扉をディンは見る。木製の扉は、それを補強していた鉄の部品ごと断ち切られていた。加えて、木造部分の切断面は黒く焦げ付いている。

(断面に焼きゴテを当てた? 違う、そんなことをする理由も時間もない。なら、斬った結果としてこうなったのか……それとも、焼けた結果として斬れた?)

 いずれにしろ、こんな事が出来る武器・道具にディンは覚えがなかった。

「――これは一体どういうことだ‼」

 そのとき、騒ぎを聞きつけた騎士隊が駆けつけてきた。大破した門扉、衛兵の死体……そして、剣を手にしたディンを見て、隊長格とおぼしき騎士は怒鳴る。

「貴様っ、ここで何があった!」

「待てっ。俺は五番隊の隊長のディン=ディールだ。こちらも騒ぎに巻き込まれた」

 詰め寄ってくる隊長騎士に、所属の刻まれた金属タグをディンは取り出す。しかし彼は、タグの方ではなくディンの顔を見つめ……驚いた顔を見せた。

「ディン=ディール……本当に“番人殺し”だ。では、来る途中のあれも――」

 そのまま二・三秒ほど呆けた様子を見せる隊長騎士だったが直ぐに我に返る。

「あ……いや、すまない」

「いい。それよりも、人が一人攫われている。急いで斥候を出したい」

 隊長騎士の後ろで聞き取りを行っている彼の部下たちへディンは視線をやる。それで、ディンの意図を隊長騎士は察した。

 しかし、それは彼等の本来の業務から外れる事だ。隊長騎士は迷いの表情を見せる。

「無理を言っているのは分かるが緊急事態だ。頼む」

「………承知した。部下を偵察に行かせよう。その代わり、ここの騒ぎについてはあなたから話を聞かせてもらうことになるが……それでよろしいか?」

「ああ。全てを見ていた訳じゃないが、分かっていることは全て話す」


 その後、隊長騎士は部下たちを呼び戻して、璧外へと偵察の指示を出す。そしてディンは、クルミアのことも含め自身の身に起こったことを話した。


「――遺跡で眠りについていた古の知識を持つ人間……確かに、そのままで済ましておくわけにはいかないか」

「ああ……」

 肯定の返事を口ではしながらも、隊長騎士の発言に対する反発心をディンは感じてしまった。クルミアを助けたいと彼が思うのは彼女が古代人だからではない。かといって、騎士としての矜持でもない。それは――

(……いや、今は余計なことは考えなくていい。クルミアを攫った奴らの場所が分かればそこに行く。敵は打ち倒す。それだけだ)

 城壁に背中を預けながらディンは静かに闘気を研ぎ澄ませていく。


 そんな彼の元に、クルミアの居場所に関する情報を、斥候に出ていた騎士が持ち帰って来たのはおよそ一時間後のことだった。




「本当に一人で行かれるのか」

 馬に乗ったディンに隊長騎士がそう声をかける。

「ああ。こう言っては悪いが、他の者ではあの機械兵に対抗できない」

 力が及ばないがために助力すらままならない事実に隊長騎士の瞼が僅かに伏せられる。

「そう、ですか。口惜しいですが、我々はここでディン殿の武運を祈ることにします……お気を付けて」

「ありがとう」

 そうして、壁門から外へとディンは馬を走らせ始めた。



―――



「……ん、ぁ……」

 クルミアが目を覚ますと冷えた金属の床が目の前にあった。どうやら、うつ伏せになって眠っていたらしい。

(私、は……)

 クルミアは自身の記憶を探る。覚えている最後の記憶は、機械兵に脇で抱えられたまま運ばれている状況だ。ガックンガックンと激しく上下に揺られたためそこで気を失ってしまったのだろう。


「――お目覚めになられましたか。我等が救世主、遺跡の姫よ」

 正面から声が聞こえる。クルミアが顔を上げると、機械兵の身に付けているものと似た黒装束……それを纏った青年が視界に入った。

 また、青年の後ろには機械兵が一体ひかえている。今は稼働していないのか、床に座り込んだまま動かない。

「あなたは、誰?」

「これは申し遅れました。エルデ=ミュイと云うのが私の名前です」

 右手を胸に当てて片膝をつくと、エルデと名乗った青年は頭を下げて身を低くした。

「まず、ここへ強引にお連れしたことへの謝罪を」

 再度、エルデは頭を下げる。

 エルデの言葉を聞いてクルミアは周囲を見渡した。広いドーム状の空間で直径は三〇メートル程だ。床も壁も天井も金属張りとなっており、埋め込まれたライトの灯りを受けて、黒と白の入り混じる光沢を放っている。

