24 サビス
「あれ? 今日はデザート食べないんだ」
ユーグが心底驚いたというように言う。そんなに驚くことだろうか。今日は食べたいケーキが終わってしまっていたのだ。
一方のユーグは珍しく、デザートを取ってきている。
……ん?
「……そのケーキ」
「このケーキがどうかした?」
「いや、なんでもないよ」
ユーグが取ってきたケーキは間違いなく、俺が食べたかった林檎のシャルロットだった。初めて見たケーキだったから、食べてみたかったんだけどな。
明日もある事を願うしかないか。
「珍しいな。ユーグがデザートを食べるなんて」
思わず、恨みがましい言い方になってしまった。
が、ユーグは気付いていないのか、気にしていないだけなのか分からないが、それは嬉しそうに言う。
「俺、林檎好きなんだよね」
それは初耳だ。
ユーグはフォークを手に取り、シャルロットの乗った皿を手前に持ってくる。その様子をじっと見つめていると、視線を感じたのかユーグが顔を上げた。
「一口食べる?」
「いいのか?」
「いいに決まってるよ。結構大きいしさ」
笑顔で皿を差し出すユーグに、仏を見た。
「悪いな。ありがとう」
遠慮なく、まだ使っていないスープ用のスプーンで、シャルロットを一口取り、口に運んだ。瑞々しい林檎といい、甘みと酸味のバランスといい……持つべきものは友との言葉が身に染みる味だった。
「あっ、これ美味しいね」
「ああ。美味しいな」
良い友達を持ったものだな。
「そういえばさ、ファンクラブが出来たんだって」
「ファンクラブ?」
唐突にユーグが言った。頭の中は疑問だらけだ。
「誰の?」
ユーグが笑顔で言う。
「サビス君のに決まってるよ」
何か声を上げそうになるのを、ぐっと堪える。
「どういうことだ? 誰がそんなの作るんだよ」
「ソフィさんだよ」
ソフィというと……。
俺はアーメナの手下の一人である、ピンクがかった茶髪の少女を思い浮かべる。
「あのアーメナの手し、友人の?」
「そうそう」
ユーグが頷く。
「サビス君に迷惑をかけるような組織じゃないって言ってたよ」
「そういう問題じゃないんじゃないか。第一、ファンクラブって何をするんだよ」
「さぁ……よくは分からないけど、入ると会員証が貰えるんだってさ」
会員証……? 眉をひそめる俺に、ユーグが
「ほら、これ」とカードを差し出した。
光沢のある黄緑色のカードをまじまじと見つめる。予想に反して、しっかりと作られていた。もっと手作り感漂うものだと思っていたのだ。刻まれた0021という数字の下の文字が目に留まった。
「黄緑なのはサビス君の髪色をイメージしてるんだって。サビス君の髪って黄緑がかった茶色でしょ」
なるほど。だから黄緑なんだな。
……いや、違う。
「ユーグ・バレーヌって名前が入ってるんだけど」
「うん。ファンクラブ、入ったんだ」
ユーグは、シャルロットの最後の一口を少し見つめてから、口に運んだ。名残惜しそうにフォークを置く。
「何でユーグが入ってるんだ」
「何でって……誘われたからだよ。サビス君のためになる組織だって言ってたし」
あとさ、とユーグが続ける。
「入ると、カードをくれるって言うから」
……カードに釣られたのかよ。
その日の昼休み、ユーグと廊下を歩いていた所で、何やら尋常じゃない様子で階段を上がっていくアーメナを見かけた。
「どうかした?」
立ち止まる俺に、気づいたユーグも足を止めた。
アーメナは踊り場で壁に手をついている。いったいどうしたっていうんだ。こんな時に限って、手下達の姿はない。見てしまった以上、放っておく訳にはいかないが……関わりたくはない。二つの感情がぐるぐると渦巻く。
「おーい! ……サビス君?」
ユーグが俺の顔の前で、ひらひらと手を振る。
「踊り場にアーメナがいるんだ。声をかけてきてくれないか」
「声を?」
きょとんとしていたユーグだったが、踊り場に目をやると、「分かった」と階段をかけ上がっていった。
「アーメナはどうしたんだ?」
戻ってきたユーグに尋ねる。
「階段を上がってたら、息が切れたんだって」
あの年でか?
