第31話 颯陸翔の情事
沢田の一件から数日が経過し、俺の傷も順調に回復していた。伊男から聞いた話じゃ、どうやら沢田は行方をくらましたらしい。
俺には開運寺強子を暗殺するという任務があるというのに、これは何という醜態だ。
相手は素人じゃなかったとは言え、この俺が隙を見せるなんて、未だかつて無かったというのに...
やはりこれも、開運寺強子が影響しているのだろうか。いや...この俺に限ってそんなk..
「リッくん食べないの? メロン美味しいのに!」
この女、俺の横で優雅にメロンを頬張ってやがるとは、随分と余裕があるようだな。颯陸翔ともあろう男が舐められたものだ。
「ちょっと強子さん! それお見舞いで持ってきたやつでしょ?! 何で自分で食べてんの?!」
「あ! そっか!」
伊男のやつも、目の前に標的がいるというのにこのザマだ。医者は重症とは言っていたが、これくらいの傷なら、標的を殺るのは容易な事だ。いっそのk..
「ねえねえりっくん! 退院したらみんなでお祝いしよ〜! タンケッキーのフライドチキンとか買っちゃってさ!」
こいつ..! それはいわゆる宣戦布告か? 退院して完治した俺と正々堂々戦おうと言うのか...? どこまで俺をコケにすれば気が済むんだ...
「翔さん...そんなに睨まなくても、ただの退院祝いですよ..」
やはりこのままじゃダメだ..! 最強の殺し屋颯陸翔という人間は、いかなる時も冷静沈着、迅速に任務を遂行するはずなんだ!
そうだ、こういう時はあそこに行けば良いじゃないか! あそこなら、弛んだ精神を叩き直す事が出来る!
「伊男へ、しばらく空ける。帰って来た頃には、開運寺強子の血の雨が降り注ぐ事だろう...by颯陸翔...と」
翌日、俺は病室に置き手紙を残し、病院を抜け出した。向かう先は一つ、俺の故郷...イギリス..
空港に来るのはいつぶりだろうか、任務が長引いているせいで、小さな島国に長居しなければならないとは..まあ、それも俺の無力さが引き起こしているわけだが..
とは言え、この国も悪くないのだがな。
「....?」
その時、覚えのある気配がこちらに接近していることに気付く。
「翔さ〜ん!!!」
伊男? 何故あいつがここに...? というかいつから付けられていたんだ?
「しばらく空けると言っただろ。部屋の掃除はきっちりして来たはずだが?」
「はぁ..はぁ..部屋の掃除が問題じゃないですよ..! どうしていつも勝手に行動するんですか?!」
伊男は激しく息を切らしながら言う。
「わざわざお前に許可を取る必要ないだろ?」
「そりゃ確かに無いですけど..一応パートナーじゃないですか! 翔さんに何かあれば、俺の責任でもあるんですから!」
俺に何かあるだと? 伊男までも俺も愚弄するか。
「何もない! お前が来ても足手まといになるだけだ!」
「何と言おうと、絶対ついていきますから!」
この調子じゃ、殺さない限り気が変わりそうにもないか。任務に行くわけでもないし、仕方ない。
「どうなっても知らんぞ」
「ありがとうございます!」
というわけで、翔さんに着いていく事にしたはいいけど、どこに行くつもりなんだろうか? この前病室で何やらコソコソやっていたので、隙を見て探りを入れたらパスポートが枕元に隠してあったので、勢いで空港に前乗りした訳だが...
「ちなみにどちらまで?」
「イギリスだ。心配しなくとも任務に行く訳じゃない」
何だ、それなら一安心だ。とにかく、翔さんを1人にさせると何をしでかすか分からないし、それにこの前の件もある。力になれるかは分からないけど、何もしないよりはマシだ。
「イギリス? 旅行とかですか?」
「バカ言うな、呑気に旅行なんてしている場合か。俺の故郷だ」
翔さんの出身は日本だと思っていたけど、まさかイギリスだったとは..やっぱり、俺はまだまだこの人の事を知らないんだ。
「おい! 伊男!!」
その時、翔さんが突然険しい顔でこちらを見た。何か事件..?!
「どうかしたんですか? まさか組織の残党?!」
「遠出するならおやつはマストだろ!! 売店に行くぞ!」
翔さんは、素早いステップで売店に入っていく。何なんだよこの人!! びびったじゃないか!
俺は小さくため息をついて売店に入った。
「翔さん、意外と甘党なんですね」
「悪いか? 糖分は豊富なエネルギー源だ」
翔さんは袋いっぱいのチョコレートを抱えて売店から出てくる。中身は遠足前日の小学生と言ったところだろうか。というか殺し屋なのに意外とピュアなんだよなこの人...
そんなこんなで搭乗した俺たちは、十数時間の空の旅を経て、イギリスの首都ロンドンに辿り着いた。
初めての海外が殺し屋と行くっていうのは何とも言えない気持ちだけど、歴史的建造物が建ち並び、日本とはまた違った奥ゆかしさを感じる。
しかし、俺の感動とは裏腹に、翔さんは険しい顔つきで辺りを見回していた。
「翔さん? どうかしました?」
「MI6の連中は洞察力、フィーリング、プロファイリング..etc..どれをとっても並外れている。注意して進むぞ」
また翔さんから馴染みの無い言葉が出て来た。MI6? 映画でしか聞いた事ないぞ? まあとにかく..気を付けよう..
「しかし、こんな所でも来てみれば懐かしいものだな..よく先生にビッグベンの頂上から吊るされたっけか」
懐かさに心弾ませるのは良いけど、どんな思い出だよ...
