6 ポーション作り
クロ兄は、俺に色々なことを教えてくれる。
この世界の言葉の読み書き、礼儀作法だけでなく、この国の歴史や地理のこと、法律や制度のことまで教えてくれた。
この世界の識字率は本当に低く、読み書きができるのは貴族と一部の王都に住む平民、神職の人々だけだ。スラムの人々はもちろん、平民であっても読み書きができない人が多いらしい。クロ兄も、もしかすると偉い貴族様だったのかもしれない。
知識は生き延びるための最大の武器だとクロ兄は言った。このスラム街では、使う機会があるかは分からないが、俺だってこんな場所で終わるつもりはない。
「……この場所は、死ぬのを待つだけという人間が増えてしまったからね」
クロ兄はそう呟いていた。もしかして、昔は違っていたのだろうか。
クロ兄の教え方は、とても丁寧だし分かりやすい。俺は、いつも興味津々でクロ兄の話を聞いた。
前世の俺は、大学まで進学したものの、勉強はあまり得意ではなかった。しかし、この体がハイスペックなのかどんどん学んだことが頭に入ってくる。めちゃくちゃ面白い!
クロ兄は、俺に剣術や体術も教えてくれた。
初めは、まだ体が小さいからと止められていたのだが、強くなりたいと焦っていたのに気がついていたのか、相手をしてくれるようになった。
クロ兄は、とっても強いのだ。スラムで今にも殺し合いをしそうな乱暴な奴らを、一瞬でねじ伏せてしまう。相手を殺して、今日のご飯を奪おうとする奴らもクロ兄だけは狙わないらしい。
俺はまだ行ったことがないが、クロ兄はよく魔の森に短剣1本を持って薬草を採りに行っている。魔の森は、母さんが強力な魔物がいて危ないから、絶対に入ってはダメだって言っていたような場所なのに、だ。
―――――――――――
今日は、クロ兄と一緒にポーションを作る約束の日だ。俺は、クロ兄とともに薬草が保管されている小屋に入る。前世では存在しなかったものに俺はわくわくが止まらない。
小屋の中には、一面に薬草が干されていた。ほんのりハーブのような良い香りがする。
「さて、まずは抽出からかな」
クロ兄はそう言って、干してあった薬草をいくつか取ると、小屋の床の上に座る。俺もそれに習って、クロ兄の隣に座った。
「この薬草の名前、覚えているかな?」
「うん。すかるめそう、だね」
スカルメ草は、一般的には傷の化膿を防ぎ、回復を促す効果と気分を落ち着かせる効果がある薬草だとされている。結構どこにでもあって、塗り薬として使われる薬草だ。これの薬効を、ポーション作りでは極限まで高める必要がある。
大きな鍋に乾燥させたスカルメ草をたっぷり入れて、そこに水を入れる。実はこの水は普通の水ではない。朝からクロ兄が魔の森の奥地にある霊脈で汲んできた、特別なやつだ。
鍋を、火にかけて加熱する。このとき、水を沸騰させてはいけない。温度に気をつけながら加熱を続けると、だんだん水が鮮やかな青色になってきた。
「さて、この間にルメド草をすり潰そうか」
クロ兄から乳鉢と乳棒を受け取って、どろどろになるまでルメド草をすり潰す。ルメド草はポーション作りで一番重要な果肉植物だ。魔の森の中の魔素が濃く強い魔物がいる場所でしか育たない薬草で、治癒効果が高いのだそうだ。
外見は緑色であったが、中身は金色だったようで、すり潰したルメド草はところどころキラキラと光って見えた。
すり潰し終えたら、鍋にこれを加えて混ぜる。
濃い青色だった水は、緑色になった。ここでも、沸騰させないように気をつける必要がある。そして、混ぜ終えたら、ここで火を止め冷めるのを待つのだ。
完全に冷えたところで、網で抽出し終わったスカルメ草などを取り除いた後、濾紙を使って濾過をする。理科の実験で使ったようなもので、懐かく感じる。
そして、再びこれを鍋に入れて加熱し、量が大体半分になるまでゆっくりと時間をかけて水分を減らす。この間ずっと混ぜ続けるのが重要だ。ここで時間をかけるほど、薬効が濃縮されて高まるのだ。
「ふほひぃ、へんへんへっへはいほ……」
俺はかちかちの黒パンを口の中に含みながら言った。鍋の中は、あまり変わったようには見えない。相変わらず深緑の液体がそこにはあった。
黒パンをくわえたまま液体を混ぜていたクロ兄は、苦笑いしている。
「……仕方ないさ。これは根気が肝要だよ」
