0099
「あなた商売する気ないでしょう」
メニューを見た瞬間に発した、姉上の言葉である。
ちなみに僕は、
「僕に商売の才能があるとでも思ってたんですか」
とノータイムで返事をした。
僕が進めている事業が成功しているのは、研究系の事業だからだ。
貴族という巨大な資本を持つ顧客が見向きもしないものを、貴族に通用する品質にまで底上げするという方針で事業を運営している。なんせ僕の要求は天井知らずだからね。品質と値段は高ければ高いだけいい、と考える相手にはマッチするのだ。
逆を言えば、それ以外の相手とはミスマッチが起こるということ。
こんな人間が商売をしたらどうなると思う? 間違いなく大失敗するぞ。
「限度があるって言ってんのよ。お茶が一種類なのは妥協するにしても、他が四種類って何? 絞るにしても中途半端だわ! 少ないなら一種類に絞るとか、数が欲しいなら十種類にするとか色々あるでしょう」
「僕はお茶とクッキーだけで良いって思ったんですけど、あの子達がね。自分達の成長を見せるので、メニューを提案させてくださいって言ったんです。お茶のアレコレを教えている身としては、生徒達の成長を見たいと思うのは当然でしょう。その結果がこのメニューです」
「あなたの名前が二つ、カーチェさんともう一人の連名が一つ、残る一つは部外者じゃない」
いやー、さすがは姉上だ。
エドワード君が部外者だと一目で見抜くとは。
「お茶を淹れるのは上手くなりましたが、それ以外はまだまだという証拠です。一度面倒を見てしまったので、一人前になるまでは気にかけるつもりですよ」
「あの子達も災難ね。――とりあえず一通り持ってきなさい」
予想通りの答えに、僕の頬が緩む。
姉上ならこう言うと思って、すでに注文を通していたのだ。具体的には頭を握り潰されそうになってるときに。ハンドサインを決めておいてよかった。
おかげで姉上が注文してすぐに、料理を出すことが出来た。
「……貴族令嬢相手によく仕込んだものね、感心するわ」
「姉上と比べたら誰だって素直ですから。それに頭も悪くないですし、派閥を基礎とした上下関係もしっかりしています。あとは派閥ごとにチームを作って健全に競わせたりすれば、このくらいのことはすぐにでも」
「あなたに貴族の常識なんて求めるのが無駄だったのかしれないわね。――なんせ、こんな雑なお菓子が出てくるなんて予想、誰も出来ないもの」
雑なお菓子とは、間違いなくハニトーのことだろう。
僕だって予想は無理だったよ。食パン半斤に切れ込みいれて焼いて、クリームとハチミツをかけるだけなんてお菓子が出てくるなんてさ。
「それ作ったのエドワード君です。僕じゃないです」
「メニューに載せるって決めたのはあんたでしょう」
「……だって、面白いって思っちゃったんだもん。ジークとルナが目を輝かせてるからいいじゃないですか」
子どもは華があるものを好むものだ。
大人になると常識とか前例とかに囚われてしまうけど、子どもは自身の感性だけで評価をしてくれるのだ。
「面白いのは認めるけど、面白さだけで選ぶのは珍しいわね。そのエドワード君? だったわね。どんな弱みを握られたの?」
「まだ、握られてませんよ。むしろ握ろうと動いているところです。下手に敵対すると負ける可能性があるので、切り札にしようと思ってのことですが」
「ふーん。そこまで警戒してるのに、お菓子は採用するのね。――いや、逆ね。警戒してるからこそ、懐に入れてるのね。ちょっと興味がわいたわ。どんな子なの?」
姉上がずいっと身体を前に出すと、ジークとルナもマネをする。
ハッキリと言おう。姉上だけだとホラーが混じるけど、ジークとルナが付属すると微笑ましく感じる。不思議です。
「あの、なんで姉上が知らないんですか? いや、話すのは構わないんですけど、姉上なら知ってるはずですよ」
「もちろん、予想ぐらいしてるわ。でもあなたの口から聞きたいのよ」
「じゃあ、率直に言いますが。――フラヴィーナ姉上をエドワード君に押し付けましょう。あの不良債権を処理するいい機会です。エルピネクトの全権力を総動員してでもこのチャンスを逃してはいけません」
ちょうどいい機会なので、ハッキリと言ってやった。
領主や貴族というか、家長の役目の一つに、結婚相手をあてがうものがある。エルピネクトの家長は当然のように父上なのだが、もう七〇近い高齢のため、その辺のことは長女であるマリアベル姉上に一任されている。
子爵を継いだらその役目は僕に移るんだけど、今はまだ姉上が家長なのだ。
つまり姉上を頷かせれば、駄姉という名の不良債権を押し付けられる。駄姉もエドワード君に対してまんざらでもないので、一石二鳥というヤツだ。
エドワード君がどんな感情を抱いているかは知らないんだけどね。
「……確認するけど、エドワード君って《黒剣》のことでいいのよね? なんでフラヴィーナが出てくるのよ。あの子引き籠ってるはずでしょ?」
「エドワード君を昼食会に招いた時、当たり前のように一緒に居ましたよ」
「……………………そう」
色々と飲み込んだ末の、そう、だった。
