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4 認めたくないもの

 スラム街の冬は凄まじい。凍えるような冷たい風が吹き続けている。崩れかけた小屋では寒さを凌げるはずも無い。隙間風が冷たい。ガタガタと小屋が鳴っていて、今にも崩れてしまいそうだ。

 母さんと俺は、毎日1枚の布切れを被って、身を寄せあって寒い夜を過ごす。


 今年の凶作の影響は確実に出ているようで、重い税を納められなくて逃げ出して来た者、冬の蓄えがなく養えないと追い出された者がこのスラム街へと集まっている。

 そういう奴らは、盗賊になるしかない。皆、苛立っているようだ。当然、ここの治安は悪くなる一方だ。


 夜になると、あちこちから怒声や悲鳴が聞こえてくる。最近、近くで襲われた人がいたらしい。

 俺たちは長い夜の間、ずっと息を潜める。

「大丈夫よ、お母さんが守るからね」

 母さんは震える声でそう言って俺を抱きしめた。






 ある朝、俺たちの小屋の裏にある小さな畑が荒らされていた。秋に撒いた種が少しずつ大きくなってきていたところだった。ご丁寧に全部抜かれていたのだ。


 母さんはそれを見て、恐ろしさに声を失っていた。

「だれだろ。まだたべれないのにね」

 そうは言ってみたが、本当は俺だって分かっている。俺の声だって震えていた。


 俺たちの畑が見つかったってことだ。俺たちが、支援でもらうパン以外の食料を持っていると気が付かれた。昨晩は、苛立ちに任せて畑を荒らしたのだろうが、いつ食料を奪おうと襲ってくるか分からない。


「大丈夫よ、大丈夫だからね」

 もはや口癖となったその言葉を母さんは繰り返して、俺を抱きしめる。こんなとき、この小さな体が嫌になる。






  ――――――――――






 ガンガンガンガン! 

 扉を殴りつけるような音がする。俺が目を覚ませば、母さんはもう起きていたようで、俺の背をさすった。


 扉を殴りつける音はだんだん大きくなる。小屋の壁として使っている朽ちかけの板と板の隙間から見えるのは、複数人の男だった。


「アルは何があってもここから動いちゃだめよ。お母さんとの約束よ」

 母さんはそう言って俺を抱えると、この小屋にある唯一の家具である小さな戸棚の中に俺を隠した。

「…かあしゃんは?」

「…大丈夫よ」

 母さんはいつものようにそう言って笑った。そして、俺から離れていってしまう。


 閉められた棚の戸の隙間から、母さんの背中が見えた。小屋の扉が壊れる音がした。

 本当は、待ってって、嫌だって言いたかった。今すぐ飛び出して行きたかった。でも、こんな小さな体の俺では、母さんを守ることも、庇うことすらもできないことは分かっている。母さんとの約束だから…。


 奴らは小さな小屋の中になだれ込むようにして入ってきた。奴らは斧やら鍬やらを持っている。

「なんだ女じゃねえか」

 ひとりの男がそう言って嫌な笑みを浮かべる。


「早く食いもん寄越せ」

 他の男が母さんの胸ぐらを掴んだ。

「…ありません」

 母さんはそう答えた。まずい、麦の備蓄は俺のいる棚の中だ。母さんは俺がいるから奴らにそう答えたんだ。

「あるってこたァ、こっちは分かってんだよ!」

 男は怒鳴って、母さんに斧を振り下ろした。真っ赤な血が母さんから噴き出す。


 俺は頭の中が真っ白になった。駆け寄りたかった。でも足が震えて動かない。

「…なんでだよ」

 男たちの影が近づいてくる。怖い、許せない、怖い…。


 俺が目を閉じていると、ガラッと棚が開けられる音がした。俺は腕を掴まれ、外に引きずり出された。

「おい、食いもんあったぞ!」

 棚を漁った奴らの声も俺の耳には入らない。俺は母さんに駆け寄った。


「かあしゃん、かあしゃん!!」

 必死に声をかけるが返事が無かった。肩から血が流れて、地面を真っ赤に染めていた。止血をしなきゃと思っても、上手く思考がまとまらない。


 不意に俺の右腕を掴んだ奴がいた。きつく掴まれて振りほどけない。

「おい、このガキ珍しい目の色をしているぞ」

「本当だ、コイツ売ったらしばらく食っていけるんじゃねえか?」


 左手が弱々しい力で握られる。

「…逃…げて。…生き…て」

 それは確かに母さんの声だった。


「ああああああああぁぁぁ!!!」

 俺は叫んだ。腕を掴む力が弱まった隙をついて、わけが分からないまま小屋から走り出す。

「このクソガキ!」

 男たちが追って来る。俺は必死に足を動かす。スラム街のぼろぼろの建物の隙間を走る。足から血が出ても気にならなかった。


 走りながら、ぼろぼろと涙が出てきた。

 俺はどうすれば良かった? 俺がもっと早く出ていっていれば?戸棚に入らないようにしていれば? 嫌だって言っていれば? 

 なんで足が動かなかった? 約束だから? ……違う。俺が弱いからだ。

 許せない。俺たちが何をしたって言うのだろう。もう、何もかもぐちゃぐちゃだ。


 開けた場所に出た。奴らはもう追ってはきていなかった。俺はその場に座りこんだ。

 随分と走ってきたような気がする。母さんと過ごした小屋にどうやって戻ったらいいかも分からない。

 家に帰りたい。母さんのいる俺の家に。

 風が嫌に冷たかった。


 周りには、争ったような跡と、血まみれで死んでいる人がいた。冷たくなったまま動かない人がたくさんいる。

 今まで、生まれ変わったのだと分かったつもりでいたけれど、全然分かっていなかった。ファンタジーみたいだって思って、どこか画面の向こう側の世界のような気になっていたのだ。

 ここは多くの人間が死んでいく場所だ。そういう世界だ。そして、俺はこの世界で生きている。いや、生かされたのだ。生きていかねばならないのだ。


 こんなに悲しいのに、苦しいのに、悔しいのに、涙はもう出てこなかった。






「ねえ、君。ここはこのスラムで一番危ない場所だ。元の場所に戻った方がいい」

 そう言って誰かが声をかけてきた。スラム街では異質な、穏やかな声だった。


 俺はその声をかけてきた人物を見上げる。目が合うと、その人は一瞬驚いたように目を見開いた。


 その青年は、頬は痩せこけていて髪はボサボサでくすんだ銀髪をしていた。それなのに、何故か気品のある感じがする。眼鏡の奥の青い瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。


「もう、いえにはかえれない」






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