60:トカゲ(1)
後日、エミリアの元を訪れたシャロンは深々と頭を下げた。
「エミリーこの間はごめんなさい」
『シャロン。それは私のセリフよ。私があなたにあんなことを言わせたの』
だから謝るのは自分の方だとエミリアも頭を下げる。
気まずい沈黙が2人の間を流れた。
見かねたベネット子爵はお茶とお菓子を用意し、場を繋ぐ。
ハーブティーを一口啜り、一瞬だけ少しホッとしたような笑顔を見せたシャロンにエミリアは優しく微笑んだ。
『この間より、顔色がいい』
そう言ってエミリアはシャロンの頬に触れる。
突然頬に触れられた彼女は顔を赤くした。
『シャロン、私ね、シャロンのことが大好きよ』
「そ、それは性的な意味でですか!?」
『友情的な意味よ。目が怖い』
目をギラギラさせて前のめりになる彼女をエミリアはすかさず制止する。そして、『友人として』仲良くしてほしいと念押した。
「性別の壁は越えられる事をこの本で学んだのです。だから私にもチャンスあるかなって」
シャロンは不服そうに頬を膨らませながら、カバンから一冊の本を取り出した。
それは見覚えのある装丁の本。かつてエミリアがハマった恋愛小説だった。
『うそ、貴女その手の本を読むの?』
「はい。恋愛小説は読まない方ですが、これはハマりました」
エミリアは両手で顔を隠し、天を仰ぐ。
「どうしました?エミリー」
『死ぬ間際に同志に出逢わせてくれたことを神に感謝しているのよ』
コテンと首をかしげるシャロンの肩をガシッと掴むと、エミリアは興奮気味に目で訴えた。
『語っても良いか』と。
本当はこの手の本について誰かと語り合いたかったが、人と接することの少なかった彼女は同士に巡り会えなかったらしい。
シャロンはもちろんだと親指を立てて笑顔で応えた。
しかし、そこにタイミング悪く、早番だったアルフレッドがやってくる。
「遅くなって悪かった…って、何その目」
2人してジトーっとした目で見てくるものだから、アルフレッドはまた何かやらかしたんだろうかとヒヤヒヤした。
やらかしたという自覚はなくともやらかしている可能性は十分にある男だ。
エミリアは小さく息を吐く。
『アル。私ね、トカゲを飼ってみたいわ』
「え?突然どうした?」
「あら?エミリーは爬虫類派ですか?」
『実はね。昔も飼いたかったのだけれど、アルが嫌がりそうだから我慢していたの』
彼女は『自分はもう先が短いの』と潤んだ瞳でアルフレッドを見つめる。
「…それは、採取してこいということだろうか?」
顔面蒼白のアルフレッドに、エミリアは満面の笑みで頷いた。
昆虫よりはマシだが、爬虫類もなかなかに苦手だ。
すると、シャロンがスッと手を挙げる。
アルフレッドはきっと、彼女が『自分が取ってこようか』と提案してくれるのだと思った。
しかし、シャロンに期待しても良いことはない。
「私はバッタがいいです」
「…は?」
『じゃあ、アル。バッタとトカゲ捕まえてきて』
「よろしくお願いします」
ベネット子爵は黙って虫かごを彼に渡すと、一言『どんまい』と囁いた。
アルフレッドは『ちくしょう!』と叫びながら部屋を飛び出した。
「…追い出して良かったんですか?貴重な面会時間なのに」
『今はアルへの愛を語るより、これについて語りたいのよ』
キリッとした顔で本を掲げるエミリア。
「なるほど。では存分にどうぞ」
***
エミリアがやっと巡り会えた魂の同志に崇高な愛について語っている頃、ヘンリーは王宮の庭園にある花壇の前で蹲るアルフレッドを見つけた。
「あれ?前妻のところに行ったんじゃなかったのか?」
