0078
(……動くのは、指先だけ)
柄を握っただけなのに、痛みで脳髄が沸騰しそうになる。
だがその熱で、少しだけ冷静になれた。
「初めての感触だわ……マナ回路はともかく、骨の一つも砕けないだなんて……」
実の弟に対してなんて危険な攻撃をするんだと、文句を思い浮かべる。
(グロリア……マナと、回復を……)
回復魔法をグロリアに使わせながら、幻体技を使用するためのマナを供給させる。
僕が取れる最大効率の回復手段。ここまでやっても神聖魔法には届かないのだから、たまらないとしか言えないけど、違和感に気付いた。
(あれ、マナの蓄積量が……多い?)
グロリアにマナを蓄える方法は、魔法をマナに変換するか、マナを直接吸わせるかの二つ。
姉上は魔法を使わないし、マナ回路にまで届く深手を負わせたわけでもない。もちろん、生きるか死ぬかの瀬戸際で、自分のマナをチャージに回す無意味な行動を取ったわけでもない。だからグロリアのマナは減るはずなのだ。
「まあ、生き残ったのだからいいでしょう。その様子なら、クラーラ姉様の魔法も必要なさそうだし、修行がてら自分で治しなさい」
天墜を肩に担いで、踵を返す。
姉上を相手にして五体満足なのだから、充分すぎる戦果と言えよう。自分で治せなどと言ってきたことには文句を言いたいけど、傷が浅かったと思えば許容できる。
「……――勝手に、終わらせないでもらえますか……」
グロリアを杖にして、僕は立ち上がる。
「根性は認めるけど、寝てたほうが良いわよ。神経にダメージ入ってるから、死ぬほど痛いでしょう?」
「そりゃ、痛いですよ。……けど、ここで立たなきゃ、……もう一度撃ってもらうなんて、思えませんからね」
「もう一度って、今のを?」
頷かずに、グロリアを構えた。
「別にいいけど、命の保証はないわよ?」
「グロリアの使い方を、掴みかけてるんです。……これからのことを考えたら、ここで退く理由にはなりません」
王都に戻れば、否応なく王位争いに巻き込まれる。
エルピネクトの次期領主という時点で逃れられないし、幻獣を討伐しちゃったから近いうちに王宮に呼ばれる。王宮には権力に巣食う魑魅魍魎はもちろん、姉上と同格の化け物もいる。つまり、自分の身を守るためには、少しでも力を付ける必要がある。
だから、グロリアという切り札を使いこなす機会を、見逃してはいけないのだ。
特に今は、マリアベル姉上という手加減をしてくれる人が相手。この程度のリスクを許容できずして、どうして生き残れるというのか。
「まったく。覚悟だけは一人前なんだから」
姉上の天墜が、グロリアに重ねられた。
何が起こるか見逃さぬよう、グロリアを握ったときに見えるマナの動きを注視する。姉上のマナは身体能力の向上にしか使われておらず、魔剣・天墜には一切流れていない。心臓の鼓動や呼吸に合わせた動きがあるだけで、他の動きはない。
なので、マナの動きから肉体の動きそのものに意識を移す。
(きた――っ!)
姉上は予備動作を隠す努力をしない。
素人に毛が生えたレベルだから見えた、僅かな踏み込み。
(必要なのは――イメージ。衝撃の流れと、それをマナに変換するイメージ)
グロリアの本質は、変換と蓄積。
魔法という形に変換した力をマナに変換できるなら、衝撃をマナに変換できる……はず。
確信があるわけではない。状況証拠から、そうでなければ説明がつかないと思っただけだ。エネルギー保存の法則がこの世界でも当てはまるとしたら、決して不可能なことではない。
(絶対できる、絶対できる、絶対に――できる!)
マナを捉える目でも見えない衝撃で、グロリアが震える。
僕がすることは、イメージするだけ。痛みで悲鳴を上げる身体を無視して、衝撃をマナに変換するイメージを、グロリアに送るだけだった。グロリアが震えているのか、それとも自分の手が震えているのかも分からなくなっても、イメージは止めない。
ギャラリーからは一瞬ほどでしかない時間が、僕の中では何万倍にも引き伸ばされていた。
震えは永遠に止まらないのではないか? そんな弱気を何度も振り払い、衝撃をマナに変換し続け、そのときは訪れた。
(――終わった?)
