14 魔術とディアマン帝国
右手を伸ばす。浮かび上がったのは、紫色の円。えっと、あの魔法陣は……。円の中に次々と図形や文字を浮かび上がらせていく。注意するべきことは、平面上に並べるということだ。じっと魔法陣を見つめる。集中力を切らせてはいけない。
「!! あかくなった!」
魔法陣が完成したと思った瞬間、紫の光は赤になる。成功だ!
俺の手に浮かぶのは、「火矢」の魔法陣。魔法陣はその属性に適性がないと浮かべることができないのが普通だ。もちろん、俺には火属性の適性はない。しかし、図形や文字だけなら浮かべることができる。そしてそれを組み合わせて魔法陣を作れば、その属性に適性がなくても魔法を使えてしまう、らしい。それに、通常の魔法陣では浮かぶ場所を術者の意思で決められないのだが、この方法を使えば魔法陣を組む場所を自分で決めることができる。
これこそが、俺の努力の賜物ってやつである。平面上に並ぶように浮かべることができるまで、どれだけ苦労したことか! ついに努力が報われる時が来た! クロ兄がはじめに魔法陣に必要な図形や古代文字を覚えさせたのはこのためだったってことだ。
「適性に頼らない魔法は、隣国のディアマン帝国で『魔術』と呼ばれているよ」
魔法陣の原理や法則などの知識によって、魔力を利用する技術を「魔術」と呼ぶそうだ。魔術というと、魔石を主な動力源とする魔道具を指すことが多いようだが、魔法陣を組み立てて使う行為も定義的には「魔術」に当てはまるのだという。
我が国の西に位置するディアマン帝国は、200年ほど前の魔力を持たない者たちによるアメトリン王国への反乱から始まった国だ。魔力や適性の属性を持つ者がほとんど生まれてこないそうだ。その代わりに、魔道具が発達しており、生活に深く浸透しているのだとか。帝国は魔道具によって発展したといっても過言ではない。
「そういえば、あいてむぼっくすもまどうぐだったよね。ませきはつかわないみたいだけど……」
「そうだね。収納箱は古代のアーティファクトに分類される魔道具だ」
我が国にある魔道具は、古代遺跡から見つかるアーティファクトぐらいしかない。わずかに作られている魔道具も高価で貴族の蒐集品となっており、実用的とはいえない代物なのだとか。魔力のある人とない人の間で格差が広がっていて、魔道具を生活に使いたい魔力のない人には、魔道具が高価すぎて手が出せないという状況である。
「さて、ディアマン帝国については前に説明したよね」
「うん。おぼえてるよ」
200年ほど前にディアマン共和国として独立を宣言。アメトリン王国はこれを認めず戦争になった。約50年にも及ぶ戦争の末、停戦協定を結ぶ。このときに、アメトリン王国は事実上独立を承認したとされている。
「なんというか、あいまいなひょうげんだよね」
「国際法もなかった時代だからね。この国の古い貴族の中には、未だに独立を認めないとか叫んでいる奴らもいる」
その後も、アメトリン王国は何度もディアマン共和国に戦争を仕掛けている。「魔物大侵攻」の影響を唯一受けなかったアメトリン王国はこれを有利に進める。
それが覆ったのが、128年前。ディアマン共和国に一人の人物が現れたのだ。初代皇帝カーティス・フォン・ディアマントである。魔道具の開発を推し進め、帝国を発展させた人物でもある。共和国から帝国となったディアマン帝国は、圧倒的な武力で周辺諸国への侵略を始め一瞬にして領土を広げ大国となる。アメトリン王国は侵攻される立場になったのだ。
アメトリン王国は西方に領土を持つルミエール公爵家を中心に防衛戦を繰り広げた。しかし、ディアマン帝国の新型の魔術剣と魔術盾によって全滅といっていいほどの損害を受け、ルミエール領の約半分を失った。最後の防衛ラインとしていた白竜山脈を越えて10万を超える帝国軍が攻め込んでくる中、当時のルミエール公爵が単独で山脈へと向かい、水の魔力を暴走させて辺り一帯を水没させて帝国軍を食い止めたのだという。