 クルミアにとっては見覚えのない場所ではあるが、一つだけ彼女の気を引いたものがあった。

「……これは、わたしが――」

「はい。貴方様が眠っておられた場所です」

 クルミアの視線の先……繭のような形状をしたカプセルを確認してエルデが言う。

「貴方様にはもう一度ねむって頂きます」

「―――え?」

 それは、クルミアにとっての衝撃だった。エルデが自分を攫ったのは、自分の知識を求めるがためだと思っていたからだ。

「何故……」

「貴方様はこの時代に目覚めるはずではなかった。だというのに、われわれ人類の本懐を忘れた者どもがここを荒らし、あまつさえ貴方様を目覚めさせた」

 いけないことです……とエルデは手を顔に当てた。何かに陶酔するように天井を彼は仰ぐ。

「貴方様の知恵を受けるにはまだ足りないものが多すぎる。土地が回復し、人が増えるまで待たねばいけない……それで初めて、人類は元の繁栄を取り戻せる」

 天井からクルミアへと視線もどしたエルデはクルミアに手を差し伸べた。その瞳は、クルミアを見ているようで見ていない。クルミアを施設に押し込めた研究者たちと同じ目をしていた。

「っ! いやです‼」

 パンッと音が鳴る。クルミアがエルデの手を弾き退けた音だ。

「……」

 クルミアに弾かれた手をエルデはジッと見つめる。

「……ごめんなさい。貴方のいう事は聞けません」

 クルミアは自分の力で立ち上がる。そして、目の前で未だ手を見つめているエルデから遠ざかるために階段へ駆け出そうとして――

「――やはりこうなったか」

 後ろから衝撃を受けて、クルミアの身体が床に叩きつけられる。首を回して見上げると、クルミアの上に乗ったエルデが背中を押さえつけていた。

「本当は貴方様にこのようなことをしたくは無かったが……拘束させて頂きます。何としても先の時代へ貴方様を送らせなければならない」

「そ、んな……」

 上から強く抑え込まれており、僅かにしか呼吸が出来ないクルミアがなんとかそう口にする。

(いや……もう、失いたくない……)

 二歳の頃に施設に引き取られるまでの、両親との生活の記憶がクルミアの脳内を駆け巡る。地下の狭い部屋での暮らしではあったが、クルミアを両親は深く愛していた。だが、生まれ持った記憶能力のせいで、家族としての思い出を忘れることがクルミアには出来ない。だから施設での孤独な暮らしに慣れることはなかった。

 でも、ウルタでの暮らしは楽しかった。ディンにトーリヒ、王宮学士の同僚……自分を気に掛けてくれる人がいるという生活は、外に出られること以上に心を温かくさせてくれるものだと知った。……だから、今を失いたくはなかった。

 クルミアは手に力を込める。自分の身体を起こそうと地面を押した。

「無理ですよ。私と貴方様では鍛え方が違う」

 クルミアもそれは承知していた。しかし、ディンやトーリヒという我の強い者達と一緒にいたためか諦めの悪さは身に付いている。最後まで悪あがきしてやろうとクルミアは思った。例え時間稼ぎでもいい。もしかしたら、いや、きっと、助けに来る人がいるはずだ。

「大人しく眠りについて下さい。貴方のその行為に意味はない」


「――いいや、ある。往生際までみっともなく、全てが終わるその時まであがけ。絶望なんて死んでからすればいい。自分の在り方を貫き通せ。人っていうのはそうじゃなきゃいけない」

「……なに?」

 カツン、カツンと歩を進める音が響く。声の出どころは上層へと繋がる階段だ。灯りのない階段から姿を現したのはディン、気負いを感じさせない様子で階段を降り切った彼は、視線を少し上げてクルミアとエルデを見る。

