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0074 マリアベル・エルピネクト

「……これが、セドリック様のお茶……。勉強会に出席した方々が、価値観が変わったといっていましたが、納得です……」


「いえ。その勉強会でしたら、授業と同じ茶葉を使っていたはずよ」


「で、では……最初のお茶と同じ格で、価値観を変えたと……?」


 王立学校は貴族の子息が通うとはいえ、必要以上に経費はかけない。

 いま使ってるを茶葉を授業なんかで出したら、すぐに破産するもの。


「そういえば、あの子がブラヴェ伯を叩きのめしたのって、最初に出した茶葉だったわね」


 山から降りてきたら、味に一層うるさくなったのよね。

 特にうるさかったのが、川魚とお茶。料理長やアンリたちを巻き込んで、事業計画書を提出してきた時は頭を抱えたわ。見込みがあったから許可したけど。


「あれで、ブラヴェ伯を……」


「茶狂いと呼ばれるのも納得のエピソードですね」


 あれには私も驚いたわ。

 嗜むだけだったお茶会の見る目が変わったもの。


「さすがに、お茶だけではなかったけどね。ただのクッキーと合わせた時のハーモニーが、実に素晴らしかったわ。今日出したクッキーみたいなプレーンの……」


 気付いてはいけないことに、気付いてしまった。

 今日のお茶とお菓子は、全てアンリに任せている。セドリックの好みを知り尽くし、満足させ続けているアンリが、下手なものを出すはずがない。

 間違いなく、このクッキーはお茶に合う。


「……ねえ、セリーヌさん、ロズリーヌさん。二人に提案があるのだけれど」


 私の深刻そうな声に、二人は警戒心を強めた。


「警戒しないでいいわ。ただ、お茶会を一旦中断して飲み食いに集中しましょう、という提案よ」


 疑問符を浮かべているが、混乱するのも分かる。

 そもそもお茶会とは、お茶とお菓子を飲み食いする場、ではない。あくまでもそれらを通して交流をする場のことを、お茶会と称する。だから極論を言ってしまえば、出すものの格と、不味くない味であれば充分なのよ。

 美味しさも、会話の潤滑油でしかないの。

 言葉を忘れるくらいの美味しさなんて、お茶会では出しちゃいけないのよ。


「このクッキーね、間違いなくお茶と合うわ。お茶の美味しさを倍増させる方向で調整をされてるでしょうから、すっごく美味しいはずなのよ。――意味、分かるかしら?」


 二人は、毒を見るような目でクッキーを見下ろす。

 どうやら事の深刻さを理解したようね。


「お茶会にならないような物は、出たら片付けるのがセオリー。でも、これを下げるのは惜しいでしょ? だから飲み食いに集中しましょう。終わったら、口直しも兼ねていつも私が飲んでいるものを出すから」


 なんて言ってみるが、本音は飲み食いしたいだけ。

 だってこんな美味しいお茶、初めて飲んだんだもの。もっと美味しくなるって分かってて、味わわないなんて選択肢があるわけないじゃない。

 私の熱意が伝わったのか、それとも美味しさの魔力に魅せられたのか、二人は頷く。

 まあ、感想とか言っても無駄に時間を使うだけだから、結論だけ言うわ。


 ――時間が吹っ飛んだわ。


 気が付いたらポット三つ分のお茶と、大量のクッキーを消費していた。

 あ、セリーヌさんとロズリーヌさんの名誉のために言っておくけれど、ほとんど私が飲み食いしたから。二人は貴族令嬢の常識の範囲内での消費よ。


「――ったく、こっちの腕ばっかり上げるんだから。困ったもんね」


 悪態の一つでもつかないと、正気に戻れないくらい美味しかった。

 困ってるのは本当だけれど、茶狂いと呼ばれる度を越した情熱に対して。技術の向上はエルピネクトの力になるから大歓迎だけれど、セドリックが出てくるとお茶会が品評会に変わっちゃうのが困りものなのよね。

