0080 アシュフォード・エル・アズライト
アズライト王国国王、アシュフォード・エル・アズライト。
それが俺の立場と名前……だったはずだ。
自信がないが、間違いない。王の決裁が必要な書類に判を押しているし、謁見の間にいるときは必ず王座に腰を下ろす。――ああ、間違いない。間違いなく俺は王だ。アズライト王国の正当な国王だ。
「どういうことだ、甥御殿。人に知られたくないという理由で、こんな夜更けに呼び出されてみれば、だ。義理の弟――前国王の息子が相手でなければ、首を落としているところだぞ?」
幾人もの罪人を断頭台に送っているが、彼らの心持ちを理解したかもしれない。
「お、落ち着いてほしい叔父上――いや、落ち着け、エルピネクト子爵」
「俺は落ち着いている。その証拠に陛下と――吸血鬼の首を落としていないでしょう?」
思わず首を押さえた俺を、誰が責められよう。
この叔父上――もとい、ケイオス・フォン・エルピネクト子爵が本気になれば、認識する間もなく首が落ちる。現役冒険者だった時代は、その鮮やかな首切り術に畏敬を込めて《告死蝶》と呼ばれたほどだ。
もう七〇……ではなく六〇過ぎではあるが、技の冴えはますます磨きがかかるほど。
「だが、俺も人間だ。忠誠や辛抱にも限界はある。さっさと話しを進めてもらおう」
怖い。
理性で制御されているはずなのに、叔父上の殺気が怖い。
「……先日、子爵が討った吸血鬼を覚えているか?」
「無論。冥導の奈落を展開する貴族級だったからな。ブレイブを使うほどではなかったが、念のため、殺した後に再生を禁じる呪毒を刻んだくらいには警戒する相手だった」
「容赦がないな。子爵が身内で心底ほっとしている。――が、今回ばかりは容赦のなさが正解だったと言えよう」
同席していた吸血鬼の少女が、一抱えもあるツボを持ってきた。
「コレを、新しく雇った侍女などと言わないよな?」
「子爵と違い、年端もいかぬ少女を愛でる趣味はないぞ。――コレに、関わっているのだ」
吸血鬼の少女が、ツボの蓋を開けた。
そこには、灰だけが詰まっていた。
「……ただの灰だな。人ひとり分を丁寧に焼いたら、このくらいの量になりそうだ」
「コレは、子爵が討った吸血鬼の灰――ということになっている」
「――ほう」
なぜか、殺気が治まった。
「俺は確かに灰を残らず集め、太陽神の神殿に納めたぞ。完全な浄化には最低でも一週間はかかるはずなのに、なぜ灰にマナがないのだ? おかしいだろう」
冥導星のノスフェラトゥの中で、最も生き汚いのが吸血鬼だ。
殺せばマナを含んだ灰になるが、適切な処置をしなければ灰から復活をする。下級の吸血鬼ならば太陽に晒した瞬間にマナが霧散し完全に死亡するが、奈落領域を展開する上位個体ともなると話は別。
いずこかの神殿に灰を納め、司教以上の格を持つ神官が一週間以上、浄化の儀式を執り行うことでようやくマナが霧散する。
「子爵の考えている通り――内通者の手は、神殿にまで伸びていた」
国王としての責務がないのなら、感情的になって当たり散らしただろう。
この世界の神々は、外惑星――奈落領域の侵食から世界を守護する役目を負っている。神々を奉る神殿も同じだ。吸血鬼の灰を浄化するのもその一環。
その神殿に手を回すなど、言語道断。
一族郎党皆殺しにしたくなる愚行だ。
「定命であれば、多かれ少なかれ不死への渇望がある。神殿に手を回すほどの権力者であればなおさらだろう。不思議ではない」
「……子爵にもあるのか?」
「あと数年欲しいと考えることはあるが、さすがに不死はない。今でさえ時間を持て余し、ヒマつぶしに吸血鬼狩りをするくらいだぞ」
「吸血鬼狩りは本来、大仕事だ。それをヒマつぶしと言えるのは、子爵くらいだろう」
叔父上の普段通りさに、心が落ち着きを取り戻した。
幸いなことに、神殿そのものが裏切ったわけでも、高位神官が裏切ったわけでもない。あくまでも、吸血鬼を利用した貴族が動いただけ。敵が増えたわけではないのだ。
