7:魔力持ちと魔術(1)
公爵邸に来てからひと月ほど経った頃、シャロンは気付き始めていた。
(する事がない…)
植物図鑑を広げながら、深くため息をつく。
アルフレッドからは、社交は最低限で良いと言われているし、公爵家が行っている慈善活動なども全て彼が行うから気にしなくて良いと言われている。
『自由に過ごしてくれて構わない』
そう彼は言うが、自由にしようにもこの屋敷でエミリアの痕跡が残る物を触るのは憚られるため、女主人として屋敷を管理しようにも下手に動くことができない。
せめて有り余る知的好奇心を満たそうと公爵邸の図書室に向かったこともあったが、そこに並んでいたのはおそらくエミリアが読んでいたであろう恋愛小説の数々。学術書しか読んでこなかったシャロンの興味をそそられるようなものは、そこにはなかった。
結果、1日の予定が『朝食』『昼食』『夕食』『子作り(仮)』しかないシャロンは結局、庭園を散歩するか、実家から持ってきた本を読み漁るくらいしかすることがないのだ。
「公爵夫人って暇なのね…」
新人メイドのシノアが淹れる少し渋いお茶を飲みながら、シャロンはぼやいた。
「今日もデニスのところに行こうかしら」
「奥様は本当に植物がお好きなのですね」
「実家には薬草園があったからね、その影響かしら」
「なるほど…」
実家でもずっと薬草園に入り浸っていたシャロンは公爵邸に来てからというもの、ほぼ毎日、庭園の先にある温室に通っていた。
「どうせなら、何か趣味に打ち込んでみてはいかがですか?」
「趣味ねぇ…」
確かに趣味に生きるご婦人もいるにはいるがシャロンの場合、その趣味は主に新薬の開発。
日夜マウスを使った投薬実験をするのが公爵夫人として相応しいかと問われると、微妙なところだ。動物相手に怪しい実験を行っているなど噂をされては、きっとウィンターソン公爵の名に傷がつく。
難しい顔で唸るシャロンに、シノアはそんなに難しいことを聞いたかなと首を傾げた。
「ご実家ではどのように過ごされていたのですか?」
「うーん。薬草園の手入れをしたり、魔術の訓練をしたりとかかなぁ」
だいぶ濁したが嘘は言っていない。
「…え?奥様、魔術が使えるのですか?」
シノアは『魔術』と言うフレーズに反応し、目を輝かせた。
「すごい!私、魔術が使える人に会ったの初めてです!」
「そうなの?」
「身近には魔力持ちがいなかったもので」
「まあ、魔力は遺伝によるところが大きいものね」
この国には魔力を持って生まれてくる人間がいる。
魔力は遺伝するため、魔力持ちのほとんどは魔力持ちの親から生まれてくるのだが、魔力持ちの殆どは貴族階級の人間。故に、シノアが魔力持ちに会ったことがないのも不自然ではない。
「では奥様も魔術学院に通われていたのですか?」
「ええ、そうよ」
「本当ですか!?学院ってどんなところなんですか!?学院のお話が聞きたいです!」
ずいっと顔を近づけ、興奮気味に尋ねてくるシノアにシャロンはどうしたものかと困った顔をした。
「もしかして、シノアは学院の生活がとても華やかなものだと思っている?」
「へ?違うんですか?」
「申し訳ないけれど、全然違うわ。確かに魔力持ちには貴族が多いし、将来は王家に仕える魔術師になる事が約束されているからそう思うのも無理はないけれど、実際はそんなところじゃないのよ」
シャロンは学院時代を思い出し、自嘲じみた笑みを浮かべた。
魔術学院は、通常の学校とは異なり魔力持ちの子どもが貴族平民問わず集まる場所だ。
彼らはそこで魔力という異端の力を制御し、意のままに操るための方法を学ぶのだが、完全実力主義で成績がものを言う少し特殊な世界だった。
「魔術学院では成績が全てでね、実技試験の成績上位者が絶対的な支配権を持つの。そして成績最下位の者はクラスメイトの奴隷となる暗黙の了解があるような、そんなところ…」
身分で差別されることがないというのは画期的だとは思う。だが、魔力量には個人差があり、実技の成績はほとんどが魔力量の多さで決まってしまうため、公平性に欠けるのだとシャロンは不満げに話した。
