0071
父上の側室の一人、クラーラ・エルピネクトは、ドワーフの神官だ。
この世界の神官は神聖魔法という、いわゆる神の奇跡を使う。怪我の治療とか、呪いを解いたりとか、そんな感じの力が多いから、ヒーラーの役割を負うことが多い。
ただし、神官全員が使えるわけではないし、奥義に至る者はさらに限られる。
クラーラ母上は、そんな神聖魔法を極めた――ダメ人間だ。
「ヤーダー、仕事したくない――!!」
「仕事じゃありませんよ、母上。未来の家臣が呪いにかかってないか見てもらいたい」
「仕事じゃないならもっとヤ――ダ――!! 報酬もなしになんてやってられませ――ん! でも仕事もヤダ――!!」
「……じゃあ、何をしたいんですか?」
「惰眠を貪りたいの!」
布団を被ってこんなことを叫ぶんだから、ダメ人間としか言えないでしょう?
でも違うんです。根がダメ人間なのは事実だけど、普段は取繕えるだけの知性に溢れたドワーフなんです。
……まあ、この世界のドワーフの女性って、成人しても見た目幼女だから、どんだけダメ人間っぷりを見せても可愛いという感想しか出てこないけど。
「……ご飯、食べてますよね?」
「行軍用のレーション食べてるから大丈夫」
「それ大丈夫じゃありません! ストライキするのも惰眠を貪るのも好きにしていいですけど、ちゃんとした物を食べてください!」
我慢できないので、布団を力づくで引っぺがした。
すると、非力かつ体重がすごく軽いクラーラ母上までくっついてきて、頭から床に落ちる。きゃん、という悲鳴が上がったけど、高さ的に問題ない。両手で頭を抑えてゴロゴロ転がっているので、むしろチャンスとばかりに襟首を掴んでソファーに置く。
着ているパジャマが猫柄なので、余計に咥えられた子猫を連想してしまうな。
「……うう、セドリック君のいけず。どうして皆、ボクを働かせたがるの!?」
「クラーラ母上が替えのきかない人材だからですよ」
「替えがきかないのは、ボクじゃなくてボクの神聖魔法でしょ! 最高位の奇跡なんて使う必要滅多にないんだから、寝かせてよ!!」
「ドマイナーなプリュエール神の最高位神官だから、替えがきかないんです!」
この世界の宗教は多神教で、神が実在する。
すでに消滅した神や、いつ信者がいなくなるか分からない零細神を含めれば、一〇〇〇は軽く超える。そんな宗教事情の中、エルピネクトは雨と嵐の女神プリュエールが最大勢力だ。その理由が、ソファーに寝そべりながら抗議するクラーラ母上。
この人に恩義を感じて改宗したとか、母上が活躍に憧れてとか、母上が信仰してるならきっと素晴らしい神様なのだろうとか、そんな理由で増えていったのだ。
ただ、エルピネクト以外では、ほとんど信仰されていない。
「神殿はもうボクがいなくても回るし、神聖魔法の使い手も育ってる。――だって言うのに、隠居した幼女を表舞台に引っ張り出そうとするなんて、虐待だよ!」
「週に一回の説法と、月に一回の会議に出席してほしいってお願いされるのは虐待ではありません。あと一〇〇年近く生きている人は見た目幼女でも幼女とは呼びませんから」
「セドリック君なんて嫌いだァァァ――――!!」
月に一回の会議に出た後はいつもこれだ。
普段はここから二日くらいストライキと称して部屋に閉じこもって、その後はケロッとしながら外に出てお菓子を買い漁るのが常。
だから何日か待てばお願いを聞いてくれるけど、フレデリカさんの件は時間がない。
タイミングによっては、面倒なバカ二人が介入してくるだろうから。
「僕のことは嫌いでいいですから、フレデリカさんのことは見てあげてください。本当に困ってるみたいのなので」
「……不躾なお願いだと自覚しています。――ですが、どうか――どうかお願いいたします!」
フレデリカさんの必死の懇願を受け、クラーラ母上が顔を上げる。
ダメ人間ではあるけど、神様から最高位の奇跡を授けられた人。さらに特に布教せずに、雨と嵐の女神プリュエールをエルピネクト最大宗派に導いた人でもある。
懇願の声を無視できるわけがないのだ。
「……セドリック君。ボクは感心しないな」
「卑怯なことをしてる自覚はあります」
「カーチェちゃんやトリムちゃん達がいるのに、愛人なんて作って! しかも呪いなんて嘘までついて、ボクにアイリスちゃんやマリアベルちゃんの説得をしろっていいたいんでしょ!?」
「殴りますよ母上! 僕をあの節操なしのロリコンと一緒にしないでください!!」
心外にもほどがある。
いくら父上と似てるからって、性的嗜好まで似るわけないじゃないか!
