0073 マリアベル・エルピネクト
貴族にとって、お茶会は花だ。
家が建つほど高価な茶器を揃え、贅の限りを尽くした菓子や軽食で客人をもてなす。
まさに資金や時間に余裕のある貴族か、貴族並みに稼ぐ大商人にしか開催できない贅沢の極み。故にお茶会が貴族の花であることに異論はないし、嗜みに属することも理解できる。
(……はあ、面倒くさ)
ただ、私の肌には合わない。
厳しい礼儀作法があるのは、別にいい。優雅なものは好きだし、幼少期からお母様に叩き込まれているから苦じゃない。
でも、お茶会には意味を込めないといけない部分が、実に面倒くさい。
主催する場合は、言葉にはできない要求や主張を盛り込む必要がある。参加する場合は、主催者が込めた意図を読み解く必要がある。貴族としての知識と教養をフル活用しなければいけない、まさに戦場だ。
(腹割って話すだけなら、酒と肴があれば充分じゃない)
あくまでも個人的な感性だが、エールと唐揚げあればそれでいい。
酒精を摂取して理性のタガを外せば心の壁も薄くなるし、お茶よりエールのが好き。のどごしで味わうところが粋だし、唐揚げとよく合う。なにより、エールを飲むのに礼儀とかあんまり関係ない。
礼儀を気にしないことの気楽さには、戦場で気付いた。
騎士や兵士達とエールを飲んで馬鹿騒ぎをして、鍛えたマナ回路をフル活用して力比べに勝つ。貴族の令嬢らしからぬ行動が、異様なほどに性に合っただけのこと。
(変わっている自覚はあるから、他人に強制するつもりはないけど……やっぱり、面倒くさ)
誤解しないでほしいのだけれど、出来ないわけではないのよ。
ただ、セドリックのように狂うほど本気になれないだけ。あの子は自分に合わないお茶を泥呼ばわりするけど、あの子基準で五〇点もあれば充分美味しいと思うわ。
不味くても、砂糖とミルクを入れれば飲めるし。
「急な招待になって、ごめんなさいね。セリーヌさんとロズリーヌさんの二人とは、ぜひともお話をしたいと思っていたの」
招待をしたのは、エルピネクト領に到着して早々に騒ぎを起こしたバカ。
フレッド・ド・ブラヴェと、アイザック・エル・アズライトの――婚約者の二人だ。
「――い、いえ。北部の英雄であるマリアベル様にお招きいただき、光栄です!」
「同じく、光栄に思います」
温度差がすごいわね。
セリーヌさんの実家であるティエール子爵家は、北部貴族。
爵位はエルピネクトと同格ではあるけど、武力や経済力はこっちが上。さらに私は吟遊詩人に謳われるくらい有名。おまけに領主代行で、王族の血も引いている。セドリックが生まれるまでは次期領主としての扱いを受けていた。
自慢じゃないが、私は北部貴族にとって雲の上の存在。そんなのから招待された緊張で、心がごちゃごちゃになってるのが手に取るように分かる。
対してロズリーヌさんは、表情がまるで変わらない。声の抑揚もほとんどないから、内心を察することも出来ない。中々の強敵ね。
「緊張しなくてもいい――なんて言っても、難しいわね。まずは飲みましょう。今日は二人のために、ちょっと特別なお茶を用意したのよ」
出したお茶を最初に口にするのは主催者。
毒なんて入れていないと証明するためなのだが、その気になればいくらでも盛れるからポーズでしかない。
でも、今日のお茶には少しだけ仕掛けをしている。誰にでも分かる簡単なものを。
「特別……あ、ありがとうございます」
「……む」
顔を赤くしたセリーヌさんは気付いていないみたい。きっと、緊張が原因ね。
ロズリーヌさんは、表情がほんの少しだけ崩れたわ。すぐに戻ったけど。
「不味いでしょ?」
セリーヌさんは「そんなことありません!」と一気に飲み干してしまった。
砂糖とミルクを入れないと飲みたくないくらい不味いはずなんだけど、緊張で舌が麻痺してるのかしら?
