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ホテルでの夕食は想像以上に豪華だった。メインはそれぞれのテーブルに運ばれ、それ以外はビュッフェ形式で自分たちで取りに行く形だった。
メインがくるまではまだ時間がありそうなので、そそくさとサラダを取ってから、目当てのショーケースの前へ行く。
フェアかなにかだろうか。ショーケースの中はいちごのデザートが目白押しだった。一つ一つは小ぶりなものの、凝ったデコレーションといい、艶のある真っ赤に熟れたいちごといい、流石一流ホテルだ。
席に戻るとちょうどメインの料理が運ばれてきたところだった。
「うわー、初っ端からケーキだ」
テーブルに俺が置いた皿を一目見てユーグが、げんなりとした顔をする。
「ぶれないね」
メインの料理を食べ終えたころ、タム君がソワソワとしているのが目に入った。ちらちらと後ろを気にしている。
「あの、ユーグ君はデザートは食べないんですか?」
「僕はいいかな」
「そうですか…」
タム君がまたも後ろを振り返る。そして落胆したような表情。ならって後ろを振り返ってみれば、デザートの並ぶショーケースの前に人だかりができていた。ほとんどが女子生徒である。…これは行きづらいな。
「もう一度デザート取りに行くつもりだけど、一緒に行くか?」
「えっ」
ユーグとタム君が顔を見合わせる。
「サビス君、甘いもの食べ過ぎだよ」
「そうですよ」
…柄にもなく気をつかったのに。
「あっ、でもサビスさんが行くなら僕も行きます」
「二人が行くなら僕も行く」
文句を言いたくなるのをグッと堪える。精神年齢的に俺の方が上なんだ。大人になってやろう。
分刻みとまでいかないもののハードなスケジュールと、バスでの長い移動に疲れ果て、ソファーで伸びていた夕食後の自由時間。
「ねえ、ロビーでジュースが飲み放題らしいよ!行ってみようよ」
ユーグはまるで疲れを感じさせない声色で言った。
豪華な夕食をたらふく食べた後に、ジュースか。気が乗らない俺に反して「行ってみましょう」とタム君は乗り気だ。
「俺は遠慮しておくよ。楽しんできてくれ」
「サビス君は来ないの?自家製ジェラートが食べ放題らしいけど」
「やっぱり行く」
慌てて準備をし出した俺に、ユーグはしてやったりというような笑みを浮かべた。
俺たちは揃って、エレベーターに乗り込む。
「ロビーって一階だよね?」
「えっと、ニ階ですね」
ユーグがエレベーターのボタンを押した。音声とともにエレベーターが動きだす。そして、一つ下の階に降りたところで止まった。
「誰か乗るみたいですね」
「ロビーにジュースを飲みに行く仲間かな」
「そうかもしれないな」
アナウンスと共にドアが開く。
「…あれ?」
開いたドアの向こうには、誰もいなかった。
「間違いですかね?」
「先にきたエレベーターに乗ったのかも」
どうしたものかと話し合う二人。そのとき、俺の目にあの目を惹く黒髪が飛び込んできた。
「あっ」と、タム君が声を上げたのと、俺が反射的にエレベーターのボタンを押したのとが同時だった。ドアが閉まり、エレベーターが動き出す。
「今のってルーム長とアーメナさんじゃ…」
「いや、誰も居なかったけど」
などとすっとぼけて見せる。
「えっ、アーメナさんいたの?」
ユーグは気づいていなかったらしい。
「向こうに姿が見えたような気がしたんですけど」
「なんで、ドア閉めちゃうのさ。サビス君」
「エレベーター待ってる様子じゃなかっただろ。だいぶ離れた所に居たよな?」
同意を得ようと、タム君の方を見つめた。
「ちゃんと見えてたんじゃないですか」
「サビス君、誰もいなかったとか言ってたよね」
しまった、墓穴を掘った。気づけば、ユーグがこちらを生温かい目で見つめていた。
「あのね、タム君、サビス君はアーメナさんの前だと照れちゃうから、あんまり顔合わせたくないみたいなんだ」
そう言って、ユーグは肩をすくめてみせる。
「なにおかしなこと吹き込んでるんだよ」
「あっ、やっぱり二人ってそういう感じなんですね」
