55:シャロン(2)
アルフレッドは城内にシャロンの姿がないことを確認すると、急いで車に飛び乗る。
運転手はアルフレッドの剣幕に気圧され、慌てて公爵邸へと向かった。
(…いつから限界を迎えていたのだろうか)
シャロンは今、自暴自棄になっているに違いない。
なぜ気づいてやれなかったのだろう。
エミリアへの感情を受け入れたのは『楽だから』と彼女は言っていた。
それはつまり、それほどまでに精神を消耗しているということだ。
「シャロン…」
診断書を握りしめる手に力が入る。
シャロン・ジルフォードという娘をアルフレッドは誤解していた。
少し淡白だけど、強くて優しくて逞しい女性なのだと思っていた。
けれどそうじゃない。
彼女が変なところでポジティブなのは、悩みたくないからだ。
彼女が悩むのは面倒だと言うのは、考えても仕方がないと、どうせ何も変わらないと始めから諦めているからだ。
彼女は強いわけじゃない。
大丈夫なはずがなかったのだ。
-------始めからずっと。
20も年上の公爵の元に嫁がされ、
愛せないことを受け入れろと言われ、
前妻の話ばかりの旦那に付き合い、
愛されないという事実を日々刷り込まれ、
父の罪を知り、
多くの死体を目の当たりにし、
最後には前妻に魅了され心を書き換えられた。
そして今度は前妻の懺悔を受け入れ、前妻の生きたいという願いを知り、それを叶えられるのは自分だと知った。
「くそっ!平気なわけがないだろう!」
アルフレッドは自分を責めるように叫ぶ。
そう。平気なわけがないのだ。
いつも淡々としていて、いつも無表情でも感情がないわけじゃない。
何をされても何も思わないわけじゃない。
『シャロン・ジルフォードはやさしく誠実で、年の割には落ち着いているが気立が良い』
その通りだ。
歳のわりには落ち着いているが、それだけだ。
彼女はまだ18の女の子。
大人びているだけのただの女の子だ。
間違っても、寄りかかって良い相手ではなかった。
彼女は守られるべきか弱い女の子だ。
もっとちゃんと彼女を見るべきだった。
魅了にかかっていたからなんてものはただの言い訳に過ぎない。
アルフレッドは自分を恥じた。
情けない自分を殺したくなった。
「どうか、どうか早まらないでくれ。シャロン…」
***
屋敷に着いたアルフレッドは、使用人たちが何事かと騒ぐ声も聞こえず『シャロン』と叫び、彼女を探し回った。
だがどこにもいない。
焦るアルフレッドに、騒ぎを聞きつけてやってきたセバスチャンは声をかける。
「坊っちゃま」
「セバスチャン!シャロンはどこだ!」
「こちらでございます」
ひどく冷めた目をしたセバスチャンは、彼を温室へと案内した。
そこには初老の庭師デニスが仁王立ちで立っていた。
殺し屋の目をしたデニスはやってきたアルフレッドに唾を吐く。
「デニスとは付き合いが長いがこのような扱いを受けたのは初めてだ」
「本当なら馬糞まみれにしてやりたい所ですぞ」
「それを実行しない君の理性をありがたく思うよ」
「シノアに感謝することですな」
「…どういうことだ」
「彼女が奥様の異変に気づいていなければ今頃どうなっていたか」
「ど、どうなっていたんだ」
動揺するアルフレッドに、セバスチャンは淡々と説明した。
シャロンは城から帰ると、お茶をしたいから自分の部屋にティーセットを持ってくるようにと使用人に言いつけたそうだ。
ティーセットを持っていった侍女のシノアに、シャロンは自分で淹れるから下がっていいと告げたらしい。
だが、
最近の彼女の様子に違和感を感じていたシノアは部屋から出なかった。
シャロンは少し困ったような笑みを浮かべて、「困ったわ」と呟くと、自分でお茶を淹れ出した。
そして、最後の仕上げにと懐から取り出した小瓶に入った液体を自分のティーカップに垂らした。
シノアがそれは何かと尋ねると、シャロンは「美味しくなる魔法のシロップだ」と言ったらしい。
シノアは明らかに目がおかしいと思い、そのティーカップを取り上げた。そして、毒味だと言ってそれを飲もうとした。
「奥様はその紅茶を飲もうとするシノアを必死で止めたそうです。そして、観念したように白状されました」
それは脳死状態になれる薬だと。毒だと。
セバスチャンは唇を噛み締めた。
「何があったのかは存じ上げませんが、その後奥様は壊れたように泣き崩れました」
そして、少し落ち着いた彼女が温室に行きたいというのでこの場所に連れてきたそうだ。
話し終えたセバスチャンはデニスの隣に立つと、主人を見据えて言う。
「坊っちゃま。我々は公爵家にお仕えしております。ですので、本当はこんなことを申し上げるべきではないのかもしれません…。ですが、言わせてください」
「…な、何を」
「シャロン様をご実家に帰して差し上げてください。大切にできないのであれば、もう解放してあげてください」
深々と頭を下げる2人に、アルフレッドは驚いた。
自分に忠誠を誓う2人がこんな風に何かを嘆願することなど、今までなかったからだ。
しかし、2人の願いにアルフレッドは首を振った。
「シャロンに会わせてくれ」
「できません」
「頼む」
「…ではこちらを」
セバスチャンはデニスに目配せすると、彼は温室からコップ一杯の飲み物を持ってきた。
緑とも青とも赤とも言えそうな見たことのない色をしたそれを、デニスはアルフレッドの前に差し出す。
異臭とも呼べる匂いを漂わせたそれを受け取ると、アルフレッドは顔を顰めた。
「これは一体…」
「先程、泣いて色々と吹っ切れた奥様がお作りになられた、『飲むと元気100倍☆』のドリンクでございます」
「…死ぬやつか?」
「ギリ死なないやつです」
「ギリ…」
ギリ死なないやつは最早死なないだけのただの毒だろうとアルフレッドは思う。
ちなみに中身はすり潰した3種類の虫と苦味の強い薬草が4種類。
セバスチャンとデニスも手伝ったそうだ。
「虫…」
「これを全部飲み干すことができたのならここを通して差し上げましょう」
「む、むむむ、虫…」
いつかシャロンが言っていた。
エディ達いじめっ子へのささやかな復讐として、すり潰した虫を紅茶に混ぜたことがあると。
しかし、それが入っていると認識して飲むのと、知らずに飲むのとではわけが違う。
「無理なら無理でよろしいのですよ?今奥様のお兄様であるハディス様から連絡がありまして、サイモン殿がこちらに向かっているそうです」
彼が来たら彼にシャロンを引き渡すとセバスチャンは言う。
「彼は身分こそ平民ですが、坊っちゃまよりもよほど頼りになる男です」
「おい、この間まで間男だと怒っていたではないか」
「彼の手土産はとても美味しいので懐柔されました」
「勝手に懐柔されるな馬鹿者」
アルフレッドは絶対にサイモンには渡さないと、ギリ死なない程度の元気100倍ドリンクを一気に飲み干した。
そして吐き戻しそうになるのを我慢し、コップをセバスチャンに差し出す。
「これでいいのか?」
「はい」
「…いや。受け取れよ、コップ」
「臭いので後で自分で洗ってください」
「…ひどくない?」
「ひどくない」
アルフレッドは臭いコップを握り締めたまま、温室に入った。