「気持ちは分かるけど、残心を忘れたら死ぬわよ」
――ズシンッ、と。覚えのある衝撃に襲われた。
「ゴフ……ッ!?」
何が起こったのかは、もう分かる。
右足の踏み込みで生じた衝撃を防いだ直後に、姉上が左足を踏み込んだのだ。
終わったと気を抜いた直後の隙を突いた、見事な追撃。身体の動かし方は素人同然のクセに、戦闘の機微は歴戦の勇士と同等。
それが《天墜》マリアベル・エルピネクトなのだ。
「安心なさい、加減したから死なないわ」
今度は、指先一つ動かない。
それどころか、触覚まで麻痺している。
「悲観なんてしなくていいわよ。最初の一撃を防げたってことは、グロリアを使いこなせたんでしょ? ハッキリ言うけど、そこまでの境地に至れるのって数少ないのよ。上級って呼ばれる第三位以上の冒険者とか、司教レベルの神官とか。大陸で見ても一〇〇〇人に満たない領域に至ったんだから、胸を張りなさい」
身体が動かないから無理です。
というか、痛みさえないってヤバくない? 死ぬ直前ってことじゃない?
「……んー、ちょっと不味い? やりすぎた?」
地面しか見えないけど、姉上はきっと困り顔のはず。
普段なら少しは溜飲が下がるものだけど、命の危険があるので下がらない。
「誰か、クラーラ姉様を呼んできなさい。多分、自室で寝てると思うから急いで。抵抗するようなら担いでも構わないわ」
数名分の足音が遠ざかっていく。
この様子なら、クラーラ母上に治してもらえそうだ。駄々をこねる子どもみたいなところはあるけど、負傷者の治療を拒むほど心の狭い人ではない。
「おやおや、セド君が死にかけてるぞ。これはどんな状況かな?」
……僕は今、自分が動けないことを後悔していた。
動けていたら、人懐っこい笑顔を浮かべる美人さんな顔に、グロリアを叩き込めたのに、と。
「ソリティア姉様、なぜここに? しばらく戻ってこれないと言っていませんでしたか?」
「そうだったんだけど、事態が斜め下に動いちゃってね。無理して動かないと、夏休みが終わっても戻ってこれなさそうだったから、無理してお迎えに来たんだ」
無理して幼稚園に来たキャリアウーマンみたいなセリフを言うソリティア母上。
どんな顔しているのか一目見たいけど、身体が動かないから無理。
「でも、セド君はちょっと無理っぽいね。こんなボロボロの状態で転移なんてしたら、トドメを刺しちゃうよ」
「……まあ、ちょーっとやりすぎた気がしますが、そんなに?」
「うん、そんなに。今すぐに死ぬわけじゃないけど、今日中に治療しないと悪化するレベル。クラーラちゃんは呼んでる?」
「無理にでも連れてこいと、指示を出したところ」
「なら安心だ」
いるのは当たり前だ、と叫びたい。
いくら粗暴な姉上でも、クラーラ母上がいない時に殺し技なんて使わない。
「――おっ! そこにいるのはもしや、ロズリーヌちゃんかな?」
くるり、と。
身体と話の向きを変える母上。
「はい。このようのな場で、失礼いたします」
「いいよいいよ、セド君とマリちゃんの試合を見物してたんでしょ? 見応えはあった?」
「はい。詳しいことは分かりませんが、迫力はありました」
「うんうん、そうでしょうとも。マリちゃんはクルクル回って踊りみたいだし、セド君もよくいなすからね」
母上の能天気さに、困ったような声を出すロズリーヌさん。
「――ところで、ね。急で悪いんだけど、今日、帰らない? オーギュスト君から早く帰せってせっつかれててね。できれば、頷いてほしいんだけど」
「……お祖父様からの指示であれば、否とは言えません。クラーラ様がよろしいのであれば、いますぐにでも」
「本当に? 真に受けてすぐに送っちゃうよ?」
「そうですね……できれば、着替える時間をいただければ」
「なら、着替えが終わるまで待つね。部屋まで送ってくよ」
見えないけど、母上に引きずられるロズリーヌさんの姿がありありと浮かんだ。
「――あ、そうだ」
何かに気付いたのか、タタタっ、と母上が駆け寄ってくる。
「いくらクラーラちゃんでも、その傷をすぐには治せないからね。だから、セド君は馬車でゆっくりと王都まで戻ってきてね。多分、治ってすぐに動けば、間に合うはずだから」
それだけ言い残して、母上は去っていった。
叫んだら本当に死にかけないので、とりあえず、心の中で叫ぶとしよう
――いい加減にしろロリババア――ッッッ!!
と。