交代しながら、液体を混ぜ続ける。その間、クロ兄は色々な話をしてくれる。ポーションで使った霊脈の精霊にまつわる話、魔の森の中に住むドラゴンの話、隣国であるディアマン帝国に伝わる光の剣帝伝説など、面白いと話ばかりだ。
辺りがだいぶ暗くなって来たころ、クロ兄は満足気に笑って言った。
「これで濃縮終了だね」
鍋の中には深緑の液体があった。いかにも薬草って感じの色で、俺の中のポーションのイメージと違う。なんだか残念だ。
「おや、もう疲れたのかい? 今からが面白いところなのに」
クロ兄はからかうような口調でそう言いながら、箱型の小さな鞄からガラス瓶を取りだした。それがいかにも俺が考えていたポーションの瓶って感じがして、俺のテンションは復活した。
「くろにぃ! おれは、げんきだよ!」
「よろしい! では始めようではないか」
俺が満面の笑みで言えば、クロ兄は楽しそうに笑った。
ポーション瓶に、鍋の深緑の液体を入れて蓋をする。
「見ててごらん」
クロ兄は瓶を両手で包み込むようにして持つと、シャカシャカと振った。
「わぁっ……!」
俺は思わず声を上げていた。
クロ兄の周りを光の粒子みたいなものがくるくると舞っていた。ポーション瓶の周りは特に淡く光っていて、クロ兄の手の隙間からたくさんの光が漏れている。その光たちは、最後にいっそう眩しく輝いたあとにポーション瓶の中に吸い込まれるようにして消えていった。
「これで完成だ」
出来上がったポーションは、透き通った黄緑だった。こんなに鮮やかな色になるなんて、感動だ。
「さあ、アルもやってみるといい」
「うん」
クロ兄からポーション瓶を受け取った。俺もクロ兄のように両手でポーション瓶をしっかりと持つ。
いざっ!
俺は全力でポーション瓶を振り続ける。しかし、
「いろ、かわんないよ」
一生懸命振ってみたものの、虚しくも中の液体は深緑のままだった。何がいけなかったんだろうか。
「うーん、そうだなぁ。ポーション作りは霊脈に働きかける行為だって言われているし、霊脈に話しかけるつもりでやってみたらどうかな」
「ずいぶんあいまいだね」
クロ兄にしては珍しいように思う。
でも、話しかける、かあ。ポーションは回復薬であるのだし、怪我をした人を治してください、だろうか。
俺が思い出してしまったのは、肩から血を大量に流して動かない母さんの姿だった。何故思い出してしまったのか。俺の手が冷たくなっていくのを感じた。
それでも、震えそうになる手で落とさないようにしっかりとポーションを握り込んだ。
あのとき、あそこにポーションがあったなら……。
そんなどうしようもないことを考えたときだった。
「うわっ!」
『おー、新しい子だねー』
『珍しい色の目だねー。紫の末裔かー』
『ボクら、光の精霊だよー。よろしくねー』
『よーし、ボクたちお友達だよー』
突然溢れてきた光は、俺の周りを楽しそうにくるくると回った。光の球のようなものがたくさんの浮かんでいて、そこから声が聞こえてくる。
俺が慌ててポーション瓶を振ると、光はさらに輝いた。楽しそうな声が周りに溢れている。ポーション瓶はふんわりと温かくて、液体の色が黄緑色に大分変わってきた。
『あ、たいへーん!みんな時間だよー』
『じかんだー』『じかん、じかーん』
光の球たちが一斉にポーション瓶へと向かい始める。液体が黄金色に光ったかと思うと、一気に辺りの光が落ち着いていった。
「へえ、ハイポーションじゃないか」
俺が呆気にとられていると、クロ兄がそう言った。手元を見ると、そこにあったのは黄金のポーションだった。
「せいれいって、ほんとにいたんだ……」
俺がそう呟くと、クロ兄は俺の頭を撫でた。
「そうだね。お友達は大切にしなくちゃいけない」
その後、俺はその後何度も挑戦したが、光の粒子が現れるだけで声がすることは無かったし、全て黄緑色の普通のポーションだった。最初の1本は、初回特典みたいなものだったのかもしれない。
「きっと、初めてポーションを作る新しいお友達に挨拶をしに来たんだろうね。これはアルが持っておくといいよ」
クロ兄はそう言っていた。
「さて、これを明日は街に行って売ってこようか」
「まち? まちにいくの?」
クロ兄はこう言うが、スラムの人間は王都の街には入ることが出来なかったはずだ。