魔使い少女と世話係
「さて、今日も楽しい殺戮だ。」
昼前の日光すら遮断する薄暗い森の中、ニタリと笑う少女レイラは異質な存在だった。
白い髪と白い肌に、血色の瞳。これは魔使いと呼ばれる者の特徴である。
但し、彼女の滑らかな長髪はその毛先を黒く染めていた。
黒は魔物の色。人間が持ち得ない色だ。
レイラの髪に黒が混じっているのは、彼女が魔使いとしての力を行使しているからに他ならない。
現に、真っ黒な大虎が呻き声と血を撒き散らして吹き飛んだ。
「そうですね、先生。早く片付けて美味しいご飯食べましょう。頑張ってください!」
少年は光り輝く半球の内部で無邪気に笑う。
この半球は、魔石と呼ばれるエネルギー結晶を加工して作られた簡易結界である。中にいれば、大抵の攻撃を無効化できる。
少年はレイラとは異なり、色彩を持っていた。
茶色の髪に青い瞳。彼は力を持たない普通の人間だ。
「ところで、今日の昼は肉でも食べないかヒュノア。この虎見てたら無性に食べたくなった。」
レイラの言葉を理解したのか、虎型の魔物は僅かに後退る。
「あー、それなら後でリトルボアでも狩りましょう。たしかこの辺りにも生息していたはず。虎はさすがに無理なんで勘弁してください。」
「本当か?!なら私も狩りに協力しよう!」
「駄目です!先生は力の無駄打ち厳禁!それくらい僕にもできるんで、先生は寝ててください。」
目を輝かせたレイラのやる気を、少年――ヒュノアはバッサリと切り捨てた。
「何故だ?!それくらい良いだろう?」
「良くないことは先生が一番ご存知でしょう?」
「・・・分かった。十秒でこいつら殲滅するから、肉は頼む。」
そう言って、レイラは森を駆け回る。
同じ人間だとは思えないくらい素早い動きに、ヒュノアはいつも怖くなる。
レイラが怖いわけではない。
レイラが自分とは違う存在なのだと再認識する度に、彼女がどこか遠くに行ってしまいそうな気がして怖いのだ。
「まったく、無理しないでくださいね。」
やれやれとでも言うかのように溜め息を吐くヒュノア。
呆れたような物言いの中にも、レイラへの気遣いを隠しきれないでいた。
こんな時、力を持たず守られてばかりの自分が酷くもどかしい。
自分も魔使いの印を持って生まれていたなら、今よりもずっと近くでレイラを支えることができたのに。
ヒュノアには、魔使いの――レイラの気持ちが解らない。
印を持って生きるということの重さが。
髪と目と肌の色を失う怖さが。
魔の力を使う度に魔が侵食し、精神が狂気に侵される苦しみが。
死後に肉体すら残らない、魔物のような存在になり果てるおぞましさが。
人の域を超えた力を持つことの責任が。
まだ幼いヒュノアには、よく理解できない。
それでもヒュノアは思うのだ。
自分を地獄から救ってくれたレイラには、幸せでいて欲しいと。叶うなら、自分がレイラを幸せにしたいのだと。
「おいおい、逃げないでくれよ最後の虎。まさか私が怖いのか?なんだ可愛いなお前。まるで巨大な猫のようじゃないか。」
レイラは人外じみた速度と軌道で森の中を駆け回り、逃げる虎を追い詰めていた。
レイラの操る風の刃を浴びた虎は、尾を失っている。
全身が真っ黒な虎ではあるが、その身に流れる血は赤い。血飛沫を浴びた木の幹が赤く染まった。
「お前が逃げ回る所為でもう二十五秒経ってしまった。お前の仲間たちはきちんと瞬殺できたのに。なぜそんなに逃げ足が速いんだ。」
「グルルヴゥゥゥヴッ」
虎に睨みつけられたレイラは、心底愉快そうに嗤う。
「ふふっあははっあははははははっ!私のような小娘一人に追い詰められるなんて、随分と可愛いじゃあないか。デカ猫ちゃん?」
「グゥラア゛ァァァア゛ッ」
散々強力な力を行使したレイラの髪は、下から三分の二が黒く染まっていた。
黒は人間には存在しない魔物の色、魔の色だ。
魔使いは魔を操るため、魔の影響を受けやすい。
力を使い過ぎると魔に侵食され、全身が魔に侵されると魔物化する。
魔物化した者を救う方法は存在せず、彼らは無差別に破壊と殺戮を繰り返して一分後に消滅する。
つまり、髪だけとはいえ三分の二が侵食されているレイラはやや危険な状態であり、正気を失いつつあるのだ。
血色の瞳は昏く淀み、ギラギラと殺意に燃えている。
口角はニイっと釣り上げられていた。
「残念だけどもう時間が惜しい。お前ごときの所為で黒の魔使いに堕ちるわけにはいかんのでな。もったいないが決着を付けよう。」
「グアア゛ァッ」
「死ね。」
レイラは跳びかかってくる虎に向かって、右腕を水平に振り払う。
勝負は一瞬だった。
鋭く尖った虎の牙がレイラの頭に触れる寸前、虎の首に赤い線が走り、血が噴き出した。
図らずも虎の血を目の前で浴びてしまったレイラは、全身が真っ赤に染まる。
頭部を失った虎は、その巨体の制御をなくして崩れ落ちる。
ビクンビクンと全身を痙攣させた後、虎は動かなくなった。
首の断面から噴き出す血の量も急減し、虎が絶命したのを見届ける。
たちまち虎は光の粒となり、空気中に溶けて消えた。
虎がいたはずのところには血痕一つ残っていなかったが、代わりに青色の小石が一つ落ちていた。
「あ、魔石を落とすなんて珍しいじゃないか。運が良い。街に着いたら貴族のボンボンにでも売りつけようか。」
魔石を拾い、ポケットに押し込んだ。
一仕事終わったと気が抜けた瞬間、どっと冷や汗が噴き出した。
目が眩んで土の上に崩れ落ちる。
頭が割れるように痛み、身動きもできそうにない。
寒い。痛い。こわい。苦しい。
手足の感覚が失われる。
瞬きをしているのは分かるのに、何も見えなくなった。
心臓が破裂しそうなくらい暴れている。
拍動する度に、全身の血管が悲鳴を上げる。
クルシイニクイコワイタベタイイタイ――コロス。
駄目。ダメダメダメダメッ。
思考を侵食してくる魔を、力ずくで抑え込む。
まだ魔物化するわけには――黒の魔使いになるわけにはいかないのだ。
脳裏にヒュノアの無邪気な笑顔が浮かぶ。
そうだ。まだあの子を一人にしてはいけない。
それに――。
「・・・それ、に・・・まだ、肉、食べてっない、からなっ。」
早く戻らないと、ヒュノアに心配させてしまう。
既に手遅れな気もしないではないが。
「・・・戻ろ、うか。」
レイラはゆっくりと立ち上がり、重い足を引きずりながら来た道を引き返す。
どんなに辛くても、レイラは人としての日常を手放さない。
いつか魔に負けて跡形も無く消滅するその時まで、ヒュノアと生きると決めたから。
今日もレイラは、何気ない日常を噛み締める。
反響次第では連載版を書くかもしれません。
読んでくださってありがとうございました!(`・ω・´)ゞ