紅茶は美味しい喫茶店 2
幼馴染のケイスケはスパダリである。
わたくしリホは、このたび目出度くそのケイスケと結婚した。
三十歳目前、ギリギリセーフのタイミングで。
プロポーズの承諾をした翌日、善は急げとケイスケに役所に連れて行かれ、婚姻届けを出した。
ケイスケは、ずっと私を好きだったらしい。
私も、特に彼氏が欲しいとか、痛切に思った覚えがない。
ケイスケがしょっちゅう側に居て、何でも話せたおかげかもしれない。
今までナニもなかったとはいえ、諸事情で既に同居している。
婚姻届けを出したら、ケイスケはそういうことにがっついてくるのかな、と少々心配していた。
……が、そんなことはなかった。
なんというか、それなりに節度ある夫婦生活を送っている。
「リホが嫌がることは、絶対しない」
じっと見れば、やっぱりなかなかイケメンの夫。
ケイスケは本当にスパダリだ!(赤面)
婚姻届けを出したので名実ともに夫婦ではあるが、一般的にこういうことには結婚式と披露宴がセットでついてくる。
するかしないかはともかく、必ず話題に上ってしまう。
特に信じる宗教もなく、冠婚葬祭に呼ばねば後が面倒な親族もいないので、結婚式はパスでいいかな、と言えば、ケイスケは「そうだな」とあっさりしたもの。
「披露宴はどうする?」と訊かれて「いらない」と即答。
高いお金を払った本人たちが見世物になって愛想を振りまくなんて、絶対嫌だ。
ケイスケのご両親にも、子供じゃないんだから自分たちで好きにやれ、と言われている。
ところで私たちが、そんなやり取りをしているのは喫茶店のキッチン。
目の前のカウンターでは、ご近所さんで常連のトキワさん夫妻が素うどんをすすっていた。
ソウタが大学生になってアルバイトを卒業してしまったので、平日も私が店に立つことにした。
お客さんはほぼ、ご近所の常連さんばかりの喫茶店だ。
お昼ご飯をここで食べたい、という要望があったのでお応えすることにした。
トキワさんは昼は素うどん。
裏メニューというか、トキワスペシャルと呼んでもいいメニューだ。
それはなぜかと言うと。
トキワさんは引退した商社マンで、若い時は海外を飛び回ったエリート。
舌が肥えていて、つまり、不味いものでは満足しない。
だが、歳がトシだから、と奥さんのフサコさんは塩分が気になる。
というわけでフサコさんと私で相談した結果、ちょっと上等な白だしを更にお出汁で薄めたスープを作った。
うどんは冷凍うどんで大丈夫だった。
助かった。
手打ちじゃなきゃ、とか言われたら、今でさえ食堂もどきの喫茶店がうどん屋になりかねない。
フサコさんも時々、塩分量を計るため、ではないが一緒に素うどんをすすりに来る。
「そっかあ。式も披露宴もしないのかあ。
リホちゃん、ドレスに憧れないの?」
フサコさんはいつでもお洒落で素敵だ。
以前はスタイリストをしていた。
旦那さんの海外出張について行って、現地で仕入れた旬の流行服を持ち帰って仕事に活かした。
珍しくて面白くて新しい、と大物芸能人に気に入られていたとか。
『今ではネットで手に入っちゃうけどね』
と時代の利点を強調するが、本人のセンスがあればこそ、だろう。
「ドレス着て座っているより、来てくれたお客さんをもてなしたいですね」
私がそう言うと、ケイスケはドレス姿を期待したのか、ちょっとだけ残念そうな顔をした。
「それじゃ、この店で近所の人だけ呼んで、こぢんまりとお祝いパーティーすれば?」
スープを飲み切ったトキワさんが提案してくれた。
空の器を見て、フサコさんの眉間にしわが寄る。
「あ、それ素敵ですね」
たまには一人分ずつの料理じゃなくて、大皿料理とかケーキとか作りたい。
「だったら、私も手伝えそうね。
パーティーの主役のおめかしは、私に任せてくれないかしら?」
と、見る間に話はまとまって、お祝いパーティーが開かれることになった。
パーティー当日、料理を作り終えた私は後を任せておめかしタイム。
ケイスケのお母さんを中心に、主婦の皆さんがテーブルセッティングやら、温め直しやら、いろいろやってくれることになった。
フサコさんと一緒に二階の自室で準備を始める。
「うわー、やっぱり素敵!」
用意してくれたドレスは、イタリアのなんちゃらいうブランドのヴィンテージ。
『値段は聞かないほうがいいわよ』
というくらい、すごいものらしい。
ウェディングドレスを思わせる白いワンピースで、生地に細かい刺繍がされている。
ちょっとマニッシュ風味で、ヒラヒラしてなくて私好み。
「うん、サイズぴったり」
前に試着させてもらった時に、サイズ直しをすると言われてビビった。
そんな貴重なドレスを私に合わせるなんて、いいのだろうか?
