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妙に体が怠い、食欲がない、と思っていたら熱が出た。もちろん学校は休みだ。主治医の先生によればただの風邪だそうで、熱も二三日で下がるだろうから心配はいらないとのことだ。
ポトフの味が薄かったのではなく、私の舌がおかしかったのだ。昼食を作るシェフの腕は確かだった。階段を上がって息が切れたのだって、風邪をひいていたからだった。運動不足なのは間違いないけど、いつもは普通に上がれていたしね。ユーグ君にはあとで説明をしておかないとな。風邪、移ったりしていないだろか。エリンちゃんたちにも。
ぼーっとする頭でそんなことを考える。
頭が痛くて寝ようにも眠れない。体温計で熱を計ってみれば、39.8℃と表示されていた。どうりで頭が痛いはずだ。人は四十二度熱がでると危ないと聞いたことがある。どうしよう。もしかして私、死んじゃうのかな。
様子を見に来てくれたお手伝いさんに、頭が痛い、熱が上がったと訴える。もう一度熱を計るように言われたので、計ってみれば今度は39.9℃と表示されているじゃないか。
頭ががんがんするのも相まって涙ぐむ。
渡された解熱剤を飲むと少しずつ頭の痛みがひいていき、気がつけば眠りに落ちていた。そして夢をみた。前世での夢だ。夢の中でも私は熱を出して学校を休んでいた。
だから目が覚めたとき、一瞬どちらが現実なのか分からなかった。
眠る前に比べれば、大分楽になったな。まだ頭はずきずきするけど。熱を計れば三十八度まで下がっていた。
それにしても懐かしい夢をみたなぁ…。
夢に助長されてか、小さいころ熱を出すとお母さんが作ってくれたりんごジュースを思い出した。
生のりんごをすって、布巾で絞ったりんごジュースだ。美味しくって大好きだったんだけど、手間がかかるからと飲めるのは風邪をひいたとき限定だったのだ。それからやっぱりお粥だよね、風邪をひいたときといえば。……もう食べられないんだろうな。りんごジュースの方は自分でも作れるか。でも作ってもらったものだから、美味しかったんだろうしな。
考えると行き場のない淋しさにかられてどうしようもないので、何も考えまいと毛布を被る。……これがノスタルジアってやつなのか。
お手伝いさんが、食事を運んできてくれた。スープとフルーツの盛り合わせだ。スープには、これでもかと細かく刻まれた野菜が入っていて、見るからに消化によさそうだった。スプーンですくってみると、少しとろみがついていた。ふうふうと息を吹きかけてから、口に運ぶ。これは食べやすい。
ぺろりと食べ終え、すぐ横になったら消化に悪いかなと思いつつも、ベットに潜り込んだ。
「アーメナ」
名前を呼ぶ声にハッと目を開ければ、お父様の顔が見えた。どうやら眠っていたらしいぞと時計に目をやる。かなりの時間、寝ていたようだ。
「調子はどうだ?」
……調子か、どうだろう。頭の痛みはかなり治まったと思うんだけど。
「よくなったと思います」
お父様は「そうか」と頷き、手に持っていた袋を差し出した。
「よかったら食べなさい」
え、食べ物?
何が入っているんだろうと、わくわくしながら袋を開けてみれば、カップ入りのジェラートが十個ほど入っていた。
「どれでもいいんですか?」
「ああ。好きなものを選びなさい」
わっ。どれにしようか。どんな味がするだろうと想像しながら袋の中を眺めた。この鮮やかな紫は何味なんだろう?