勤務時間が終わるなり、飛び出していった彼がなぜここにいるのかわからず、ヘンリーは首をかしげる。
「何してんの?」
「バッタとトカゲを探しています」
「子どもかよ」
こんな天気のいい日の午後に、仕事終わりの服装のままバッタとトカゲを懸命に探す38歳。かなり痛いやつだ。
「なあ、一ついいか?」
「何でしょう」
「今は冬だぞ」
ヘンリーは言いづらそうに、庭園の奥にある雪だるまを指さした。
品種改良されたものならともかく、野生のバッタやトカゲをここで捕まえることはほぼ不可能だ。
「薄々気づいてはいました…」
「薄々も何も、絶賛冬だぞ。コートとマフラーを装備してるやつが何を言ってるんだ」
アルフレッドはマフラーで顔を隠すとその場にう蹲り、ため息をこぼす。
そんな彼が何だか哀れになり、ヘンリーは隣に腰を下ろした。
「それで?何でこんなことしてるんだ?」
「前妻と後妻が欲しがるものですから…」
とほほ、と肩を落とすアルフレッドに、ヘンリーはこいつは本当に大丈夫だろうかと思った。
「…尻に敷かれてるなぁ。公爵は一応公爵だろ?たまにはガツンと言ってやれば?」
「いや、まあ。何というか…。欲張っている分、やれることは全部やらねばなと」
エミリアへの気持ちはもうほとんど残っていないのに、彼女を突き放すことはできず、残り短い時間を笑顔で過ごしてほしいと願い、彼女が望むままに彼女の元に通う日々。
けれど心はシャロンを想い、彼女を手放すこともできず、更にできれば彼女に好かれたいとも願ってしまう。
「意外に欲深いな」
「冷静になると本当にそう思います」
「可能なら冷静にならずともそう思うべきだな。さりげなくハーレム作ってるんじゃないぞ、こら。我が国は一夫一妻制だからな?」
辛辣な言葉を吐きつつも、ヘンリーはアルフレッドの肩をポンポンと叩く。
「公爵。君たちの関係がうまくいっているのはシャロンがああいう人間だからだぞ?」
「わかってますよ」
「ハディスのとこの薬師に負けても知らないからな」
「…、どこまで知ってるんですか」
ニヤリと笑うだけで答えないヘンリー。
王族って本当に怖い。
「もう十分負けてますよ、男として」
彼は本当に立派な男だ。
自分ならあの時の彼と同じ状況に立たされたのなら、きっと『好きだ』と言ってしまったと思う。
(…だって、想い人が嫁いだ先はこんな男だ)
本当は問答無用で連れ去りたかったのだろう。それでも彼がそうしなかったのはシャロンが自分の元に残ると決めたからだ。
いや、正確には自分の元に残ったのではなく、公爵邸に残っただけなのだが。
(私は今、シャロンの目に映っているのだろうか。いや、多分映ってはいないのだろうな)
彼女が嫁いで来た時のような謎の自信など皆無だ。
きっとサイモンがジルフォード家に古くから仕えていなければ、シャロンは彼の好意に応えていた。
アルフレッドは、彼が彼女の兄の枠から抜け出せなかった事に救われただけだ。
「陛下…私はどうしたら良いのでしょう」
「まだ陛下じゃない。どうしたら良いかなど自分で考えろ」
「冷たい」
「冬だからな」
ヘンリーは仕方がないと、虫かごを持って立ち上がると仁王立ちでアルフレッドを見下ろした。
「公爵はどう足掻いても薬師のような男にはなれないんだから、それならばお前の持てるものを全部捧げるしかないだろう」
「ほんと、どこまで知ってるんですか」
「やれるだけのことは全部やるんだろ?」
「やりますよ」
「ならついて来い。薬師にはできないが公爵ならできる事がある」
ニヤリと怪しく笑うヘンリーは、アルフレッドをとある場所へと連れて行った。




