58:記憶があるタイプ
夜中、目を覚ましたシャロンはズキズキと痛む頭を押さえながら起き上がる。
暗くてよく見えないがおそらくシャロンの部屋だろう。少し薬品の匂いがした。
彼女はベッド脇のテーブルに置いてある水を飲むと、その場に崩れ落ちた。
「…し、死にたい」
酔い潰れた人間というのは大まかに分けると、その時の記憶を失う人と鮮明に覚えている人の二種類に分けられる。
そして、シャロンは間違いなく後者だった。
やさぐれたり幼児退化したり、していた気がする。いや、気がするではない。間違いなくそうだった。
「あぁぁあ!!いっそのこと、ひと思いに殺してほしいぃぃぃ!!」
妙に軽くなった心とは裏腹に、思い出せば思い出すほど、恥ずかしさで死にそうになる。
シャロンは床にコロコロと転がりながら、何とも言えない声で叫んだ。
すると、その叫び声を聞いたアルフレッドが慌てて駆けつけた。
「だ、大丈夫かシャロン!!」
「すみません。大丈夫…ん?」
廊下の明かりに照らされたアルフレッドの顔は、誰かに殴られたような青あざでパンダのようになっていた。
正直ドン引きするほどにボッコボコである。
「え?強盗でも入りました?」
「ああ、これね。大丈夫、気にしないで」
「いや、気にせざるを得ないですよ。怖いくらいにボッコボコですけど…」
「ちょっとね」
「ちょっとねって…」
ちょっとね、と言うレベルではない。離宮での国王に匹敵するくらいの重傷だ。
シャロンは立ち上がると、戸棚から薬を取り出した。
「とりあえず、湿布薬作りますね、そこ座ってください」
「いや、いいんだ。気にしないでくれ」
「でも…」
「この傷を君に治してもらうのは、なんか、その、違うから」
アルフレッドは困ったように笑うと、彼女の治療を受けることを拒否した。
何だか様子のおかしい彼に、シャロンは首を傾げる。
実はあの後、シャロンを寝室に運んだアルフレッドは、セバスチャンに呼び出されて再び庭園に出ていた。
そこで待ち構えていたのは怒れるサイモン。
『ちょっとツラかせや』と言う彼にツラを貸したら、ボッコボコに殴られたのだ。
それはもうボッコボコに。
さすがはハディスの下でスパイ活動も行うスーパーハイスペック薬師。騎士団に勧誘したくなるほどに重い拳だったらしい。
そして最後には、よろけた際に肥料用の馬糞に運悪く片足を突っ込んでしまい、転けた。
回避したはずなのに、結局馬糞まみれになったアルフレッドを見て、デニスは爆笑したらしい。
流石のアルフレッドもこの時ばかりは『我、公爵ぞ?』と思った。
もうこれは軽くリンチではなかろうか。暴力反対。立派なウィンターソン公爵襲撃事件である。
なんとか彼らとは和解したが、アルフレッドはこの公爵邸における力関係について再確認する必要性を感じた。
なんて事をシャロンに話せるわけもなく、ボッコボコのアルフレッドは誤魔化すように優しく微笑んだ。
「軽く、何か食べるかい?」
「頂きます…」
シャロンが時計を見ると夜の8時だった。かなり眠っていたらしい。
「わかった。すぐに用意させよう。部屋で食べるか?」
「いえ、食堂で食べます」
「では先に行っててくれ」
「はい…」
アルフレッドはセバスチャンを呼びに行くため、その場を後にした。
シャロンはアルフレッドの様子に少し違和感を覚えつつも、彼の背中を見送り、食堂へと向かった。
***
食堂にはなぜかサイモンがいた。
シャロンは彼が普通に食事をしている姿に唖然とする。
「何をしているの?」
「食事してます。公爵邸のご飯は美味しいっすね」
「いえ、そう言うことではなく…」
なぜここにいるのかという事を問いたいのだ。
食堂の入り口でシャロンが固まっていると、後ろからやってきた青あざパンダのアルフレッドはとりあえず席に座るよう促した。
目の前に置かれたサンドイッチとスープを食べつつ、シャロンは隣に座るアルフレッドを見る。
(…青あざパンダの微笑みは怖いのでやめてほしい)
謎に穏やかな微笑みを浮かべる彼に少し寒気がしつつも、シャロンは気になることを聞いた。
「あ、あの、なぜサイモンが?」
「今日はもう遅いから泊まってもらおうかと」
「泊まるんですか?」
「うん。泊まりたいって言うから」
「へー…」
泊まりたいと言われてそう簡単に平民を宿泊させるほど、この人は懐が深いのか。
