50:青い薔薇
エミリアが離宮から戻ってきてひと月が経過した頃。
アルフレッドが来られない日にもシャロンは彼女の元を訪れ、彼女の話し相手となっていた。
自分がアルフレッドの後妻であることを伝えていないことに、罪悪感を抱きつつも、知らないほうが良いこともあると自分に言い聞かせながら、毎日彼女の元に通った。
『シャロンは猫みたいね』
「不吉な黒猫ですか?」
『可愛い黒猫よ』
「にゃー」
シャロンは猫の真似をしてみせた。すると、エミリアがクスクスと笑う。
その笑顔が嬉しくて、シャロンもまた小さく微笑んだ。
「エミリア様、今日は外に出ませんか?」
『外?良いの?』
「はい。許可は取りました。これを被っていただくことにはなりますが…」
申し訳なさそうにシャロンが取り出したのは茶髪のウィッグと眼鏡だった。
いるはずのない人間がそこにいることを隠すため、変装するのならと言う条件で、部屋の外に出ることが許されたのだ。
「ちなみに金髪と銀髪もご用意しています」
『それなら銀髪がいいわ。実は憧れていたの』
「わかります」
黒髪は色素の薄い髪に憧れるものらしい。
エミリアは銀髪のウィッグに眼鏡を装着し、そして念のために帽子を被った。
『似合う?』
「お似合いです。最高に可愛いです」
『ありがとう』
シャロンはエミリアを担ぎ、車椅子に乗せるとベネット子爵とともに部屋を出た。
王宮の回廊を進み、ロイヤルガーデンへと向かう。
そこは王族しか立ち入れない場所のはずだが、シャロンはヘンリーに頼み込んで1時間だけ立ち入る許可をもらったのだ。
雪が積もるバラの生垣を抜け、噴水を通り過ぎると、そこには半円形の温室があった。
ベネット子爵が扉を開け、温室の中へと入る。
先ほどまでの外の冷たい空気とは違って、暖かい。
「エミリア様、こちらです」
シャロンが案内したのは温室の奥にあるとあるエリア。
そこにはたくさんの青い薔薇が咲いていた。
この季節外れの青い薔薇は、サイモンが栽培に成功したもので、ジルフォード家が王家に献上したものだ。
「どうですか、エミリア様」
シャロンは車椅子を押しながら生垣に近づいた。
エミリアは口元に手を当て、顔を赤らめる。そして、喜びと驚きが混ざり合った表情で車椅子を押すシャロンの方を見上げた。
「幸せの青い薔薇のお話、聞きました」
『アルはあなたに話したの?恥ずかしいわ』
「でも、これがきっかけだったって」
『そうね、これがきっかけだわ』
エミリアは薔薇に手を伸ばし、その花弁に触れる。
本当にくだらない会話から始まったアルフレッドとの恋。
いつか本物を見せたいと言っていた彼の優しげな微笑みは、今でも鮮明に思い出せるとエミリアは語る。
『あれは確か2年前のことだったわ』
そんな風に彼女が思い出話を始めた後ろで、ベネット子爵はシャロンに耳打ちした。
「やはり、記憶が抜け落ちているようです」
「そうですね。多分、彼女から離宮について話を聞くのは困難でしょう」
「わかりました。殿下にはそうお伝えしておきます」
ベネット子爵はシャロンに軽く会釈すると、温室を出た。
どうやらエミリアの記憶は5年前の死の直前で止まっているらしい。
離宮にいた頃の記憶がすっかり抜け落ちているのだ。
だからこそ、エミリアは笑えるようになったのだと考えると、シャロンは辛い過去など忘れたままでいいと思う。
ヘンリーは彼女からも事情を聞きたがっていたが、おそらく難しいだろう。無理に聞き出そうとすれば、それこそ今度こそ完全に壊れかねない。
『ねえ、シャロン』
「はい、なんでしょう」
『一つだけ、あなたの重荷になる話をしても良い?』
ぼーっと青い薔薇を見つめたままエミリアは呟いた。
シャロンは首を傾げながら「どうぞ」と答える。
『即答するのね。重荷になるのよ?』
「そんな言い方をされては聞きたくなるに決まっているではないですか」
聞かなければどうせ『気になる』と、『あの時聞いておけば』と後悔するに決まっている。
聞かずに損をするくらいなら聞いて損をしたいとシャロンは言った。