「あの子はなんで、……こう、……自由なのかしらね?」
「我が家にいる、もっと自由な人を見て育ったから……じゃないですかね」
誰とは言わないけど、母上とか、母上とか、母上とか。
「…………このハニトーとやらは、彼が出したものだったわね。他にも引き出しはありそうかしら?」
姉上が何を聞きたいのか、僕には手に取るようにわかった。
これからのエルピネクトには、ただ強いだけの人材は不要だと、そう言いたいのだ。
もちろん僕も同意見なので、精一杯の笑顔を浮かべる。
「アイデアだけなら、二〇年は搾り取れそうですね」
「あなたにしては、良い縁談を持ってきたようね」
姉上も気に入ってくれたみたいで何より。
問題は、駄姉やエドワード君に一切話をしていないことだけど、まあ、些細なこと。お家を優先する結婚なんて、貴族の義務みたいなものだ。
エドワード君はエルピネクトを後ろ盾に出来るし、駄姉は多少なりとも意識している異性に嫁げるし、エルピネクトは不良債権を穏便に放逐できるし、プリュエール神的には新天地での信者増化が見込める。
多くのことが丸く収まり、多くの人が笑顔になる。
実に貴族らしい円満な縁談と言えよう。
「あのさ、セド様。ジーク様とルナ様が見てる前で、そういうゲスい話してもいいのか? 情操教育的に悪くないか?」
いつの間にか席に着いたカーチェが、そんな意見を出した。
僕と姉上は少しだけ考える。先に答えを出したのは僕だった。
「貴族的思考を覚えるいい機会だから問題ないよ。いつの時代でも、生きた教材ってのは求められてるでしょ。身内に関することなら、これ以上ないほどに身近だから、良い反面教師になってくれると思うんだ」
僕の答えに、姉上は大きく頷いた。
「悪意しかない縁談ならばいざ知らず、今回はとても良い縁談よ。フラヴィーナは貴族としてよりも神官として優れているし、黒剣ならばその能力を十全に活かせるでしょう。足りない部分はエルピネクト家がサポートすればいいのよ」
「まったくもってその通りです。エドワード君を兄と呼ぶのは吐き気がするのでしたくないですけど、駄姉を引き取ってくれるなら義理の弟としてはいくらでもサポートをするつもりですからね」
僕も姉上も、幸せいっぱいとばかりの笑顔を浮かべた。
「……ジーク様、ルナ様。あのお二人は貴族としては正しいことを言っていますが、人としては割と最低なことを言っています。そのことだけはよーっく、よーっく、覚えておいてくださいね。お願いしますから」
「えと、はい。……分かっていますよ」
「マーマとにぃにが楽しそうなときは、悪いことしてるときだもんね!」
あはは、言いよるな我が甥っ子と姪っ子よ。
順調に成長しているようで、叔父さんはとても嬉しいぞ。
「こんなこと言いたくないですが、エルピネクト家の教育ってどうなってるんですか?」
「私や弟みたいなものを育てるための教育よ」
「……納得しました」
諦めたとばかりに、カーチェが嘆息する。
「まあ、さすがにセドリックと同じことはしてないわ。次期領主と家臣候補、同じ教育をしては勘違いするバカが増えるでしょ?」
「僕と同じことしようとしたら、さすがに止めますよ。アレは人格がまるっと壊れますから。可愛い甥っ子と姪っ子にさせるなんて残酷なこと、絶対に許しません!」
「だからしないって言ってるじゃない。――ところでセドリック。あなたは自分の息子、というか長男にはどんな教育をするつもりなの?」
「僕がされたことと同じことをしますが何か?」
不思議なことに、辺りがしんっと静まり返った。
姉上のカップを持ち上げる音が聞こえるくらい、静かになった。
「僕は何か変なことを言いましたかね?」
「いいえ。実にあなたらしい、愛に満ちた考えだわ。むしろ、ここにいる子達が絶句する方が問題よ。貴族としての心構えが出来てないのかしらね?」
睨み付けるようなマネはしていない。
ただ目を閉じてお茶を味わっているだけなのだが、声なき悲鳴が聞こえた気がした。
「仕方ありませんよ。彼女達はまだモラトリアムの期間です。それが終わったら人らしい感情なんて押し殺さなければいけないんですから、今だけは自由にしてあげましょう」
「それもそうね。社会に出て貴族らしく振舞えないのなら、容赦なく潰せばいいだけだものね」
「いやいや、潰しちゃだめでしょ。うちの利益になるように、ちゃーんと生かしながら搾り取らなきゃ。人はついてきませんよ」
「ふふ、引っかからなくて安心したわ。同意したら再教育しないといけないもの」
「はは、引っかかるわけないでしょう。僕も日々、成長してるんですから」
あはは、うふふ、という声が響く。
誰もしゃべろうとしないので、よく響く。
「成長は認めるけど、お茶に関しては相変わらずなのね。夏休みの時点で分かってたけど」
「譲れない一線は誰にでもあるもの――っっっ!!」
お茶の入ったカップが床に落ちるのを無視しながら、僕は立ち上がり入り口を向いた。
チラリと目を動かせば、姉上も同じようにしている。
「――席は空いていますか?」
髪と肌が病的なまでに白い少女が、そう問いかけた。