0093
――お前、日本人だろう。
ウサギの王室仕立てを食した、エドワード君の感想である。
(まさか一口で醤油を見抜くとは――っ!?)
僕は、今日ほど他人の舌に驚いたことはない。
いや、違うか。醤油のない世界に飛ばされた日本人の執念に驚いた……あれ?
(こいつ、もしかして僕と同じ元日本人ですか?)
神様に選ばれて神聖魔法を授かり、冒険者となって貴族に成り上がり、側室腹の貴族令嬢に見初められ、それでも飽き足らずにエルフの恋人も作ってハーレム、と。
なるほどただの王道系主人公ですか気に入らない。
「フラヴィーナ姉上、シルディーヌさん。彼は何を言ってるんです?」
「おい無視するな! 醤油作ったってことは日本人だろう絶対!?」
「ニホンジンって単語からして聞き覚えがないんだけど、人ってことは出身地を聞いてるんだよね? だとしたら僕は生まれも育ちもエルピネクトだ。証言が必要なら北部生に聞いてくれ。なんなら駄姉やカーチェでも構わない」
エドワード君が気に入らないから、とりあえずとトボけた――わけじゃない。
というか、転生者なら一度は考えるだろう。元日本人の転生者と出会ったらどう反応しようかって。僕も当然考えたし、その結果がこれなのだ。
「いや、今世の話じゃなくて前世の話で――記憶、あるだろう?」
良かった。
どうやらエドワード君の舌はともかく、耳は騙せたらしい。
「前世、ねえ。まあ、魂は神様が回してるし、記憶が残ってたって記録も残ってるけど――二桁止まりだよ?」
「話をズラすな。いくら希少な例でも出る時は出るもんだ」
ふむ、この方向では騙せないか。
仕方ない、少し腹を割って話すか。
「――あのさ、何が言いたいの? 仮に、僕の前世がそのニホンジンとやらだったとしよう。そしたら君は何がしたいの? 実はそのニホンジンとやらに並々ならない恨みがあって、これ幸いと復讐や戦争を仕掛けたいの?」
「違う! 俺は――、……俺の前世が、日本人だったんだ」
エドワード君がカトラリーを置くと、なぜかカーチェ達三人もそれに習う。
僕はそんなことよりはどうでもいいし、目の前のウサギ肉を切り分ける方が重要だ。
「日本があるのは、こことは違う世界でな。マナも魔法もなくて、外導星からの侵略もない世界で、日本はその世界にある国の一つだ」
異世界出身を告白するとは、なかなかに勇気がある。
この世界で身近な異世界は外導星――つまり、天使や悪魔、吸血鬼がいる奈落領域のこと。適当にお茶を濁せばいい部分だってのに、律儀な。
「事故に遭って、今の歳ぐらいの時に死んで、気付いたらこっちの世界に転生してた。記憶を取り戻したのは、五歳くらいの時。前世の記憶全部と、転生した理由と一緒にな」
「偶然以外の理由があったと?」
「ああ。簡単に言うと、スカウトだ。討魔の軍神様が、悪魔を殺すための先兵にしようとしてて、記憶もそのままにするって言うから受けた。若くして死んだから、このまま死にたくないって未練たっぷりだったんだ。……今は、ちょっと後悔してる」
「だろうね。死にたくないなんて俗な理由で、悪魔狩りに駆り出されるなんてしんどいだけだもん」
討魔の軍神に遭遇したのは、多分偶然だろう。
神様からしたら、ちょっと変わった魂を見つけたからちょっかいを出した、みたいな感覚だと思う。
「……というかさ、先兵にするんならもう少しなんかくれよ。神聖魔法だけなんて、他の連中と変わんねえじゃねえかよ」
「んなもん当たり前でしょ。神様だって力を与えるなら、この世界で実績を出した英雄豪傑にするだろうし、僕が神様でもそうする」
「でもよう、転生したら神様からチートを授かるって、テンプレだし……」
「何を言ってるのか良く分からないけど、空想と現実を一緒にするな」
おっと、皿が空になってしまった。
お腹はまだ物足りないし、パンと合わせてお替りをしよう。
「てかセドリック、俺の話はちゃんと聞いてたのか?」
「相槌うって、感想まで言ってんのに何をいまさら」
「人の話を聞く態度じゃねえって言ってんだよ!」
「自分語りしたのはそっちの勝手でしょ? ――てか、冷めるからさっさと食え」
僕はちょっと怒っている。
頑張って作った八九点の料理より、前世などというどうでもいいことの方が、重要だと言われている気がして。
「人の事情をてかで終わらすなよ!」
「エドワード君の皿、下げて」
「俺が悪かった。――だから、下げないでくれ!!」
コイツにはプライドがないのだろうか?
元日本人としては、醤油はどんな手を使ってでも欲しい物。でもウサギの王室仕立てに使ったし醤油って、ソースの隠し味程度だよ?
