38:動揺する
王はエミリアのベッドに落ちていた何かを拾うと、彼女の耳元で『シャロンという猫がこの部屋にいる』と彼女に囁く。
ジルフォード侯爵はその発言に一瞬顔を歪めた。
「猫ちゃん?」
「そうだよ、エミリア。名前を呼んでごらん?」
エミリアは王に促されるままに、シャロンの名を呼ぶ。
「シャロン、かおをみせて?」
「シャロン、どこにいるの?」
「シャロン、おはなししましょう?」
繰り返し、壊れた人形のように猫のシャロンを呼び続けるエミリア。
その様子にハディスは顔を青くした。
「お前、もしかしてベッドに何か忘れてきたか?」
「…IDが手元にありません」
「マジか…」
どうやらシャロンは王宮内を自由に出入りするため、特別に発行されたIDカードをエミリアのベッドに置いてきてしまったらしい。
「申し訳ありません…」
「…ほんとな」
シャロンにしては珍しいミスに、ハディスもヘンリーも驚きつつため息をついた。
やらかした、とシャロンは自分の体を抱きしめて小さくなり、肩を振るわせる。
ハディスは彼女の背中をさすり、落ち着かせようとする。だが、シャロンの呼吸は荒くなる一方だった。
「そんな落ち込むな。何とかなる。多分、知らんけど」
「はい…」
「…それよりお前大丈夫か?」
先ほどから明らかに様子がおかしい妹の顔を、ハディスは覗き込んだ。
「…私、何かおかしいですか?」
「めちゃくちゃおかしい。顔が赤い。目が血走ってる。息も荒い。でも表情はないからまるでホラーだ。正直ちょっと怖い」
「わかりやすい説明をありがとうございます」
「どういたしまして…ぐふっ」
見たままに答えたのに、何故か横っ面をグーで殴られたハディス。理不尽だ。
「シャロン、体調悪いのか?」
ヘンリーは様子のおかしいシャロンを気遣い、ハディスの殴られた頬を突きながら彼女に声をかける。
シャロンは下手な愛想笑いを浮かべ、「少し」と答えた。
「耐えられるか?」
「大丈夫です。問題ありません」
明らかに自分の身に何かが起こっているが、それが何なのか確信が持てないシャロンは強がった。
エミリアに名を呼ばれるたびに早くなる心臓の鼓動、高くなる体温とふわふわとする頭。
一見風邪のようにも思える症状だが、おそらく風邪ではない。それだけは断言できる。
(…気合い入れなきゃ)
何か得体の知れないモノに意識を奪われそうなシャロンは、自分の頬をぎゅっとつねった。
「アル。シャロン、でてこない」
「仕方がない。私が探しておいてあげるよ。エミリアは先に広間に行っててくれるかい?」
優しく頭を撫でてそう言う王に、エミリアは小さく頷いた。
「侯爵、準備を進めておけ」
「…かしこまりました」
ジルフォード侯爵は少し疲れたような表情で首を垂れると、エディがエミリアを抱き上げるよう指示し、広間の方へと向かう。
姿を隠しているシャロン達の前を静かに通り過ぎる父の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
(…お父様?)
喜怒哀楽をすべて笑顔で表現するタイプの人間である父が、その表情を崩すのは珍しい。
様子がおかしい父に、シャロンは思わず声をかけそうになった。しかし、ハディスは妹の腕を掴み、首を横に振る。
ジルフォード侯爵は部屋を出る直前、王の視線が他所へ向いた一瞬に手に持っていた小さなメモに魔力を込めた。そしてそのメモを落とす。
すると、小さな紙切れは扉が閉まるときの風とともにシャロンの目の前にひらひらと移動した。
シャロンはそれを手に取り、兄に渡した。
『もうっ!どうして騎士団を連れてこないのよ、ハディスちゃんのおバカ。まさか3人で乗り込んできたわけじゃないでしょうねっ!?ちゃんと壁を壊すスイッチの場所教えたでしょう。何してるのよ。本当信じらんないっ』
そう書かれたメモを見た彼は、深く息を吸い込み、キリッとした顔で静かに吐き出す。
「…父上が動揺している」
「待て、ハディス。俺も動揺している」
何故にオネェ言葉なのか。
衝撃的すぎて内容が頭に入ってこない。
何故姿を隠しているはずなのに3人だとわかるのか、とか、壁のスイッチって何のことか、とか、あの一瞬でこの長文をメモに記せるのは流石だな、とか色々思うことはあるのに、それよりもオネェが気になりすぎて頭に入って来ない。