 私はエルピネクト側だから、被害は少ないんだけど。


「ところで、率直な感想を聞きたいのだけれど、どうだった?」


「言葉を尽くせないほどに、――至福の時間でした」


「……相応の対価をお支払いするので、フォスベリーに技術指導をいただきたいと思います」


 率直な感想って、性格や立場が出て面白いわね。

 セリーヌさんは一個人としての感想。将来は宮廷貴族の奥方になるけれど、嫁ぎ先のブラヴェ家は貴族の中では中の上。家や派閥を第一に考えるのは、成人してからでも充分な立場だ。

 対してロズリーヌさんは、三大派閥の一つ、改革派のトップであるフォスベリー家のご令嬢で、第三王子の婚約者。常に権力を意識しなければ食われるからこそ、少しでも力を付けようという発想になる。


「セドリックにそれとなく伝えておくわね。――では、予定と大分ズレてしまったけれど、お茶会を再開しましょう」


 メイドたちに運ばせたのは、最初に出した茶器。

 これに込めた意味は、二人にちゃんと伝わったようだ。


「あの、マリアベル様。美味しい茶葉を買うために、経済発展をさせたのですよね?」


「そうよ。客人にまともな茶葉が出せないのは不味いもの。でも、私はセドリックほどお茶会に興味を持ってないわ」


 私にとってお茶会は、貴族としての義務以上の意味はない。

 そして、私と同じスタンスの貴族が大半だ。趣味の域に入っている人は、茶人とか数寄者とかなんて呼ばれてるわね。ちなみに、セドリックの茶狂いはそんな人たちとは別枠扱い。

 戦狂いと同じで、畏怖と蔑みが込められた呼び方だ。


「でも、あえてこれを出した理由は――飲めば分かるわ」


 空気を切り替えるように、私はカップを手に取った。

 セドリックの度を越した情熱のせいで崩れた調子を取り戻すのにちょうどいい、落ち着く香り。ここでお菓子に手を付けるのがいつも通りだけど、今日はお茶だけにしましょう。


「――これ、本当に最初のお茶なのですか?」


 セリーヌさんの顔には、信じられないと書いてあった。


「ええ、最初に出した茶葉と同じよ。違うのは淹れ方だけ」


 このお茶こそ、かつてブラヴェ伯の価値観を叩き壊し、セドリックが茶狂いと呼ばれるようになったお茶だ。

 当時と同じ淹れ方であれば格好がついたが、残念ながら違う。

 当時よりも洗練された、よりセドリック好みを追求した方法で淹れている。


「……価値観が変わった、と言われる理由を理解しました……」


 美味しさだけを見れば、三回目に出したお茶の方が上。

 でも、衝撃的という意味では、こちらのお茶に軍配が上がる。

 最初に飲んだ不味いお茶が、三回目の最高級茶葉と比べられるくらいの美味しさに化ける。これに驚かない者がいたら、重度の味音痴かバカのどちらかだ。


「しかし、なぜ三度目にこれを出さなかったのでしょうか?」


「――本筋から外れるからよ」


 素直に聞くだなんて、セリーヌさんは若いわね。弱みを見せる結果になるから悪手よ。

 その点、ロズリーヌさんはさすがね。セリーヌさんの失点を活用して、会話の主導権を握ってきたわ。


「マリアベル様がこのお茶会を主催した理由は、エルピネクト家の歴史を通して力を見せることと、婚約者の手綱を握れという警告のため」


 うん、やっぱり分かってる子がいると楽でいいわ。

 二人とも学生だから、説明する準備をしてたもの。


「ですが、このお茶でも充分にエルピネクトの力があると伝わりませんか?」


「セドリック・フォン・エルピネクト様が、文化人であることは伝わります。しかし、それは次期子爵閣下個人の力。――エルピネクト家、エルピネクト領としての財力や人脈を見せるのには不足です」