「しかしまあ……またアルデ遺跡に来ることになるとは」

 ぶらりと下げた右手に握られた剣、それを構えることなくディンは言った。

「貴様……何者だ」

 エルデがディンに問いかける。

「ディン=ディール……ウルタの騎士だ」

「途中、警備の戦闘機械を置いていたはずだが?」

「全部こわした」

「……」

 しばらくの沈黙が場を支配する。

 やがて、そういうことか……とエルデは呟いた。

「遺跡に配置していた番人……それを破壊し、遺跡の姫を連れ出したのは貴様だな」

「そういうことだ。言っておくが……今の俺は少々キレてるぞ」

 緩慢な動作でディンは歩き始める。

「――ッ! ……”敵性評価、攻撃”っ」

 ディンの敵意を受けたエルデがそう叫ぶと、斜め後ろに控えていた機械兵が前へと出てきた。

 エルデとディンの間に入った機械兵へゆっくりとディンは近づいていく。そして彼我の距離が二メートル程度になった所で、肩に担ぐようにしてディンは長剣を構えた。

「ふぅ――――っ」

 そして、呼気と共に一気に踏み込んで機械兵を袈裟斬りに――出来ない。機械兵は後ろに跳んでスレスレに斬撃を躱していた。

「へぇ……さっきの奴らより多少は速いらしいな」

 ディンの声に感心の色はない。どちらかというと、面倒臭そうに思っている様子だ。同時に、大して気に留める事もないと脅威を感じていないようだった。

 振り下ろした剣をそのまま下段に構えたディンは、機械兵の胸部へと剣先を突き上げる。機械兵はこれを半身になって躱すが、突き込んだ長剣をディンは更に横に薙いだ。機械兵は両腕の甲で剣を受ける。

(よく反応する……だが――)

 ディンの剛剣に機械兵の身体が揺らぐ。機械兵はディンの剣を上へ跳ね上げて逸らすと、体が後ろに傾いた状態のまま右の裏拳をディンの顔へ放つ。


 しかし、敵の苦し紛れの攻撃……右腕の薙ぎ払いを屈んでかわすと、両手で握った長剣を腰だめにディンは構える。

(よし。このまま――)

 このまま胴の関節を突けば勝てる。ディンがそう確信したその時に――


 ――プシュウ


 間の抜けたような空気音……しかしそれが齎した事象は、ディンにとっての悪夢であった。後ろに態勢を崩している筈の機械兵……その身体が急にずれる。空気音に合わせて腰が浮き上がり、倒れかけていた体が起きる。そして、ディンが付き放った剣の切っ先が機械兵の横腹を掠めていく。そのまま、機械兵は左の掌をディンへと向けて――


「ッ⁉ や――」

 前へと進む身体に急制動をかけ、ディンが後ろへと跳び退こうとする。しかし、結果としてそれは間に合わない。

 敵の掌から発射される赤い光線……それはディンの左腕を容赦なく奪った。光線が見えたのは一瞬で直ぐに消えてしまったが、引き伸ばされる知覚の中で自分の腕が静かに落ちていく様子を視界の端でディンは捉えていた。

「――ッ!」

 遅れてやって来る痛みに動きが止まりそうになる。自身の肉が焼け焦げた匂いに不快感が湧き上がっていく。しかし、それらの感情を抑え込んでディンは後ろに跳びきった。

 大きく二メートル距離を取った後に目の前の怪物へとディンは視線をやる。

「なんだこいつは……」

 明らかに、これまで戦った機械兵とは違う。さっきの急制動や掌から放たれる光線は初めて見るものだ。

 腕の痛みを堪えながら、目の前の機械兵士についてディンは観察すた。しかし、ここまでに戦った機械兵たちと見た目はほとんど変わらないように見える。


 それはそれとして、光線の攻撃に関しては心当たりがあった。

「……そうか。城壁の門扉を破壊したのはこいつか」

「ああ、そうだ。貴様の左腕を奪ったこいつは、今まで貴様が相手してきた量産体とは違う。駆動を補佐する噴出装置(ブースター)と、遠距離攻撃を可能にするビーム装置を備えている。更には、これらの兵装を十全に活かすための高度な戦闘アルゴリズムと、それを実行するための強力な計算資源を積載したコスト度外視の……古の技術の粋を集めた最高傑作だ」

「つまり、昔の基準でもっていうやつか……ははっ。笑えねぇ」

 果たしてそれは悲哀か、それとも歓喜か。ディンの口元に乾いた笑みが浮かぶ。


 ――(ゴウ)


 普通に生きていればおよそ聞くことのないだろう風切り音と共に、機械兵の右の貫手がディンの顔へ伸びる。ディンはそれを屈んで躱す。

「――ッ」

 再び、ディンの背筋を悪寒が走る。自身の直感に従ってその場から横に跳び退くと、先程までいた地面に赤い光が突き刺さった。左掌からのビームだ。遅れて、床の金属が焦げ付いた匂いがディンの鼻腔へと入って来る。……初見殺しの奇襲が通じなくなった時点で、ビームを出し惜しむことは止めたらしい。