それとも、それほどまでにサイモンと仲良くなったのか。
そこまで考えて、シャロンはハタと気が付いた。
彼女はにやける口元を押さえてアルフレッドを見上げる。
「もしかして、私、おじゃまですか?」
「君が今、何を考えているのかが手に取るようにわかるよ…」
アルフレッドはフッと諦めたような笑みを浮かべた。
「旦那様の寝室にお泊まりですか?」
「普通に客室でお泊まりです。いいから食べなさい」
「今夜、いよいよ性別の壁を越えるのですね。どちらが下ですか?」
「流石に怒るよ?どこでそんな知識覚えてきたんだ」
「シノアが貸してくれた本がそういう内容だったのです。ちなみに彼女はその本は図書室の奥の奥にあったと言っていました」
「まさかの事実だ」
図書室にはエミリアが好きだった恋愛小説しかおいていないはず。
つまりは…、そういうことだ。
これは後日エミリアを問い詰めねばならない。アルフレッドはそう思った。
2人がそんな話をしていると、食事を終えたサイモンは人払をし始める。
「どうしたの?」
「お嬢にお話がありまして」
人がいなくなったことを確認すると、サイモンはスッとシャロンの前に薬草の発注書の控えを差し出た。
それは1番最近、彼女が発注した薬草の発注書だった。
「何を作った?」
低い声でサイモンは尋ねる。
シャロンが恐る恐る顔を上げると、彼は怒っているような悲しんでいるような複雑な表情をしていた。
「…黙秘します」
「黙秘するということは、俺の予想が当たっているということですか?」
「も、黙秘、します…」
黙秘を続けるシャロンに、サイモンは深くため息をついた。
「まあ、お嬢が持っている在庫と1番最新の発注内容。ちょっと考えればわかることだったのに見逃したのは俺の落ち度だと思ってます」
「違う!違うわ!サイモンは悪くないの!」
「いや、俺も気付くべきだった」
アルフレッドばかり責められない、とサイモンは言う。
シャロンが人に頼れない人間であることも、プツンと糸が切れるまで自分に限界が来ていることを気づけない人間であることも、彼は知っていた。
先日倒れたのが、その糸が切れる前兆であるとなぜ思えなかったのか。
「お嬢」
「はい」
「俺は、人を殺すために薬草を育てているわけじゃありません」
「…はい」
「あそこの薬草園は、人を救うための薬草園です」
「…はい」
「わかってるなら二度とするな…」
「…ごめん、なさい」
今にも泣き出しそうな顔をするサイモンに、シャロンは自分のした事を後悔した。
「お嬢、帰りませんか?」
「…どこに?」
「ジルフォードの家に」
「…いやよ」
「俺は心配すぎて、もうここにいて欲しくないです」
ここの屋敷の人間は皆いい人だ。
だが自分の目の届かないところでもし、もし同じようなことが起きたらと思うと耐えられないとサイモンは言う。
「ジルフォードの家からでも城へは通えますよ」
「心配かけてごめん。でも私はここにいたい」
「それはウィンターソン公爵夫人だからですか?」
「違うわ。このお屋敷が好きだからよ」
実家よりご飯は美味しいし、シノアとお喋りするのは楽しいし、デニスは孫みたいに可愛がってくれるし、セバスチャンの淹れるお茶は絶品。
公爵邸の人間はみんな優しくて暖かい。シャロンはこの場所が大好きだった。
「馬鹿なことをしたと思ってる。みんなの優しさを裏切る行為だったと反省してる。もう二度としない。約束するから…お願い…」
「…お嬢」
「さりげなく進化させた実験室を手放したくないの」
「まさかの理由だった…」
自分好みに作り上げた実験室を手放したくないから、実家には帰らないと言うシャロンに、サイモンは絶句した。
彼のその反応に納得していないと思ったのか、シャロンはこそこそと耳打ちする。
「実はね、ここだけの話なんだけど、今珍しい種類のバッタを飼育しているの」
「バッタ…」
「繊細な子でね、環境が変わって死んでしまっては悔いしか残らないわ」
サイモンはバッタのために公爵邸に残りたいという彼女を生暖かい目で見る。
シャロンは慌てて『エミリアの痕跡のあるところで過ごしたいから』と取ってつけたような理由を追加したが、ここに残る理由に一切名前が出てこないアルフレッドが流石にかわいそうに思えた。
「どんまいっす」
「どんまいって言うな。泣くぞ」




