10 魔法陣
しゃがみ込んで地面をじっと見る。クロ兄が先の尖った木の棒を使って円を描いている。出来上がった円は、まるでコンパスを使って描いたようだ。
「アル、これをなぞってごらん」
クロ兄が文字を教えてくれたときも、はじめにクロ兄が書いた文字をなぞった。その時と同じだな、と思いながら受け取った木の棒でその円をなぞる。
「うわっ」
俺は思わず声を上げていた。円が完成した瞬間、淡く紫色に光ったからだ。しばらくすれば、光は収まっていく。完全に消えるまで不思議な現象に目を奪われていた。
クロ兄に言われて、隣に円を描く。さらりと特に意識もせずに描いたそれは、クロ兄が描いたものと同じように正確な円だった。大きさを変えてみたが、どれも自分で描いたとは思えない美しい円だ。抑えきれない興奮のまま円を描くのを繰り返す。
「そろそろいいかな?」
「スミマセン」
クロ兄の声に、はっとして背筋を伸ばす。こんなことをしている場合ではない。せっかく教えてもらえるのだ、しっかり聞かなければ!
今教わっているのは、魔法を使うために必要な魔法陣の描き方である。宙に魔法陣を描き、それに魔力を流すと魔法が発動する、という流れらしい。クロ兄と俺は、魔力封じのせいで魔力を体の外に流すことができないため、魔法の発動ができない。しかし、魔法陣を宙に描くというところまでは出来るらしいのだ!
クロ兄によると、今のような一度覚えた魔法に関する図形を正確に描けるようになる現象は、適性のある人間にはよく起こるものらしい。ただの円程度ならば、魔力があれば誰にでも描けるようになるとのこと。
魔法陣のための基本の図形には、円以外にも正三角形や正方形、五芒星などがある。また、古代文字を覚えることも、魔法陣を描く上で重要なのだという。魔法陣に使う古代文字は大きく分けて2種類だ。1文字で記号として使うものが24文字、呪文の言葉を記すのに使うものが27文字。図形や文字にもひとつひとつ意味があり、クロ兄の説明を聞きながらなぞっていった。
クロ兄は、これぐらいなら魔力があれば適性があるのが普通だといっていたけれど、俺はかなりドキドキしながらなぞっていた。淡い紫色の光が出るのを見て適性があることへ安堵する。
というのも、クロ兄が普通と言うのは、前世を基準にしてみると時々疑わしいからな。宮廷?の礼儀作法は知っていて普通、この国の歴史や地理、法律や制度はもちろん、隣国のものまで覚えていて当たり前。クロ兄からは、そんな雰囲気を感じられる。
前世を振り返ってみる。日本の歴史や地理をしっかりと覚えていただろうか?法律や制度を聞かれてすらすらと答えられただろうか?完全に、否だ。日本でさえ曖昧なのだから、まして外国のこととなれば、……まあ、お察しである。
俺は、前世よりも厳しいこの世界で、生き残るために知識が必要だというのもあって、何度も繰り返して必死に覚えた。やる気度が違うというのもあるが、クロ兄の話が面白いので、学ぶことにあまり苦は無かった。前世の勉強が得意ではなかった俺にそう言ったならば、発狂ものである。ちなみに、勉強は楽しいとか言うヤツにギリイィッ……! となって、シャーペンの芯が連続で折れてしまえばいいのにとか思っていた性格の悪いヤツが前世の俺である。
「さて、今覚えたものを浮かべてみようか」
クロ兄が右手の人差し指を立てると、紫色に光る文字がいくつか浮かび上がり、指の周りをくるくると回った。これぞ魔法! という光景に俺は息をのみ、両手を握りしめて気合いを入れる。
「うん!いよいよってかんじだね!」
元気よく返事をすれば、クロ兄は満足げに頷いた。
「まずは円から始めようか。手を宙にかざして円を思い浮かべるんだ。大丈夫。さっき光ったのだから適性はあるんだ、難しいことではないよ」
クロ兄の真似をして右手を体の前に伸ばす。ぎゅっと目を閉じて、先ほど描いた円を思い出す。円、円、円……。
「目を開けてごらん。出来ているよ」
声を聞いてそっと目を開く。俺は思わず歓声を上げた。目の前には、俺の手のひらより少し大きい紫色の光る円が浮かんでいた。これは魔法陣の第一歩ではないだろうか!
クロ兄の指示に従って次々と図形や文字を浮かべていく。思い浮かべたものと全く同じ光る文字が浮かび上がった。……これは才能アリってやつでは?
「さあ、ここからが本番だよ。センスと訓練が必要だ」
クロ兄がそう言って出した課題は、浮かべる図形や文字の操作だった。練習するのは、「大きさを変える」「同じ平面上に複数並べる」「思い通りに移動させる」の3つだ。クロ兄の真似をして動かそうとするのだが。
「むう、かわらない……」
「うーん、……こればっかりは自分の感覚でとしか言いようがないね」
大きい図形を思い浮かべる、とは? 頭の中の図形が大きいか小さいかなんて、どうやって判断するのだろうか。
「……角度が微妙にずれてるね」
「うえぇ?……じゃあ、これは?」
「平行にはなったけれど、同じ平面上ではないね」
ずれていることが分かること自体が謎なんだが。魔法陣を描く上で平面上に並べられないとお話にならないそうなので、必要な練習であることは分かるのだが、成功するイメージが沸かず遠い目になる。
クロ兄が持つ針の先が、円の中心になり続けるように移動させる。
「むむむ……」
「……惜しい! あと少しかな?」
今、少し間があったよね!? 俺知ってる。惜しい(惜しくない)(慰め)だよ!
数時間前の才能アリってやつでは? とか考えていた俺を殴ってやりたい。……正直舐めてました。調子に乗ってました。申し訳ありませんでした。……誰に謝ってるんだろ。
「今日はここまでかな。ゆっくり練習していこう」
それを聞いて、地面に全身を投げ伏した。俺の集中力はお亡くなりになったのである。
ちなみに、クロ兄は何気なく文字を指の周りで回していたが、あれはめちゃくちゃ高等技術であったことが分かった。なんでも、円柱の側面上を通るように文字を移動させていたのだという。想像しただけで意識が飛びそうだ。
その日から、俺は毎日練習に明け暮れた。魔法陣が描けるようになったところで、魔法は発動しないわけなのだが、それでも俺にはこの世界に生まれて初めて、絶対達成したい具体的な目標がひとつ出来たような気がしたのだ。
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何度も練習して、ふと俺は気が付いた。空間座標に当てはめてイメージすることが有効である、と。
この世界では、数学が前世ほど発達していない。ほぼ小学校の算数レベル、一番難しいとされるものでも中学校レベルらしい。魔法とか不思議な現象が存在するからだろうか? 平民の中には、簡単な計算もできない人間が多くいる世の中なのだ。
生まれてから関わることが無かったおかげで、俺は数学という存在をすっかり忘れていた。さあ、唸れ文系男子の数学力! 頑張れ、今世の脳みそのスペック! ……なんか空しくなってきた。