 ディンの額からたらりと汗が垂れ流れる。距離を取ろうが攻撃は飛んでくるし……唯一の選択肢である近接戦も、腕一本のディンにとっては綱渡りに等しい攻防だ。

それでもディンは笑う。諦めの知らぬ顔で口端だけを僅かに吊り上げる。

「いいぜ……やったろうじゃねえか。

 ――来いっ!」

 ディンの声に触発されたかのように、機械兵が前へと踏み出す。距離を取ってビームを放つだけでは躱されると、これまでの戦闘データから算出した結果だ。

 前傾姿勢で突っ込んできた機械兵士はその長い左腕でディンの足元を取りに行く。だが、それに合わせてディンも前に出て、機械兵士の左側面へと入る。すれ違いざまに首に剣を突き立てようとかと思っていたディンは、しかし身を屈めて前に抜けた。直後、ディンから隠すように背中に回していた機械兵士の右手からビームが放たれ、ディンの頭上を通り抜ける。

 機械兵士の後ろへと抜けたディンは、振り返りざまに機械兵士の腰――上半身と下半身を繋ぐ接合部を狙って突きを放つ。


 ――プシュウ


 だが、あの空気の抜ける音と共に、態勢を変えることなく機械兵士は横へとずれる。

(あれか……っ)

 小さい羽のような金属装置が二枚、機械兵士の背中についている。羽の片翼が開き横方向へと推進剤を吐き出し……その反動で、機械兵士が突きを躱したのをディンは目にした。おそらくあれがエルデのいう噴出装置なのだろう。

(しかし、背中にあるんじゃ碌に狙えもしない)

 結局は、真正面からの戦いで致命的破壊を与えるしかない……そう判断し、ディンは噴出装置のことを頭から追い出した。


 ディンの方へ方向転換しながら機械兵が突っ込んでくる。機械兵は、地面を擦るように右手を引きずって火花を散らしながらディンの方へと一気に腕を振り上げる。

 半身になってディンがそれを躱すと、今度は、胸目掛けて左の貫手が避けた先へ迫って来ていた。

「おおぉ!」

 長剣で斬りつけて斜め下へと左腕を弾き落とした。

更に、機械兵の左腕に剣を当てた反動を利用してそのまま本体へと斬りかかる。右手の射線を意識しながら前へと踏み出す。

 案の定ビームが放たれたのでディンは体を捻って躱し……その動きで、機械兵の首の関節部へと剣を振るった。

 横薙ぎの一閃……それに対して、噴出装置の補助を持って大きく後ろに機械兵は飛んだ。ディンの長剣が届かない程に彼我の距離が離れていく。


「――まあ、そうするだろうな」

 ディンは更に踏み込んだ。そして己の足だけで古の兵器へと追随する。

『……』

 機械兵に驚きはない。ただ、このように未来が演算結果になかっただけ。次の行動を機械は新たに計算し直す……その、人間なら反射で済ましてしまう様なホンの少しの隙が、ディンの前では致命となった。


 横薙ぎからの返しでディンは突きを放つ。狙うは一点、機械兵のレンズの眼だ。

 同時に、演算を終えた機械兵も動き出す。右の掌からビームを放つ。しかし、その行き先はディンではなく彼の剣身だ。ビームは、ディンの剣を半ばから溶かした。そして、機械兵の左腕はディンの身体を貫こうと動く。武器破壊からの止めという、ディンの特攻を確実に潰すための二段構え……ディンの生存は絶望的に思えた。


「お、あぁ……っ!」

 ディンの姿が掻き消える。彼を貫くはずだった機械兵の左腕は、それが自分の胴にぶつかる前にピタリと止まった。

 ――次の瞬間、ガラスの割れる音が鳴る。機械兵の右の眼には、剣身が半ばから融解したそれが斜め上から突き下ろされていた。ディンは上空へと跳んでいたのだ。

 剣の刺さった右目から電気が迸り、機械兵の身体が後ろへと仰け反る。剣を握ったままのディンが上向いた胴に跳び下りると、金属同士がぶつかり合う大きな音を立てて機械兵は倒れ込んだ。