『大丈夫よ。直すといっても少しつまんだり寄せたりするだけだから、また戻せるの』
大掛かりなサイズ直しではないので、気にするなと言われた。
気の小さい庶民派の私は、それでやっと安心した。
ドレスを着たあと、椅子に座るよう指示される。
「まずは髪を整えるわね」
そう言うと、フサコさんは私の髪をパパっとまとめていく。
ドレスと似た色の幅広のリボンを取り出して、チャチャッと襞を寄せ花を作り髪に止めつける。
「次はメイク」
プロっぽいカッコいいメイクボックスが開かれ、見たこともない高そうな化粧品やブラシが見えた。
「はい、ちょっと目を瞑ってて」
次は、瞬き禁止よ~と言いながら、ちょいちょいと、顔のあちこちをいじられた。
「うん。いいわね。出来上がり!」
立ち上がって姿見に向かうと、あら、びっくり!
「こ、これが私!?」
わざとじゃない! 心の奥から出てきた言葉である。
せっかくなので写真を撮ってもらっていると、ノックの音がする。
「リホ、進み具合はどう?」
「あ、入って大丈夫だよ」
「お邪魔しま~す…………!!!」
絶句するケイスケ。
そうだろうそうだろう。こんなに綺麗なリホちゃんを、見たことないだろう。
私も初めて見たよ。
「惚れ直す?」
まだ言葉が出ないケイスケは、ひたすら頷いた。
「ケイスケもカッコいいよ」
と面と向かって言えば、真っ赤になる。
何を可愛い反応をしているのだ。私の旦那さんは。
ケイスケのスーツはドレスと同じ、なんちゃらいうブランドの新品だ。
『これに合うスーツを見せてくださる?』
とフサコさんが、銀座にある路面店にヴィンテージドレスを持ち込んだ。
もちろん、ケイスケも連行された。
幻のヴィンテージドレスを間近に見られたということで、スーツはお得意様並に割引されたとか。
フサコさん、すごい。
ちなみに、割引された後の値段を聞いて、私は五分間無言になった。
どこのお金持ちが買うの、それ!
……って、うちの旦那かあ。
私は自分の貧乏くさい金銭感覚を一生手放さないぞ、とその時誓った。
さて、ケイスケにエスコートされて店に戻った私を、皆が拍手で迎えてくれた。
「皆さん、本日はお忙しい中、お越しいただき……」
と、ケイスケが挨拶を始めると
「忙しいやつは来てないからお気遣いなく~」
「おめでとう! で、腹減ったんだけど」
などと、気楽な付き合いをしていればこそのヤジが飛び、皆で笑う。
「とにかく、来てくださってありがとう!
んじゃ、乾杯!」
苦笑いのケイスケが、挨拶を短くまとめた。
生まれた時から何かと面倒を見てもらった方々に、逆らうのは得策ではない。
「おめでとう!」
「幸せにな~」
ケイスケのお父さんは泣いちゃった。
「お義父さん」と、声をかければ
「リホちゃんは、うちの娘になってくれたんだな」と、涙をこぼす。
私は涙を堪えた。
だって、この化粧、崩したくないんだもん!
お義母さんは、お義父さんにハンカチを差し出しながら『ガンバレ』と私にエールをくれた。
大人ばっかりのパーティーはやっぱりグダグダで、カラオケすれば爆笑で、食べて飲んで、歌って踊って、笑って、笑って笑って、最期は結局……
「リホちゃんのご両親が亡くなった時、うちの養女にしたいなあって思ってたのよ」
フサコさんがぼそりと言う。
「ア、アラサーの養女!?」
「歳は関係ないでしょ、小さい頃から知ってるし」
トキワさんご夫妻にはお子さんがいない。
「でも、ケイスケがいるから諦めたの」
「?」
「ケイスケが絶対にリホちゃんを守るに違いないからね。
私たちは陰ながら見守ることにしたのよ」
うどんをすすりながらね、とフサコさんは笑う。
丁度、奥さんの隣に座ったトキワさんも笑う。
私は、一緒に笑おうとして……涙が溢れた。
ケイスケが飛んできて、私を抱き寄せ、ペーパータオルで涙をぬぐってくれた。
ハンカチじゃなく。
「このペーパータオル、特上の柔らかいやつだから、肌を傷めない」
そこ、真面目くさって言うとこ!?
もう一度、笑おうとして……やっぱり私は泣いた。
「ケイスケ! 拭うんじゃない、そっと当ててタオルに涙を吸わせるの!」
「は、はい!」
どこへ出しても恥ずかしくないスパダリのケイスケが、主婦連に睨まれて小さくなる。
私は、彼の腕の中で泣きながら、笑った。