「――そろそろ、聞かせてもらおう。そこの吸血鬼は何者だ?」
闘気や殺気がないことが、なによりも恐ろしく感じる。
わが叔父、ケイオス・フォン・エルピネクトは、四〇年以上の長きに渡り天導星の奈落を開拓し、天使共から人界を守護し続ける、正真正銘の傑物。
答えを誤れば、諸共に首が落ちる。
「子爵に討伐の勅命を下した吸血鬼だが、彼女からの情報提供がなければ場所の特定が出来なかった」
「仲間割れか? もしくは下克上が目的か? どちらにせよ寄生虫には――」
「――誓いを立てたのです」
ひどく、蠱惑的な声だ。
一度として日に照らされたことのない白き肌と髪。一〇にも満たぬであろう小さな体躯。そのどれもが、この場にいてはならぬ者であることを示していた。
「如何なる手段を用いようとも、如何なる不徳を為そうとも、必ずや彼の者を滅ぼすと」
「ハイエナよりも卑しいな。寄生虫はそこそこ斬ってきたが、貴様ほど浅ましい者は見たことがない」
「告げたはずです。如何なる手段、如何なる不徳を為そうとも、必ずや彼の者を滅ぼすと」
不死の吸血鬼は、名誉を重んじるのだそうだ。
俺は知識でしか知らぬが、叔父上は実体験として知っているはずだ。
だからこそ、彼女の発した言葉が持つ重みを知る。
「そうか。寄生虫にも満たないのであれば、斬る価値もないな」
叔父上は興味をなくしたとばかりに、吸血鬼の少女から視線を外した。
「目星は付いているのか?」
「状況証拠になるが、東部の貴族だ」
「他国からの介入は?」
「国家や貴族としての介入はないが、それ以外となると……」
冥導星のノスフェラトゥは、人間社会に食い込んだ上で世界を奈落に落とす。
食い込む対象は貴族にとどまらない。一個人や商会、裏社会や神殿が乗っ取られた事例さえある。
「なら遅くとも、第三王子の卒業までには動きがある」
「……子爵も、そう思うか」
王位継承権争い。
規模の大小はあれど、避けては通れぬ争いだ。先王、つまり俺の父の時代は、内乱一歩手前にまで激化した。目の前にいる叔父上はその時代の争いに関わったあげく、王宮に嫌気がさしてエルピネクトに引き籠ったという過去がある。
だから、きな臭さのようなものを感じ取っているのだろう。
「お前がさっさと王太子を決めないのが悪い」
「三竦みで拮抗してる状態で決めれば内乱が起こる。エルピネクトが第一王子を本格的に支えれば、話は変わるだろうが」
「俺はもう引退した身だ。当代のマリアベルは次代への引継ぎに腐心して、次代のセドリックは中央に興味なし。この状況で俺が口出しするとでも?」
するとは思わない。
ヒマつぶしで吸血鬼を屠るこの男、本質は文官なのだ。未だに信じられないが、文官としての功績は武官以上。そんな男が自身の領内が荒れる選択を取るはずがない。
「話は変わるが近々、セドリック・フォン・エルピネクト男爵を王宮に招く。異論はあるか?」
「幻獣討伐の功だったか? 正当に評価するならかまわん。――が、忠告はしておこう」
叔父上の声音が変わった。
「あの子は基本的に気性が荒い。マリアベルが矯正した結果、表面を取り繕う礼儀と、内面で策を巡らす知恵を身に着けたが、本質は何一つ変わっていない。一度敵と見定めたならば全霊を持って噛み殺す獣だ。頼むから、敵にだけはならないでくれ」
叔父上はそう忠告を残し、部屋を出ていった。
周囲に視線を向けみれば、吸血鬼の少女も姿を消していた。
(……叔父上が獣と表現するって、どんな男だ?)
かの女傑、マリアベル・エルピネクトにも獣と表現をしなかった、叔父上が?
魔剣ブレイブを抜かずに、貴族級の吸血鬼を斬り殺す叔父上が、敵にだけはなるな?
(……なぜだろう。王位継承権争いや、吸血鬼の問題が小さく見えてきた。これは他の貴族が騒がないよう、釘をさす必要があるな)
部屋に残ったツボを抱えながら、セドリック・フォン・エルピネクト男爵について考え始めた。