「命を削った魔法は桁違いだ。レベル10の魔法は、100年に一人レベルの魔力が高い人間が命を代償にして初めて発動するといわれている。おそらく当時の国王の命令だったんだろうね」
「そんな……」
「でもね、貴族にとって、国のためにそういう魔法を使うことも、自身の魔力で死ぬことも、名誉なこととされているんだ。魔力は貴族が誇りにしていることだから」
国に殉じた当時のルミエール公爵は大いに賞賛を受けたのだという。アメトリン王国の国旗に白竜山脈の白竜が採用されるようになるぐらいには。
理解しがたい考え方である。この国の貴族が罪を犯したときも、自身の魔力で心臓を止めた場合、貴族として死んだということになる。罰せられて家の誇りを失うぐらいならと、死を選ぶのだという。
「よくわからない……。じさつってことだよね? しんじゃうより、いきてたほうがいいにきまってる」
俺がそう言うと、クロ兄は曖昧に微笑んだ。……そういえば、クロ兄も貴族だった。……自分は死罪を免れ、魔力を封じられ追放刑となり、多くの大切な人が処刑された、か。魔力で死を選ぶことも認められなかってことだ。
「……ごめんなさい。おれ、むしんけいだった」
「いいや。気を使わせてすまないね。そう思えることはとても素晴らしいことだよ。俺は今、生きていて良かったと思ってるわけだ」
俺の髪をくしゃくしゃにして、クロ兄は歯を見せて笑う。そして、呟くように言った。
「その家に生まれた責任ってのはどこまでも付きまとうものだ。責任は決して逃れてはならないものだけれど、それに飲まれてはならないんだ」
互いに大損害を受けた王国と帝国は休戦協定を結ぶ。それから90年が経つというが、講和条約は未だに結ばれていない。あくまで「休戦中」だ。しかし、クロ兄が王都にいたころには、少しずつ交流を持っていこうという動きがあったらしい。クロ兄も何度か帝国に赴いたことがあるらしい。
長いこと戦争が起こらなかったことで騎士団は腐敗したり解体されたりしている。そのせいで魔物大侵攻への防衛戦力の不足が問題になっているのだが……。
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木を削って作った二本の剣を両手に握りしめて、クロ兄と相対する。笑顔で剣を構えるクロ兄に、隙など一切ない。
「おいで」
「いきます!」
魔力を練り上げれば体が熱くなり、なんともいえない万能感。力強く地面を踏みしめば、俺の体は一気に加速する。初撃はクロ兄の木剣に阻まれる。双剣の強みは手数だ。速度を落とさず、二撃、三撃、と打ち合う。
「うーん、甘いね」
汗一つ流さずにそうつぶやいたクロ兄の剣が、俺の腹に食い込んだ。勢いのまま吹っ飛んだ俺は地面に体を強打。受け身は取れたがめちゃくちゃ痛いです。
「まだやるんだろう?」
ひえええ。見下ろすクロ兄の笑顔が悪魔のようだ。魔力で身体強化してなかったら、死んでるんじゃなかろうか。だが、俺は強くなると決めたのだ! 木剣を杖にして立ち上がる。
「うん!」
俺は再び地面を蹴る。こうして地獄の剣術訓練は続くのであった。
「はい、お疲れ様」
もう立ち上がる元気もなく、地面に寝転がる。空を見上げれば、雲一つない。清々しい秋晴れだ。
「くろにぃ、このごろすずしくなってきたよね。もうあきだねえ」
「そろそろ冬支度かな。忙しくなるよ」
それを聞いてげんなりするのであった。スラム街の冬は厳しいのだ。昨年もなにかとギリギリで、このまま死ぬのかしらと思うことが何度もあった。
「うえええ……」
「冬場は、雪で動けないし食料もないからねえ。さて、今年はアルも一緒に食糧の確保に行こうか」
その言葉に俺は素早く立ち上がった。
「それって、まのもり!?」
「ああ。魔の森だ。魔物の肉と薬草を取りに行こう」
ついに、この世界の魔物というものを、初めて目にすることになるのだ。少し恐ろしいけれど、好奇心がむくむくと湧き上がる。……落ち着け、俺。命大事に、だ。