「ところで、目的は何なんですか?」
聞くと、翔さんは表情を曇らせて。
「先生のところだ。気は進まないが、根性を叩き直すにはこれしかないからな」
「先生がいらしたんですね!」
翔さんの先生...あまり想像したくはないが、すごく嫌な予感がする。
しかしここまで来て、今更引き返すつもりはさらさらない。とにかく翔さんに着いていこう。
「この先に先生のアジトがある」
しばらく着いていくと、裏路地に辿り着いた。いかにも怪しそうな匂いがぷんぷんするが、翔さんは迷う事なく先へ進んでいく。
すると、翔さんの足が突然ぴたりと止まり、俺の前に手を出して。
「止まれ! 伊男!」
「え?」
その時、目の前を何かが凄まじいスピードで横切る。虫..? にしては大きかったし..
俺はおそるおそる、横切った何かの方に視線を移すと、矢のようなものがコンクリートの壁に突き刺さっていた。俺はすぐさま回れ右をする。
「翔さん、帰りましょうか」
そのまま後退りすると、翔さんが俺の肩をグッと掴む。
「心配するな。俺がいる」
「心配ですよ! 今誰かも分からない人に殺されかけたんですよ!?」
「ただのトラップだ。この辺じゃ挨拶みたいなものだろ」
挨拶? 冗談じゃない! やっぱり着いてくるべきじゃなかった!
「それに、これは先生が仕掛けたトラップだろう。あの人なりの歓迎だな」
翔さんはにっこりと笑って言う。何がおかしいんだ? 歓迎で殺されてたらもはや歓迎もクソもないだろ! 俺は翔さんの言葉を受け流してそのまま後退りした。
「だからどうなっても知らないと言っただろ? あと、帰るなら背中に気をつけろよ。この場所を知った以上、先生に何されるか分からんからな」
「はいはい、気をつけまs....え?」
今あの人なんて言った? なんかすごく怖い事言ったよね今? 俺命狙われるの?
「今なんと?」
「だから、背中にデカい風穴が数箇所出来るぞと言っている。最悪の場合、頭が吹き飛んで脳みそが...」
「あ! もう結構です! てかさっきそんな事言ってないよね?!」
くそ! これじゃあ引くに引けないじゃないか!
結果、仕方なく翔さんに着いていくことにした俺であった。
「翔さん..! 先に行かないで下さいよ..!」
「お前が慎重すぎなんだ、殺し屋たるもの堂々としていろ」
出来るわけないだろ! あんな怖いこと言われて堂々していられる神経の方がどうかしてるよ!
その時、またも突然翔さんが立ち止まる。
「伊男、C4だ..」
「C..C4..?」
C4ってあのC4の事か? てかこの状況ならそれしか無いだろ! 俺は慌てふためきながら神に祈った。
「落ち着け、たかがC4だろ? この一帯が吹き飛ぶくらいの話だろ」
「それがたかがな訳ないでしょ! どうするんですか!」
どう考えてもゲームオーバーだろこれ。どういう仕組みで爆発するかは知らないけど、今から逃げてももう間に合わないだろこれ...
「問題ない、このトラップは古い技法だ。電線に触れなければ爆発しない」
「電線..?」
翔さんの視線の方を見ると、細すぎて見にくいが、確かに目を凝らしたら地面に糸のようなものが張られている事に気付いた。俺はその糸を慎重に跨ぐ。
「ふぅ...死ななくて済んだ..」
「この程度でへこたれていたら、先に進めないぞ」
そうは言うけど、素人がこんなところ来たら既にこの世に居ないでしょ...とは言っても、自分で決めた事だ。翔さんの言う通り、へこたれている場合じゃない。
気合いは入れたものの、気付けばとある建物の前まで辿り着いた。どうやらこの中に先生がいるらしい。何とか死なずに済んで良かった...
しかし、翔さんは一層に緊張感が増したかのように、扉の前で小さく深呼吸していた。翔さんはドアノブに手を触れると。
「伊男、これはいわばロシアンルーレット...この扉を開けて、俺たちが塵になるか、先生に会えるか決まる...どうする?」
「...はい? ロシ...何?」
マジで何言ってんのこの人? ロシアンルーレット? 塵になる? バカなの? そんな事言ったらここまでのトラップの意味とは?
数え切れないほどの疑問が頭の中を駆け巡る中、翔さんは勢いよく扉を開けた。聞いたくせに何だよこの人!
「どうやら死なずに済んだようだな。いや..それとも既にここは天国..?」
「現実ですよ! というか天国に行けると思ってんすか?!」
とりあえず無事だったので良かったが、翔さんの突拍子も無い言動にはいつも肝を冷やされる。まあしかし何とか先生の家に入れた訳だが、肝心の先生はどこに..?
「翔さん、先生はどこ...に..?」
翔さんの方を見ると、翔さんの背後に2メートル近くはある巨体が立っている事に気がつく。あまりの衝撃に、俺は声を失う。
この恐怖は例えるなら何だろうか? グリズリーに遭遇した時? それともヒグマ? いや..違う..怪物だ。怪物に会ったことも見た事も無いけど確実に分かる。きっと怪物に会うというのはこういう事なんだろう。近くにいるだけでまるで死を実感しているようだ。何より、あの翔さんがこうも簡単に背後を取られている時点で、もはやそう考えるしかない。
先生と思わしき大男は、ハキハキとした声で。
「殺し屋がノコノコと里帰りか? 何の冗談だ?」
大男が言葉を発したの見て、俺は思わずゴクりと唾を呑み込む。翔さんの額からは薄らと汗が滲んでいた。こんな翔さん、初めて見た...
「冗談ではありません..腐り切った性根を叩き直したく遥々やって参りました」
「ほぉ..答えは殺して下さいで良いんだな?」
大男は翔さんの後頭部にショットガンの銃口を当てる。




