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さあ、夕飯の買い出しです。
もちろん、1人ではないです。僕のようにチビで小太りな貴族のお坊っちゃんが1人で外をであるけば、きっとスられたり、ボコられたりするに決まってる。王都の表通りならそんな危険は少ないけど、きっとそうなる。そうに違いない。
「どうしたんですか、若様? この世の理不尽を呪うような顔をしていますよ」
おっといけない。
ついついネガティブ思考になってしまった。
「姉上がさ、焼きムラがあるとか焦げてるとかソースが雑とか言うんだよ。そりゃ、本職には敵わないけどさ。悔しいじゃん。こうなったらさ、意地でも美味しいって言わせたいじゃん」
感情が高ぶると、ついついネガティブになるんだよ。
なんでだろうね? やっぱりアレか、前世の死因が関係してるのかな? ハイテンションでオートバイに乗って事故ったからな。あ、マリアベル姉上の教育もあるか。調子に乗ったら必ず痛い目を見るように調整してたから、どうしてもね。
「……あー、その気持ちは分かりますけど、ならなんでわたしなんですか? アンリやネリーの方が料理の腕は上ですよ?」
そんなの、胸が小さいからに決まってるじゃないですか。
ヴィクトリア姉上が変なこと言うから、どうしても意識してしまう。トリムに魅力がないわけではないけど、おっぱいに目が行くとどうしても、どうしても、リビドーが高まりそうで怖い。
ま、こんなことを正直になんて言えないけどね。絶対の絶対に言えないけどね。
「なんとなく、かな? しいていえば、お金の管理が一番得意だから?」
「なんで疑問系? いえ、それよりも、帳簿管理なら若様の方が上ですよ」
「帳簿上ならそうなんだけど、一般的な金銭感覚がなくて怖いんだよ。僕の基準って、領地の運営費だから」
「エルピネクト領が基準ですか、それはちょっと怖いですね」
自慢じゃないが、エルピネクト領の税収は王国でもトップクラスだ。
ま、だからって、破産するような買い物をするわけじゃない。予算さえ決めておけば、予算内に収めることはできる。単純な四則演算だからね。
ただ、相場がわからない。騙されないためにも、アドバイザーは必須だ。
「それで、メニューはどうするんですか? ブイヤベース以外にも作るんですか?」
「エビフライを作る。姉上は揚げ物は好きだから、特製のタルタルソースと合わせれば、絶対に美味しいって言うはずだ」
「エビなら予算内に収まりそうですね。ついでに、他の食材も買い足しておきましょう。残っているのは保存食や申し訳程度のものばかりでしたから」
方針が決まると、すぐに買うべきものも決まった。
やはりトリムは優秀だ。僕だけならエビだけ買って帰ったところなのに、明日以降の食材にまで目を向けるだなんて。アンリがリーダーに向いているとしたら、トリムはきっと副官とか秘書に向いているだろう。
「細かいところは任せるよ。正直、エビが買えれば後はどうでもいいし」
「……エビだけでいいなら、わたしたちに任せてください」
「だって、残っててもやることないし。あと、どんながあるかって知りたいじゃん。実物を見ることで思いもよらないアイデアがでることだってあるんだよ」
王都マラカイトって、港を内包した都市なんだよね。
だから新鮮な魚介類が多く並んでるんだけど、どんな種類が並んでいるのかって詳細は知らない。というか、地元民か商人でもない限り知る必要のない情報だからね。エルピネクト領で知ろうとしても限界がある。せいぜい、新鮮なのが並んでるとか、エビとかムール貝とかヒラメがあるみたいな、限られた品種を知るレベル。
なので、自分の目で見たかったのだ。
「その理屈だと、また別の日に買い物したいっていいますよね? 若様は3日に1回のペースで、料理したいって言い出しますから」
「学校の勉強とかがあるから、そんなことないよ? 家の仕事とかもしないといけないだろうし……」
「マリアベル様の拷問――もとい教育よりも厳しいなら、そうなりますね。厳しいなら、ですが」
ならないだろうな。
内容が理解できなくて苦しむってことはあるだろうけど、裸一貫でサバイバル以上の苦労なんてしないだろう。
「……事前に伝えるので、また買い物に付き合ってください」
「前日の朝までに伝えてくださいね」
「可能な限り善処します」
よし、言質を取ったぞ。
色々と負けた気がするけど、今後のことを考えれば問題ない。
「口だけでなく、本当に善処してくださいね。――では、さっそく市場にいきましょう」
さて、肝心の買い物だけど、特筆すべき点はない。
エビフライに適した大きさのエビを選んだくらいで、あとは全部、トリム任せ。
僕がやったことといえば、荷物持ち。トリムには、若様に荷物持ちをさせるわけにはいかないって、渋い顔をされたけど、それくらいしないと不自然になる。って、論法で押し切った。ま、女の子に全部押し付けるのは趣味じゃないってのが大きいんだけどね。
エビに加えて、根菜や葉物野菜、あと油とか塩とかハーブとかを抱えておりますとも。
「まだ足りないものってある?」
「とりあえずは、これで充分です。明日以降、アンリやネリーと一緒に買い出しをしますから」
「荷物持ちが必要なら手伝うけど」
「結構です。若様がやる仕事ではありませんし、学校に行く準備を優先してください」
「はーい、わかりましたよ〜」
ま、仕事というか、学業優先なのは仕方ない。
ちょっと手が疲れてきたので、片足で荷物を支えて少しだけ休憩をする。同時にバランスを整えていると、後ろから誰かが駆け抜けていった。
「――ご、ごめんなさいなのだわ〜!!」
謝って駆け抜けていった理由は、荷物を持った僕にぶつかったからだ。
ちょうど片足でバランスを取っていたところなので、盛大にコケましたとも。荷物もばらまいて、なんともこう、痛いのと恥ずかしいのとで、気まずい。
「若様、大丈夫ですか!?」
「平気、それより、荷物ばらまいちゃった、ごめん」
あせあせと、荷物を拾い集める。
卵のような割れ物がないのが幸いだな。あと、地面に落ちた荷物を盗む人がいないのも幸いか……あれ?
「……な、ない!?」
「ないって、何がですか?」
「エビだよ! エビがないんだよ!」
なんで!
誰も落ちたものを持ってった人なんて――はっ!?
「さっきのだ! さっきの人がエビ泥棒だんたんだよ!」
「あの、落ち着いてください、若様」
「追いかけるから、荷物はお願い」
積み重ねた荷物をその場に置いて、僕はエビ泥棒が走り去った方向に身体を向ける。
「だから落ち着いてください――って、もう!」
トリムが何か言っていたような気がしたけど、僕の耳には届かないくらい距離が離れていたので、きっと気のせいに違いない。