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僕は、フラヴィーナ・エルピネクトという名の姉が苦手だ。
嫌いではないよ。嫌いだったら安否を気にするなんてせずに、生き死にしか気にしないから。ただただ、苦手なだけ。
「まあまあまあ、先付けのマリネは美味としか言えないわね。燻製のチップも食材ごとに変えるなんて手間をかけているわ。それでいて、互いの香りを高め合っている。腕を上げたのね」
「お褒めいただき恐悦至極ですが、なんで迂遠な方法でここにきたんです? エドワード君にくっついてこなくても、連絡してくれれば食事くらい出しますよ」
「? それじゃ、ここまで凝った料理は出ないでしょう?」
「ふざけるのも大概にしろ姉ええぇぇぇっっっ!!」
このどこまで本気か分からない思考回路が苦手。
「まあまあまあ、ふざけてなんていませんよ。セーちゃんの料理を食べには本当ですから。他にも理由はありますが、いわゆる神の思し召しなので」
二言目には神の思し召しと言うところが苦手。
「またそれ? もしかして、誤魔化すための特効薬と思ってない?」
「セーちゃんは世の道理をわきまえてはいても、神様の言葉には耳を貸さないんですね。だから神聖魔法を授けられないんです。お姉ちゃんは悲しい」
「神経系マナ回路は壊滅してるんでー、授けられても使いませんー」
この世界には神様が実在するから困りものなんだよね。神聖魔法がその証拠だし、プリュエールくらい弱小の神様だと人前に降臨することもある。
ちなみに、神聖魔法を修得する方法は二つ。
一つは、神様から直接授けられるもの。夢枕に神様が現れたとか、神様由来の品に触れたら神様の声を聞いたとか、そんな感じのもの。
もう一つが、高位の神官から聖別を受けること。司教クラスの神聖魔法の中に、他者に神聖魔法を使えるようにする魔法があるのだ。世の中にいる神聖魔法の使い手は、大半がこっち側である。
なお余談だが、目の前にいる姉が前者、クラーラ母上は後者だったりする。
「大丈夫よセーちゃん。神聖魔法に必要なのは神様の教義に反さないこと。例え信じていなくても、教義に準ずる行動をしていれば、自然と位階は高くなるもの」
「僕は基本的に政教分離を掲げていましてねー。次期領主としては―、神官にも神聖魔法の使い手にもなるつもりはありませーん。あとー、預言とか占いの類にもー、手を出すつもりはありませんー」
素で勧誘をするな姉、そういうとこが苦手なんだぞ。
というか話が進まないな。対応がついついおざなりになっちゃうしで、これはいけない。流れをぶった切ってでも、標的を変えなければ。
「エドワード君、なんでこの姉を連れてきたの? もしかして、僕を怒らせて話を破綻させようっていう、遠回しな計略? だとしたら大成功だよ。お望み通り全面戦争に持ち込んであげるから、正直に言ってみな」
「そんなわけないだろう! お前の姉だってことは、今日初めて知ったくらいだ。仲が悪いって知ってたら、絶対に連れてこなかったよ!」
「そうかい。なら、なんで連れてきたのかを説明してもらおうか。出会い辺りから丁寧に。幸いなことに時間はたっぷりあるので」
認めるのは癪に障るけど、フラヴィーナ姉上の行動には意味がある。
考えなしに動くことはあるけど、その場合には神のかの字も出さない。神様を理由に出した場合は、無視したくても出来ないのだ、困ったことに。
「出会いか。一言で言うと……プリュエール神から派遣されてきたんだ」
「あ、はい。分かりました。それで充分です」
困ったな、エドワード君に同情するしかないじゃないか。
「しかし、駄姉の自己紹介を聞くに、姓を名乗ってなかったんですよね。それでよく信じましたね。駄姉は宗教バカですが、貴族の礼儀作法は身についてます。名前だけなんて、隠し事がありますよって宣言してるのと同じじゃないですか」
前世の日本と違い、王国で姓を持てるのは貴族に連なる者だけ。
勝手に名乗ると処罰されるレベルで厳しく制限されているのだ。
「とある貴族の側室の子で、諸事情あって名乗れないと言われたら、さすがに追及できないだろ。それに入学時点でプリュエール神の司祭をやってるなんて、訳あり以外の何ものでもないだろうが」
「……ああ、そうやって丸め込まれたんですね」