「アーメナさん、大丈夫かな」
大丈夫じゃないだろ。
息切れの原因は風邪を引いたためだったようだ。アーメナが風邪で休みだとクラスメイト達が話しているのを聞いた。クラスが離れているにも関わらず、話題になっているのだから驚く。
ユーグもどこで耳にしたんだか、登校してきて開口一番、
「アーメナさん、風邪で休みなんだってね」と言っていた。心配している様子だ。
アーメナが風邪で休んでいる間、こんなことを思うのはどうかと思うのだが、校内でばったり出くわすという心配がないことにほっとしていた。
アーメナのクラスであるⅮ組の前を通ったとき、アーメナの手下の一人が見えた。気落ちしている様子に、思わず目を反らした。
休みが明けた月曜日、階段を上がった先で、ぱっとアーメナの姿が目に入った。風邪は治ったらしい。そして、なぜかユーグと一緒だ。登校してくる生徒の多いこの時間、流れに逆らい引き返すこともできず、仕方なく二人の後をついていく形になる。
ユーグとアーメナは、仲良さげに話しをしていた。時折ユーグの笑い声が聞こえてくる。が、話の中身までは聞こえてこない。ふとユーグがこちらを見て、俺に気づいたらしく、声を上げた。
しまった、と思う間もなく、ユーグは足を止めて「おはよう。サビス君」と笑った。
「おはよう」
と返しつつ、意識はユーグの隣のアーメナに向いていた。さて、どうこの場を切り抜けようか。
「アーメナさん、風邪治ったんだって」
そんな気持ちに気づくはずもなく、ユーグは話を振ってきた。
「何してんのさ、サビス君」
アーメナと別れたあと、ユーグがわき腹を小突いてきた。
「風邪が治ってよかったね、ぐらい言わなきゃダメでしょ」
ごもっともだと頷く。
「そんなんじゃ、アーメナさんに嫌われちゃうからね」
ユーグは、あきれたように肩をすくめて見せた。むしろ嫌われた方が都合が良いのだ、とは言えなかった。
アーメナといえば、最近知ったことがある。なんでも彼女、弟がいるらしい。
「次のパーティー、アーメナちゃんの弟も出るそうよ」
母の言葉に、アーメナのことをてっきり一人っ子だと思っていた俺は、目を丸くした。それから、漫画には出てこないアーメナの弟に、想像を膨らませた。きっと、アーメナのように黒髪で、どこか冷たい雰囲気の子なんだろう。
そんな想像はすぐに打ち砕かれることになる。
パーティーで会ったアーメナの弟は、ひよこのようにひょこひょことしていた。くりっとした目も、人懐っこい笑顔も、アーメナとはまるで似ていない。なにより、亜麻色のふわっとした髪だ。アーメナの母親はこんな髪色をしていたと思う。そして、アーメナの父親はアーメナと同じ黒髪。
……なるほど、アーメナは父親似で、弟は母親似なのか。
弟と紹介されなければ、アーメナと結びつけることはないだろう。それと女の子だと、勘違いするはずだ。
人懐っこい笑顔が、誰かに似ているような気がして、首を傾げた。誰だっただろうか。
「コリス君、もう制服は作ったの?」
「いいえ。まだです」
そんな会話が耳に入ってくる。
制服って……初等部のか?
まじまじとアーメナの弟を見つめる。とてもそんな年には見えなかった。アーメナが怪訝そうな顔をしているような気がして、視線を逸らした。
パーティーでは、その後も遠目にアーメナと弟の姿を目にした。意外にも兄弟仲は良好なようだった。その姿に、何故だか俺は仲が良いとは言えなかった、前世での姉のことを思い出したのだった。