「愛人じゃないなら、恋人?」
「未来の家臣だって最初に言ったでしょう!? 嘘偽りのない事実ですから!」
「――そっか、呪いに影響されてないならいいよ」
あっさりと、本当にあっさりと言ってのけた。
「……本当に、私に呪いが?」
「結果的に悪影響になってるって意味でね。どっかのマイナーな神様が波長の合う子に祝福をかけたんじゃないかな、って感じだと思うけど」
気怠そうに身体を起こすと、母上はきちんとソファーに座る。
面倒くさそうではあるけど、真剣な表情で。
「えっと、フレデリカちゃん、でいいのかな?」
「は、――はい」
「まずは、君の呪いの説明からしないとね」
ぽふぽふ、と。
自分の隣を叩いてフレデリカさんを招き、緊張気味にフレデリカさんは応じた。
僕とトリムは、母上のベットに腰を下ろす。
「簡単に言っちゃうと、人から好意を向けられやすくなるって呪い」
「好意、ですか? でも、それだけ……?」
「うん、本当にそれだけだよ。でも、思春期の異性って要素が加わったら別」
母上の話し方は、淡々としたものだ。
さっきまでの駄々をこねる子どもらしさとは、正反対の老練さが漂う。
「王立学校に通うような年代って、性を持て余すことが多いから。ケイオス君もね、性癖を拗らせてなかったら、きっと別の意味で問題を」
「母上、話がズレてます、戻してください。そのままだと、孤児院時代の父上の話に移ってしまいますから、早く戻して」
「おっと、ごめんね。ケイオス君はお世話した子たちの中で、色々と強烈だったから」
否定はしないよ。
特に、父上の性癖は色々と業が深い。孤児時代に母親代わりだった人を側室にしてるって考えると、ロリコンな上にマザコンという考えたくない事実に行き着くように……。
「性癖を拗ら――じゃなくて、性を持て余した結果どうなるかは、フレデリカちゃんが一番分かってるよね?」
「……はい。二〇人以上の男性に言い寄られて、婚約破棄とか、廃嫡とか、あっちゃいけないことが色々と……」
「え、そんなに? フレデリカちゃん、よく学校にい続けられるね?」
「正直、針のむしろでした。――でも、将来のことを考えれば、王立学校を卒業しないという選択肢はありませんでしたので」
「なるほど、実にセドリック君好みの図太さだね。道理で未来の家臣だなんて言うわけだ」
図太さじゃなくて、気に入ったのは覚悟の方なんだけど。
「そういうことなら解呪した方が良いと思うけど、効果はないと思ってね」
「解呪出来ないということですか……!?」
「違う違う。解呪はできるけど、すでに魅了されてる人には効果ないよってこと。好感度が上がりやすいだけの呪いだから、婚約破棄するくらい好かれてたらどうしょうもないよ」
フレデリカさんはがっくりと肩を落とす。
予想はしてたけどね。人の意識を捻じ曲げるほど強力な呪いなら、誰かが気付いているし。
「……納得しました。ぜひ、解呪をお願いします」
「はーい。じゃあ、いくよ。――プリュエール様、この子の呪いを解いてあげて。……別に、解かなくてもいいですよ。信者を辞める口実になるから……」
不穏なセリフが効いたのか、フレデリカさんが光に包まれる。
違うんです。普段はこんなことを言わないんです。ストライキ中で、荒んだ気持ちが表に出てしまっただけなんです。
「さ、これで解けたよ。ついでに、数年は呪いにかからないように加護も追加してあげたから、安心して勉強してね」
「……あ、ありがとうございます」
あんな心の闇を聞いてしまったら、困惑するのも無理はない。
僕とトリムは母上の闇なんて見慣れてるか今更だけど、初見の人はね。
「じゃ、そろそろ行こうか。母上も、ご飯くらいはちゃんと食べてくださいね」
「あ、セドリック君はちょっと残って。女の子関連で親子の会話をしようね」
「女の子関連って、母上の誤解ですよ。……二人は先に戻って」
フレデリカさんとトリムは、先に部屋を出る。
親子二人っきりになったところで、母上がベッドに戻ってくる。
「で、話ってなんですか? フレデリカさんとは本当に何もありませんし、別に好みってわけじゃ」
「――あの子の呪いだけど、ノスフェラトゥがかけたものだよ」
僕の膝を勝手に枕にしながら、とんでもないことを口にした。