神様が絡まなければ、まともなのだよ駄姉は。
神官を辞めたとしても、占い師か詐欺師として食べていけるレベルでまともなのだ。
「今日連れてきたのも、俺よりも口が回るからで他意はないんだ。……それがこんなことに」
「相手のこと以上に、身内のこともちゃんと調べようね。僕が言うのもアレだけど、エルピネクト家は枷が外れたのが多いので。北部っぽかったら、とりあえず調べた方が良いですよ。今回みたいに足を引っ張られますから」
「……そういうお前はどうなんだ? 俺のパーティーメンバーに姉がいると知らなかったようだが」
「最低限のことは調べてるとも。今日の料理だって、君に合わせてるんだから」
身振りに合図を含ませると、ちょうどいいタイミングで次の料理が運ばれてきた。
先付けの次は前菜。エルピネクトで採れた野菜を使った、七色のテリーヌだ。どんなに鈍感な感性をしていようとも、心躍るに違いない。もちろん、味にも気を遣っている。
「君のもとパーティーメンバーに、話は聞いているよ。なんでも野営の時でも美味しいものが食べたいと、進んで料理をするとか」
「なんだ、女々しいって言いたいのか?」
「まさか。同じ趣味を持つ人を、なぜ蔑まないといけないんだい」
テリーヌにナイフを入れ、七色全てを口に含む。
自分で作ってるから、驚きはない。ただあえて言えば、野菜の苦みで旨味を引き立てるのに苦労した、かな。
品種改良をしているけど、日本の野菜と比べると苦いのが多い。
良く言えば味が濃く、悪く言えば個性が強い。そんな野菜をまとめるため、繋ぎとなるゼリーには野菜由来の旨味をたっぷりと閉じ込めた。点数にすると八五点。
けど、エドワード君には驚きを与えられたようだ。
「……ゼリーには、干しきのことトマトのエキスを入れたのか?」
「大正解。異なるうま味成分を合わせることで、味に深みがでるからね。いや苦労したよ。色を付けないようにうま味を抽出するのには」
どうしても抽出できなくて、ヴィクトリア姉上が王都にいる時に協力してもらったんだよね。
そういえば、まだエルピネクト領にいるんだった。ゴレームはマナを注いどけば動くから、特に困ったことはないけど。
「うま味……か」
エドワード君はそれだけ呟き、黙々とナイフを動かす。
そうそう、この世界の知識レベルだけど、かなり高い。少なくとも三回、文明が断絶しているとはいえ、その文明は栄華を極めている。醤油の作り方や鯉の泥抜き、養殖技術なんかも、魔巧文明時代には存在した。
味覚に関しても同じだ。
辛味は味覚でなく痛覚だとか、うま味という第五の味覚があるだとか、前世の文明と比較しても遜色ない。おかげで、実戦的な知識を持たない元日本人でも、美食を追求することができるのだ。
「男の子としては、こういうチマチマしたのは嫌いかな?」
「いや、美味いよ。苦みが強い野菜は苦手だけど、これなら食べられるし……可能なら、いつでも食べたいくらいだ」
ふむ、なるほど。
僕を物差しに使えるレベルで食に興味がある、というのは本当のようだ。
実を言うと、カーチェあたりからは評判が悪いのだこれ。美味いけど苦いとか、食べた気がしないとか、散々に言われる。
僕的には、繊細な味付けのが好きなんだけど。
「父上が品種改良した、自慢のお野菜なので嬉しいです。今日使ったのは、庭の菜園で作ったものなで、希望があればお譲りしますよ。――もちろん、お友達価格で」
「ぐっ……――いや、寮生活だからな。譲ってもらっても、満足に調理ができん」
なかなかの好印象じゃないか。
これなら、仲直りというミッションも達成できるな。
「セド様、これお替りしていいか? 物足りねえんだけど」
「まあまあまあ、お替りしていいの? なら私の分も合わせて」
「あ、あの……では、わたくしも」
女性陣からのお替りコールがうるさいな。
「今日はコースだから、ガマンして。ここでお替りすると、全部入らないから。魚料理と肉料理はちゃんと量があるから、だからお替りはガマンして」
少々不安は感じるけど、きっと上手くいくはずだ。
そう、思いたいな……。
パイロット社から出た、新商品の万年筆を買ったら、こんな時間に。パソコン開かずにノート開いて、B5サイズ2ページ分書いてたのがいけないのか? ちなみにノートに書いてたのは、小説とは全く関係ない日記です。