2 襲撃、攫われる
未だにどういう状況かよく分かってないが、さすがに何週間か過ごせばこれは夢ではないということは理解した。恐らく、俺はあそこで死んだのだろう。そして生まれ変わったというところだろうか。
生まれ変わったからといって、何か出来る訳では無い。今は赤ん坊だ。泣いて寝て、の繰り返しだ。
「さあ、ご飯ですよ」
恐らくこういっているのだろう若い女性が俺を抱き上げた。俺は上流階級に生まれたらしく、この女性は乳母らしい。赤ん坊のぼやけた視界ではよく見えないが、母親らしき人は生まれてから一度も見ていない。
生まれて間もない頃は、母乳を与えられることに忌避感があった。彼女いない歴=年齢の俺には衝撃の光景である。だからといって、下心が生まれることはなかったが。赤ん坊の本能というやつだろうか。まあ、吹っ切れてからはあっさりとしたものだ。
生まれ変わってから、結構身体に引きずられている気もするが、考えるだけ無駄だろう。何だっけか、我思う故に我ありってやつだろう。そんな使い方だっただろうか?
まあ、今日も今日とて、俺は欲求には素直だ。
最近、毎日のように夜になるとやってくる奴がいる。
3、4歳ぐらいだろうか、幼い子供だ。隠れてこっそりと来ているようで、しきりに周りを見渡しているようだ。ベットの柵の隙間から顔をのぞかせる。
はっきりとした顔は分からないが、銀色の髪をしているようだ。それを見ると、ここは日本ではないのだなと感じる。
以前の俺は一人っ子で、兄弟はいなかった。この人が俺の兄なんだと思うと、何となくわくわくしてしまう。
「アル」
彼はそう言って柵の隙間から小さな手を伸ばしてきた。アル、というのはどうやら俺の名前らしい。
なんと言っているのかはよく分からないが、彼はいつも俺に話し掛けてくれている。早く話せるようになるためにも、彼の話に俺は耳を傾けた。
彼の指先を握れば、彼は嬉しそうな声をあげた。
今日はどんな話をするのかと思っていると、彼は片手を伸ばし、何か呪文のようなものを唱えた。
すると、彼の手から真っ赤な火の玉が生まれた。宙にぷかぷかと浮いている。ゲームで見てきたエフェクトのようだ。
魔法だ!
俺は興奮した。これを興奮せずにはいられようか。ここは俺が元いた場所とは違う世界のようだ。俺は思わず両手をぱちぱちと打ち付けていた。
俺もカッコよく魔法を使ってみたい。ゲーム好きなら誰もが一度は思うことだろう。俺は期待に胸を膨らませた。
その日も、兄はやって来ていた。いつも通り、周りを見渡しながら柵の中にいる俺を覗き込む。俺がそちらを向けば嬉しそうにした。
兄は今日あったことを話しているようだ。声が弾んでいて、楽しいことがあったらしい。つい、にこにこしてしまう。
そんな時、この部屋に近づいて来る音がした。俺が泣いている時に駆けつけられるように近くに乳母や使用人がいるはずなのだが、兄がこっそり来ているときは入ってこないのだ。
何かがおかしい。そう思っていると、扉が開く音がして誰かが入ってきたらしい。
「…だれ?」
兄は俺の手を握りながら、警戒の含んだ声を発した。その手は少し震えている。
その人物はそんな兄を相手にすらしないで、ずんずんとこちらにやってくる。赤ん坊のぼやけた視界では、顔などは分からない。でも、全身黒のいかにも怪しい男であることは確かだ。
自分で思っていたよりも、恐怖だったのだろうか、助けを呼ぼうにも泣き声すら出ない。
男が俺を抱き上げた。黒のローブを頭から被っていて、見れば口元が歪んでいるようだ。
「アルをはなせ!」
兄のなにやら叫ぶ声がする。兄は男の足にしがみついているようだ。男はそんな兄を蹴り飛ばした。小さい体の兄は軽く吹っ飛ばされた。
「火球!」
兄の声とともに赤い火の玉が男に飛ぶが、男のローブにかき消される。
「ふ、ふぎゃあああぁぁ!!」
俺は必死に助けを求めるように大声で泣いた。
男は苛立たしげに舌打ちをする。
男の何かを呟くような声が聞こえたと同時に、俺の意識は遠のいていった。
――――――――――
目が覚めると、俺は薄暗い通りにいた。地面に転がされているようでじめじめとした土が顔の近くにあった。そして、腐ったような鼻につく臭いがする。
「んぎゃああぁぁ!!」
俺は泣いた。大声で泣いた。でも、誰も助けてはくれなかった。
確かに通りかかった者はいたのだ。しかし、皆俺を覗き込んでは顔を顰めるばかりで、拾い上げようとはしない。よく見れば、皆疲れたような顔をしていて、痩せ細っていてどこかふらふらとしていた。ここは良いとは言えない環境のようだ。
泣けども泣けども、俺を助けてくれる人はいない。赤ん坊の俺にどうやって生きていけというのだ。
「あら、可哀想に。こんなに小さいのに親に捨てられたのね。」
泣き疲れて、声も出なくなった俺を抱き上げてくれたのは、一人の女性だった。
腕から伝わる温もりに触れた俺は、安心してしまったのかいつの間にか目を閉じていた。