やっぱりってどういうことだ。
「タム君、ユーグは少し思い込みが激しいところがあるんだよ。間に受けないでくれ」
俺たちの間に挟まれ、タム君があわあわしていたので、それ以上反論を口にするのはやめた。言いたいことは色々あるが。
そして、その夜。ベッドでうつらうつらしていると、どこからともなく呻くような声が聞こえてきた。
「……くん」
夢の世界へ落ちそうになる意識をなんとか引き戻し、耳を澄ます。
「…サビスくん」
一気に体中の力が抜ける。寝よう、明日も早いんだ。
「…サビスくんってば」
声の主はめげずに、声をやや張り上げる。タム君が起きたらどうするんだ。
「起きてるんでしょ」
「…どうかした?」
根負けして返事をする。
「…お腹痛い」
夕食をしっかり食べた後に、冷たいジュースをガブガブ飲むからそうなるんだ。…俺やタム君はジェラートまで食べたわけだが。
「暴飲暴食のせいだな。大人しく寝てればよくなるよ」
「…お腹痛い」
聞く耳をもたない。どうしろというんだ。
「なんでサビス君はピンピンしてるの?僕より色々食べてたじゃん」
「俺は胃腸が強いんだよ」
「不公平だ」
「わかったから、寝なよ」
「お腹痛い、お腹痛い、お腹痛い…」
しまいには呪文の様に唱え出しはじめた。寝られたもんじゃない。仕方なく、俺はベッドから這い出す。
ソファーにの方へ行き、なるべく音を立てないよう気をつけながら、ティーポットに茶葉を入れお湯を注いだ。
いつのまにか、ユーグが俺の向かいに座っている。
「サビス君紅茶淹れてくれるの?やさしい!」
満面の笑みだ。ずいぶん元気そうじゃないか。
ホテルのロゴで装飾されたティーカップに、コポコポとお茶を注ぐ。ユーグの分だけ淹れるのは癪なので、俺の分も。
二日目の朝、集合場所であるエスカレーターの前に行くと大半のクラスメイトたちが、既にそこに居た。
「…ちょっと遅かったですかね」
「朝ごはん、のんびり食べすぎちゃったかもね」
「ユーグがもう少しはやく起きてくれれば、問題なかったんだけどな」
小声で話しながら、その輪に加わる。
クラスメイトたちは誰も彼も眠そうで、やたらとテンションが低かった。普段は見られない顔である。聞けば、なかなか起きられず、朝食を食べ損ねた者もいるらしい。
陶芸体験をする予定の工房は、山奥にひっそりと佇んでいた。趣きある姿に心が躍る。足を踏み入れれば、ところ狭し並べられた、艶やかな壺や小皿、制作途中らしい作品たちが目に飛び込んできた。
その奥から、ひょっこりと細面の男性が顔を出す。お弟子さんの一人かと思ったその人が、この工房の五代目本人らしい。
A組の担任が「師匠はどちらでしょうか」などど聞いてしまい、真っ青になって謝罪していた。
説明を受けた後、各々で作品づくりに取り組む。ひんやりとした粘土の感覚が懐かしい。
「サビス君、ろくろの扱い慣れてませんか?」
「教室に通ってたから」
言った後で、はっとする。懐かしい気持ちに浸っていたせいか、集中していたせいか、いつかの俺が返事をしていた。
「教室って陶芸のですか?」
「…実は今日のために予習してきたんだ」
「予習してきたんですか。さすがですね」
タム君に尊敬の眼差しを向けられ、曖昧に相槌を打つ。そんな俺たちの横で、ユーグは一言も発さずに作品と向き合っていた。意外に職人気質だ。
しばらく経って「…よし」とユーグは小さく呟く。
「ねえ、完成したんだけど…どうかな」
俺は思わず息を呑んだ。
「えっと、ですね」
タム君も感嘆したのか言葉がでないようだった。
ありきたりな賞賛の言葉を一通り思い浮かべた後で、俺はやっと口を開く。
「…すごくいいと思う」
口をついたのはありきたりかつ、薄っぺらい賛辞の言葉だったが、心からの言葉というのは案外相手に伝わるものらしい。ユーグのはにかみ笑いを、目にしたのは初めてだった。
「じゃあ、置きに行ってくる」と、ユーグは嬉々として席をたつ。
ところで、ユーグは何を作ったのだろうか。壺でも皿でもなさそうだったが。まあ、用途は重要じゃないかと一人納得した俺を、タム君が何か言いたげに見つめていた。