「父は動揺すると内面に隠している女の部分が出てくるんです」
「まさかの事実だ。知りたくなかった」
家ではたまに女装しますよ、というハディスにヘンリーは耳を塞いだ。
そんな彼に、『天才とは往々にして変人であるものです』とシャロンは笑う。ちなみに、長兄ユアンは娼館のSMコースに通うドMらしい。
ヘンリーは隣にいる変人の巣窟、ジルフォード家の2人の顔を見て妙に納得した。
「しかし、スイッチとは何のことでしょうか」
「壁とはあの魔力持ちしか通れない壁のことか?」
ヘンリーとハディスは侯爵からのメモの意味がわからず首を傾げる。
シャロンは怪訝な顔をしながら兄を半眼で見た。
「もしかして兄様。お父様からの暗号の手紙、全部解読できていないのでは?」
嫌な沈黙が3人の間を流れる。
そうしている間に、王は幻術を解き、テーブルにあった首飾りを身につけた。
「…ま、まさかぁ」
「それは流石に…なぁ?」
「でもこの書き方だと、お父様は地下通路のことも、あの魔力持ちしか通れない壁のことも全部事前に伝えていたつもりにしか見えないし…」
侯爵は事前にこの離宮の構造をハディスに伝えていたつもりだったのではないか、そしてその上で助けを求めていたのではないか、とシャロンは指摘する。
だとするならば彼のあの涙は、ここにこの3人しかいない事への絶望からか…。
「お父様…。泣かせてしまってごめんなさい」
シャロンは広間の方に手を合わせた。
そもそも武闘派のA級を豪語するこの兄に、暗号解読など不可能だったのかもしれない。
「どうしようか。今回の作戦は騎士団ありきのものなんだが…」
「詰んでますよね。かなりピンチです」
3人のうち2人は非戦闘員。そして、さらにそのうちの1人の存在がバレている。
騎士団は到着しておらず、ジルフォード侯爵との事前の意思疎通はできていない。
3人は顔を見合わせて笑うしかなかった。
「もう、俺たちだけでやります?プランBに変更しましょう」
ハディスの提案に、ヘンリーは顔をしかめる。
「…勝手に変更して、騎士団の方は大丈夫か?」
「わかりません。しかし、彼らを待っていれば本当に囮を犠牲にせねばならなくなります。さすがにそうなると後味が悪い」
「俺はそんなに悪くならないぞ」
「ひどっ!?極悪非道!悪魔!」
喚くハディスの口を手で封じると、ヘンリーは申し訳なさそうにシャロンに視線を向ける。
「シャロン、いけるか?」
「問題ありません」
シャロンは冷や汗をかきつつも、力強く応えた。
***
暗い地下、煉瓦造りの壁の前に取り残されたアルフレッドと騎士団、そして数名の魔術師は息を切らせながら壁を壊していた。
(この先にシャロンがいる。早く合流しなければ…)
彼女のそばには腕の立つ魔術師であるハディスがいると頭ではわかっていても、何が起きているか把握できていないこの離宮で彼女と離れることは耐え難い。万が一のことを考えると胸が苦しくなる。
アルフレッドは自分が守りたいと、そう強く思った。
「もう少しだ。頑張ろう」
「はい…」
酸素が薄くなってきた地下で、ひたすら煉瓦造りの壁を壊す騎士にアルフレッドは励ましの声をかける。
もうあと一息という感じなのに中々崩れない壁が、皆のストレスになっていた。
「…団長、新しい剣を買うのは経費で落ちますか」
「大丈夫だ。なんとしても承認させる。いっそ特別手当も出してもらおう」
騎士団は元々、ヘンリーの依頼でこの件に噛んでいるだけで、本来なら管轄外の業務だ。
アルフレッドは力こぶを作り、「任せておけ」と皆に約束した。
特別手当という言葉にやる気を復活させた騎士達は気合いを入れ、再び剣を握る。
その時、1人の騎士がポツリと呟いた。
「あれ?ここのレンガだけ素材が微妙に違う…」
彼が見つけたのは先程、シャロン達が見つけたレンガとは別のもの。
不用意に触るなとアルフレッドが注意する前に、彼はそれに触れてしまった。
その瞬間、ゴロゴロゴロと大きな音を立てて壁が崩れた。
足元に散らばる粉々のレンガを呆然と眺める一同。
「…もしかして、俺たちのした事って無駄ってことですか?」
「言うな。泣きたくなる」
騎士団とハディスの部下は深くため息をつき、壊れた壁の向こう側へと足を踏み出した。
お話の流れ的に、36話の冒頭部分をこの話の最後に移動させました(01/23)