「私は最下位の成績でね、地獄の五年間だったわ」
ほとんどの卒業生がパスできるはずの魔術師資格試験に合格出来ない程度しか魔力がないシャロンは当然の如く、最下位。
学院での五年間、彼女は地獄を見た。
ひと学年に30人程度しかいない全寮制の閉鎖的な学院で底辺のシャロンは慣例に従い、クラスメイトの奴隷だった。
影口を叩かれたり、物を隠されたり壊されたりなんていじめはまだ可愛い方。
特にひどかったのは成績トップの3人からの仕打ちだった。毎日理不尽な命令をされ、従わなければ暴力を振われる日々。
あまりにも酷いので助けを求めたこともあったが、学院の教師は『そういう決まりだから』と言い放ち、助けてくれなかった。
シャロンはこの時の教師の反応で、大体のことを悟った。
普通なら問題となるはずの卑劣ないじめがずっと大きな問題にならないのは、隠匿され続けてきたからだという事を。
何処かから圧力がかかっているのだろうか。それとも、将来的に国の発展のために犠牲になる彼らを憐れみ、学院の中だけは自由にさせているだけなのか。
いずれにせよ、学院の中にシャロンを助けてくれる存在など皆無であることははっきりした。
結果、彼女の青春は散々なものだった。
絶望しかない5年間だった。
表情が乏しいのは昔からだったが、表情筋が一気に退化したのは確実にこの五年間の学院生活のせいであると断言できる。
(あいつらを夢の中で何度殺したことか…)
当時は憎きクラスメイトの四肢をもぎ取り、腹を割いて一つ一つ臓器を取り出していく猟奇的な夢を何度も見た。
彼女のように極端に魔力量の少ない者以外、学園の卒業生はほとんど魔術師として城に上がるが、彼らは元気にしているだろうか。元気にしていなければ良いなと思う。
トップ3も、彼らの後ろに隠れてクスクス笑っていた奴らも、自分じゃなくて良かったと安堵していた奴らも、みんな…。
「…お、お辛いことを思い出させてしまって申し訳ありません」
窓の向こうを遠い目で見つめながら物思いに耽るシャロンの表情が悲しげに見えたのか、シノアは突然ポロポロと泣き出してしまった。
きっと、彼女の青春時代が悲惨だったことに心を痛めたのだろう。普通の貴族令嬢なら心を病んでしまってもおかしくはない状況だ。実際、過去に何人も心を病んで学院を去った生徒もいたらしい。しかし…。
「な、泣かないで、シノア。地獄だったけど私は別にやられてばかりではなかったのよ…」
シャロンは涙が止まらないシノアにハンカチを渡すと、慌てて弁明した。
実のところ、シャロンはやられっぱなしだったわけではない。
押し付けられた提出課題は絶対A判定が取れないレベルに調整したし、壊されたものは全て請求書を相手側の実家に送りつけた。学院では身分関係なく振る舞えても、学院の外ではそうはいかない。偉そうにふんぞり返っていたクラスメイトの家などジルフォード家の敵ではないので、しっかりと弁償してもらった。
流石に殴る蹴るの物理的な攻撃はしんどかったが、次兄から手解きを受けたニンジャの動きで受け身を取っていたので、大事には至っていない。時折仕返しに、彼らの持ち物に触るだけで肌がかぶれる植物を忍ばせたこともあった。
それに、シャロンの復讐は今も続いている。
ジルフォード家は魔力持ちの家系であるにも関わらず、職業は魔術師ではなく宮廷勤めの医師だ。シャロンに危害を加えたクラスメイトの名は父も兄も把握しているため、彼らは怪我を負った際に荒く治療されていることだろう。
「だからね、シノア。貴女が思っているほど辛くはないのよ」
「本当に?」
「ええ。本当に。だから泣かないで?ごめんね、心配させてしまって…」
シャロンは親指の腹で優しくシノアの涙を拭うと、微かに目を細めた。
「貴女はとても優しい人ね」
「そんなことありません」
「そんなことあるわ。他人の過去を思って泣けるのだもの」
幼児をあやすようにシノアの頭を軽く撫でると、シャロンは一緒に温室へ行こうと誘う。
「良いものを見せてあげる」
そう言って、シャロンは悪戯を企てている子どものような笑みを浮かべると、シノアの手を引き赤絨毯の廊下を颯爽と駆けていった。