ロズリーヌさんの方は、沈黙という形で肯定をしてるわ。
「……別に意地悪をしたいわけではないから、無理をしないで。ちゃんとしたのをすぐに淹れさせるわ」
合図をするまでもなく、メイドは動き出していた。
ソーサーごとカップを片付けて、ポットも含めて茶器一式を変更する。もちろん、他の装飾との調和を調和を保ったまま。
「……もう一度ほど変わりそうですが、歴史をお聞かせいただけるのですか?」
「え、そうなのですか、フォスベリー様?」
「おそらく、ですが」
……やり辛いわね。
一度目と二度目の変化、装飾との調和、あと茶器の格から見抜いたのね。
「正解よ、ロズリーヌさん。でも見抜き方の詳細は、お茶会が終わった後、二人きりの時にしてくださいね」
貴族の嗜みに属する関係上、茶器は家格に見合ったものを出さなければいけない。ただ、これは正式なお茶会の場合。今回は私的なものなので、何を使ってもいいのだ。
最初に出した茶器は、貴族が使える中では最低限の格があるもの。
いま使っているのは、一般的な子爵家が使う格の茶器。
そしてエルピネクトの家格は、実質的には伯爵家以上。
並の文化人なら、もう一度変わることを見抜くことは難しくない。だから、私が歴史を話すと見抜いたことは、彼女が並でない証拠。
それを私に伝えるために、わざわざ語って見せたのだ。実に手強い。
「意図を先に言われてしまったけれど、最初のお茶は、エルピネクトが出来たばかりの頃に飲んでいたものよ。私も、王立学校に入るまではこれが普通だと思っていたの」
セドリックと同じで、私がエルピネクトの外に出たのは入学時が初めてだった。
蝶都は当時から一万人以上の都市だったけど、王都と比べれば田舎同然。それは規模以上に、文化が未熟だったから。
「初めてのお茶会の授業は、本当に衝撃的だったわ。礼儀作法は、王女だったお母様の仕込みで大貴族にも負けなかったけれど、出されるものの質がまるで違ったの。王都では揃えることが簡単な物でさえ、蝶都には入ってきていなかったのよ」
これは、蝶都の問題でも、エルピネクトの問題でもない。
現在、北部と呼ばれる地域が抱える問題だったのだ。
「エルピネクトがど田舎だって気付いた時に、思ったのよ。――長女じゃなかったら、金持ち貴族に嫁いで楽できたのにって」
私のあけすけな感想に、二人は言葉をなくしたようね。
無理もないけど、常識で考えてみなさい。奈落領域が近くにあるから収入の大半が防衛費が消えて、定期的に天使が溢れ出るから領地が荒れて産業が発展しにくい田舎領地。
次期領主の肩書がなかったら、とっくの昔にとんずらしてるわよ。
「幻滅したかしら? でも、貴族だろうと英雄だろうと、一皮剥けばこんなものよ。常人との違いがあるとすれば、どんな泥や不名誉を被ってでも目的を果たす覚悟を持つことね。私の場合は、北部の経済発展だったわ」
今思えば、随分と危ない橋を渡ったものね。
貴族相手に金貸しをして恩売って、支払い能力が破綻したところで内政干渉。経済の立て直しや、北部を巨大な経済圏にするために関税を撤廃をするために、実質的な乗っ取ったりまでしたもの。
挙げ句の果てに、反逆罪の容疑で宮廷に出頭を命じられたわね。
予想も根回しもしてたから、なんとか乗り切ることができたけど。
「経済発展の成果が、このお茶よ。エルピネクトが北部の盟主って呼ばれるようになったのも、このお茶が普通に飲めるようになった頃だったわ」
可もなく不可もなく、といった貴族基準では普通のお茶。
私が一気に飲み干すと、二人も同じように飲み干す。カップが空になると、すぐさま新しい茶器と取り替えられた。エルピネクトの家紋である《羽ばたく蝶》が刻まれた、特注のカップとポットに。
「これは今、うちで日常的に飲んでいるものよ。まずはそのまま、飲んでみて」
一口含んで、不覚にも私は固まった。
(ちょっと待って、何これっ――!?)
二人を驚かせようと思って、セドリックに付けてるアンリに淹れさせたけど、何これっ!? うちで日常的にって言っちゃったけど、私こんなに香り高くて美味しいお茶は飲んだことないわよ!!
あの子、どれだけ仕込んでるのよ……!
「――ふわぁ! これ、本当にお茶ですか……? 何か、違う飲み物ってくらい、美味しいです……!」
「……同感です。王宮のお茶会でも、これほどのものは……」
これは、不味いわね。
軌道修正をしておかないと、ひどい誤解が生まれてしまうわ。
「……ごめんなさい、ちょっとだけ見栄を張ったわ。いつもよりもいい茶葉を、セドリックが鍛えたメイドに淹れさせたの。私もちょっと驚いているわ」
茶狂いじゃないとか言ってるけど、充分すぎるくらい狂ってるわよ。
あの子のことだから、これでもまだ満足してないんでしょうね……本当、狂ってるわ。
長くなるので分割です