0092
本日のメインその一、が並べられると、
「セーちゃん、これいらない。下げて」
「……あの、できれば……わたしも……」
「セド様……あたいもコレは苦手なんだけど……」
女性陣から非難の声が上がる。
予想通り過ぎる反応に、ニンマリと頬が緩んでしまう。
ただね、駄姉。下げようとしないからって自分で動こうとしないの。トラウマが多い料理なのは知ってるけど、ちゃんと美味しく作ってるから。
「ラヴィ、ジョゼ、食べる前から拒否をするな。アイツのあの顔を見ろ。思惑通りに進んで実に楽しそうだ。ムカつくことに」
「エー君は、北部の人間じゃないからそんなことが言えるのよ! 北部貴族の誰もがね、この鯉のパイ包み焼きには痛い目を見ているんだから!」
痛い目を見てるのは、北部の人間全員かな。
なんせ北部の伝統料理だから。出身じゃなくても、北部に来たことがあるなら誰もが一度は食べる。そして泥臭さと生臭さにノックアウトされるのだ。
僕だってその洗礼を受けているから分かる。
「んなことは俺だって知ってるよ。二度と食いたくないって思いながら吐いたからな。――だが、今日コレを出したのは誰だ? 食い物に人一倍力を入れてる、お前の弟だろう。一度くらい弟を信じてやれよ」
「セーちゃんが茶狂いで味にうるさいのは知っているけど、コレはイヤなの!!」
駄々をこねるんじゃない、駄姉。
変なところで子どもっぽいから、駄姉なんだぞ。
「幼児退行なんて見っともないマネはやめろ駄姉。うちの品格が疑われる」
「私の大っ嫌いな鯉なんて出すからよ! ――ううん、鯉だけなら騒がないわ。パイ包み焼きなんて最悪なモノを出すからよ!!」
全くもって同感だよ。
ただね、騒ぐなら一口食べてからにしろ。それが礼儀だし、こんなものを食えるかって暴れることも出来るんだぞ。
「食べる前のネタバレなんて無粋なマネはしたくないけど、仕方ない。……今日の鯉は僕の生け簀から持ってきたヤツだよ」
「……なら、食べるわ」
鯉の泥抜きは、五年前から進めていたプロジェクトだ。
完璧になったのは最近だけど、泥臭さが少ない鯉は定期的に供給できていた。駄姉の鯉嫌いは筋金入りだけど、僕の作った鯉ならしぶしぶ食べてたんだよな。懐かしい。
「……お前、鯉の養殖なんてやってんのか?」
「不味い物を撲滅するために全力を尽くすのは、当然のことだよ」
せっかく貴族の跡取り息子に生まれたんだ。
平民じゃ出来ないことをしないなんてもったいない。
「俺には理解できない贅沢だな」
「贅沢って言葉で終わらせてほしくないな。資金回収はまだだけど、利益が出る目処があるちゃんとした事業なんだから。今はまだ準備中だけど、事業は北部全体に拡大する予定だ。泥臭くない鯉が普通になるのはそう遠くないよ」
「そうか……スケールのデカい贅沢なんだな」
個人的な意見になるけど、贅沢ってのは文明的で経済的な活動だ。
特に貴族みたいな経済的上位者ってのは、率先して贅沢をしなければいけない。経済を回すって意味でも、文化的で文化的な社会を維持するためにも。
「僕の贅沢はデカいだけじゃない、質だって高いから」
これ以上の言葉はいらない。
丹念にすり身にした鯉を口にすればいいんだ。
「………………ギリ、ギリ……八〇点……」
これはダメだ。
泥臭くない鯉を使ったからこそ、なんとか八〇点だけど。やっぱりハーブの配分が難しい。すり身に加えるだけならまだしも、スッポンソースとのマリアージュって部分が何よりも難しい。エルピネクトで食べたものと比べたら、まさに月とスッポン。
……自分の料理の腕のなさがイヤになる。
「美味い……本当に、鯉なのか?」
おっと、いけないいけない、自分の世界に入ってた。
「美味しい、本当に……?」
「なんで出したお前が不安げなんだよ? ちゃんと美味いよ。信じらんねえくらい美味いよ」
「……そっか。なら、良かった」
確かにね、悪くはないよ。八〇点なら人前に出せるから。