 王族が飲んでもおかしくない茶葉を、毎日飲めるなんて見栄張った理由、やっぱりお見通しだったか。

 でも、嘘じゃないのよ。

 一度に使用する量と、飲む回数を調整すれば、毎日飲めるもの。セドリックに研究させても問題ない量を、確保だってできるもの。あくまでも拡大解釈させただけ。

 問題だったのは、今後、エルピネクト主催で開くお茶会のハードルが高くなりすぎること。あのレベルを期待されたら、さすがに費用対効果が悪すぎるわ。


「――ロズリーヌさんの言う通りだけれど、ちょっと足りないわね」


 エルピネクトの力って、王都にいると実感できないのよね。

 辺境である以上に、中央の政治からは距離を取ってるし、名目上は子爵だから、若い子が実感しにくいのも仕方ない面はある。


「私が一番心配しているのは――セドリックが王位争いに関わることよ」


 今はまだ、ギリギリで関わっていない。

 でも断言できる。セドリックは必ず、王位争いに首を突っ込む。すでに巻き込まれてるフレデリカさんを雇ってるとか以前に、あの子の性格と立場が問題なの。


「あなた達なら知っていると思うけれど、あの子は王位継承権一〇位を持っているわ。エルピネクトの次期領主としての立場もあるし、幻獣を狩れるくらいの武力もある」


 ……こうして並べると、貴族としての価値高いわね。

 お父様に似てるのが玉に瑕だけど……いや、それが利点を帳消しにしてるわね。見た目を重視する貴族って多いから。


「私としては自慢したい弟なのだけど、当然ながら欠点もあるわ」


 さすがに、見た目なんて言わないわよ。

 印象最悪だけど、中身と実績には関係ないもの。


「セリーヌさんは実感してるかも知れないけど、セドリックは容赦がないのよ。騒ぎを無意味に大きくはしないけど、利益を得るために手を抜かないわ。――フレッド君とケンカするためだけに、ブラヴェ伯を買収したようにね」


 実を言うと、アレで政治バランスが崩れかけたのよね。

 大臣ほどじゃないけど、財務次官を取り込むってのは相当な影響力を持つことになる。並の貴族なら役職を手に入れる程度だけど、北部の次期盟主なら第四の大派閥を築くことも可能。

 決して、子どものケンカで有利に立つためにやることじゃない。


「幸いなのは、セドリックの基本姿勢が待ちな点ね。進んで敵対することは滅多にしないから、ケンカで終わるなら問題ないわ。でも、越えちゃいけない一線を越えてしまえば、あの子は北部盟主としての権威を総動員してでも勝とうとするでしょうね」


 次期領主の地位はともかくとして、伊達や酔狂で魔剣グロリアは渡さない。

 タウンハウスに隔離しても、絶対に問題を起こすことを信じているからこそ、護身目的で渡しといたのだ。


(……お父様がグロリアを譲ると決めたことは、意外だったけど)


 単独で幻獣を殺したのだから、お父様の目は正しかったのよね。

 私の予定では、頑丈さに特化した普通の魔剣を渡すつもりだったし。


「ただし、今のは一線を越えた話。エルピネクトはセドリックの判断を尊重するけれど、荒事はなるべく起こしたくないのよ。――私達の本質は、人域を守る盾だから」


 盾なんてのは、耳触りのいい建前だけどね。

 これを言っとけば他勢力からの介入を阻めて、内政に力を注げるから使ってるだけで。


「――伝えたかったはこんなところね。私にできるのはお願いまでだから、判断は任せるけど」


 カップに入ったお茶を一気に飲み干して、席を立った。

 返事があるなんて期待していないから。


「――ああ、そうだ。明日の朝、セドリックと模擬戦をする予定なのよ。見学は自由だから、興味があったらメイドに詳細を聞いてね」


 ダメ押しのつもりで試合のことを伝えた。

 私が一方的に攻撃して、セドリックが防御するだけの展開になるけど、構わない。天使を叩き潰す私の攻撃を防げる意味が分からない相手なんて、セドリックの敵にならないし。

 伝わったら伝わったで、融和路線に動くはずだから得しかしないわ。

 でも、ちょっとした情報操作は必要ね。グロリアを腕輪に収納してるって知られるのは、セドリックの不利になる。その辺の調整も含めて、準備をしないといけないわ。

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