土下座しそうな勢いで頭をさげるんじゃない。
「そこまで言うなら勘弁してあげるけど、まだ聞いてないんだけど?」
「………………料理の感想か?」
「もし僕が日本人だったらどうするのかって質問の答え」
マジでどうでもいい身の上話しかしてないんだよ、コイツ。
「どうするって、単純に故郷の話で盛り上がりたいなって……」
「あっ、そう」
ありえないくらい、つまらない理由だった。
くだらない、と言い換えてもいい。マナーなんてかなぐり捨てて、思わずウサギ肉をナイフ突き刺してしまったくらい、くだらない。
あ、お肉はそのまま一飲みです。完食です。
「総括すると、君は貴族としての自覚がないみたいだね。――いや、地に足が着いてない感じかな。フワフワしてる、みたいな?」
アンリが淹れたお茶で舌を洗い流す。
重いソースの料理を食べた後はコレに限る。赤ワインと肉料理がよく合うのと同じ理屈だ。
「その感想こそがフワフワしてるぞ」
「分かりやすさを優先したからね。ちゃんと説明すると長くなるけど、いる? ――あ、ナイフは動かすように。聞き流すくらいでちょうどいいから」
食べながらお話しするのが昼食会だしね。
「君はさ、戻れない過去に囚われ過ぎてる。別に、君の前世云々が嘘だなんて言わないし、捨てろって言ってるわけじゃない。どんな形であれ、過去ってのはアイデンティティの形成に必要だからね。――ただ、君の比重は前世のが重いんじゃない?」
エドワード君が、手を止めた。
「重いって、んなわけ」
「だったら、なんで同類を求めるの? 思い出話で盛り上がるだけなんて無意味だよ」
僕だって前世を引きずってるけど、元日本人を求めたことなんてない。
「お前の価値観では無意味かもしれねえけど、俺には意味があるんだよ!」
「それは、前世の記憶が自分の妄想じゃないって、証明したいってこと?」
「――っ」
イジメたいわけじゃないけど、危うく感じる。
正直なところ、放っといても別にいいのだ。例えフラヴィーナ姉上がコイツの所に嫁いだとしても、積極的に関わるつもりなんてない。
彼が、騎士爵を得ていないのであれば、だが。
「君の前世や過去がどうであれ、今の君は貴族だ。貴族としての義務を果たすことを第一事項にして、それ以外のことは後回しにする。それが貴族としての生きるってことだ」
「義務って、ノブレス・オブリージュってやつか?」
「んなわけないだろう。それはただの道徳だ」
やっぱり理解してなかったか。
元日本人って時点で期待してなかったけど。
「いいかい、貴族を貴族ってカテゴリーで捉えるから混乱するんだ。ただの職業として考えれば、何が義務か分からない?」
「職業としての義務って……仕事を全うすること?」
「そう、それが貴族の義務。領主なら領地の維持と発展。宮廷貴族なら宮廷での仕事。それを全うすることが第一。派閥争いだとか権力闘争なんてのは、義務を遂行するための手段に過ぎない」
権力を持つことが最優先になってる困ったさんも多いけど。
「それ、仕事してるならどんな悪人でも良いってことにならないか?」
「仕事のできない善人が上に立つくらいなら、仕事のできる悪人が貴族になった方がマシ」
世に名君と呼ばれる人は多いけど、清廉潔白なわけではない。
大多数のために少数を切り捨てるなんて政治の基本だし、厳しくないと舐められて秩序が保てないのが人の世ですから。
「もしこの答えが気に入らないなら、業務以外では権力を使わなければいい。貴族の仕事ってのは、権力が前提になってるから捨てるわけにはいかないけど、悪用しなきゃいいんだよ。ノブレス・オブリージュの内容なんて、端的に言えば義務を果たしたうえで悪用するなってことだからね」
まくし立てるように喋ったら疲れた。
てゆうか、叙勲するならこのくらいの説明はしろ。基本中の基本だぞ。
「お前もそうしてるのか?」
「当然。例え、前世が君と同郷であったとしても、僕はエルピネクト次期領主だって答える。エルピネクトの発展こそが義務だからね」
「お前はそれでいいのか? 領地のためにすべてを捧げるのは、領主としては正しいのかもしれない。でも、人間の生き方じゃないだろう――?」
「何言ってるの? もしかして、僕が自分を捨てて領地を優先するような、殊勝な人間に見えるの? この皿を食べてそんな感想しか出ないの?」
言いたくはないけど、マジでバカじゃないの、コイツ。
アレはあくまでも基本だし、基本を守った上で自分のやりたいことをやるのが世の中だ。
「僕が領地発展に力を尽くすのは、その延長線上に僕のやりたいことがあるからだ。義務第一なんて言ったけどさ、貴族以前に僕は僕だ。これでも義務を果たした上で、やりたい放題してるよ。美味しい物を食べたいがために、泥臭くない鯉や醤油を作ったくらいだし、この昼食会のきっかけを覚えてる? アレが自分を押し殺してる人間のすることだと思う?」
少なくとも、僕は思わない。
そしてこの場にいる全員が同じ意見のようだ。
「なら、俺もやりたいようにする。俺は前世を捨てることなんてできないし、同郷を探さないなんてこともできない。全部持った上で、騎士としての義務を全うする。不安だって言うんなら、軍神と魔剣に誓ったっていい」
「義務さえ果たすならお好きなように」
無性に甘いものが欲しい。
九五点のお茶に、砂糖を三杯。
「メインも終わったことだし、そろそろお茶にしようか。料理下手な僕の手は加えていないから、存分に期待してくれたまえ」
お菓子作りに必要なのは几帳面さ。
僕には無縁の技能だから手を出せない。でもそのおかげで、何が出るかをしらない。つまり観客として楽しめるのだ。とびっきり甘~いクリームが出たら嬉しいな。