ただ、料理長のパイ包み焼きを食べちゃったからね。それと比べると粗が目立つ。
「セド様のことは気にするな。お茶と食べ物については完璧主義なだけだ」
「なるほど。これで満足してないんなら、確かに完璧主義だな」
「完璧主義だったら、皿ごとゴミにして二度と包丁は持たないよ」
僕がお酒を飲みたくない理由の一つである。
「包丁は持たないって、これもお前が作ったのか?」
「……今日の料理は全部僕が作ったよ。仕上げはさすがに任せてるけどね」
仕上げも僕がやってたら、八〇点以下になってただろうな。
ホント、自分の料理の腕がイヤになる。
「自分で作って、自分で批判するんだから、セーちゃんも難儀な性格よね」
「貴族なのに料理なんて……変わっていますね」
「変わってる趣味だけど、セド様なりの計算だよ。お茶会や食事会で主催者自らが腕を振るうってのは、最大級の持て成しだからな。――ま、不味いもんを出したら関係が悪化するから、腕が良くなければやらねえけど」
……ちょっとカーチェさん。
「なんでそこまで言っちゃうのかな? そういうのは無粋だから黙っててよ」
「黙ってたら分かんねえだろ、コイツ等じゃ。フラヴィーナ様は言わねえだろうし、何より目が死んでる」
騒がしかった駄姉が、静かにカトラリーを動かしている。
吐き出さないのが不思議なくらい、不味そうな顔だ。
(……八〇点の料理だからな。食べてもらえるだけマシだろう)
料理長が作ったパイ包み焼きなら、駄姉にも美味いと言わせたはずなのだ。
まったくもってテンションが下がる。
「……調子狂うから、元気出してください」
「鯉、食べたくない……」
「そんなにイヤなら残せばいいでしょうが」
「ヤ、セーちゃんが、頑張って作ったものだもん……残さないわ」
死んだ魚の目で言われても嬉しくないやい。
「いいから、皿ごとこっちに渡してください」
給仕をしているアンリが、気を利かせて回収してきた。
自分で作った八〇点の料理なんて本当は食べたくない。でも駄姉とはいえ、フラヴィーナ姉上は姉。血は半分しか繋がっていないし、他にも姉が一九人と兄が一〇人いるけど、肉親の姉であることには違いない。
辛そうな顔をしているのに放置するなんて、人として間違っているだろう。
「大体ですね、嫌いなものは残していいんですよ。政治の場ならなおさらに。好きなものでも一口しか手をつけずに残せば、それだけでメッセージになる世界なんですから」
「身内同士の集まりで、政治なんてしたくないわ」
「身内同士?」
プイッと拗ねる駄姉に、何かを感じ取った。
桃色的な何かを。
「エドワード君、駄姉に何しようと勝手だけど、無体はダメだよ。ヒドかったら姉上が単身乗り込んでくるし、かなりヒドいと家として対処しないといけないから」
「無体なんてしねえよ。……ちなみに、姉上ってのは誰だ?」
「一番上のマリアベル姉上。天使を単身で屠るヤバい人として有名」
「コイツに無体なんてしてねえし、する予定もないからな。だからシャレとかで《天墜》を動かすなよ。絶対だからな!」
大丈夫だよ、そんなことでウソ付いたら、後で僕が潰されるから。
潰された後に「権力に対する責任を理解していないようですね」って言われて、潰れたまま授業して、治った後に再教育が待ってるだけだから。
「まあ、エドワード君がゴミになるか義兄になるかなんてどっちでもいいから、メインディッシュに移ろうか」
「――おい待て、話は終わってないぞ!!」
ゴミか義兄か判断が付かないエドワード君は無視。
しかし、駄姉がまんざらでもなさそうなのと、シルディーヌさんが羨ましそうな姿を見ると、イジりたくなってくる。
でも無視します。
なんせ次の肉料理は、ウサギの王室仕立て。
ひよこ豆から作った醤油で、味に深みを与えた一品。生産量が少ないから本格的な販売はまだだけど、出資者権限でいくつかお持ち帰りをしています。そして僕としては珍しく、八九点を出しているので、いろいろと楽しみ。
エドワード君をイジるよりも何倍も、ね。