『素敵な考え方ね』
「ありがとうございます」
エミリアはクスッと笑うと、憂いを帯びた目で誰にも言えない話をし始めた。
***
「ご苦労だった、ベネット子爵」
エミリアの容体に関する経過報告を受けたヘンリーは手元の資料に目を落としながら、深くため息をついた。
「シャロン様も私も、彼女からの聞き取り調査には反対です」
「…わかっている。だがなぁ…」
「何か気になることでもございますか?」
「いや、大したことじゃないんだ。単に俺が気になるだけというか、納得できないだけというか…。いや、実質ほぼ軟禁状態で自由を奪っているのだから、シルフォード侯爵と同じ扱いだし、それでいいと言えばそうなんだが」
「なんの話でしょう?」
1人ぶつぶつと呟く彼に、子爵は首を傾げた。
ヘンリーは何でもないと誤魔化した。
「それにしても今更、変異種の研究を再開するとは思っていませんでした」
子爵はヘンリーから渡された茶封筒を抱きかかえ、困ったように笑う。
彼が変異種に関する論文を出したのは10年も前の話だ。
当時はどこかから圧力がかかったのか、研究途中で『子爵は人体実験をするつもりだ』との批判が殺到し、その研究は途中で打ち切りとなった。
そういった経緯もあり、今更この研究を再開することになるとは夢にも思わなかったのだ。
「この資料、ハイゼル伯爵夫妻から聞き取り調査をしたものですか?」
「そうだ」
「そうですか。ありがとうございます」
ペコリと頭を下げるベネット子爵。つくづく腰の低い男だと思う。だから10年前、理不尽な圧力に負けてしまったのだろう。
ヘンリーは席を立つと、窓の外からロイヤルガーデンの方を眺めた。
「子爵。魔力持ちから生まれた魔力を持たない子どもで、彼女と同じような特技を持つ人間を1人見つけたんだが、面会するか?」
「いくつですか?」
「ちょうど15だ」
その少女は男爵家の娘で、異様に人に好かれるのだという。
魔力持ちである姉や両親、祖父母は普通だが、平民の使用人や魔力のない姉の婚約者は彼女を溺愛しているのだという。
そして、その少女は最近『姉にいじめられている』と使用人たちに吹聴して回っているらしい。
もちろん姉はすでに魔術学院に通っており、そんなことをする暇はないし、両親も少女の主張をまともに聞いてはいないそうだ。
けれど平民の使用人や、魔力のない姉の婚約者は彼女の話を信じているという。
「以前から少し相談を受けていたんだが、この間、とうとう姉の婚約者が実家の許可も取らず、勝手に婚約破棄を突きつけたそうでな。今の男爵家はど修羅場だそうだ」
ヘンリーは肩をすくめた。
両親は少女がなんらかの魔術を使っていると考えたが、いくら調べても彼女の魔力はゼロ。どういうことかわからず途方に暮れているらしい。
「俺はさ、その妹は自分の能力について自覚があるのではないかと思っているんだ」
「…なるほど」
「15年も生きてきて、周りが自分に対して異常なほどの好意を抱いているなど、何かおかしいと感じるのが普通じゃないか?」
「確かに、そうですね」
ヘンリーが言いたいことを察したベネット子爵は目を伏せた。
もし彼女に自覚があったのだとしたら、この悲恋は少し形を変える。
そして、彼女は完全なる被害者というポジションではいられなくなる。
「ハイゼル伯爵はなんとおっしゃっていたのですか?」
「知っていたそうだよ」
伯爵夫妻は娘の能力について薄々勘づいていた。
だからエミリアを最低限の人間にしか会わせなかった。もちろん病弱なのは嘘ではないが、それを理由に彼女を隔離したのは彼女の能力を恐れたからだ。
「だが、娘にそれを伝えてはいないらしい」
彼女は必要最低限の人間としか接していない。
故に、自分の能力に気づいていなくとも不思議ではない。
「…俺が勝手にモヤモヤしてるだけなんだ。暴く必要のない真実もあるのはわかっている」
「知って何かが変わるわけではありませんからね」
子爵はヘンリーの隣に並び、彼と同じようにロイヤルガーデンの方を眺めた。