 しばらくの間、床に転がる機械兵をディンは睨みつける。そして、これ以上は動くことがないという確信を得てディンは大きく息を吐いた。


「……それで、どうする」

 機械兵から剣を引き抜いて立ったディンはエルデへと視線を向ける。エルデは今、クルミの側ではなく、上層への階段の近くにいた。

「化物め……」

 僅かに開いた唇の隙間から、歯を食いしばっている様子が垣間見える。

「……いつか取り戻しに行くぞ。それまでは貴様に預けてやる。死ぬ気で守れ」

 目と目の間に皺をよせ、ディンを睨みつけるように言う。そして、階段の闇に紛れるようにしてエルデは消えて行った。


「ふぅ……なんとかなったか」

エルデの気配が無くなったのを確認すると、その場で腰をついてディンは大の字に倒れ込んだ。

「ディンさんっ⁉ 大丈夫ですか」

 その様子を見たクルミアが、これまでの静観を破り、ディンへと近づいた。

「大丈夫だ。死にはしない」

「でも……腕が……」

「だから、大丈夫だ。幸い、傷口も焼けてくれているからな。止血も完璧だ」

「そういうことじゃないっ!」

 クルミアが叫ぶ。その瞳からは涙が流れていた。


「私のせいで――」

「違う」

 クルミアがそう言いかけるのをディンは遮った。

「クルミアのせいじゃない。自分の腕を失くした責任は全て俺に帰結する。俺の判断で君を助けに行って、その結果として腕を失くしたんだ」

「でも、その原因は――」

 それでも何か言いたげに言葉を探すクルミアに、ディンは首を横に振る。

「別に、クルミアの為にそう言っているわけじゃないからな。例えここで俺が死んでいたとしても、その因は全て俺のものでなくちゃいけない……でなきゃ、自分の人生の主導権が自分になかったことを認める事になる。正しい正しくないは関係ない。自分の身に起きた全ての責は自分にあれかしと、他人に振り回される人生などないのだと……そう考えるべきだと俺は思う」

 クルミアの頭の上にディンは右腕をポンと置いた。

「だからさ、俺は本当に気にしてない。腕一本あれば剣も振れるしな」

 だから君も気にするなと、ディンが続けて言ったその言葉にクルミアはこくりと頷いた。


 そこでディンが、

「あ……」

 と、何かに気付いたように声を上げる。

「ディンさん?」

「いや、ちょっと分かった事があったんだ」

 そう前置いて、ディンは言葉を続ける。

「実をいうと、この遺跡で俺が君を見つけたとき、忌避感のようなものを君に対して感じていたんだ。……いや、嫌悪とかそういうものじゃなくてだな」

 瞼を伏せたクルミアにディンは言葉を付け足した。

「何でそう思ったのかその時は分からなかった。でも今なら分かる。あれは……君の在り方を否定したかったんだ」

「私の、あり方……?」

「あの棺に閉じ込められた君は、自分の思うように生きているとは到底おもえなかった。さっきも言ったように、他者に人生を歪められることが俺は大嫌いだ。そして、どんな状況でも自分の生き方を貫く覚悟があるつもりだった。でも、それすら許されない状況に君はいた。……だから、否定したかったんだ、その姿を」

「あの……ディンさんが私に話しかけてくれたのって、もしかして――」

「ま、そういうことだ。……でも、その心配はなかったな。君は元から強かだったみたいだ。この一か月間、君と話してみてよく分かった」

 よいしょっと言いながらディンは上半身を起こした。


 そんなディンの様子を眺めながらクルミアはある事を思案いた。迷いに費やした時間はおよそ数秒で、何かを決断した彼女は顔を上げてディンの名前を呼ぶ。

 居住まいを正したクルミアに倣い、ディンも黙って彼女の方を向く。


「ディンさん、もしよろしければ、この遺跡で眠りにつく前の私の話を聞いてくれませんか」

「それはいいけど……どうしてそんなことを?」

 この一か月間、自身が学んだ知識を惜しむことなくウルタに伝えて来たクルミアだったが、過去の自分の事ついて彼女が口にすることはほとんどなかった。だから、話したくない内容なのだろうとディンは触れないようにしていたのだが……一体、どんな心境の変化がクルミアにあったのだろうか。

「貴方は私のことを見ていてくれた、理解しようとしてくれた。“未来への希望”でも“古代の知識”でもなく私という人間をみようとしてくれた……そして、その末にここまで助けに来きている。だから、私から教えられる私の事は全て伝えておきたいのです。そして――」

 クルミアが言葉を区切る。


「――これからも私と共にいて欲しい」

 それは、懇願するような震え声だった。

 しかし、クルミアの心配は杞憂となる。

「ああ、いいよ。むしろ、トーリヒみたいに我儘な奴が増えた方が張り合いがあっていいな」

 ディンは笑いながら答えた。

「我儘って……もう、なんですかそれ」

 それを聞いたクルミアも、口角を内側に緩ませて笑ったのだった。

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