「手前からミルク、ブルベリー、マンゴー……」
お父様が味の説明をしていく。紫はブルーベリーだそうだ。
よし、候補は絞れた。生キャラメル、ミルク、ラズベリーのどれかかな、やっぱり。普段なら生キャラメルを選ぶと思うんだけど、風邪をひいているというのもあるし、さっぱりしたものの方がいい。
「じゃあ、ミルクにします」
「ミルクか」
お父様は袋からカップとスプーンを取り出して、私に渡す。
「ありがとうございます」
「ああ。ゆっくり休みなさい」
そう言うと、お父様は部屋を後にした。手に持つジェラートを見つめる。これ、わざわざ買ってきてくれたのだろうか。だとしたらもっとちゃんとお礼を言っておくべきだったな。
ミルク味のジェラートは想像通りさっぱりとしていて、とても美味しかった。それでいてミルクの味はしっかりとする。
なにより熱を出したときに食べるアイスは美味しい。
微熱が続き、私は学校を三日間休んだ。土日も挟んだので、今日は久しぶりの登校だ。少し緊張する。授業はどれくらい進んだのかな、心配だ。廊下を歩いていると出し抜けに背中を叩かれた。それも結構な強さで。
「アーメナさん」
「ユーグく……様」
ついつい君付けで呼んでしまいそうになって焦る。心の中では馴れ馴れしくもユーグ君呼びだからなー。といっても今までこんなことはなかったし、休んでいた三日間の影響かもしれない。気を付けないと。
「風邪で休んでたんだって?」
ユーグ君は、君付けで呼んでしまいそうになったことは、まるで気にしていないらしかった。突っ込まれたらどうしようかと冷や冷やしていたんだけど、杞憂だったみたいだ。
「そうなんです。聞いていたんですね」
「うん。みんな心配してたよ。もう大丈夫なの?」
「ええ。もう大丈夫です」
「それならよかった」とユーグ君は顔をほころばせた。
「踊り場で会ったときは体調が悪かったんだね。気づいてあげられればよかったんだけど」
「いえ、そんなことは……あらためてあのときはありがとうございました」
「そんな頭を下げてもらうようなことじゃないよ」
世間話をしつつ、廊下を肩を並べて歩いていると、「あっ」とユーグ君が声を上げ、足を止めた。つられて私も足を止め、ユーグ君が見ている方向に視線を合わせた。
「おはよう。サビス君」
「おはよう」
げっ。サビスがいる。なんでだ、早い時間に登校しているんじゃなかったのか。あれはたまたまか。
とにかくここから立ち去ろうと思っていたとき、「アーメナさん、風邪治ったんだって」とユーグ君がサビスに話を振った。なんてことするんだユーグ君。
「ああ」
サビスが視線を私の方へ向ける。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのこと。
「……サビス様、おはようございます」
「……おはよう」
何ともいえない空気が流れた。ユーグ君はといえば、この気まずい沈黙に助け舟を出す気はさらさらないらしく、私とサビスを見比べてにこにことしている。
耐え切れなくなった私は「ではこれで」とその場を立ち去った。
……私は最近、ユーグ君と普通に話しすぎている気がする。
言い訳じゃないけど、話しやすいんだよな。いつもにこにこしているし。でも、ユーグ君は避けるべき対象であることを忘れてはいけない。なんたってユーグ君はサビスの親友なわけで……そう、ユーグ君いるところにサビスありだ。
教室に入るとソフィちゃんたちが駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか、アーメナ様?」
「調子はもういいのですか?」
「とにかく座って下さい」と自分の席に引っ張っていかれる。
「ただの風邪だったし、もう大丈夫よ」
「そうなんですか?」
「ええ。それで私が休んでいる間になにかあった?」
「そうですね、遠足の話が少し」
ソフィちゃんが話し出す。……ふんふん、今年の遠足は湖ですか。楽しそうだね。
「アーメナ様!」
遠足の話をしているところに、凄い勢いでエリンちゃんがやって来た。今、登校してきたようだ。
「風邪、治ったんですか?」
「ええ。もう大丈夫」
「よかった……あっ、私見たんです!」
見た?
「さっき、サビス様と話してましたよね」
キャーッとどこからともなく声が上がった。見られてたのか。
「本当ですか? アーメナ様」
みんなから期待のこもった眼を向けられて、たじろぐ。あれは話したうちに入るのか……? 交わしたのは「おはよう」とたった一言だ。考えればたったそれだけでもサビスと言葉を交わしたのは久しぶりだな。最も、それでいいのだけど。
「顔を合わせたので、挨拶をしただけよ」
そう言うと、みんなはわかりやすく落胆した。




